第24話 地下牢にて
夢を見ていた。
─ひどく悲しい夢だった気がする。
永く連れ添った者が闇に引きずり込まれるところを見るような、そんな夢。
─あまりにも情けない夢だった気がする。
闇に引きずり込まれる者に手を伸ばせない自分を悔いる、そんな夢。
─身を焦がすほどの憤怒を覚える夢だった気がする。
理不尽に襲い来る闇を、力無き自分を憎悪する、そんな夢。
─望外の喜びに心踊る夢だった気がする。
闇の中でもがいた末に何かを成し遂げる悦びを得る、そんな夢。
浅眠の瀬に引き揚げられた今となってはよく思い出せない。
ただ、強い喪失感だけはしっかりと覚えている。
いったい何を失ったのか思い出せないが、大切な何かが欠けてしまった。そんな感覚だけが微睡みの記憶にこびりついている。
その漠然とした感覚はどうしようもない不快感と焦燥感を与えてくる。
だから、早くこの眠りの海から飛び立たねばならない。
忘却が救いとなることを信じて。
◆
目を覚ましたアルフの視界に最初に映ったのは、ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになった天井だった。
かろうじて目は開くものの、全身がひどく怠く、視界が揺らぐ。
いつもの寝起きの感覚とは違う。まるで、体内を巡る血が足りていないような、そんな感覚だ。
ぼんやりとする頭で周辺の状況を把握するよう努めてみる。
なぜ自分は見覚えのない場所で眠っていたのだろうか。眠るまでの記憶が抜け落ちていた。
緩慢な動きで首を右側に傾けてみる。
すると、右の目尻から何かが溢れ落ちる感触がした。
いつもより重い左手で拭ってみると、それは涙だった。
「………?」
なぜ自分は泣いているのだろう。
悪夢でも見ていたのだろうか。
回らない頭で記憶を掘り返してみるが、思い出せない。
何か、大切な夢だった気もするが、嫌な夢ならば思い出さないに越したことはない。そう自分に言い聞かせ、記憶を探るのをやめる。
「やっと起きたか」
再び周囲を確認しようとしたところで声がかけられた。
若い男の声だ。
声のした方向を首だけで向くと、1人の少年が立っていた。
ボサボサの、色素の薄い灰色の髪は無造作にかきあげられており、そこからのぞく双眸は金色の輝きを宿している。
しかしアルフはその少年の容姿よりも、自分と少年を隔てる物に目を引かれた。
なぜか非常に頑丈そうな鉄格子があるのだ。少年は鉄格子越しに話しかけてきている。
こちら側に錠が無いことから、閉じ込められているのはアルフだとわかる。
何が起きているのかわからない。
なぜ自分が牢の中に入っているのか、思い当たる記憶がない。
目の前の少年に聞けば答えてくれるだろうか。
ベッドから体を起こそうとするアルフだったが、右半身の踏ん張りが利かず再び倒れ込んでしまう。
寝起きで身体に力が入っていないのだろうか。感覚を確かめるために右腕を見やる。
「…………………………え?」
無かった。
そこにあるはずの、なくてはならないはずの右腕の、その肘から先が無くなっていた。
「お前が今抱いてるだろう疑問に1つずつ答えてやるよ」
鉄格子の向こうの少年が話し出す。底冷えするほどに冷たい声だった。
「まずここはアスト王国の王城地下にある特別牢獄。重大な犯罪を犯した奴なんかをブチ込んでおくところだな」
少年は鉄格子越しに、アルフから視線を切ることなく語る。
「次に、なぜお前がここにいるかだが……覚えてないか?」
突然聞かれたアルフはわからないことだらけの現状にパニックに陥りながらも必死に記憶を探る。
しかし、やはり心当たりはない。牢に入れられるようなことをした覚えはまったくもってない。
アルフは首を横に振る。
「……そうか」
その短い返答には様々な感情がこもっているようだった。
「まあいい。詳しい理由は後で教えてやるが、簡潔に言うとお前が特一級危険生物と認定されたからだ」
わけがわからない。
どうして自分が危険生物扱いされなければならないのか。
眠るまでの記憶が抜けていることと何か関係があるのだろうか。
「で、お前の右腕が無い理由だが、それは簡単だ。俺が斬った」
「は?」
思わず間抜けな声で聞き返してしまった。
「お前を捕獲するために仕方なくやったんだよ。許せ」
