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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
3章:Au revoir
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25

 八月。東京。

 うだるような暑さが続いているが、邸は避暑地のような、朝夕に心地良い涼しさがあった。

 小夜子がここへきて二十日あまりが過ぎた。一度は逃げだそうとしたが思い留まり、邸の住人たちとも概ね良好な関係が続いている。アンブローズは別として、千尋やアラスターとは大分打ちとけることができた。Vに関しては判らないことだらけだが、彼等は少しずつ、小夜子を受け入れようとしてくれている。夏休みが終わるまでには、もっと仲良くなれているかもしれない。

 その夜、小夜子は悪夢で目が醒めた。永遠の闇を彷徨いながら、ぞっとするほど昏い瞳をした女王から逃げる夢だ。

 瞼をこじ開けて、安堵のため息をついた。夢と判ってほっとしたが、再び目を閉じて眠る気にはなれなかった。

 起きあがってキッチンへいき、ティーバックの紅茶を淹れる。部屋に戻ろうとした時、書斎の扉のしたから、柔らかな光が漏れていることに気がついた。

 ルイが起きているのだろうか?

 扉の前までいき、ノックするか躊躇っていると、Entrezアントレとルイの声がした。

「すみません、小夜子です」

「どうぞ入って」

 ルイは日本語でいい直した。小夜子がそっと扉を開くと、壁にかけたボードの正面に、ルイは立っていた。傍に画材を乗せた可動式テーブルを引き寄せ、BombaySapphireボンベイサファイアの青い瓶と、カットしたライムを浮かべたグラスが置いてある。

「Salut、小夜子」

 ほほえむルイを見て、小夜子も笑みかけたが、壁に止められた写真を見て顔を強張らせた。

「おっと、ごめん」

 ルイは回転式のボードをくるりと反転させ、恐ろしい写真を隠した。だが、小夜子の目にはもう焼きついてしまった。血に濡れた死体の写真。背に焼き印が押されているもの、四肢を破損しているようで、腕や足のない人の写真。

「……今のは?」

 恐々訊ねると、ルイは迷う素振りを見せたが、説明しようと唇を開いた。

食屍鬼グールの仕業だよ」

「……模様みたいな、火傷も?」

「それは……女王が指示した人間を、食屍鬼グールに拷問させて、限りなく純粋な恐怖を捻りだすんだ。未知なる秘密アルカナのために」

「アルカナ?」

「そう、恐らく、大がかりな秘儀の供物だよ」

「秘儀って?」

「苦痛と恐怖に染めぬかれた魂、身体の一部を供物にする秘儀といえば、大抵は異形召還と相場が決まっている」

「召還……」

 小夜子は唖然として呟いた。ルイは違う風にとらえたのか、こうつけ加えた。

「根拠もあるんだよ。女王は以前アナグラムを使って“暗くて孤独な青い城”と口にしたことがある。これは、秘儀の場所に繋がる手掛かりだ」

 意味が判らず、小夜子は問いかけるようにルイを見あげた。

「女王には、地上に干渉するための制約が課されていて、行動を起こすときには僕らになんらかのしるしを示さないといけないんだ。

 例えば、食屍鬼グールに襲われた人間の身体の一部に、次の襲撃予告が刻まれていることがあった。東京では、ロンドンを示唆する王冠が、ロンドンでは中国を示唆する竜が背中や腕に刻まれていたりね」

 小夜子は大きく目を瞠った。

「それでルイさんは、ロンドンへいったり、上海にいったりしていたんですか?」

 ルイは頷いた。

「そうだよ。食屍鬼グールの襲撃を未然に防ぐために、巣を殲滅しにいっていた」

「ずっと不思議でした。瞬間移動しているのかなって」

 子供のような感想に、ルイは小さく笑った。

「まぁ、そんな感じかな。ウルティマスがどこへでも転送してくれるから、パスポートはいらないんだ」

 小夜子は感心したように頷いた。神の御業に、物理的法則は関係ないらしい。

「女王が何を企んでいようと、手足となる食屍鬼グールがいなければ、不発に終わる。だから僕たちは、女王が秘儀を完成させる前に、食屍鬼グールを駆逐しようとしているんだ」

「……駆逐できるんですか? ゴキブリみたいに、増えたりしない?」

 ルイは笑った。

「幸い、食屍鬼グールは繁殖しないんだ。女王も制約があるから、無尽蔵に生みだすことはできない。ただ、黄金律の血があれば、話は変わってくる。個体の能力が跳ねあがるからね」

