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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
4章:黄金律の血
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39

 小夜子はルイに肩を貸して、彼がベッドに腰かけるのを手伝った。

 彼は傷だらけだった。黒いシャツを着ているから判りにくいが、顔からも首からも血の筋が流れている。服の下は、どうなっているのか、想像するのも恐ろしい。

 蒼白になっている小夜子を見て、ルイは力なく笑った。

「ごめん、一時間ほど待ってくれる? 自然に血が止まると思うから」

「こんなに大怪我をしているのに?」

「大丈夫だよ。僕は、普通の人間とは違うんだ」

 ルイは自嘲気味にほほえんだ。額から新たな血の筋が垂れるのを見て、小夜子は恐慌に陥った。

「千尋さんを呼んできますっ」

 くるっと身を翻そうとした小夜子の手を、ルイは素早く掴んだ。小夜子が驚いた顔で振り向くと、掴んだ手をそっと放して、ほほえんでいった。

「小夜子。本当に大丈夫なんだ」

「でも……何か、してあげられることはありませんか?」

「じゃあ、声を聞かせて」

 甘えるようにいわれて、小夜子は言葉につまった。

「デジ・リュリュのプレスクール選考に受かったんだよね。おめでとう」

 小夜子は止めていた息を吐きだし、ぎこちなくほほえんだ。

「ありがとうございます。ルイのおかげですよ」

「小夜子が頑張ったからだよ。学校はもう始まっているの?」

「はい、今月から」

 笑おうとして、苦痛に顔を歪めるルイを見て小夜子は焦った。

「ルイは喋らないで。私が喋ります……せめて、血だけ拭かせてください」

 そっと服をめくると、恐ろしいほどの傷が見えた。唇を噛み締めることで、どうにか悲鳴をあげずにすんだ。

「ごめん、今は触らないで。じっとしている方が回復が早いんだ」

「わ、判りました」

「大丈夫?」

 ルイが心配そうに見ている。

「大丈夫です。ええっと……じゃぁ、会話の途中でしたよね」

 喋るのは苦手だが、少しでも彼の気がまぎれるように、とにかく思いついたことを話し始めた。

「私、怖いことがあると、寝ながら好きな映画を見ることにしているんです。子供の頃からディズニー映画が好きで、全作品観ているんですけれど……」

 ルイは目を閉じたまま、かすかにほほえんだ。重傷を負っているが、先ほどよりも寛いだ様子になったように見えた。小夜子はルイの様子を注意深く見つめながら、言葉を継いだ。

「小さい頃は、ミッキーのモノクロ映画が好きでした。何時間でも見ていられました。ムーラン、ライオンキング、全部好き。特に美女と野獣は大好きで、三十回は観たと思う」

「アナと雪の女王も?」

「そう! 映画館で二回観ました。モアナもすごく好き」

「かわいい、小夜子」

 このうえなく甘い視線で囁かれて、小夜子は真っ赤になった。ルイはしばらく小夜子を見つめていたが、不意に身じろいだ。身体の具合を確かめてみる、といった風に肩を動かしたり、手首を回したりし始めた。

