聖女の疼く心
「そうだな。それが、すべてだ」
ウィリアム様は私のその言葉を肯定される。
その後、しばしの沈黙。
私たちは何かを話すこともなく、ただ紅茶を飲む。
正直なところ、そろそろ帰っていただきたい。明日も朝から山積みの仕事が待っているわけだしね……。
「……まぁ、いい気分転換にはなったな」
それから五分ほど経ったとき。ウィリアム様はそうおっしゃって、立ち上がられる。そして「さて、仕事に戻るか」とぼやかれていた。
ようやく、帰っていただけるのね。そう思って時計を見れば、二十分ほどお話をしていたようだった。うん、結構長いわね。
「ジェレミーのことは、いろいろと思うことがある。それに、俺があいつに劣等感を抱いていたのも、あいつと向き合ったつもりになっていたのも、真実だ」
「……そう、ですね」
「それに、全部譲ってくれればよかったのに。その言葉を聞いた時、確かに心が痛んだ。……あいつが、もしも本当に次男という立場に劣等感を抱いていたのならば、王太子の座を渡してもよかったのかもしれない。そうすれば、俺もこんな劣等感に悩まされることはなかった」
ウィリアム様はそうおっしゃって、私にきれいな笑みを向けてくださる。しかし、そんな「もしも」の話をしても虚しいだけだ。だから、そんなもしもの話――しないでほしい。
「そんなもしものお話、したところで時間の無駄です」
「そうだな。今のお前ならば、そういうと思っていた」
一体、何だというんだ。
この調子だと、まるでウィリアム様は私とお話がしたいみたいじゃないか。ウィリアム様がそんなことを思うわけがないのに。そう思うのに、何故だろうか。お話するのが楽しいって、思っている自分がいるような気がした。これ、ビジネスのお話じゃないのにね。
「ただ、一つだけ言えることがある」
お部屋の扉の前に立たれたウィリアム様が、最後に私の方を振り返った。その目はいつも通りのきれいな赤色。何処となくジェレミー様と似ているのはやはり兄弟だからなのだろう。色彩的にはあまり似ていない兄弟だけれど。
「なんだかんだ言っても、俺はアナスタシアが好きだったんだろうな。気持ちが冷めたと思っていても、結局心のどこかではまだ未練があったのかもしれない」
「……はぁ?」
本当に、どうしていきなりそんなことをおっしゃるのよ⁉
そう思ってしまったからか、私は素っ頓狂な声を上げ、手に持っていた紅茶の入ったカップを落としてしまう。
……やってしまった。ニーナが慌てて私に怪我がないか確認してくれるけれど、今はそれどころじゃない。
……今、とんでもない爆弾を落とされたわよね?
「……嘘、おっしゃらないでくださいよ。それに、私は――」
――アナスタシアじゃ、ないですよ。
そう言おうとしたのだけれど、ここにニーナがいることを思いだして私は口を閉じる。ニーナには知られたくなかった。たとえ、彼女が私の中身に気が付いていて、問いかけてきても。否定するつもりだったし。
「嘘じゃないぞ。前までのお前には確かに嫌悪感を抱いていたが、今のお前は嫌いじゃない。……それだけだ」
ウィリアム様は最後にそんなお言葉を残されて、お部屋を出て行ってしまわれる。相変わらず、ニーナは私の怪我の心配をしてくれていた。
……しかし、何だろうか。あのお方、どうしてそんなことをおっしゃったのよ? っていうか、私は離縁をして自由気ままに過ごしたいということを知っていらっしゃるくせに……!
(……離縁がしたい。私は自由の身になるの。……けど、それは本当に正しいこと?)
トバイアスの街での出来事。様々な人たちに感謝されていく日々。それが、充実しているかしていないかと問われれば、充実していると答えられる。そして、私はそれが――とても、嬉しかった。
「アナスタシア様? 本当に、大丈夫ですか?」
そう考えていたけれど、ニーナに顔を覗き込まれて私はハッとする。そのあと、「大丈夫よ、怪我はないわ」と笑みを浮かべて答えた。でも、じゅうたんが台無しになっちゃったわね……。これ、絶対に高いのに。
「ニーナ、終業時間前にこんなことになっちゃって、ごめんね……」
眉を下げて私がニーナに謝罪をすれば、彼女は「いえいえ、アナスタシア様に振り回されるのはいつものことなので」と言ってくれる。……それは、私に気にしなくてもいいと言っているようで、実際は貶しているわよね?
「……しかしまぁ、あんなことをおっしゃるなんて、意外でしたよねぇ」
ニーナはカップを回収しながら、そう告げてくる。
だから私は「……あんなの、冗談でしかないわよ」と言葉を返す。でも、それを聞いたニーナは微笑ましいとばかりににっこりと笑い、じゅうたんを吹き終えると「おやすみなさいませ、アナスタシア様」とだけ言ってお部屋を出て行ってしまった。
……ニーナ、何か勘違いをしていないかしら?
(私がウィリアム様のことを好きになるなんて……ありえないわよ!)
本当に、そんなことありえるわけがない。それこそ、地球が爆発するくらいありえないことだ。
そう考えるのに、何故かウィリアム様のことを見直した日々のことを思いだしてしまう。……まぁ、これって初期の頃の好感度が低すぎるっていうだけよねぇ。えぇ、そうよ。これは絶対に――好意じゃ、ない。




