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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
3章:Au revoir
26/42

24

 窓硝子の向こうで稲妻が閃いている。

 強風に葉の茂った大きな幹が震え、雨が窓硝子に打ちつける音が断続的に続くなか、二人は見つめあったまま、なかなか喋ろうとしなかった。

 お互いに、何を考えているのか思いを巡らせ、先に口火を切ったのは小夜子の方だった。

「あの、私……やっぱり、そろそろ帰ろうと思います」

 ルイの表情が曇るのが判ったが、小夜子は更に続けた。

「ここはとても素敵なお邸だけれど、いつまでもお邪魔しているわけにはいきませんし」

 千尋にもウルティマスにも引き止められたが、今この瞬間は、未知への恐怖よりも、煮え切れない現況への苛立ち、ルイと顔をあわせる気まずさの方が凌駕していた。

「気にしないで、いつまでもいてくれて構わないよ。夏休みが明けても、ここから学校に通えばいい。車で送るよ」

「でも、あそこが私の家なんです」

「ここが小夜子の新しい家だよ」

「ルイさん、こんなによくしてくれたのに、ごめんなさい。でも、私にもやらないといけないことがあるんです」

 肩を大きな手に包まれた。

「小夜子……あそこは危険なんだ。お願いだから、ここにいて」

「……ごめんなさい」

 消え入りそうな声で小夜子は呟いた。ルイは傷ついた表情を浮かべ、

「……判った。せめて対策させて。小夜子の家から一キロ圏内には、どんな敵も入りこめない聖域をつくる」

 大げさだと思ったけれど、小夜子は黙って頷くにとどめた。

「また、ここにきてくれる?」

 ルイは小夜子の手を握りしめて、目を覗きこんだ。

「きてくれるよね?」

 いつでも余裕に満ち溢れているルイが、酷く自信なさそうにいった。縋るような眼差しに耐えられず、小夜子は視線を伏せた。

「……もう、会わない方がいいと思います」

「どうして?」

「ここへはもう、こないと思います」

「じゃあ、僕が小夜子に会いにいくよ」

 小夜子はかぶりを振った。ルイの視線は険しくなり、表情から優しさが消えた。小夜子はぶるりと震え、彼に握られている手を引き抜こうとしたが、ぐっと強く掴まれた。

「僕は小夜子に会いたい」

 銀色の瞳と視線がぶつかる。小夜子が逃げるよりも早く、ルイは小夜子を抱き寄せ、顎に指をかけた。

 キスされそうになり、小夜子は渾身の力でルイを押し返した。

「だめっ」

「小夜子」

「本当にごめんなさい。一人でも十分、気をつけるようにしますから」

「……気をつける? 何を、どうやって?」

 ルイは口角をあげて、皮肉げな笑みを浮かべた。

「お、遅い時間には、外へでないようにするとか」

「へぇ?」

 彼は、おののく小夜子の手首を掴み、そのまま寝椅子に座らせた。背もたれに手をつき、腕のなかに小夜子を閉じこめ、猛々しい銀色の瞳で見下ろす。

「本気でいっているの? 食屍鬼グールは誰にも気づかれずに、君のベッドまでやってこれるんだよ」

「そしたら、大声で悲鳴をあげます。アパートだし、誰か気づいてくれるかも」

 ルイは冷たく鼻で嗤った。

「人間の手に負えると思う?」

「や、やってみないと判らないでしょう! とにかく、自分のことは自分で決めますから」

「そう? でもね、無防備な小夜子を捕まえることくらい、造作もないよ」

「離してくださいっ!」

 手を使って暴れるが、あっけなく自由を封じられる。餓えたような目に射すくめられ、小夜子はひゅっと喉を鳴らした。

「それで抵抗しているの? 本気で自衛できるつもりでいるなら、おめでたすぎる。医者にかかった方がいいんじゃない?」

 小夜子は傷ついた表情を浮かべた。唇を噛み締め、必死に泣くまいとする。だが、見る見るうちに目の淵に涙はたまっていった。

 ルイの表情が強張った。悔いるように掌を額に当て、くぐもった呻きを漏らしながら、身を起こした。小夜子の前に膝をつき、悄然と項垂れ、小夜子の手を両手で握りしめた。

「ごめん……そうじゃないんだ。僕を頼ってほしいんだ。君の力にならせてほしい」

 仰ぎ見るように、懇願の眼差しを向けられ、小夜子の唇が戦慄わなないた。感情が高ぶって、喉を熱い塊がせりあがってくる。

「……ふ、ぅえっ……ひぃっく……」

 ついに小夜子が泣きだすと、ルイは息をのみ、身体を起こして、ぎゅっと抱きしめた。

「あぁ、泣かないで……ごめんよ、僕が悪かった」

 ルイの優しい慰めに、余計に涙が溢れた。大粒の涙がぽたぽたと落ちて、リネンの香る白いシャツに沁みこんでいく。子供のように泣きじゃくっている自分が恥ずかしくなるが、こらえようとすればするほど、喉はひりひりと痛み、不格好な嗚咽が漏れた。

