悪役令嬢と(ちょっぴり)哀れなラスボスと
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「アナスタシア様!」
「どうしたのよ、ロイド」
夕食が終わり、しばらくしたころ。さて、そろそろ寝ようかな。そう思ってランプに手をかけた私の元に、慌ただしく誰かが駆けてくる。そして、扉が勢いよく開いたのち私の名前が呼ばれる。……もう少し、穏やかに登場できないのだろうか。
「どうにもこうにもありませんけれど?」
「……こんな夜に、淑女の部屋を訪ねるぐらい重要なこと?」
「えぇ、えぇ、もうそれはそれは重大事項ですよ」
そう言うロイドの口調と表情は、明らかにアナスタシア専用の猫かぶりのものではなかった。……大方、焦って猫を被るのを忘れているのだろう。そう思いながら、私は「いつもと違うわね」とだけ意地悪に言ってみる。すると、ロイドの顔色が見る見るうちに青くなった。……これが、顔面蒼白とかそう言うことだろう。
「まぁ、いいわよ。貴方が私の前でだけ猫を被っていたことぐらい、私だって知っていたわ。私、これでも出来る女なのよ。それで? こんな夜に主の部屋を訪ねてきたのはどういうご用件で?」
私は悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべて、そうロイドに問いかけた。……そもそもな話、ロイドの猫かぶりが外れるのは大体お兄様関連の時が多いのだ。この場合、お兄様に私についていくように命令されたとか、こってりとそのあと絞られたとかそういうことだろう。あぁ、アナスタシアの頭は回転が速くて助かる。
「……マテウス様が、俺にアナスタシア様の専属従者として王宮に向かえ、とおっしゃいました。アナスタシア様の所為、ですよね?」
「えぇ、まぁね」
「おかげで俺はマテウス様にこってりと絞られる羽目になりましたよ」
苦虫を噛み潰したような表情で、私のことを睨みつけてくるロイド。その表情でも綺麗な顔は崩れないのだから、美形というものは何と素晴らしいものなのだろうか。さすがは乙女ゲームの登場キャラクターだ。これで非攻略対象だというのだから、なお素晴らしい。悪役令嬢も絶世の美少女だしね。
私は膝の上に乗せていた分厚い本の表紙を撫でながら、ロイドの瞳をまっすぐに見つめた。その瞬間、私の脳内にアナスタシアの記憶が蘇ってきた。……そして、その時に感じていたアナスタシアの気持ちも同時に。
(……アナスタシアは、ロイドに自分に対しても本性で接してほしかった)
脳内に流れ込む記憶は、アナスタシアが悲しげにロイドのことを見つめるものだった。だが、彼女はその表情の意味を問いかけられても答えない。……苛烈な性格が災いして、その言葉を口にできなかったのかもしれない。いや、もしかしたらそれがアナスタシアの理想とする貴族の令嬢の姿だったのかもしれない。……あの人は、ハイスペックで美少女なのに、人付き合いが下手だった。
「まぁ、お兄様に絞られるのはいつものことじゃない」
私は膝の上にのせてある本を開きながら、ロイドにそう言う。……ロイドはこの乙女ゲームのラスボスだ。初めは、確かにそれに怯えていた。でも、ここ数時間でわかってしまった。今のロイドは、闇堕ちしていないと。多分、どこかで乙女ゲームの歯車が狂っている。そのどこかは、私にもよくわからないのだけれど。
「……マテウス様は、おっしゃいました。王家の人間を脅してでも、俺をアナスタシア様の専属従者にする、と。だから、アナスタシア様を絶対に守れ、と。……俺は元よりそのつもりでした。ですが……マテウス様に指示をされたら、別のことをやってみたくなるんですよ」
ロイドはゆっくりと私の方に近づいてくる。アナスタシアならば、こういう時どんな反応をするだろうか? 一瞬そう思ったけれど、アナスタシアの性格ならばロイドに平手打ちの一発でも食らわせるだろうという結論に落ち着く。ま、私には関係ないんだけれど。
「……アナスタシア様は、変わりましたね。毒を盛られたから性格が変わったそうですが……そこまで変わるものでしょうか?」
そんな言葉が耳に届く。……ふぅ、中身が違うということにまではどうやら結論が達していないみたいだ。だったら、別に構わない。毒で性格が変わったということで押し通してしまおう。
「えぇ、そうよ。それほど強力な毒だったということでしょう。……生死を長い間彷徨ったのだもの」
「それは、そうですね」
「それから……貴方は、絶対に私のことを守るわよ。貴方は、私のことを裏切らない」
膝の上に置いた本に視線を向けたまま、私はただそう告げる。裏切らない保証など、ない。だけど、私の口は自然とそう紡いでいた。もしかしたら、私の中にはまだアナスタシアの意識があるのかもしれない。いいや、その可能性は圧倒的に高いはずだ。
「誰がそんなことを保証するのですか?」
「決まっているじゃない。……ロイドだから、私が保証するの」
軽く本をペラペラと捲り終わった後、私はロイドに視線を向ける。私の視線の先にいるロイドは、明らかに戸惑っていた。まさか、自分がそこまで信頼されているとは思わなかったのかもしれない。
「……ロイドは、私のことが好き。だから、絶対に裏切らない」
「何を根拠に」
「今までの態度と行い」
何の躊躇いもなく、躊躇もなく私はそう告げた。今までのロイドの態度や行動に、敵意は伝わってこなかった。だから、その行動は彼なりの愛情表現なのだと気が付いた。
「だって、貴方は私のことが好き。……哀れなぐらいに、好きなんじゃない」
ずっと、アナスタシアに熱い視線を向けていたのはわかっている。それに、この間の言葉もきっとそういう意味だ。……アナスタシアだって、薄々気が付いていたはずだ。
「あのね、ロイド。私は……いずれ、ウィリアム様と離縁するつもりなのよ」
「はぁ?」
「いい身分なんて必要ないって気が付いたの。私はね……王太子妃の座にも、王妃の座にも興味がないわ。聖女の座にだって興味がない。これも、毒で寝込んだ間に考えたことなのだけれど」
それらしい理由をつけ足しながら、私はロイドの反応を窺う。……ロイドの瞳は、明らかに揺らいでいた。ロイドがラスボスになる理由が、私的には不可解だった。でも、今ならばわかるのだ。……ロイドは、アナスタシアが好きだった。それこそ、ウィリアム様から奪いたいぐらいには好きだった。
「……バカよね。貴方も私も、恋に狂った哀れな人間。だから、お似合いじゃない?」
アナスタシアはキャンディ様に嫌がらせをしていた。アナスタシアは、ウィリアム様の側に居たかった。アナスタシアは……本当は聖女の座にも王太子妃の座にも興味がなかった。欲しかったのはたった一つ。たった一人から向けられる、唯一無二の愛情。
「お似合いだったら、俺を選ぶんですか?」
仄暗い感情が見え隠れするロイドの瞳を見つめながら、私は首を横に振る。
「選ぶも選ばないも、ないわ。私が選ぶのは……私の幸せ。ただそれだけ。……そこには、誰も必要ないわ。私以外、誰も必要ないのよ」
その場にいるのは私だけでいい。前世の「あの」出来事があるからか、私が必要とするのは私だけ。妥協しても、家族しか必要ない。あの子みたいに、私のことを置き去りにしてしまう人がいるんだもの。
「私の幸せは私が決めるわ」
小さく呟いたその言葉は、いったい誰に向けられた言葉だったのか。もしかしたら、前世の私……なのかもしれない、なんて。
今のタイトルよりもしっくりきたものがあるので、近々タイトル変えるかもしれませんm(_ _"m)




