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6.日常系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)

地動説は理解しやすいけど正しさには欠けているのではないか、という話。

注:このエッセイで登場する各種の科学知識は、主に wikipedia の記載を元としています。また、私自身、そこまで科学知識や科学史に詳しいわけではありません。


つまり、基本的に私は wikipedia の知識で自慢してしまうような、ちょっと痛いおっさんです。


その辺りを加味した上でお読みいただけると助かります。

 今わたしたちは、地球という星に住んでいます。朝に陽が昇り、昼に最も高くなって、夕方には沈む。そして夜には無数の星が瞬く。それは、見慣れた光景であると同時に、この地球というちっぽけな惑星から覗き見ることができる「宇宙の姿」でもあります。

 そんな、毎日のように見られる「宇宙の姿」もあれば、ごく稀にしか見られない「宇宙の姿」もあります。例えばそうですね、日食とか月食とかはどうでしょうか。地球のどこかで年に二回と、意外と頻繁に起きているこれらの現象は、同じ場所に限定すると十八年に一度だけ、同じ場所、同じ時間に限定すると五十四年に一度だけしか起きない、とても珍しい現象でもあります。


……この「十八年」という数字、「サロス周期」と言われている数字なのですが。実は紀元前には既に知られていたそうです。こんなごく稀にしか起きない現象を経験則、観測の結果として導き出したと言うのですから凄いですよね。


 地球から見た様々な現象を観測して、その観測結果を元に推測をする。そして、その推測を元に再び観測をする。そうして推測と観測を繰り返して、やがて「宇宙の形」を推測できるところまで積み重ねていく。


――そうした積み重ねから、「天動説(地球中心説)」や「地動説(太陽中心説)」と言った「宇宙の形」を推測するような仮説が生まれる訳ですね。


  ◇


 天動説というと、なぜか「地面は平らで……」という世界観を想像する人がいる気がしますが(注:ただの妄想です)、実のところ、天動説でも「地球は丸い」ことを前提としてます。というか、その考え方って天動説を支持し発展させてきた人たち、そうですね、アリストテレスのような古代の賢人たちをバカにし過ぎだと思うのですよ。

 太陽が中天にあるときの高さの違いから地球の半径を計算した人は紀元前からいましたし、先に名前を挙げたアリストテレスも「大地はまるいばかりでなく、あまり大きくない球だということも明らかである。さもなければ、ほんの僅か移動するだけで、それほど早く明らかな相違を呈するはずがなかろう」という言葉を残しています。天動説で日食や月食のような現象を説明することも可能です。

 紀元前から様々な天文現象は観測されていますし、それらを説明するのに十分な論理が天動説には備わっています。2世紀にプトレマイオスによって一つの理論体系としてまとめ上げられた天動説は、そんな過去の観測結果を十分に吟味した上で導き出された、一つの科学体系と言っても良いものだと思います。


  ◇


 さて、もう一方の地動説ですが。こちらも成り立ちは意外と古く、紀元前にアリスタルコスという古代ギリシャの人が、「太陽が中心にあり、惑星がその周りを公転する」という説を唱えています。まあ、太陽系に限定されてはいるものの、天動説よりはこちらの方が、私たちの知る「宇宙の形」に近いと思います。


……ただ、このアリスタルコスの地動説、あまり支持されないまま忘れ去られてしまうのですが。十六世紀にコペルニクスが地動説を提唱するまでの間、少なくともキリスト教圏では地動説というのは忘れ去られたままとなります。

 その後、地動説を支持したガリレオが教会と対立、裁判で争ったりと紆余曲折を経て、宇宙は地球を中心に回転していると主張する「天動説」は完全に否定されることになるのは、皆さんご存知の通りです。


  ◇


 なお、太陽が銀河系の中を周回しているという推測が登場したのは十八世紀のことです。それまでは、地動説というのは太陽中心説、「宇宙は太陽を中心に回転している」とする説だと考えた方がしっくりすると思います。