 小夜子が自分の身体をぎゅっと抱きしめると、ルイは肩を大きな掌で包みこんだ。

「大丈夫、そんなことにはならないよ。絶対に食屍鬼グールを駆逐してみせる」

「……ウルティマスは、女王をどう思っているんですか?」

 ルイは深く頷きながら、

「実にいい質問だ。信じられないことに、ウルティマスは女王を愛している。だけど、水と油のような性質をしているから、うまくいかないんだ」

 ナーディルニティは恐怖だが、真に厄介なのは、ウルティマスの方だ。幾星霜にもわたって、女王の宿怨を受け留め、中途半端に鎮火するばかりで、終止符を打とうとしない。

 とどのつまり、彼は姉神を殺せないのだ。

 その皺寄せは、いつだってVや人間たちが負わされている。

「これからも不毛な衝突を延々に繰り返すのかと思うと、死にたくなってくるよ」

 遠い目をしていうルイを見て、小夜子はこう訊ねた。

「仲裁できる人はいないんですか?」

「二人の生みの親である、ザハラという神々の総帥なら、できるかもしれない……ただ、星幽界アストラルの概念も同然で、自由意志があるのかどうかは不明だ。僕の目には、気まぐれに姉弟を刺激して、賽子さいころ遊びをしているようにしか見えない」

 小夜子は首を振った。

「はぁ~……話の規模が大きすぎて、想像が……」

 ルイは困ったように笑った。

「そうだよね。実のところ、僕にも理解しきれていないんだ。時間と重力の制約を受ける身では、十次元を凌駕する超自然的な存在は感知できない」

「私には、ルイさんのことだって摩訶不思議です」

 そういいながら、小夜子はイーゼルの傍に近づいて、キャンパスを眺めた。月明りにたたずむ架空のお城を描いた、幻想的な絵だ。

「これ、ルイさんが描いたの?」

「そうだよ」

 小夜子は驚いた。そのまま美術館に飾れそうな出来栄えだ。夜明けの海を描いた絵で、筆遣いの美しさといい、色彩といい、見る者を魅了する力がある。

「すごく綺麗……」

「ありがとう。長い夜の慰めに、たまに描くんだ」

「とっても上手。ルイさんは画家になれますね」

「そうかな?」

 ルイは照れたように笑った。その美しく繊細で、控えめな微笑に、小夜子は胸をときめかせる一方で、彼の孤独を垣間見た気にさせられた。

 ここまで上達するのに、どれほどの時間を費やしたのだろう?

 永久の絶対世界を生きる住人たちにとって、目まぐるしく変異する現実世界は、どのように見えているのだろう? 不死とは、永遠を生きるということは、どういう感覚なのだろう?

 黙りこむ小夜子に、ルイはそっと手を伸ばした。頭を撫でた。

「……ところで、どうしたの? 怖い夢でも見た?」

 図星をいいあてられ、小夜子が朱くなると、ルイは不意に書架に手を伸ばした。

「そういうことなら、いい方法がある。眠れるように、枕元で詩集を読んであげるよ」

 そういって、ルイは棚から一冊の本をとりだした。題名に、Les Illuminationsとある、Arthur Rumbaundの散文詩集の原書である。ところどころ付箋が挟んであり、彼の愛読書であることがうかがえた。

「いこう」

 ルイは小夜子の背中に掌を押し当てた。小夜子は戸惑ってルイを見あげた。

「あの、本当に?」

「ランボオの詩集はいいよ。僕も、たまに開いて読むんだ」

 戸惑いよりも好奇心が勝り、小夜子は頷いた。部屋に戻ってベッドに滑りこむと、彼はベッドサイドに椅子を引き寄せ、腰をおろした。

「目を閉じてがらん」

 そういって彼は、部屋の全ての照明を消した。室内の暗さに、小夜子は訝しんだ。

「こんなに暗くて、読めますか?」

 彼が肩をすくめたような気配がした。

「Vだから」

 そうだった。彼にとって暗闇は、明るい昼も同然なのだった。

「ほら、目を閉じてごらん」

 今度は小夜子も素直に目を閉じた。

「詩本の暗唱は、心に安らぎをくれるんだ。僕の好きな節を詠むね……」

 小夜子は黙って頷いた。

「“七歳の時、子供は一つの物語を作りあげたものだ。大砂漠を題材にしたものだった。そこは、輝く自由の血地で……”」

 穏やかな、深みのある声が耳に心地よい。

 耳を澄ませて聞き入っているうちに、この世の出来事から意識は遠ざっていった。空想の翼を自由にはばたかせ、いつしか小夜子は自分を忘れ、詩に謳われる通りの七つの娘になり、水の精になり、海賊にもなった。

「“ゆれそよぐ菩提樹の葉がくれた、鹿老いの笛は、かすかに遠ざかる。だが、すずしい唄声につれて……”」

 彼の声は労りと優しさに満ちていて、小夜子の意識のなかに自然と入りこんでくる。

 最後は、焚火を前に丸くなる子供になった気持ちになり、揺りかごのような眠りへ誘われていった。髪を空く優しい気配を感じながら、意識を手放した。

 この夜からルイはしばらく、邸に戻らなかった。

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