第28話 業火③
炎柱の中から現れたのは、2つの炎の塊だった。
動いていることや、その形状から辛うじてそれらが生物であることがわかる。
その2つの炎塊の周囲─炎柱のあった場所─には灰と化した物体や火の粉が舞っている。
そこにあったはずの建物は原型が残らないほどに燃やし尽くされてしまっている。石造りの建物でさえそうなのだから、あの黒炎は何かしらの異常性をはらんでいるのだろう。
炎塊の1つは地を這う虫のように、黒炎にその身を焼き焦がされながら地面でのたうち回っている。
降りしきる雨の中にあって、尚勢いの衰えない炎は確実に生命を蝕んでいく。
「ハア゛、ハア……クソ゛ッ゛、ヒュー、ガァ……」
既に喉が焼け潰れており、酷く耳障りな声を発していた。最早それの性別すら判別できない程に醜い声だ。
そこにもう1つの炎塊が近付いていく。
身体を黒炎に包まれているが、なんの痛痒も感じていないような、緩慢な動きだ。遠目には人型に見えるが、それを人間と呼称するには少しばかりの違和感を覚えた。
それの接近に気づいた地に伏す炎塊が焦ったように吼える。
「アイツ! ドコニ゛イギヤガッタ!! ザッサトタスケヤガレ!!」
ルノは周囲の気配を探ってみるがしかし、周囲には何の気配もしない。
二者の距離は縮まっていく。
「クソッ! クソ゛ッッ!! 治レ! ナ゛オ゛レ゛エェェェェ!!!」
叫びも虚しく、その身体は末端からボロボロと崩れていく。
支えを失った身体はドシャリとその場に崩れ落ちる──
──丁度、近付いてきたもう1つの炎塊に首を差し出すような形で。
「ハア゛、ハア…………クソ! コン゛ナハズジャ!! ビュー……ナ゛ンデ治ラ゛ネェ!!」
炎塊がゆっくりと足を振り上げる。
「ゼェ……ヒュー………………グゾガァ。ナオレ。……ナオレ!!!」
「ナヲ゛─」
パキャッ
卵の殻を割るような軽い音が響く。
地に伏していた方の炎塊は頭を踏み潰され一瞬ビクリと身体を震わせた後、その生命を終えた。
しかし、立ちはだかる炎塊はその終焉を許容しない。
振り下ろした足を再び持ち上げ、既に炭となりつつあるそれを執拗に踏みつける。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
振り下ろす。
やがて、その場に散り散りに燃えカスが残るばかりになった頃に、ようやく動きが止まった。
「──────────ッ!!!!!!!!!」
黒い炎塊が絶叫する。
それは、怒号のようだった。
それは、悲鳴のようだった。
それは、喝采のようだった。
それは、警告のようだった。
それは─
─昏い、喜びの雄叫びのようだった。
叫びを終えた黒炎の化物は緩慢な動きで首を回す。
まるで、誰か人を探すかのように。
そして、首の動きが止まる。
見据える方向は─
「まずいな」
アレが何を目指しているのかはわからないが、今度は都市の中央部に行こうとしているらしい。
まだ避難途中の民も大勢いるだろう。
これ以上被害を拡大させるわけにはいかない。
ルノは屋根から飛び降り、黒炎の化物の前に降り立つ。
「……………………」
化物はルノに気づいたのか、ゆっくりと首を回す。
「よお」
「………………」
「……お前、アルフだよな?」
目の前に降りて初めてわかった違和感の正体。
眼前に立つアルフとおぼしき化物は人間と呼ぶには歪な形をしていたのだ。炎に包まれ、輪郭が揺らめいていることを差し引いても、その姿は人間のそれより明らかに巨大だった。
しかし、外見以上にルノの目を引いたものは化物の瞳だった。
黒炎に覆われたその眼窩に灯っているのはただただ深く、昏い、憎悪と絶望、そして怒りだった。
「お前にいったい何があったのかは知らんが、この先に行くってんなら全力で邪魔するぞ」
そう言いながらゆったりと前髪をかきあげ、臨戦態勢を整える。
言葉が通じているのかイマイチわからないが、アルフからの返答は右手を挙げるというものだった。
「……そうか。残念だ」
あまりに無防備な動きだったが、そこには強烈な敵意が宿っていた。
「これより、大陸連合平和憲章第二条及び第三条に則り敵対生物への対処を開始する」
