悪役令嬢のおねだり
☆☆
「あ、お兄様。もう一つだけお話があるのですが……」
一足先に食事を終えたお兄様が、椅子から立ち上がられたのを見て私は意を決して声をかける。うん、ずっと切り出し方を考えていたのよね。でも、どうやら時間切れのようだ。もうこうなったら直球で頼むしかないわよ。私はそう思って、さも今思いついたように振る舞う。
「なんだ、アナスタシア」
お兄様は私の声を聞いて、また椅子に腰を下ろしてくださった。相変わらず、お兄様はアナスタシアには甘い。この綺麗な顔立ちに見つめられたら断れないのかなぁ。元より、アナスタシアは幼い頃から兄にべったりだったし、どれだけ苛烈な性格になっても昔のことが忘れられないのだろうか。
「……まず初めに確認します。今から、私が突拍子のないお願いをしても怒りませんか?」
「何を言うんだ? お前の突拍子のない頼みはいつものことだろう。……あまり、驚かないとは思うが」
えぇ、えぇ、そうでしょね。でもね、一応そう言っておかないと怖いのよ。お兄様の怒りは屋敷中を怯えさせるの。滅多に怒らない人ほど、怒ったら手が付けられない。そう言うことよ。
「では、絶対に、ぜーったいに怒らないでくださいね。神様に誓って怒らないでくださいね」
「……はぁ、そうだな」
「じゃあ、単刀直入に言います。……ロイドを、私にください」
「は?」
私がお兄様の瞳をまっすぐに見つめてそう言うと、お兄様の驚いたような声が私の耳に届いた。そして、なんだかお兄様の機嫌が悪くなっていく。嘘。お兄様怒らないって約束してくださったじゃない……! そう言う意味を込めて、泣きそうな瞳でお兄様を見つめればお兄様は「つ、続けろ」とだけ声を震わせておっしゃいました。……なんだか、こういうところは可愛らしいですね。
「だって、私毒を盛られたのですよ? 側に絶対に裏切らない侍従が居てほしいじゃないですか」
「……ニーナがいるだろう」
「ニーナは侍女、つまりは女の子ですよ? もしも相手が暴力的に襲ってきたらどうするんですか! ニーナが傷ついたらどうするんですか! そもそも、ニーナの場合は相手が男性だった場合勝ち目がありません!」
とめどなくそんな言葉を紡げば、お兄様は「……それもそうだが」とおっしゃる。大方、お兄様がここまで躊躇うのは王家の決まりとかそういうことを考えていらっしゃるのだろう。あ、あとロイドがアナスタシアの一番側に居るのが気に食わない。こっちの方が強そうだけれど。
「絶対に裏切らない、忠誠の従者が居てほしいのです! だったら、ロイドが適任ではありませんか? 魔法の腕も申し分ないですし、それに……ロイドだと、気を遣わなくてもいいのですもの」
「……王宮で新しく従者を見つければいい」
「それは嫌ですわ。……お兄様は、私の身を守るのが見知らぬ男性でもよろしいのですか?」
私のそんな言葉を聞いて、お兄様の視線が明らかに彷徨う。お兄様はアナスタシアの一番側に居る男性が自分じゃないのが、気に食わない。ウィリアム様のことは例外としているようだ。……まぁ、そもそもあの人は私のことを疎んでいるから、数えていないのかもしれない。いいや、絶対にそうだ。
「だが、ロイドは……」
「そもそも、ロイドは私の従者ではありませんか。……お兄様が何をそこまで気に食わないのかは知りませんが、私はロイドが良いのです。ほかでもない、ロイドに側に居てほしいのです。
お兄様の瞳が揺らいだのを見た私は、そこでとどめを刺すようにたたみかける。自分の要求を通したければ、人の気持ちが揺らいだ瞬間を見逃してはいけないのだ。そう、一瞬の隙をついてとどめを刺しに行くのだ。それが、普通だし常識。
「はぁ、じゃあ、ロイドが今やっている仕事は誰がやるんだ? 代わりがいるのか?」
しかし、お兄様は折れてくださらない。……しかも、正論をぶつけてきましたか。正論をぶつけられた場合、その意見を折るのは至難の業です。さすがは公爵様。相手が愛する妹の顔をしているとしても、容赦がないです。……なんだか、趣旨がずれている気もしますが気にしてはいけません。
(相手が正論をぶつけてきた場合、こちらが正論ではない場合は勝つのがかなり難しくなる。……えぇーい、もうこの際ごり押しするか)
ロイドじゃないとダメ。そう言う気持ちを伝えるのもありっちゃありだと思う。だけど、もうここは秘技を使ってもいいのではないだろうか? 前世だったらともかく、アナスタシアは絶世の美少女なのだ。それに、相手はアナスタシアを溺愛している。うん、いける。
「――お兄様」
私はとりあえずゆっくりとそう言葉を紡ぐ。お兄様の瞳を観察してみれば、「何があっても引かない」という意思が見て取れた。うん、こりゃあ正当な方法では勝てないわ。
「私には、ロイドが必要なのです。もしも、お兄様が私の側にロイドを置いてくれないのでしたら……私、お兄様のこと嫌いになりますわ」
そう言って、私はお兄様のことを怯えたように見つめた。前世ならばともかく、アナスタシアは絶世の美少女。こんなぶりっ子みたいなことをしても痛くないのだ。むしろ、アナスタシアはこんなことを日常的にしていた。だから、身体に染みついている。
「……だが」
「だが、ではありませんわ。私は自分の身を守るために、ロイドに側に居てほしいと言っているだけなのです。お兄様が、そこまで心の狭いお方だとは思いもしませんでしたわ」
うん、何故かこんな言葉がすらすらと口から出てくる。そして、涙を拭うふりをすればお兄様は静かに「……わかった」とだけおっしゃった。どうやら、作戦は成功したらしい。うん、このまま王家への説明もすべてお兄様に丸投げしたいわね!
「あぁ、もう! わかった、わかった。……お前にロイドをつけよう。ついでに王家への説明も俺に任せておけ。……もうこの際お前の共犯者になるよ。王家の弱みは、かなり握っているからな」
「わぁお」
頼もしい……と言いますか、怖い。一国の王家の弱みを握るお兄様のことが。怖い。我ながら最強すぎる味方を手に入れてしまったわ。そう思いながら、私は茫然とお兄様を見つめていた。




