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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
2章:美しい館(ベル・サーラ)の住人たち
20/42

18

 さらに数日が過ぎた。

 小夜子は、相変わらずの軟禁生活を送っている。

 今が夏休みで良かった。夏季休暇で学校もないし、アルバイトは……ルイが勝手に断ってしまったのだが、とにかく、一日邸にいても困ることはない。

 困るどころか、至れり尽くせりの奢侈しゃしな生活を送っている。食事も掃除も、ジョルジュが世話をしてくれるし、邸は広くて優雅で、絵本にでてくるような中庭まであるのだ。

 先日は、黄昏ゆく美しい中庭で、千尋とお茶を楽しんだ。彼女はいつでも手製の美味しい菓子を持参し、小夜子や、テーブルに着いた住人たち、ルイやアラスターに振る舞った。

 ここの住人たちは謎だらけだ。自由人で享楽的で、日中はなにをしているのかよく判らない。

 特にヴィエルとアンブローズには、あれから一度も遭遇していない。千尋は学校に通っておらず、家事とお洒落、庭いじりを楽しんでいる。彼女とはLINEのやりとりもするようになった。ルイとアラスターは夜は共に行動することが多く、退魔に関わる仕事をしているらしい。

 色々と驚かされることばかりだが、なかでも、ここへきてから一度も霊障に悩まされていないことに、小夜子は一番驚いていた。

 怪奇に怯える心配がないというのは、想像していた以上に天国だ。

 課題制作に打ちこむ環境もそろっており、この豪華な邸から一生でられなくても、困らないかもしれない。

 悠々自適な軟禁生活を送っているが、ルイの方は忙しそうにしている。ついさっき面と向かって話していたのに、電話してみたら今シドニーにいる、なんて答えることが一度や二度ではなかった。冗談なのか本気なのか判別つかないが、彼には物理的法則を無視して、一瞬で地球の裏側へ移動する手段があるらしい。が、詳しい事情は教えてくれない……

 推し量ろうにも、彼は謎だらけだ。スーパーマンかスパイダーマンかな? なんて割と本気で小夜子は思っているくらいだ。

 ただ、小夜子に危険が迫っているというルイの説明を、小夜子は一応、受け入れていた。実際に何度か怖い思いをしているし、小夜子と同じものが視えるという彼の言葉は、非常に説得力があったからだ。


 午後六時過ぎ。

 日没を知らせる電子音が鳴り、館中の窓を覆う、鋼鉄のシャッターがゆっくりと直上にもちあがった。

 部屋に外の光が射しこむにつれ、閉鎖感は薄れていった。

 窓の向こうは黄昏に包まれ、木々の葉は沈みゆく最後の陽光を受け、金色に燃えあがっている。刻一刻と空は翳り、夜の帳が風景を覆っていく……森や茂みの輪郭が、少しずつ滲んでいく。

 制作課題とにらめっこしていた小夜子は、手を休めて窓辺に倚った。

 窓を開けた途端に、夏の熱気が流れこんでくるが、日中に比べたら大分和らいでいる。

 空を仰げば、細い月が浮かぶ群青の夜空。眼下には月光に照らされた美しい中庭。

「素敵……」

 思わず、唇から感嘆のため息が漏れた。

 窓辺には真っ赤なゼラニウムの鉢が置かれ、可憐な蔓薔薇や白いクレマチスが窓枠を縁取っている。

 程よく人の手が入れられた庭は、バーネットの秘密の花園のようだ。原種の薔薇が大地から螺旋を描くように這いあがり、アカシアの大樹に絡みついて、かぐわしい芳香を放っている。

 小夜子は、美しい光景をぼんやりと眺め、しばらく空想に耽っていたが、廊下から聴こえてくる靴音に意識を呼び戻された。

 ルイが戻ってきたのだ。

 飼い犬が主人の帰還を喜ぶように、小夜子は顔に喜色を浮かべ、扉へ駆け寄った。

 部屋に入ってきたルイは、目の前に小夜子が立っているので、驚いたように目を瞠った。

「小夜子?」

 だが、すぐに小夜子の背中に両腕を回して、ぎゅっと抱きしめる。

「ただいま、小夜子」

「お帰りなさい」

 途端に小夜子は、衝動的に駆け寄ったことが恥ずかしくなった。だが、彼は三日も戻らなかったので心配していたのだ。

「君に会えて嬉しいよ」

 そういって額にキスを落とす。小夜子は朱くなって俯いた。ルイはじっと小夜子を見つめたかと思えば、

「シャワーを浴びてくる」

 そういって、背を向けてバスルームの方へ歩いていった。後ろ姿を見守り、小夜子は彼が戻ってくるまでリビングで寛ぐことにした。珈琲を淹れて、テレビをつける。おもいのほか番組が面白くて、にやにやしながら見ていると、いつの間にかルイが戻ってきた。

