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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
2章:美しい館(ベル・サーラ)の住人たち
22/42

20

 空が白み始める頃、廊下から聞こえてくる複数の足音で、小夜子は目を醒ました。

 ドアが開いた時、鼓動が弾んだ。ルイは誰かと一緒にいるようだ。

「――畜生、このジャケット気に入っていたのに、台無しだぜ。限定品でもう手に入らないのに」

 不服げなアラスターの声。

「諦めて処分しなよ」

 と、ルイ。

「久々のNYだってのに……食屍鬼グールに齧られた死体に目の色を輝かせる奴なんざ、ヴィエルくらいのものだよな」

「まぁ、彼の場合は、どんな死体でも喜んで金をだすからね」

 呆れたような声でルイがいった。なにやら物騒な会話をしている……というか、今夜はNYにいっていたのだろうか。

「……右腕、左腕、右脚と続いて今度は左脚だ。何が目的なんだ?」

 怪訝そうにアラスターがいった。

「象徴的だね……ウルティマスの予言通り、燔祭はんさいかもしれない。強壮なる女王の魔術には、相応の対価が必要だ」

 頻繁に耳にするウルティマスとは、ルイの上司のことだ。アラスターにとっても上司なのだろうか? 今夜二人は、どのような仕事をしてきたのだろう?

「秘儀の供物か。なら、頭部に心臓と続くのか? ……ともかく今夜はよくやった……おい、平気か?」

 不意にアラスターが案じるような声を発した。

「ん、問題ない」

「ゆっくり休め」

「ああ、お前も」

 疲れたようにルイが答えて、扉はしまった。廊下の照明が灯り、武器を外していると思わしき、金属の音が続いた。

 小夜子が寝たふりをしていると、足音が躊躇うように控えめになり、忍び倚るようにベッドの傍へやってきた。

 小夜子は 全身が心臓になったように緊張したが、ルイはそれ以上近づくことはせず、ただじっと小夜子の旋毛つむじを見下ろすように立っていた。

 彼は戦ってきたのだろうか。怪我をしているのだろうか。あれこれ想像するうちに、小夜子は完全に覚醒した。起きあがるタイミングをうかがっているうちに、ルイは静かに踵を返し、部屋をでていってしまった。

 部屋に完全な静謐さが戻ると、小夜子は目をあけて、ベッドから起きあがった。扉に目をやり、思わずため息がこぼれ落ちた。

(……いつまで、ここにいられるのかな)

 最近は寝ても醒めても、ルイのことばかり考えてしまう。仕事は順調なのだろうか? 化け物退治が解決したら、少なくとも夏休みが終わるまでには、ここをでていかねばならない。

 既に手遅れな気もするが、これ以上彼の傍にいたら、好きという気持ちが大きくなりすぎて、別れられなくなりそうだった。

(もう、帰った方がいいのかな……)

 もう何週間も家に帰っていないような気がする。差し迫った危険があるのだとしても、彼が小夜子を守らなければいけない理由なんてないのだ。怖いことがあっても、これまでだって一人で乗り切ってきた。

(もう嫌、この煮え切らない状況……もう限界。ルイさんにいおう。荷物をまとめて、でていくって)

 決意を固めると、小夜子はそっと瞳を閉じた。

 起きたらいうつもりでいたが、目が醒めた時には、ルイはもうどこかへでかけてしまっていた。

 拍子抜けしつつキッチンへ入ると、珈琲サーバの電源をつけた。陶器のマグカップにぽたぽたと落ち、いい香りが辺りに漂う。軟禁生活は相変わらずだが、なかなか優雅な囚われ生活である。

 空腹を感じて冷蔵庫をあけると、なかにツナと卵のサンドイッチがあった。取りだそうとして、ふと銀色のパックが目に入った。中身はプロテインだとルイはいっていたが、どうしてラベルが貼ってないのだろう? 市販ではないのだろうか?

 試しに一つ手にとり、キャップをひねって、パックの口を鼻に近づけてみる。嗅ぎなれない、妙な匂いがする……が、プロテインなら栄養は高いだろう、と小夜子は軽い気持ちで唇をつけて一口ふくみ、盛大に顔をしかめた。

(んっ!?)

 血のような、鉄錆の味がする。

 慌ててパックを口から離し、水道の蛇口をひねってコップに注いだ。口をすすいで、がらがらと喉を鳴らしてうがいをし、口直しにポカリスエットを飲んだ。

 恐る恐る、パックの中身をシンクに流すと、真っ赤な液体が流れ落ちた。

「やだっ」

 小夜子はパックを手放した。シンクに流れる鮮血を凝視しながら、震える手で口を覆う。トマトジュースにはとても見えない。

「何、これ……」

 ぞぞぞっと全身の毛がいっぺんに総毛立つのを感じた。

 どうして、冷蔵庫に血液の入ったパックが保管されているのだろう?

