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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
1章:十七歳の誕生日
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1

 東京。熱帯夜の七月六日。

 小倉小夜子はアルバイトから帰宅したあと、鎮痛剤を飲んで横になっていた。

 子供の頃から偏頭痛もちで、何度も病院で処方箋を書いてもらったが、薬は大して効かない。結論、オイルを垂らしたホットタオルを目の上にのせて、横になっているのが一番の特効薬だと今では知っている。が、偉大なるアロマの力をもってしても解決できないこともある。

 偏頭痛は凶兆のしるし

 第六感が何かを察知するような、ぞっとするような感覚がするのだ。部屋に一人きりのはずなのに、見られている気がする。聞こえるはずのない、囁き声を耳は拾う。

 この迷惑千万な体質のせいで、十六年間、苦労しかなかった。子供の頃は特に、おどおどしている小夜子は格好のいじめの対象だった。あらぬところを見て怯えている小夜子に、大人も気味悪がった。

 両親は、娘の奇行をどうにかしようと頓珍漢な説諭や治療を施した。特に塾講師をしている父はやっきになった。支配欲の強い人で、小夜子には妄想癖があると信じて疑わなかった。小夜子が泣きやまない時には、かっとなって手をあげることもしばしばだった。

 治療という名の精神迫害は、小夜子を疲弊させるだけだったが、親に悪気はなく、良かれと思ってしているのだから性質たちが悪かった。

 小さい頃は、視たものをそのまま口にしていた小夜子だが、気を引きたいのだと勘違いされるだけだと判り、次第に黙りこむようになった。

 親も、小夜子を難しい娘だと思っていたに違いない。知人から、東京にある評判のカウンセリングを紹介されると、小夜子が中学校を卒業するのを待っていたかのような手際の良さで、あれよという間に東京へ送りだした。

 最初は寂しい気持ちが強かったが、学校から帰って、家族に気を遣うこともなく家で寛げるというのは、思っていた以上に精神的に楽だった。

 清貧を心がければ、仕送りの範囲内で十分に暮らしていける。最初の一年でカウンセリング通いも終わり、高校二年生からは、週三日ほど雑貨屋でアルバイトを始めた。色々と刺激をもらい、自由に使えるお金も増えて、かつてないほど充実した日々を送っている。

 最近では進学を考える余裕もでてきたが、それでも、相変わらず霊障には悩まされていた。

 今夜も早々に横になったのだが、途中で目が醒めてしまった。

 二十三時四十五分。

 空腹で冷蔵庫を開けてみたが、何も入っていない。

(うーん、食料買いにいくかぁ……)

 跳ねた髪はキャップで隠し、スニーカーを履いてコンビニまで買いだしにいくことにした。

 頭上には真夜中すぎの星々を背景にして、木々の梢が聳えたっている。

 下北沢まで歩いて十分ほどだが、人が多いので、普段はあまり近寄らない。

 もっぱら徒歩三分でいけるコンビニを利用している。ただし、鬱蒼とした茂みの向こうにあり、調子が悪い時に通るのはいささか怖かった。

 深淵のように昏い道を急ぎ足で抜け、コンビニで買い物を終えた帰り道、午前零時を過ぎていることに気がついた。

 七月七日。

 小夜子の十七歳の誕生日だが、これといって予定はない。彼氏はいないし、お祝いしてくれるような親しい友人もいない。

 でも、一人でブックカフェにいくのも良いかもしれない。そう思いながら歩いていると、七月にふさわしくない冷気が背筋に触れた。

 速足で歩いていた小夜子は、不気味に揺れる正面の茂みにぎくりと足をとめた。ぴりぴりとうなじの毛が逆立ち、恐怖に超常感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。

(あぁ、嫌だ……何かいる)

 唸り声がする。何かを咀嚼しているような、薄気味の悪い粘着質な音。見たくないのに、暗がりの奥に目を凝らしてしまう。

 はっきりとは見えない。何か、黒い異形の影が、うつぶせに倒れている男性に屈みこんでいるようだ。細長い六本以上もある腕のようなもので、四肢をがっちりと押さえつけ、頭部を前後させている。

(何、あれ)

 小夜子は恐怖で身がすくんでしまった。ちょっとでも声が漏れぬよう両手で口を覆い、あとずさりを試みるが、足はその場に縫いつけられたように動かない。

 と、怪物が振りむいた。黒く塗りつぶされた顔に双眸は見当たらないが、目が遭ったと感じた。大きく開けた口にはびっしりと鋭い歯が並び、その隙間からだらだらと赤黒い液体を滴らせている。

(殺される――)

 背筋がぞっと冷えて、全身の肌が総毛立った。怪物は恐怖を嗅ぎ取ったかのように、恐ろしい形相で小夜子を見た。にぃっと嗤ったのだ。

「……やだッ」

 獣がゆっくりと近づいてくる。逃げないといけないのに、恐怖のあまり、一歩も動くことができない。動け足、動け足――必死に唱えていると、唐突に金縛りがほどけた。

「助けてッ!」

 小夜子は一目散に逃げだした。すぐ後ろで唸り声が聞こえる。早く、早く、逃げなければ――焦るあまり、足がもつれて転んでしまった。

「きゃぁっ!」

 刹那、正体不明の狂奔きょうほんする黒風が頬を撫で、小夜子は倒れたまま頭を抱えた。

 ぎゅっと目を閉じて、衝撃に備えていると、頭上で、激しく争う物音がした。恐ろしい唸り声。二匹いるのか、黒い怪物とは別の、もっと恐ろしいなにか、得たいの知れない凶悪な生き物の唸り声がする。

(怖い、怖い、怖い!)

 小夜子は声をあげることすらできなかった。息をつめて、必死に嵐が通り過ぎるのを祈っていると、骨を断つ鈍い音と共に、恐ろしい怪物の断末摩が響き渡った。そのあとは嘘のように静まり返り、葉擦れの音しか聞こえなくなった。

(……終わった?)

 恐る恐る顔をあげると、黒い長身の男が、小夜子に背を向けて立っていた。一瞬、彼の背に大きな黒い翼を見た気がしたが、裾の長い外套だと判った。

 男は、こときれた怪物を見下ろしていた。筋状の黒い靄を立ち昇らせながら、輪郭を失いつつある怪物の向こうには、倒れ伏している男性がいる。ぴくりとも動かず、背中のシャツは破けて赤黒い血に染まっている。

 死んでいるのだろうか……? 戦々恐々としていると、男が振り向いた。

「ひっ……」

 フードを深くかぶっているから、顔は判別できない。しかし、真っ暗な闇のなかに、二つの銀色の瞳だけが爛と光り、浮かびあがっている。

 異妖な男が小夜子の方に一歩を踏みだした時、小夜子の心臓はどっと音を立てた。逃げなければと思うが、恐怖のあまり、立ちあがることができない。

 男は真っすぐに近づいてくる。小夜子の目の前までやってくると、膝を曲げて屈みこんだ。小夜子は思わずびくっとし、全身を強張らせた。何をされるのかと身構えたが――

「大丈夫?」

 男は、意外なほど優しい口調で訊ねた。

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