第18話 水底の王②
翌朝─太陽が見えないため、あくまで体感でしかないが─、誰よりも遅く起きたアルフはエレナに小言を言われつつ、未だにボーッとする頭で眠たげに朝食をとった。魚介類が中心のメニューはどれも新鮮で、寝惚けた身体に染み渡るようだった。
朝食をとってしばらく経ち、ようやくアルフが本当の意味で覚醒した頃に使者はやって来た。
「エメラダ王国第2王子アルフ・ジン・クライン様、及びその従者の皆様。お待たせいたしました。面会の準備が整いましたのでお迎えに上がりました」
腰に剣を提げた使者は人間族に近い顔立ちをしていたが、耳にあたる部分がヒレになっていたり、首もとにエラのような器官が見受けられた。
「アルフ様。わしらは船の修理に赴こうと思います。昨日の状態のままですと帰りが不安ですゆえ」
カーヅが言ってくる。
「わかった。申し訳ないのですが、船のところに案内する者を手配してもらえませんか?」
「かしこまりました。すぐに呼んで参りますので少々お待ちください」
使者がどこかに駆けていった。
ややあって戻ってきた使者に案内され、カーヅ達と別れたアルフとエレナは城へと向かった。
昨日、船が着いた場所からも見えていたが、改めて近付いて見てみるとその幻想的な光景に目を奪われる。
薄青に照らし出された城の外壁は滑らかだが頑強そうで、美しさと力強さを兼ね備えていた。一枚の絵画のような光景に息をするのを忘れてしまう。
見惚れているアルフ達の様子に相貌を崩した使者が言う。
「こちらへどうぞ。玉座の間にて王がお待ちです」
その言葉に従い、アルフ達は興味深げに周囲を眺めながらゆっくりと城の中へと入っていった。
進む廊下の幅は広く、天井はやけに高い。理由を知っているアルフはなんとも思わないが、エレナは違ったらしい。
「ねぇアルフ。何でこの城の廊下はこんなに広いの?」
歩きながら尋ねてくる。
「ふふ。王様に会えばわかるよ。今はまだ秘密」
「もう、またそれ? 今度こそ何があっても驚かないからね!」
エレナの言葉にアルフは意味深な笑みをこぼす。
「楽しみにしてるといいよ」
やがて高さが5メートルはあろうかという巨大な扉の前に着いた。
「こちらです」
言って、使者がゆっくりと扉を押し開ける。
非常に重そうな扉だったが、音を立てることもなく滑らかに開いていった。
そして、その奥で待っていたものは、あのトゥルケーがかわいく思えるほどの巨躯を誇る蒼い生物だった。脇にはイーヨが控えている。
「うそ……竜族………… ?」
横目で窺うとエレナの信じられないというような表情が見えた。
アルフは改心の笑みを浮かべそうになるのを堪え、声をあげる。
「私はエメラダ王国第2王子アルフ・ジン・クライン。まずは、先触れもなく急に来たことを改めて謝罪します。そして、急な訪問にも関わらず面会の時間を作ってくださったことに感謝を」
「よい。昨日イーヨも言ったと思うが、貴国は我が友人。何も気にすることはない」
とぐろを巻いた竜が答える。腹の底を震えさせるような低い声音だった。
竜族。アルフが知る限り、サミレア大陸に生息する種族の中で最強の存在である。高い知能に、無限とも思えるほどの魔力量、圧倒的な身体能力を有する彼らだが、個体数が少なく群れる習性もないないためにお目にかかる機会はほとんどない。そして、彼らは生殖能力が極端に低い代わりに、非常に長い寿命を持つ。
「900年ほど前、貴国の初代国王─我が友ジェードがこの国に灯をともしてくれたことを昨日のことのように覚えている」
目の前の竜─アーティス底国が王、水竜ゲーティスは900年以上を生きる純血の古竜だ。サミレア大陸が誕生したのが約1000年前らしいので、ゲーティスは大陸とほぼ同い年である。
彼の背には空を飛ぶための翼は無い。その代わりに、水中で活動するためのヒレが発達していた。
その長い首には、何らかの魔道具だろう、魔石の嵌め込まれた首飾りがあった。
「イーヨから火急の用件だと聞いている。貴国に赴いた我が国の者達も関わっているとも。着いて早々で悪いが聞かせてほしい」
真剣な様子でゲーティスが言う。自国の者に何があったのか不安なのだろう。
アルフは話し始めた。
継承式の翌日、目が覚めたら王城と自分を除くエメラダ王国の全てが消え去っていたこと。黒い男達の襲撃を受け、自分を守るためにシークが闘い、そして死んだこと。シークが最初に現れたとき、すでに致命傷を受けていたこと。最後に、それらの原因を探るべく旅に出たこと。
話を聞いていたゲーティスが目を見開く。ゲーティスの隣で聞いていたイーヨは絶句している。
「国が消え、シークが死んだ……? 馬鹿な…………」
「俄には信じられないかと思いますが、すべて事実です」
「そう、か…………」
ゲーティスはひどくショックを受けているようだった。
玉座の間に痛いほどの沈黙が降りる。
「王具は……緋の王具は無事なのか?」
