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PERFECT GOLDEN BLOOD  作者: 月宮永遠
2章:美しい館(ベル・サーラ)の住人たち

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 部屋着にきがえた小夜子を見て、ルイは表情を綻ばせた。

「かわいいね」

 小夜子はもじもじとショートパンツのフリルを触りながら、

「ありがとうございます……」

 彼も部屋着にきがえたようで、上は白いVネックのTシャツ、下は履き心地のよさそうなカーゴパンツというラフな格好をしている。ごくありふれた恰好なのに、ルイが着ると洗練されて見えるから不思議だ。

(格好いい人は、何を着ても恰好いいんだ)

 感心しながら、ちらちらと小夜子が見ていると、ルイは小さく笑った。

「おかしいかな?」

「いえ! そんなことは……似合っています」

「ありがとう」

 ルイは魅力的な笑みを浮かべた。とろりと甘い眼差しに小夜子は朱くなり、ごまかすように両腕で自分をだきしめた。ルイは少し目を瞠り、

「寒い?」

「あ、いえ。ちょうどいいです」

 小夜子はすぐに腕を解いたが、ルイは自分の部屋に入り、黒いパーカーを手に戻ってきた。前にジッパーがついていて、Vivienne Westwoodのオーブのロゴが刺繍されている。

「大きいかもしれないけど、羽織るといいよ」

「ありがとうございます……Vivienne好きなんですか?」

 戸惑いつつ、小夜子はパーカーを受け取った。

「嫌いではないよ。というか千尋の趣味なんだ。彼女は着道楽でね、服に頓着しない奴を見かけると、喜んで衣装係になるんだよ。小夜子も気をつけた方がいい」

「そうなんですか」

 小夜子はほほえんだ。パーカーを羽織ってみた。毛布みたいに大きい。爽やかな匂い、ルイに包みこまれているみたいだ。

「いいね。小夜子が僕の服を着てる……」

 手を口元にあてて、ルイは感動したように呟いた。小夜子を四方から眺め回して、満足そうに頷いている。

 所有欲の滲んだ言動に、小夜子の胸は高鳴った。彼は、小夜子の傍によると、袖から手がでるように幾重にも折り返した。華奢で小さな女の子になった気分がして、くすぐったい。

「ありがとうございます」

 はにかみながら小夜子がいうと、ルイはにっこり笑った。

「すごくかわいいよ。そのパーカーはあげる」

「え? でも、」

「遠慮しないで。小夜子に着ていてほしいんだ。ね?」

「……いいんですか、本当に?」

「Mais oui」

 ルイのまばゆい笑顔を直視できず、小夜子はそっと視線をそらした。

「ありがとうございます」

「うん。さて、ゲストルームにいこうか。食事の用意ができているよ」

 腕をとられて、小夜子はどきどきしながら頷いた。

 彼は二階の部屋に小夜子を案内した。

 瀟洒な部屋の中央に、ダマスク織の豪華なクロスをかけた長テーブルが置かれている。台座が孔雀の形をした、銀の燭台が三つ灯されていて、瑞々しい薔薇が活けてある。床には精緻な紋様の楕円形のペルシア絨毯、天上には無数の水晶が垂れさがる円環照明が吊るされている。