「ふぅ……楽になってきた。ありがとう」

「本当?」

「うん。小夜子のおかげだ」

 そういって彼はシャツをめくって、腹をあらわにした。

 信じられないことに、ルイの腹の傷は塞がり、血が止まっていた。刻々と皮膚は再生し、割れ目のような傷痕は、ひきつった細い線になりつつある。

「すごい、本当に治ってきている……」

「血を飲んだおかげで、いつもより早いみたいだ。夜までには完治しているよ」

 小夜子は安堵のため息を吐いた。吸血鬼の超人的な生命力に感謝したい気分だった。

「良かったぁ」

 安堵の滲んだ声を聞いて、ルイはすまなそうな顔になり、小夜子を見つめた。

「面倒をかけてごめん。君にも怪我をさせてしまった」

 小夜子はかぶりをふった。

「捻挫くらい、へっちゃらです。それより、ルイが無事で本当に良かった」

「僕も、小夜子が無事で本当に良かった……女王に攫われたと知った時は、心臓が止まるかと思った」

 ルイは血を吐く心地でいった。体中を有刺鉄線に絡め捕られかのような痛みに襲われていた。

 小夜子はルイの頬をそっと撫でた。彼はその手に自分の手を重ねて、貪るように小夜子を見つめてきた。

「貴方は私を助けてくれた。何度も」

 ルイは小夜子の手をとり、ちゅっと甲にキスをした。

「アシュ・ネ……サラ・エ・マイン……」

 不思議な響き……フランス語とも違う、聞いたこともない外国の言葉を呟いた。最大の感謝を意味する、古い言葉だ。

「マイン?」

 小夜子が語尾だけ真似すると、ルイ忍び笑いをもらした。甘い視線に、小夜子の胸は高鳴る。

「ね、もっと声を聞かせて?」

「私の話なんて、大して面白くないでしょう?」

「そんなことない。すごく興味あるよ。それに、小夜子の声って癒されるんだ」

 小夜子は照れ臭そうに笑った。出会った時からそうだが、彼は小夜子に喋らせるのが好きらしい。

「あの、具合がよくなってきたなら、身体を拭いても平気ですか?」

 ルイは思案げな表情を浮かべた。

「いいけど、ところどころまだ穴が開いているかも。あまり気持ちのいい光景じゃないと思うよ」

 小夜子は顔を強張らせたが、覚悟を決めて頷いた。

「ガーゼはありますか?」

「うん。バスルームの戸棚のなか」

 小夜子はバスルームへいき、先ず濡れたタオルと乾いたタオルを選んでベッドへ運んだ。再びバスルームに戻り、戸棚を開けて驚いた。外科治療道具の一式、様々な薬品、ガーゼに包帯……必要と思うものを両手に抱えて彼のもとへ戻った。

「触りますよ」

「うん」

 小夜子は身を乗りだして、ルイの襟元に手をかけた。肩からこぼれた髪が彼の胸に落ちて、彼は擽ったそうに身じろいだ。

「ごめんなさい」

 小夜子は慌てて身体を起こして、ヘアゴムで一つに結わいた。

「後ろで結わいてもかわいいね」

「ありがとう……」

 照れつつ、滅菌パックを破って、大判のガーゼを取りだした。長身の彼の胴体を持ちあげ、包帯で巻くことは小夜子には無理なので、代わりにガーゼをはりつけた。

 彼の胸と腹に、細心の注意を払ってガーゼを張っていると、ルイがびくっとした。

「ごめんなさい、痛かった?」

「Non……痛くないよ。ただ、心を打たれただけ」

「?」

 意図を測りかねて小夜子が首を傾けると、ルイは苦笑とも呻きともつかぬ呟きを漏らし、不安そうにしている小夜子に笑みかけた。

「Ca ne fait rien. ごめん、続けて……」

「判りました」

 救急箱を開いて、必要な道具を並べる。

「ありがとう小夜子、綺麗にしてくれて。いい気持ちだ」

「本当?」

 不安そうな顔をしている小夜子の頬を、ルイは優しく撫でた。

「本当だよ。小夜子のおかげだ。ねぇ……訊きたいことがあれば、なんでも訊いて。僕の知っていることなら、なんでも答えるよ」

 小夜子はちょっと躊躇ったが、思い切って訊ねてみることにした。

「ルイは、どこで生まれたの?」

「僕たちは、ウルティマスに創られた戦士だ。悪しき者を戒めるために存在している」

「悪しき者……悪魔、ってこと?」

「悪魔、魔女、悪霊――色々といる。たいていの人外は協定を守って人間社会で暮らしているけれど、稀に掟を破る者がいるんだ。そういった輩を罰するのが、僕たちの使命」

「なんだか、正義のヒーローみたい」

 小夜子が少しおどけていうと、ルイは笑った。

「どうかな。そんなに恰好よくないよ。人間には見られないようにしているし……毎回勝てるとも限らなくて、実際殺された仲間もいる」

 小夜子は息をのんだ。ルイたちほど強いVが、殺されることもあるのか。

「ルイたちはすごく強いけれど……無敵ではないんですよね」

「さすがに、不死とはいかないからね」

「協定って何ですか?」

「人間に魔術を使わない、危害を加えない。それから、正体を明かさないこと。人間社会のなかで善良に暮らすこと。これらの規律を守るのなら、生存権と自治権を認められる」

「誰が決めたの?」

「遥か昔、Vの立ちあいのもと、それぞれの上位種族の代表によって交わされた」

「ルイは、何歳なの?」

「少なくとも、紀元前から生きているよ」

 小夜子は絶句した。

「実年齢でいえば、千尋が一番の古株なんだ。昔は女王に仕える巫女の一人だったんだけど、逃げだして……今は、ウルティマスに仕えている」

「え、千尋さん、女王に仕えていたんですか?」

「うん。昔からエゴイストな女王さまだったみたいだよ。僕は生まれた時からアラスターと一緒にいて、二人で各地を転々としていた。そのうち、ヴァチカンで千尋、ウクライナでヴィエルと合流して、最後にエディンバラでセント・パトリックデーにアンブローズと合流したんだ」

「アラスターさんとは、ずっと一緒にいたんですね」

「そうだね。出会ってから、もう随分経つ気がする。数千年生きているけど、神々のなかでは若輩なんだ。ウルティマスたちは天文学的な数字を生きているわけだし」

「神さまですものね……」

 小夜子は遠い眼差しになった。気になっていたことを訊ねてみた。

「神さまは、どうやってVを創ったんですか?」

「天衣無縫の御業だよ。僕らには計り知れない、無から一を生みだす力だ。ただ、僕の誕生は少し特殊で、ウルティマスと女王がわざわざ人間の肉体を通じて、産み落としたんだ」

「それって、つまり、人間みたいに……?」

「そうだよ。僕は人間と神の混血なんだ。陽射しが脅威ではないし、他のVたちのような弱点もない。ただし、女王の特性も引き継いでいるから、破壊衝動をもつ悪魔をこの身に抱えている」