思い出したかのようにゲーティスが尋ねる。
「はい。ここに」
アルフが右手の中指に輝く王具を見せる。
「良かった。王具まで消えていては目も当てられなかった。大不幸中の小幸いと言ったところか……」
ゲーティスが呟く。
「さて、イーヨよ。お前の聞きたいことは聞けただろう。下がって休め」
ゲーティスの言葉に、未だに呆然とした様子のイーヨが黙って頷く。ゲーティスとアルフ達双方に一礼した後、玉座の間を後にした。
玉座の間に残されたのはゲーティス、アルフ、そしてエレナの3人だけだった。
「わざわざ伝えに来てくれて感謝する。深海に住んでいると情報が回ってくるのがどうしても遅くてな」
先程より砕けた感じでゲーティスが言ってくる。平静は取り戻しているようだ。
「感謝などしないでください。貴国に真っ先に訪れたのは、友好国であるからなのはもちろんですが、貴国以外に頼るあてが私には無かったからです」
アルフは正直に言う。エメラダ王国の北にあるトーズ聖国は国交を開いていないため訪問することもできない。西には貿易もする亜人族の集まりがあるが、亜人連合は今まさに他国と戦争中だ。たった2人で戦争をしている場所へ行くわけにもいかない。
父であればなにか他にあてがあったのかもしれないが、外交の場にほとんど出たことのないアルフにはそれがなかった。
「よいよい。お前の事情は知っている。我が国以外に訪れたことのある国がないのだろう。それに、頼られて悪い気はしないしな」
口の端をニッと上げてゲーティスが言う。鋭い牙が見えた。
「さて、お互い堅苦しい喋り方は好かんだろう。アルフ。何時も通りに話そう」
「ではゲーティス様、その前に人型になってください。その姿だとどうにも構えてしまう。それに──」
アルフは隣で未だに放心しているエレナを見やる。
「──エレナ、私の幼馴染みも呆けてしまっています。」
「む。そうか。仕方あるまい」
直後、ゲーティスの身体が銀の光に包まれた。
それは見る間に小さくなっていき、やがて消えるとそこには一人の人間の男が立っていた。
後方には、それまで巨体に隠されていたモノが見えた。硬質な輝きを放つ、淡い蒼色をした鎧だ。
「やはり人の身体は小さいな。アルフよ、これでよいか?」
ゲーティスが使用したのは無属性のBランク魔道具だ。とあるAランク『逸話持ち』を模倣しようと試みたその魔道具の効果は、巨大な生物を魔力が続く限り人型に保つというもの。Bランクと、比較的高ランクではあるものの、小さな生物を大きくすることは出来ないし、姿を指定することも出来ないため変装にも使えないため、用途がほとんどない。はっきり言ってしまえば微妙な魔道具だ。
「はい。ゲーティス様。……おい、エレナ。戻ってこい」
アルフはエレナの肩を掴み揺さぶる。
「ふぇっ!? ……あ。ごめんねアルフ。ボーッとしてたみたい。……それにしても、竜族かぁ。あたし、初めて見た」
そこまで言ってエレナはハッとしたようにゲーティスに向き直った。
「ご、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。あた、私はアルフの幼馴染みでエレナと言います」
「よい、許す。むしろ私の姿を見て逃げ出さなかったのを誉めてやりたいくらいだ」
人好きのする笑顔でゲーティスが答える。
「ところでアルフよ」
「なんでしょうか、ゲーティス様」
「その『ゲーティス様』というのをやめろ。ひどく他人行儀な感じがする。5年前のように『竜のおっちゃん』と呼んでくれてもよいのだぞ?」
その言葉にアルフは渋い顔をする。
5年前、初めてゲーティスを見た10歳のアルフは、興奮して無邪気にそんなことを口走ったのだ。ゲーティスはその呼び方をいたく気に入ったようで、気持ちよく笑っていたものだ。共に来ていた兄やゾーラ達からはこっぴどく怒られたが。
「お戯れを。王子である私が、他国の王であるゲーティス様に敬意を払うのは当然です」
「………………」
ゲーティスは応えない。そっぽを向いている。
「………おっちゃん」
顔を真っ赤にしてアルフが言うことでようやく向き直った。
「少し言葉が足りん気もするがまあよい。あとアルフ、その似合わん敬語もやめろ。お前は自然体でいる方が面白い」
「面白い」と言われ、釈然としないものを感じつつもアルフは諦めたように頷いた。
900年以上の時を生きる老竜ゲーティスだが、子どものような茶目っ気も持ち合わせているのだった。
◆
「さて、話を戻そう。お前達は国が消えた原因を探る旅に出ると言ったな」
「はい。まずは俺たちを襲った黒い男達を追おうと思います」
「ふむ。それで、どこにいるかなどの情報は掴んでいるのか?」
アルフとエレナは顔を見合わせる。そんな情報は持ち合わせていない。
「どこに向かうかも定まっていないのに旅に出たのか……」
呆れたように溜め息をつき、ゲーティスは続ける。