そして、アルフの右手が振り下ろされようとしたその時
「お前がこの騒ぎの元凶か!」
割り込んでくる声があった。
見ると、そこには幾人かの男が立っていた。
いずれも身体中に傷があり、一般に流通していない魔道具で武装していることから裏の人間であることが一目でわかる。
「バカ! 出てくんな! お前らの手に負える相手じゃねぇ!」
しかし、男らはルノの言葉に耳を貸そうとしない。
「テメェのせいで商品も取引も全部おじゃんだ! 命で贖えや!」
その声を合図に、男達が構えた魔道具からそれぞれ魔法を放つ。
ある者は風属性の空気砲を。
ある者は水属性の渦巻く水流を。
ある者は果敢にも化物に接近し、土属性で硬化・強化した剣で斬撃を。
ある者は空中を迸る雷撃を。
またある者は全てを焼き貫くだろう焔の矢を。
しかし──
「なっ……!?」
──それらは化物の身体に届く前に彼が纏う黒炎によって焼き尽くされてしまい、ついぞその身を害することはない。
「そ、そんなはずはねぇ!! もっとだ! ありったけぶつけろ!!」
男の悲鳴に近い叫びに合わせ、再び魔法が乱れ飛ぶ。
しかし、やはりアルフの身を傷つけることは出来ない。
「嘘、だろ……」
絶句する男に、ようやくアルフが振り返る。
「待──」
ルノの制止も間に合わず、力なく開かれたアルフの右手が振り下ろされる。
その動きは、まるで鬱陶しい小蝿を打ち落とすような無造作なものだった。
だが、たったそれだけで男達の命はいとも容易く奪われた。
振り下ろされた手の、その五指の延長線上にある全てが焼き切られていたのだ。
地面に落ちる男達の切り刻まれた残骸の断面は焼き潰され、少しの出血もしていない。
それらもすぐに灰に変わる。
「…………」
アルフがルノに向き直る。憎悪の視線がルノを射抜く。
「─────!!!!!!」
咆哮一閃、アルフが両の手を滅茶苦茶に振り回した。
「チッ」
ルノは大きく横に跳び、燃えていない地面を転がり、再び飛び上がって身体を捻ることでそれらを完璧に躱しきる。
しかし、避けたルノの背後の街並みは一変してしまっていた。
石畳は抉られ、建物は見るも無惨に焼き刻まれている。ただ腕を振り回しただけで大通りまでの一本道ができてしまった。
「案外理性的じゃねえかよ……!」
アルフは初めからルノなど見ていなかったかのように、今しがたできた道を歩いて行こうとする。
「行かせるわけねぇだろうが!!」
一瞬で距離を詰め、歩を進めるアルフの無防備な横っ面を思い切り蹴り飛ばす。
黒炎に包まれたアルフはその巨体が嘘のように吹き飛び、燃え尽きていなかった瓦礫の山に突っ込んでいく。
「あっっちぃな畜生!」
黒炎に覆われたアルフを蹴り飛ばしたルノも無事で済むわけはない──
──はずなのだが、たった数度脚を振るだけで黒炎は掻き消えてしまう。
「あの炎の鎧、厄介だな。迂闊に攻撃出来ん」
本当にそんなことを思っているのかわからないほどに軽い口調でぼやく。
「おい。そろそろ出てこい。あの程度でくたばっちゃいねぇだろ!」
その声に呼応するかのように瓦礫から黒炎が吹き上がる。
黒い炎を受けた瓦礫はボロボロとその形を失い、灰と化していく。
「─────っっっ!!!!!」
瓦礫を燃やし現れたアルフからはルノへの敵意を明確に感じられた。
「そうだ。それでいい。お前の相手は俺だ」
「─────っ!!」
アルフが再び両手を振り上げる。また先程の攻撃を繰り返すつもりらしい。
「させるかよ!」
ルノも再び一瞬にして肉薄し、振り下ろされる腕を反対方向に蹴り飛ばし、勢いを殺す。
しかし、アルフはそれを予想していたようで、全く体勢を崩さない。それどころか─
「─っ!! うそだろ!?」
ルノに向かって大きく開かれたアルフの口腔に宿る赤黒い輝きを見て思わず叫ぶ。
──それはまるで竜族が誇る必殺の一撃の予備動作のようで──
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!!!」
「っ!!!」
黒い熱線が曇天のサイミアを昏く照らした。