(これがプロテイン? ルイさんって――……)

 ふと思い浮かんだ発想を打ち消すように、かぶりを振った。

 本人に訊けばはっきりする。パックの蓋をしめて、付着した血を拭い、部屋をでた。

 と、バイオリオンの優しい旋律が聴こえてきた。もしかしたらルイかもしれない。

 広間の方から聴こえてくる。薄く扉が開いていたので、近づいてみた。隙間からなかを覗くと、アンブローズが座っていて、弓に松脂まつやにを塗っているところだった。彼はぱっと顔をあげて、小夜子を見た。

 目が遭った途端に、小夜子は呻きたい衝動に駆られた。これまでちっとも姿を見かけなかったのに、どうしてこんな時に限って見つけてしまうのだろう。

「血の匂いがしますね」

 小夜子はぎくりとして、動けなくなった。アンブローズは楽器を置いて席を立つと、優雅な足取りで、硬直する小夜子の前にやってきた。

「……あの」

「貴方がいなければ……嘆かわしいことです。貴い王の身体に、人間の血を入れるなど……」

「え?」

「王は、小夜子のために危険を冒そうとしている。貴方には想像もつかないでしょう。欺瞞ぎまん奸計かんけいに満ち、殺戮と略奪に満ちた、畜生にも劣る人間を、影ながら守らねばならぬ我らの苦痛など」

 訳が判らず、小夜子は困惑したようにアンブローズを見つめた。彼のいっていることは意味不明だが、酷く不機嫌で、憤っているようだ。あの優しい音色を演奏していた同じ人物とは、とても思えない。

「王にも困ったものです。あの時、殺しておけば良かったものを」

 訝しげな小夜子の顔を、アンブローズは蔑みの目で見下ろし、冷酷な笑みを口元に刻んだ。

「貴方は何も判っていない。ルイと初めて出会ったのは、食事をした夜ではありませんよ。十七歳の誕生日に、食屍鬼グールに襲われたところを、ルイに助けられたのです」

 小夜子の脳裡を、なにかが過った。

「誕生日……?」

「ウルティマスは、小夜子が王の魂の伴侶だと予言しましたが、ルイは納得していませんでした。あの晩、彼は、守るためではなく消すために、小夜子に会いにいったのです」

「うそ……」

「嘘かどうか、本人に訊いてみたらいかがです?」

 おののき、戸惑っている小夜子を眺めて、アンブローズは満足そうに笑った。

「ついでに、その中身もルイに訊いてみるといいですよ」

 パックを凝視する小夜子を見て、アンブルローズは冷たく嗤った。

「貴方の考えている通りですよ」

 疑心を読まれて、小夜子は言葉を失った。背筋がぞっと冷えて、踵を返して逃げだそうとすると、ありえないことに、目の前にアンブローズがいた。

「きゃあっ!」

 アンブローズは壁に小夜子を押しつけ、顔の両側に手をついた。慄く小夜子をたっぷり十秒無言で睥睨してから、にやりと長い牙をのぞかせる。

「怖いのでしょう?」

 小夜子は唇を噛みしめて、必死に恐怖を堪えたが、男が顔を近づけてくると、首をすくめた。今すぐ逃げだしたいが、壁を背に追い詰められているから、それも叶わない。

「……いい匂いがする。貴方を見た時から、いい匂いがすると思っていました。私が、心底怖くてたまらないっていう匂いです。そうでしょう?」

「や、やめてください」

「何を?」

 小夜子は降参して、項垂れた。何をどうやっても、小夜子が目の前の男に勝つことは不可能だ。

「……ごめんなさい……怖い」

 か細い声で訴えると、アンブローズは冷笑を浮かべた。

「そう思うのなら、ここからでていくことです。貴方に見合った平穏な日常に戻り、ここで見聞きしたことは、金輪際忘れなさい」

 その時、柱時計が音を立てて鳴った。小夜子は渾身の力で彼を突き飛ばし、一目散に部屋まで走った。

 なかに入ると、扉に鍵をかけて、ソファーにどさっと座った。荒い呼吸を整えながら、散らかった思考を整理しようと試みた。

 どうして、今まで判らなかったのだろう?

 この世にあらざる類稀たぐいまれな美貌。稀有けうな銀色の瞳。超俗した雰囲気。謎だらけの住人。お城みたいな邸。日の出と共に閉まるシャッター。肌に触れた牙。指に滲んだ血を吸われたこと。血液パック……

 断片的な記憶が激しく明滅して、警鐘を鳴らしている。導きだされる答えは、一つしかないように思えた。

 ルイは。

 否、彼等は。

 ここの住人は、吸血鬼ヴァンパイアなのだろうか?

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