「小夜子」

 振り向くと、ルイは上半身裸だった。鍛えあげた肉体は、湯あがりでしっとりと艶めいている。

 小夜子は慎ましく視線を逸らしたが、しっかり見てしまった彼の裸体に、心を奪われていた。筋肉を纏ったしなやかな肢体……がっしりした肩、長くて力強い腕、胸、固く割れた腹部。無毛の肌は信じられないほどなめらかで、乳白色に輝いていた。

(ガーン、私より肌が綺麗なんですけど……肉体美って、ルイさんのためにある言葉だわ……って、何考えてるの、私っ)

 小夜子はかぶりを振って、自由に羽ばたきすぎる妄想を振り払った。

「どうかした?」

 ぱっと小夜子は顔をあげた。いつの間にルイは目の前にきたのだろう?

 彼は、狼狽える小夜子の方に身を屈め、ちゅっと頭のてっぺんにキスを落とした。

「っ」

 思わず首をすくめてしまう。早く服を着てちょうだい、と内心で喚く小夜子の動揺を知らず、ルイはゆったりした足取りでキッチンの方へ歩いていった。冷蔵庫からミネラル・ウォーターをとりだし、コップに注いでいる。

 その様子を横目で見ていた小夜子は、ふと視線を留めた。背中に、赤い線が走っている。そこをじっと見ていると、ルイはぱっと振り向いて、探るように小夜子を見つめた。

「何?」

「背中に傷が……」

 ルイの強張った表情を見て、小夜子は失礼だったかしらと不安に駆られた。

「ごめんなさい」

「なんで謝るの?」

「ごめんなさい……じゃなくて、怪我しているんですか?」

「違うよ。大丈夫だから、背中のことは気にしないで」

 大丈夫。気にしないで。彼はそればかり口にする。説明してくれないことに落胆を覚えて、小夜子はそっと視線を伏せた。

「……お仕事は、順調ですか?」

 ルイは小夜子をじっと見つめた。

「今のところ、目立った動きはないけど、警戒はしているよ。敵の本拠地があるはずだから、探しているところ」

「敵って、私を狙っているっていう?」

「そう。食屍鬼グールを指揮している女王」

「見つかりそうですか?」

「見つけるよ」

 ルイは強い口調でいった。今度は小夜子が押し黙り、ルイをじっと見つめた。

 その問題が解決したら、小夜子はここにいる理由がなくなる。ルイともお別れになるのだろうか。

「少し、でてくるね」

 また? 小夜子は、顔をあげてルイを見た。感情を押し隠した、比類のない美貌を見ていると、星のない夜闇に取り残されたような、深い寂寥感に襲われた。

「……ルイさんはいつも、忙しそうですね」

 思わず嫌みが口をついた。素直に、いかないでといえない愚かさを後悔したが、撤回する勇気もない。

 ルイは躊躇う様子を見せたが、黙ったまま部屋に入っていき、間もなく身支度の音を立て始めた。

 小夜子は窓辺に座ったまま、彼が部屋をでていくのを見守ることしかできなかった。

 一人になると、小夜子はため息をついて、部屋に戻り、ベッドにもぐりこんだ。

 電気を消すと、間もなく微睡かけたが、端末が震えて目が醒めた。

 寝起きで霞がかった思考は、液晶に表示されたルイの名前を見た途端に、明瞭に切り替わった。慌てて起きあがり、端末に耳に押し当てると、

<小夜子>

 少しハスキーな甘い声が鼓膜に響いた。胸がぎゅっと引き絞られるような、心地よい痛みが走る。

<ごめん、寝てた?>

「……寝ようとしていました」

<会いたいな……>

 耳元で吐息まじりに囁かれて、小夜子は身悶えそうになった。この人は一体、小夜子をどうしたいのだろう?

