第35話 デッドエンド
岩肌が剥き出しになった地下牢に入れられて30分ほどが経った頃だろうか。
コツコツと、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
牢の監視についていた兵たちの様子がおかしい。やって来た人物が只者ではなく、判断に困っているといった感じだ。
やがて姿を現したのは、先程議場の高座の中央にいたキュノスという老人だった。顔を覆うヴェールの意匠が特徴的だったので覚えてしまっていたのだ。
「近衛兵の諸君、悪いが少しはずしてもらえるか?」
「し、しかし……」
キュノスの言葉には、やはり感情の色がない。
牢の前に立つ兵がたじろぐ。
「今のこやつに暴れようとする意志も力も無いことは主らも理解しておろう?」
「それは、そうですが……」
「もしも何かあれば儂のせいにして構わん。今は時間が惜しい。頼む」
キュノスが頭を下げると、いよいよ兵の動揺は大きくなった。
「お止めください、キュノス老。我々なぞに頭を下げないでください」
慌てた兵は他のものに目配せを送ると、観念したように告げた。
「長くても10分でお願い致します。それ以上はこちらとしても許容しかねますので」
「良い。儂が話したいのは少しだけだ。すぐに終わらせると誓おう」
兵達が去るのを見届けると、キュノスは床に腰を下ろし胡座をかいた。
「さて、これで人払いは済んだの。少し話そう、アルフ・ジン・クライン」
判決が下されてからは虚ろな目をしていたアルフだが、心の底で幾ばくかの驚きを覚えた。
キュノスの言葉に感情らしきものがこもっているのだ。
「まずは名乗ろうか。儂はキュノス。大陸連合元老院の1人じゃ。評議会のヒヨッ子どもの上位組織だと思ってもらえば早いかの」
議場では決して見せることはなかった感情の色。それは、まるで何かを懐かしむようで。
「そう身構えずともよい。儂が聞きたいのはサイミアでの一件についてではない」
そう言って少し、何かを躊躇うような間を置いて言葉を紡いだ。
「シークの、お主の父親の最期はどんなものであった?」
アルフは、俯いていた顔を上げ、キュノスのヴェールに覆われた瞳を見た。
この老人はなぜ、このタイミングでシークについて聞いてくるのだろうか。真意がどこにあるのか、見定めようとしたのだ。
だが、アルフが読み取るよりも先にキュノスから答えが告げられる。
「やつは、シークは儂の旧い知り合いじゃ。聡明な男であった。エメラダ王国が亡んだとの報告を受けたときは信じられなかった。あやつの治める国が亡ぶことなどあり得ないと思った。アルフ・ジン・クライン、教えてくれんか。あの日、王国でいったい何があった?なぜお主の国は亡びた?」
キュノスの言葉には、嘘の気配がない。それどころか、必死さが滲んでいた。シークから目の前の老人のことを聞いた記憶はないが、おそらく先程の言葉は真実なのだろう。
アルフは、虚ろな眼差しのまま、訥々と、知りうる限りのことを話し出した。
王位継承式の翌日、目を覚ますと自分と王城以外の全てが消え去ってしまっていたこと。
誰か居ないかと一縷の望みをかけて城の外へ出て、エレナと再会したこと。
そして、その直後、黒いローブを纏った男たちの襲撃を受け、アルフ達を守るためにシークが犠牲になり、アルフが王具を継いだこと。
上手く説明できた自信はない。
心がぐちゃぐちゃでまとまりのないことを言ってしまったかもしれない。
しかしキュノスは、アルフの言葉を一言一言噛み締めるように聞いていた。
「なるほどの。そうか、あやつはお主を守って逝ったのか。そうか。そうか」
やがて、ヴェールに覆われた顔を上げた。
「感謝するぞ。アルフ・ジン・クライン。未だ納得することは出来んが、理解はした」
キュノスは立ち上がると、アルフに背を向けて告げた。
「礼と言ってはなんだが、最後にひとつだけお主に言っておくべきことがある」
「…………」
「お主が人間であろうとする限り、お主は間違いなく人間じゃ。儂は、お主がヤツのような化物にならぬことを願っておる」
「……?」