捕獲?この少年は今、捕獲するためにと言ったのか。それではまるで自分がどこかで暴れていたみたいではないか。そんな憶えはない。
それに、仮にどこかで暴れていたとして、なぜ腕を斬られるのだろうか。
斬られた右腕はどこにあるのか。
そこまで考えて、はたと気付いた。
右手の中指には王具が嵌まっていた。右腕を切断されたのは王具を使わせないためだろうか。
そうであれば納得はできるが、あれを失くすわけにはいかない。目の前の少年は在処を知っているだろうか。
そんなアルフの思考は気にも留めず少年は言う。
「じゃあ次は俺がいったい何者かって疑問に答えようか」
アルフは王具に関する思考を一時的に中断して目の前の少年を見る。
たしかに、少年の正体は早急に知らねばならない。少年の言が真実なら、アスト王国の関係者であり、すぐに身の危険が訪れるわけではないだろう。しかし、もし盗賊や裏組織などであった場合はすぐにでも脱出の方法を模索せねば非常に危険だ。
少年は静かに、かきあげていた前髪を下ろし、ボサボサの髪に手櫛を通す。そして、口調を変えてアルフに話しかける。
「これでわかりますか? アルフさ─アルフ」
「る……の…………?」
目の前に立つ人物は紛れもなくあのルノだった。
今の今まで気付けなかったのは前髪を上げ見た目が変わったせいもあるが、口調も纏っている雰囲気もまるで別人のそれだったからだろう。
アルフの記憶しているルノは気弱そうな少年だった。しかし、先程目の前の少年から感じたのは肉食獣のような獰猛さと冷酷さだった。
ルノは再び前髪をかきあげる。隠れていた獣を思わせる金の瞳が再び露になる。手櫛ですいていた髪はいつのまにかボサボサに戻っていた。
そして、再び豹変した口調で告げた。
「あぁ。その通り。俺はルノ。アスト王国初代にして現国王のルノ・メリアルだ」
アルフはようやく歯車が噛み合うのを感じた。
ルノの名前にわずかに聞き覚えがあったのは、おそらく座学でアスト王国について教わっていたからだろう。もっとも、アルフは座学のほとんどを聞き流していたために目の前で名乗られるまでわからなかったわけだが。
サイミアの入口や宿での一件にも納得がいく。近隣国の王─宿にとっては自国の王─が来たとなればあのような待遇を受けてもおかしくはない。
しかし疑問も残る。
なぜ行商人などと身分を偽っていたのか。それに、都市に現れた騎士たちについてもわからない。
「お前が今感じてるだろう疑問に答えよう。そもそもお前達がサイミアへ向かった理由はなんだった?」
アルフは記憶を探る。そして、すっかり忘れてしまっていた答えを見つける。
「大陸連合の、使者と会うため……」
「そう。俺がその使者だったわけだ。行商人だとお前に言った理由は身分を偽り、助けを求めることでお前達の本質を見ようとしたからだ。ゲーティスからは信頼できるヤツだと聞いていたが、はいそうですかと鵜呑みにするわけにもいかん。もし、危険な思想を持つヤツだったら連合が危険にさらされるからな」
「サイミアにいた騎士は?」
「ん? あぁ。あれは俺の捜索隊だな。護衛をゾロゾロ引き連れてちゃあ何かとめんどくせぇから黙って出てきてたんだよ」
「それで困るのはいつも私どもだということを忘れないで頂きたいですね」
別の声が割り込んでくる。聞き覚えのある、品の良い老人の声だ。
「ご機嫌よう、アルフ殿。無事に目覚められたようで何よりです」
現れたのは都市で騎士達の先頭に立っていたあの老執事だった。
「仕事は終わらせてから出たんだ。別に構わねぇだろ」
「せめて書き置きぐらいは残してください。突然王が消えるということがどれほど下の者に動揺を与えるか理解してください。そもそも─」
「あー聞こえねぇな」
老執事から説教の気配を感じ取ったのかルノが耳を塞ぎ聞こえないふりをする。
「で、準備できたのか?」
話をすり替えるためかルノが切り出す。
「えぇ。すぐにでも出発出来ます」
「よし、いいタイミングだ」
アルフに向き直ったルノが告げる。
「アルフ、さっき俺はお前が特一級危険生物に認定された理由は後で教えてやると言ったな」
「え、ああ」
「今から見せてやるよ。お前の罪を」
その声音はどこまでも冷たかった。




