悪役令嬢の兄の決意
「……だろうな。アナスタシアだったら、そう返すと思っていた」
目の前に食事が揃った時、お兄様は「ふぅ」と息を吐いた後そうおっしゃった。その表情は清々しいほどに美しい笑みであり、私は見惚れてしまう。……アナスタシアとしての記憶がある私でも見惚れるのだから、このマテウス・シュトラス公爵という人物はいったいどれほどの女性の心を狂わしてきたのか、想像もできない。
「ま、だったら俺は協力しよう。……何、お前がどんな返答をしても俺は協力するつもりだったがな。だが、そうだな……。俺の心構えが違っただろう」
「……本当に、お兄様は意地悪ですね」
「意地悪じゃない。俺はただ単に自分勝手なだけだ」
目を伏せてそうおっしゃるお兄様。そして、お兄様はその後食事に手を付け始めた。……お話の続きは食事をしながらということね。そう思いながら、私も食事を始める。味覚はどうやらアナスタシアのままだったらしく、このシュトラス公爵家の食事は今までで一番美味しいと思えた。はっきりと言えば、私の好物だった。
「そう言えば、お兄様。ここからが本題なのですが……これはとある筋から聞いたお話を元にした仮説なのです」
無言の食事を続けること五分。私は一旦フォークとナイフをテーブルの上に戻し、そう言ってお兄様を見据えた。……ロイドから聞いたことを、話さなくては。何、ロイドから聞いたということはできる限り誤魔化す。お兄様は情報の出どころを探るだろうけれど、そこは適当に誤魔化しておけばいい。……誤魔化せるかどうかは、私の口次第なのだけれど。
「何だ」
「……私に毒を盛った人物についてなのですが、とある人物が浮上しました」
さて、ここからどうお話を進めようか。私はそんなことを思いながらお兄様の様子を窺う。お兄様は興味津々といった風に私の言葉を待たれているようだった。……大方、唯一の家族であるアナスタシアを殺そうとした人物を知りたいのだろう。
「そいつは?」
「その人は、私と今年の聖女の座を争ったキャンディ様です」
私はそう言って一旦飲み物でのどを潤す。……うぅ、やっぱり緊張しているからかのどが渇くわ。なんというか、お兄様にはかなりの迫力があるのだ。アナスタシアだった頃は、そこまで気にもしなかったのだけれど今はかなり辛い。なんだか、尋問を受けている気分なのだ。それか、取り調べ。
「……そうか。だが、あの女は王太子を誑かそうとした罪で幽閉されているはずだ。あの女の実家も取り潰された」
「えぇ、そうですね」
キャンディ様のご実家はもとより詐欺まがいのことを行っており、キャンディ様が断罪されると同時にその罪を暴かれ牢獄送りとなった。普通詐欺ぐらいでは牢獄に送ることはせず、過酷な労働環境に放り出すのだけれど、キャンディ様のご両親はキャンディ様を聖女にして国を乗っ取るつもりだったらしい。そう言う意味も合わさり、牢獄送りとなったのだ。
ちなみに裏話だが、この国には常に七人の聖女がいる。聖女は毎年一人が選ばれ、七年間務める。そのため、毎年一人の聖女が役目を終えその代わりに新しい聖女が選ばれるのだ。毎年十代、もしくは二十代前半の女性が選ばれる。今年の聖女候補の筆頭はアナスタシアとキャンディ様だった。つまり、乙女ゲーム通り。
「……まず言いますが、他の聖女様は関係ありません。むしろ、あのお方たちも被害者です」
「だろうな、それは予想がついている」
お兄様が手元のワイングラスを揺らしながら、私の言葉に返事をしてくださる。ほかの聖女様もキャンディ様の態度にはうんざりしていたようなのだ。キャンディ様は自分が王太子妃になる存在だとほかの聖女様を見下していたらしい。……なんとも、自分勝手な行動だ。
「……ただ、貴族の令息の中にはいまだにキャンディ様に魅了されたままの人がいるようなのです。……そのお方が、私を逆恨みし私の食事に毒を盛った……という仮説でございます」
別に私は恨んでいませんけれどね。そう思いながら、私はお兄様の出方を窺う。私は毒を盛った犯人を恨んではいないけれど、この国の平和のためには捕らえないといけないのだ。罪人は捕らえる。それが、この国の法律。いいや、どの国でも共通することだろう。
「……そうか。その線もあるか。まぁ、そのことはこっちできっちりと調べておこう。お前に毒を盛った犯人はきちんと俺が捕らえる。だから、お前はこの件については心配するな。……ただし」
「ただし?」
「あぁ、あのキャンディとかいう女と決着をつけるのはアナスタシアの役目になりそうだ。……どうにも、俺はあの女が苦手なようでな。近くにいるだけでも寒気がする」
「……お兄様」
それは、いったいどんなことをされたのですか? 喉元まで出かかったその言葉を必死に飲み込み、私は「そ、そうですか……」とだけ言葉を返した。うん、誰だって追及されたくないことはあるだろう。うん、そうよ。
「……正直に言えば、あの女の本命が俺じゃなかったことは素直に嬉しかった。だが、あの女がお前を傷つけるのならば別だ。……俺も、本気であの女を地獄にたたき落とすつもりで頑張らないとな」
「……ほどほどに、お願いしますね」
お兄様の本気が、とんでもなく恐ろしいことは私は知っている。多分、国が傾いたりするんじゃないかなぁ。だから、私はお兄様の暴走の予兆を素早く察知し、止めることが任務でもあるのだ。だって、自分に被害が来るかもしれないじゃない? 誰だって自分は可愛いものよ。