「アルフよ。お前の行動力は買うが、もう少し考えてから動け」
「…返す言葉もないです」
「まあ、これから気を付ければよい。お前は若い。これから多くのことを学び育ってゆけ」
「はい」
その後も少し説教を受けたあと、エレナが口を開く。
「あの! 恥を承知でお尋ねします。私たちはどこに向かうべきでしょうか?」
「うむ、情報を求めるのなら『大陸連合』に頼るのが一番よかろう。私の方からも口利きをしておく。伝があるのでな。まずはこの湾の北にある交易都市サイミアを目指せ。そこで使者の者と落ち合えるように手はずを整える」
「「ありがとうございます」」
アルフとエレナは揃って頭を下げる。
「気にするな。私はな、これでも友の国を害されて非常に気が立っているのだ。一刻も早い原因究明のために全力で支援することを約束しよう」
再び2人が礼を言おうとして遮られる。
「気にするなと言った。私も私的な感情で動くのだ。感謝される道理はない。ときにアルフよ。調査のために王国と城に立ち入ることを許してはくれまいか。まだ何かあるやもわからん。絶対に荒らしたりしないことは誓おう」
「もちろんです。おっちゃんの力を貸してください」
『おっちゃん』と呼ばれて嬉しかったのだろうか。ゲーティスが満足そうに笑みを浮かべる。
そして、2人は固く、お互いの国の友情を確かめるように握手をした。
◆
「アルフ。今日はここでゆっくりしていかないか? もう少しお前の話を聞かせてほしい」
ゲーティスが言う。
「申し訳ないですが、指針が決まった以上早急に動きたいです。おっちゃん、積もる話はまた今度にしましょう」
「そうか。残念だが、仕方あるまい。気を付けて行くのだぞ」
「はい!」
元気よく答え、アルフは玉座の間をあとにした。
「あぁ、少し待ちたまえエレナくん」
アルフに続いて出ていこうとしたところをゲーティスに呼び止められる。
ゲーティスは歩み寄ってくると耳元で囁いた。
「アルフをよろしく頼んだぞ」
ゲーティスが屈託なく笑みを浮かべる。遅れてエレナの顔が茹で上がったように赤くなった。
「は、はい!」
裏返った声で返事をし、一礼した後早足にアルフの後を追った。
ゲーティスはその後ろ姿を、まるで孫を見送るように、穏やかに見守るのだった。
◆
使者に案内されてカーヅ達がいる船のある場所までやって来た。
見ると、船を前にカーヅが腕を組ながら難しい顔をしている。
「カーヅさん、何かあったの?」
「おお、アルフ様! 会談はもう終わったので?」
「うん。滞りなくね」
「それは良かった。…………しかし、こちらはあまり芳しい状況ではありませんのぉ。船の補強をしようにも資材が足りんのです。このままでは地上に帰れませぬ」
その言葉にアルフは焦る。
「どうにか出来ないの?」
「無理ですな。木材で出来た船の部分は問題ないのですが、魔道具の部分の土の補充が出来ないのです。」
足元の砂を蹴りながらカーヅが答える。
「そんな……」
途方に暮れるアルフの後方、城の方角からガシャガシャと、重い音を立てながら近づいてくる影があった。
「ふふ。アルフよ。早速問題発生か?」
玉座の間で見た淡い蒼の鎧を装備したゲーティスだった。ただし、武器の類いは一切身に付けていない。
アルフはつい今しがたカーヅから受けた説明をそのまま繰り返した。
「なるほど。……ふむ。ちょうどいい。手を貸そう」
それだけ言うとゲーティスは底国の入口─そこだけ地上の砂浜のようになっており、少しだけ海水が入ってきている─に向けて歩き出した。
「確か、アルフにも見せたことはなかったな。この国が誇る『蒼の王具』の力は」
ゲーティスが水辺に立ち、底国をすっぽりと覆う巨大な水晶体の外─暗黒の深海─へと、蒼の鎧に包まれた手をかざす。
その瞬間、アルフ達は辺りの空気がざわめき出したかのような感覚を覚えた。
「これは……」
「魔力で空気が震えてるの……?」
ゲーティスを中心とした巨大な魔力の奔流から生じる空間の鳴動は、やがて1つの形をとってアルフ達を驚かせる。
「まさか……」
「なあ村長……俺たちゃあ、夢でも見てんのか…………?」
ゲーティスが手を伸ばしたその先から、まるでゲーティスに道を空けるかの如く、海が割れた。
水深5000メートルの海底に、届くはずのない陽の光が差し込む。
久しく見ていなかった陽光に、思わず目を細めてしまう。
陽光に照らし出された海底に、見覚えのある水晶のような輝きを宿した巨体が見える。トゥルケーだ。
「あとはトゥルケーが引っ張ってゆけば、その魔道具を修理せずとも海上へ行けるだろう」
絶句するアルフ達を尻目に、そんなことをのたまう。
そして
「蒼の王具は水を司る魔道具だ。炎を司る緋の王具とは正反対だな」
誰にともなくそう言うと、呆然とするアルフ達に向き直った。
そして、少しも疲労した様子などなく、こう言うのだった。
「さあ、行こうか」