困惑するアルフを余所に、キュノスは牢の前から立ち去ってしまった。
あの老人は何を伝えたかったのだろうか。
◆
キュノスが去ってすぐ、兵が戻ってきた。未だに動揺の色が窺える。
その後は珍客もなく、静かに時が流れ、兵達の動揺は溶けていった。
やがて、独房が並ぶ廊下に、複数の足音が響いてきた。
どうやら、もう一時間が経とうとしているらしい。
兵が敬礼をして迎えたのは、彼らの主、アルストロメリア・E・ドラクニフとその秘書リンだった。リンの手には黄金の王具が収められた入れ物が鎮座している。
「やあ、アルフくん。さっきぶりだね」
アルストロメリアがこの場に似つかわしくないほど軽い調子で話しかけてくる。
「そう怖い顔で睨まないでくれ。私だって出来うる限りのことはしたんだ」
などと言い訳がましいことを言った後、スッと雰囲気を変える。
「時間だ。君は、アルフ・ジン・クラインは、これから死ぬ。迎えに来たんだ。さしずめ私は君を死の国へ案内する死神と言ったところかな」
リンが牢の錠を外し、鋼鉄の扉を開ける。
入ってきた数人の兵がアルフを立たせ、目隠しをする。
兵に引かれるまま、硬い廊下を暫く歩く。
やがて、止まる。周囲には複数の人の気配がある。
目隠しを外され、視界に飛び込んできたのは薄暗い、不気味な部屋だった。天井は半球状で、部屋を広く見せている。壁や床は、他の部屋と異なり黒い岩で形成されている。
そして、がらんどうの部屋の中央、異様な部屋の中にあって更に異質な雰囲気を持つそれはあった。
断頭台だ。
首を乗せるためだけの簡素なものだが、これまでに多くの血を吸っているのだろうか、ドス黒く変色した断頭台は生理的な嫌悪感を駆り立ててくる。
処刑場に満ちるのは、鼻をつく薬品の臭いと、それ以上に濃密な血の臭いだ。
周囲に感じた気配は王達のもののようで、議場と同じ顔ぶれが揃っている。
「執行人は私の副官のリンだ。皆、異存はないかな?」
アルストロメリアの声に、異を唱える者はいない。不機嫌そうに顔をしかめるダルジも何も言うことはない。
リンは手に持った王具をアルストロメリアに預け、アルフよりも先に断頭台へ向かう。
断頭台への階段を上る。
一段。
─今は亡き王国での幼き日の記憶が思い出された。
一段。
─全てが消え去った日のことを思い出した。誰もいなかった絶望と、エレナがいてくれたことの安堵を。
一段。
─自分を守って散っていった父のことを思い出した。理不尽な暴力から守ってくれた偉大な広い背中を。
一段。
─エレナと旅をした数日間のことを思い出した。こんな自分にも親しくしてくれたかけがえの無い人達のことを。
一段。
─理不尽な絶望を思い出した。自分の手の中で生命の灯火が消えいく感触を。
そして、アルフは上りきってしまった。
それほど多くない段数だったが、アルフには一瞬のようにも永遠のようにも感じられた。
既に断頭台の横に控えていたリンの指示に従い、断頭台に首を据える。
断頭台の上から見る景色は色褪せていた。こちらを見上げるすべての者の表情も抜け落ちているように見えた。
「おいで、『断風』」
リンが静かに呟き、その手に湾曲した長剣が握られる。
ゆっくりと鞘から抜き放たれた片刃の刀身は、濡れているかのような輝きを湛えていた。きっと、こんな場でなければ美しいと思えただろうなどと意味もないことを考えてしまう。
これが、自分の最後に見る景色か。
まるで他人事のように思えてしまう。
もう、いいだろう。アルフは静かに目を閉じる。
「最期に何か言い残すことはあるかい?」
アルストロメリアは静かに問いかける。
「…………」
断頭台に首を据えたまま、アルフは声を発そうとしない。
ただ静かに瞼を閉じている。
「……そうか。では──」
アルストロメリアが、告げる。
「──さらばだ。アルフ・ジン・クライン」
無情の刃が振り下ろされた。
第一部完!!!
嘘です(たぶん)
書き貯めてある分も残すところあと10話ほどとなりました。それを消化するまでは毎日更新しますが、それ以降は不定期更新になります。どうか気長にお付き合いくださいますようお願い致します。