「……辛い?」

「もう慣れたけど、最初は嫌だったよ。自分が自分じゃないみたいで……戦闘が始まると、あいつが目を覚まして、暴れようとするんだ。制御するのに毎回苦労している」

 小夜子は慰めるようにルイの手を撫でた。彼は逆に小夜子の手をとり、愛おしそうに親指で手の甲を撫でた。

「でも小夜子を救出にいったとき、初めてあいつに感謝したよ。女王に打ち勝つには、あいつの力が必要だった」

「悪魔といっても、私にはとても優しかったですよ」

 ルイはほほえんだ。

「……そうだね。本音をいえば、あいつが前面にでた時、小夜子を引き裂いてしまうと危惧していたんだ。でもそうはならなかった。いつになく、主導権をよこせと暴れまくるけどね」

 小夜子は笑顔になった。

「頼もしい相棒ですね。神さまが、ルイと悪魔にルームメイトになるように命じたのは、お互いを補えるからですよ。きっと」

 ルイは虚を突かれた顔になり、次に破顔した。

「……うん、そうかもしれない」

「ルイは昼にでかけることもあるけど、陽の光は平気なんですか?」

「僕は平気だけれど、大抵のVには死活問題だよ。吸血鬼にも個性があってね、弱点もそれぞれ違うんだ」

「ジョルジュさんは?」

「彼は人間だよ」

「えっ、そうなんですか?」

 小夜子は驚きのあまり、ルイの顔をまじまじと見つめた。

「ジョルジュは、時代のヴァンパイアの王とその近衛に仕える歴代の執事の名前なんだ。彼で何代目だったかな……確か、五十は超えているはず」

「そんなに? ジョルジュさんのご家族が、彼のあとを継がれるのですか?」

「いや、世襲制ではない。ウルティマスによって選ばれる」

「へぇ……ウルティマスと女王は姉弟なんですよね? ずっと仲が悪いですか?」

「仲が悪いというか、二人の性質は真逆なんだ。ウルティマスが丹念に創りあげたものを、腐敗堕落させるのがナーディルニティの趣味なんだよ。あの二人は創世記の頃から、宇宙規模の姉弟喧嘩をしているのさ」

「ならどうして、ルイを生んだの?」

 まさしく核心を突いた質問だ。

「それは僕も知りたい。ウルティマスは創造の熱意が膨らみすぎたのかも。飽くなき探求心の結晶? ……なんでもいいけど、神々の閑潰しに僕を巻きこまないで欲しいよ」

「仲良くできないのですか?」

 小夜子は真面目に訊ねたが、ルイは笑った。

「本当にね。最大公約数的な解釈をすれば、あのふたつ神は、宇宙規模の痴話喧嘩をしているだけなんだ」

 小夜子が首を傾けると、ルイはこう続けた。

「つまり、女王はウルティマスに懸想して、彼が創造する全てに嫉妬する。“私を見て”とばかりに壊すんだよ」

 小夜子は憮然となって腕を組んだ。高尚な神々に対して、いささか呆れてしまう。好きな相手の気を引きたくて、人間界を滅茶苦茶にされたのではたまったものではない。

 不服げな小夜子の顔を見て、ルイは困ったように笑った。

「神さまって身勝手だよね。ウルティマスが今すぐ創造をやめて女王に目を向ければ、宇宙に平和が訪れると僕は割と本気で思っているよ」

「私は……ルイたちが傷つくのは嫌……しかるべき人に相談すれば、力になってくれるかも」

 ルイはかぶりを振った。

「問題が増えるだけだよ。僕たちの力は、人間に悪影響を及ぼしてしまう。明るみにしない方がいいんだ」

「ルイたちは人のために頑張っているのに、誰もそれを知らないなんて……」

 小夜子はしゅんとなったが、次のルイの言葉に救われた。

「小夜子が知ってくれていれば、十分だよ。君のためなら、僕はなんだってできる」

 髪に口づけがおちる。小夜子がおずおずと視線をあわせると、ルイは貪るように見つめてきた。

 その時に感じていた気持ちが、お互いの顔に、すべて表れていた。

 離れている間も、ずっとルイを探していた。ルイによって与えられる苦痛、庇護、心のときめき。互いを慈しむ貴さ……言語を絶する恐怖を伴ったとしても、彼の傍を離れることはとてもできない。

 困難で複雑な過程があったからこそ、この気持ちが愛おしい。大切にしようと思えるのだ。

「……私も、ルイのためならなんでもする」

 ルイは眩しげに目を細めた。世にも稀な銀色の瞳に、透き通った涙が溢れる。

 小夜子がそっと指先で目じりに滲んだ涙を拭うと、彼はたまらないといった風に、両腕でぎゅっと小夜子を抱きしめた。

「手放せなくてごめん……好きなんだ。僕にできることなら何でもするから、傍にいてくれる?」

「はい。私も傍にいたい」

 小夜子も泣きながら、ほほえんでいった。

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