 ガリレオが「それでも地球は動いている」と言い残したという逸話があります。そうですね、確かに地球は動いてると私も思います。ですが、当時の地動説が正しかったのかと言われると、私は首をひねります。

 少なくともコペルニクスの頃は、地動説よりも天動説の方が科学的だったと思います。確かにコペルニクスの提唱した地動説の方が、惑星の位置を計算した際の誤差が少なかったのかも知れません。


――ですが、当時の地動説では、何も説明できないのです。


 例えば、なぜ物体は地球の中心に向かって落ちるのでしょうか。天動説だと、宇宙の中心に近い方が高度が低い、だから物体は宇宙の中心に向かって落下すると説明されています。この説明は、現代人からすれば炊飯物かも知れません。ですがその説明は、私たちの住む地球が球体であっても成り立つ説明です。地動説は、その説明ができなかったのです。

 また、惑星の位置を「正確に」予測するためには、惑星の軌道を正確に計算しないといけないのですが、当時の地動説はその惑星軌道の考え方に誤りがありました。


 天動説が支持されていた理由として、宗教的な理由が大きかったのも確かだと思います。ですが、当時の地動説には無視できない間違いや理論の抜けが多数あったのも事実なのです。天動説で説明できていることが何も説明できない上に惑星の位置計算も天動説と似たような精度でしか計算できない、当時の地動説はそんな不完全な理論でした。

 この不完全な理論を科学的に正しいものとするためには、惑星の軌道は真円ではなく楕円軌道を取っていると唱えた「ケプラーの法則」や、ニュートンの「万有引力」「ニュートン力学」の登場を待つ必要があったのです。


  ◇


 と、色々と述べてみましたが。別に私も、無理やりに天動説を庇い立てて地動説にケチをつけたかったわけでは無くてですね。ただ、理論だけ先行しても観測で裏付けを取らなくては正しいとは言えないし、逆に観測だけしても、理論に結びつかなくては意味がない、そんなことを言いたかったのです。

 理論とそれを裏付ける観測結果、二つが揃って初めて正しいと言えるわけです。今の私たちは、天動説よりも地動説の方が事実に近いことを知っていますが、だからといって当時の天動説が非科学的だったというのは、それこそ非科学的な物の見方かな、なんて思う訳です。


 その当時の技術で観測できたことを天動説は十分に説明できていた訳です。なら、天動説が信じられていたのは単純に、天動説の方が科学的だったからかなと、そう思う訳です。


 技術が進んで物理学も発展して。地動説を支える理論や観測結果もそろって、ようやく地動説も科学的な裏付けを得ることができて。そうして天動説よりも地動説の方が正しいと言えるようになって、ようやく天動説は否定されるようになったのかなと。


――でもそれはきっと、天動説が間違ってたとかじゃなくて、天動説の役目が終わっただけなのかなと、私なんかはそう思うのですが、どうでしょうね。これは少し感傷的な考えなのかも知れませんが(笑)


  ◇


 さて、その後科学は進み、アインシュタインによって「相対性理論」という理論が提唱されました。その中にはウラシマ効果という、光速に近づくと時間の流れが変化するというSFでお馴染みの理論も含まれています。


――さて、このウラシマ効果ですが。別に光速に近い必要はありません。速度が変わればそれだけで時間の流れは変化します。


 だからそうですね。例えば地球と月は、恒常的に異なる速度で運動していますが、その結果、ほんの僅かですがウラシマ効果が発生しているはずです。つまり、地球と月では流れている時間の速さが違っているはずなのです。

 そして、影響を受けているのは時間の流れだけではありません。質量も変化するはずです。地球から見た月の質量と月自身から見た質量には、ほんの僅かですが差異があるはずなのです。