「シィ、ごめんね。泣かないで」

 優しく髪を撫でられるうちに、昂っていた感情は落ち着き、心は静かに凪いだ。すんすんと鼻をすすって、赤い瞳でルイを見あげる

「……私を、殺そうと思っていたって、本当ですか?」

 痛みをこらえるようなルイの表情を見て、小夜子は悲しみで胸が張り裂けそうになった。

「貴方は誰なの? 冷蔵庫の銀色のパック、血が入っていた。キスしたとき、唇に、き、牙があたった」

「僕は……」

「時々、ルイさんの背中に影が見えるんです……翼みたいな」

 ルイは小夜子の両肩を掴むと、挑むような眼差しで見つめた。

「確かに、僕には秘密がある。だけど、僕が小夜子を傷つけるだなんて、本当に思う? 君を守ろうとしているのに」

「……殺そうとしたって、」

「出会う前の話だ!」

 ルイは鋭くいった。一瞬、彼の剣幕に怯みそうになったが、小夜子は視線を逸らさなかった。ルイは自制するように、視線を伏せ、

「……ごめん、大きな声をだしたりして」

「アンブローズさんは、ルイさんに訊けば、本当のことを教えてくれるといっていました」

「彼のいったことなら、気にしないで。いい奴なんだけど、思考が極端なんだ」

「教えてください。私に、何をしたんですか? 出会った時のことを、少し思いだしたんです。どうして、私は忘れていたの?」

 痛いところを突いたのか、ルイは気まずそうな顔になった。

「僕の態度が、褒められたものでなかったことは認めるよ」

「ルイさん?」

「……そうだよ。あの夜、確かに僕は小夜子の記憶を消した」

「どうして?」

食屍鬼グールは、恐怖や絶望に引き寄せられるんだ。あの晩、小夜子は食屍鬼グールに襲われかけて、死ぬほど怖い思いをしたんだよ。平穏な生活を送るためにも、記憶を消した方がいいと判断したんだ」

 黙りこむ小夜子を見て、ルイは心を繋ぎ留めるように、小夜子の両手を掴んだ。

「あの晩、僕は偶然居合わせたわけじゃない。ウルティマスの予言を聞いて、小夜子に会いにいったんだ」

「知っています。さっき、ウルティマスにお会いしました」

 ルイは驚いたように目を瞠り、それから観念したように頷いた。

「……いい加減、ウルティマスに従うことに嫌気が差していたんだ。彼の意表を突ければ何でも良くて、小夜子に恨みがあったわけじゃない。僕の、身勝手で軽薄な殺意だった」

「……」

「でも小夜子を見た瞬間に、そんな考えは吹き飛んだよ。この子を傷つけることは不可能だって、悟ったんだ」

 小夜子はルイの瞳をじっと見つめた。銀色の虹彩が淡い光を放つ。

「僕は誰なのかと訊いたね。本当はもう、気づいているんじゃない?」

「……吸血鬼ヴァンパイア?」

 ルイは力なく微笑した。

「まぁ、そんなところ」

 その瞬間、不思議な衝撃が小夜子を貫いた。恐怖でも、驚いたというたぐいでもなく、胸のしこりが解けたような感覚に近い。彼と出会う前は創造上の生物に過ぎなかったが、今では、ルイが人間だといわれるより、吸血鬼ヴァンパイアといわれた方が、よっぽど現実的に感じられた。

「……じゃあ、アラスターさんたちも?」

「そうだよ。彼等も僕と同じVだ」

「冷蔵庫の、銀色のパックは?」

「血液だよ。生きていくために、あれが必要なんだ」

「……首から吸わないんだ」

 小夜子は意外そうに呟いた。それを聞いて、ルイはちょと笑った。

「昔はそうしていたよ。でも、いちいち人間に声をかけるのが面倒になって、直接吸うのはやめたんだ」

「血液って、どこで調達しているんですか?」

「Amazonで売ってるよ」

 思わず、小夜子は笑ってしまった。ルイもつられたように笑う。冗談をいいあう余裕がでてきたことに、お互いにほっとしていた。

「Vを支援している秘密教団があるんだ。彼等は、Vが戦いに専念できるように、あらゆる補佐をしてくれる。例えば血液、住居、身分証明書、武器に至るまで、僕らに必要な一切合財を調達してくれる」

「この館も?」

「そうだよ。ジョルジュも教団から派遣された従僕なんだ」

「そうだったんですね……」

「Vの恩恵は大きいけれど、対価も大きい。兄弟は皆、何かしらの対価を払っている。例えば僕の場合は、悪魔にとりつかれている。とても凶悪な悪魔で、何かあるたびに、主導権をよこせと暴れるんだ」

「悪魔?」

 ルイは辛そうな表情を浮かべた。

「正直、あいつの話はしたくない。僕が小夜子を恐れていたのも……だけどこれだけは信じて、僕は君の敵じゃない。絶対に傷つけたりしないよ」

 彼があまりにも真剣な表情でいうので、小夜子は否定することができなかった。

「ルイさんのなかに悪魔がいるって、ルイさんは、大丈夫なんですか?」

 ルイは歯がゆげな表情を浮かべた。

「僕のことなら心配いらない。頼むから、ここにいて。ここにいれば、僕たちで君を守れるんだ」

 その声は懇願の響きを帯びていた。彼の首筋からこぼれる落ちる黒髪を見、小夜子は視線を足元に落とした。

「小夜子、いいといって?」

 返事を迷っていると、手をきゅっと握られ、小夜子の焦燥と困惑は増した。幾つもの疑問が芽生えるが、触れあった手をほどけないことが、答えのように思われた。

「……もう、隠し事はない?」

「ないよ。小夜子に嘘をついたりしない」

 真摯な銀色の瞳を覗きこみ、小夜子は、小さく頷いた。

「なら、判りました。夏休みが終わるまで、ここにいます」

 返事をした途端に、両腕で抱きしめられた。

「きゃっ」

「良かった! ありがとう、小夜子」

 そういって、髪やこめかみにキスの雨を降らせる。

「ルイさんっ」

「……ルイでいいよ。そろそろ、ルイって呼ぶことに慣れてほしいんだけれど」

 小夜子は、思わず小さく笑ってしまった。

 ここに残る――正しい決断といえるのか自信はなかったが、彼の存在があまりにも小夜子のなかで大きくなりすぎてしまった。傍を離れることが困難だということは、はっきりと理解できた。

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