<もしもし、小夜子?>

「はい」

<……引いてる?>

「え?」

<僕ってしつこいかな?>

「そんなことは……」

<でも戸惑ってる。僕のせいだよね>

「……」

 否定はできなかった。ルイといて、平静でいられた試しがない。いつでも余裕がなくて、どきどきしっぱなしで、離れていると不安で、声を聞くだけで心がふわふわしてしまう。全部ルイのせいだ。

 小夜子がままならぬ思いを噛み締めていると、端末の向こうから、ルイのため息が聴こえた。

<今夜はたてこんでいて、戻るのが遅くなりそうなんだ。でも何かあったら、いつでも連絡して>

「ルイさん、今どこにいるんですか?」

<教えてもいいけど……引かない?>

「聞いてみないと判りません」

<……上海シャンハイ

「……」

<小夜子?>

 どこか不安そうな声を聞いて、小夜子はつい微笑をこぼした。

「……上海って、私が思っていたより近所だったんですね……気をつけてくださいね」

<ありがとう。愛しているよ、小夜子>

 リップ音が聴こえた。小夜子は頭が真っ白になり、言葉を失った。何か言葉を発する前に、ルイは通話を切ってしまった。

(あ、愛している……?)

 幻聴だろうか? いや、確かに彼は愛しているといった。小夜子を?

 端末を凝視したまましばらく考えていたが、やがて一つの結論に到達した。

 あれはルイの最上級のリップサービスに違いない。そうでなければ、彼のようにゴージャスな人が、何をどうして小夜子みたいな平凡な女子校生に落ちるのか、説明がつかない。

 小夜子は愚かな自惚れを振り払うように、首を左右に振った。顔をあげると、電灯を消したままの部屋に、窓から射している月明かりが、幻想的な幾何学模様を描いていた。ぼんやり眺めているうちに無心になり、眠気が戻ってきた。

(……寝よ)

 布団にもぐりこんで、丸くなる。瞳を閉じても、瞼の向こうにルイの姿が浮かびあがる。

(ふぅ……今度は上海か……何時に戻ってくるのかな)

 なんだか、寝ても覚めても彼に悩まされている気がする。とりとめのないことを考えているうちに、緩やかな眠りはやってきた。

 満ちる、夜の静寂しじま――

 ふと、ベッドの沈みこむ気配に目を醒ました。

「……ルイさん?」

「ごめん、起こしちゃった?」

「ううん……お帰りなさい、怪我はありませんか?」

「ただいま。平気だよ」

 ルイは柔らかな笑みを浮かべると、ベッドの端に腰かけた。シャワーを浴びて着替えてきたようで、黒髪の先がしっとり濡れている。しどけない姿に見惚れていると、ぱちっと目が遭った。

「上海でお土産を買ってきたよ。気に入っている茶葉なんだ。あとで飲んでみて」

「ありがとうございます」

 芸が細かいと思いつつ、小夜子は素直に礼を口にした。実のところ――ルイは本当に上海にいっていた。六十体あまりの食屍鬼グールを片づけ、東京に戻ってきたのだ。彼は小夜子に対して、嘘をついたことはないのだが、この時点ではまだ、小夜子は何も理解していなかった。

「……小夜子が眠るまで、傍にいていいかな?」

 ルイは少しばかり疲れた声でいった。

「ルイさんは寝ないんですか?」

「ん、小夜子が眠ったら、食料を探してくるよ。今夜は頑張って働いたから、餓えて倒れそうなんだ」

「私のことはいいから、食べてきてください」

「小夜子が安心して眠るまで、傍についていたい。さっきは、説明もせずにでていってごめんね」

 思いやりのこもった声でいわれて、小夜子は俯いた。彼に恋をしても不毛だと判っているのに、傾いていく心を止められそうにない。

「……いいんです、帰ってきてくれたから」

 そういって、頭の上まで毛布をかぶる。優しい手に、そっと頭を撫でられた。そのまま、枕に散った髪をくしけずられる。

 触れ方が優しくて、親密すぎて、涙がでそうだった。

(……ルイさんは、私のことが好き?)

 そう考えた傍から、否定の言葉が泉のように湧きでてきた。

 眠れ。

 眠ってしまえ。呪文のように、心のなかで唱える。

 朝になれば、きっとこんな愚かな想いを抱いたことを忘れられるだろう――そうねがいながら。

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