 質量が変化すれば、惑星の軌道も変わってきそうですが、そうならないのが相対性理論の面白いところでして。なんというか、質量の変化を時間の流れが吸収する? そんなノリでしょうか。あとそうですね、空間の密度とでもいうべきものも変化しているのかな。なんというか、変化する空間をその空間の中で観測しているような感じになるのかなと。……まあ、これはあくまでも私の主観なのですが。


――これが地球と月程度なら、誤差というのもばかばかしいような差しか出てこないと思います。ですが、これが地球と火星なら? プロキシマ・ケンタウリは? アンドロメダは? ガミラス星となら? 地球とは遠く離れた、地球と大きくかけ離れた運動をする天体であればあるほど、地球とのズレが大きくなる可能性が高くなるはずです。


 これは当たり前の話ですが、地動説には、この「相対論的な質量や時間の流れの変化」が組み込まれていません。それでも、「地球から見える天体」を「地球で観測した結果を用いて計算をして」「地球に住む人」に説明するだけなら何の問題も無いと思います。その条件であれば、この理論はとても正しく、また科学的な説明だと思います。


――ですがこれが、例えばそうですね、「いくつもの星系を渡り歩く人」に説明するとしたらどうでしょう?


 様々な天体の位置を予測するためには、全て一つの観測点(慣性系)から計測された数値を用いなければいけません。例え同じ天体を測定したとしても、異なる慣性系から測定すれば違う結果が出てしまいます。そうなれば、正しい結果は得られません。

 つまり、例えば地球からガミラス星の未来位置を予測しようとした場合、「地球から見た」ガミラス星の質量や運動速度が必要になるということになります。ガミラス星が遠いからといって宇宙戦艦ヤマトに乗って、時間をかけてガミラス星まで移動して質量や運動速度を計測しても、そのままでは何の役にも立ちません。「地球から見た場合の」数値に変換しなくてはいけないのです。


 宇宙に中心はありません。ですが、どこか一つ、基準となる慣性系を決めてあげないと、何一つ計算できません。地動説で論じられた形の宇宙にはならないのです。


――そして、「いくつもの星系を渡り歩く人」には、地動説では説明のできない、今の私たちとは違う形の宇宙が見えている可能性だってあるのです。


  ◇


 こんなことは、「地球上で一生を終えるであろう」今の私たちには見えなくてもいいことなのかも知れません。ですが私たちは、紀元前からずっと観測を続けてきて、天動説から地動説、そして宇宙のどこにも中心がない形へと、この「宇宙の形の予測」を進化させてきました。

 だから、いつの日かこの予測も、「いくつもの星系を渡り歩く人」が見るような宇宙の形に進化する日が来るのかも知れません。そして、「いくつもの星系を渡り歩く人」から見た地動説は、今の私たちから見た天動説のような、どこか宗教的な理論に見えるかもしれないのです。


――今私たちが思い描いている「宇宙の形」は、地球という一つの慣性系に永住しているから成り立っているだけの、極めて限定的な理論なのかもしれないのですから。

以下、参考にした wikipedia のページです。

天動説:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8B%95%E8%AA%AC

地動説:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC


なお、うっかり本文中で「炊飯物」なんて書いてますが、正しくは「噴飯物」ですね。書いた本人もびっくりな間違いです(笑)


これ、結構いい天然のネタだと思うので、そのまま残しておくことにします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 前書きですね。前書きに一番共感しました。 私も科学はWikipediaさまの知識しか知らない身なので「あ~、おんなじっスわ~」と思うほど共感しました。
[良い点] あらゆる理論は実験、提唱、否定、肯定の繰り返しですからね 天動説、地動説のように、我々が学んできた理論はいずれ廃れていくものと思っています 最近では地球平面説が面白いことになっています …
[一言] たしかに、宇宙の中心に近い方が高度が低い、だから物体は宇宙の中心に向かって落下するという説明は、 我々現代人にとって思わず飯を炊きたくなるような話です。 ・・・・って本当に!? すみませ…
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