「ここに座って、Mademoiselleマドモアゼル

 ルイは気取った仕草で飴色の椅子を引いた。小夜子がおずおずと腰をおろすと、彼も対面の席についた。

 格調高い晩餐の空気に畏まる小夜子に、ルイは気さくな笑みを向けた。

「大仰しくてごめんね。今夜はジョルジュも張り切っているんだと思う。お客様を迎えることは滅多にないから」

「そうなんですか? こんなに素敵なお邸なのに」

「ここの住人は、客がくることを嫌うんだ。もちろん、小夜子は別だよ。君は僕の大切なお客さま」

 小夜子は照れつつ頷いた。彼のこうした甘い言動は、標準装備だと思った方がいい。いちいち動揺していては身がもたない。

「ご迷惑でなければいいのですけれど」

「迷惑なものか。無理をいってきてもらったのは、こっちの方だよ。気になることがあれば、遠慮なく何でもいってね」

 その口調はどこか浮かれている。本当に歓迎されている気がして、小夜子はほほえんだ。

「ありがとうございます」

「どういたしまして、小夜子」

 甘い眼差しに見つめられ、小夜子の胸はまたしても高鳴った。心を落ち着けようと視線を彷徨わせたところで、ちょうどジョルジュがやってきた。彼は銀のカートを引いており、真鍮のクロッシュで覆われた皿から、いい匂いを漂わせている。

 前菜として、色とりどりのパプリカと生ハムの煮込みを、柔らかく火を通した卵に混ぜこんだ料理が供された。盛りつけの美しさに小夜子は目を瞠っていると、ルイはワインボトルを開けて、小夜子のグラスに傾けた。

「飲みやすい微発泡性のワインだよ。一口飲んでごらん」

「ありがとうございます。いただきます……」

 格調高い部屋の雰囲気と手のこんだ料理に、赤ワインはぴったりだった。前菜をフォークで口に運び、小夜子は笑顔になった。

「美味しい」

 ルイもにっこりしている。

 そのあとも、ほうれん草と鶏肉のサラダ、カルパッチョと続き、メインに鯛や浅蜊あさりとたっぷりの野菜を煮た、一皿が供された。どの料理も手がこんでいて、頬が落ちるほど美味しい。贅を尽くした料理、というよりも家庭料理に通じる優しい味つけなのがまたいい。

 噛みしめながら食べる小夜子のグラスに、ジョルジュは水を注いだ。

「お味はいかがですか?」

 低く、上品なバリトンで訊ねられ、小夜子はぱっと顔をあげた。頬を染めながら、美味しいです、と消え入りそうな声で応えるのを、ルイはじっと見つめていた。視線がぱちっとあい、小夜子は不思議そうに首を傾げた。

 ルイはふいと視線をそらし、なんとなく、すねているような口調でいった。

「小夜子はジョルジュを気にしすぎだよ」

「……すみません」

「ううん、謝らないで……僕のどうしようもない嫉妬がいけないんだから」

 小夜子は赤くなって俯いた。彼の言動がいちいち甘いのは、標準装備、リップサービスなのだといい聞かせていても、口説かれていると錯覚してしまいそうになる。

 デザートには、いい香りのクレープシュゼットがだされた。ジョルジュは熟練の手つきで、螺旋状に剥いたオレンジの皮づたいにブランデーを垂らし、青い炎を燃えあがらせた。

「わぁ」

 小夜子が思わず感嘆の声を漏らすと、ジョルジュは嬉しそうに笑った。

「珈琲、紅茶、エスプレッソ、ハーブティー、どれにいたしましょう?」

 小夜子は紅茶を、ルイはエスプレッソを頼んだ。

 食事を終えて紅茶を飲む頃には、小夜子はすっかり寛いでいた。こんなに贅沢な晩餐は生まれて初めてである。

「とっても美味しかったです」

 部屋をでる時、小夜子は心からの感謝をこめてジョルジュにいった。

「ありがとうございます、お嬢さま。お気に召していただけて、何よりでございます」

 ジョルジュは嬉しそうにほほえんだ。

 すっかり満足して部屋に戻ると、ルイは思いだしたようにポケットに手をつっこみ、紅茶色の布で包装された小箱をさしだした。

「あげる」

「え?」

 小夜子は戸惑った表情で受け取り、RAVENと印字されたタグを見て、はっとなった。慌ててルイを見ると、彼は悪戯が成功したような表情を浮かべていた。

「色々あったけど、今日のデートの記念に」

「これ、RAVENって」

「開けてみて。欲しそうにしていたから」

 包みを開けると、あの時じっと見ていたオルゴォルが入っていた。高額だとか申し訳ないとか、そういった遠慮も芽生えたが、それ以上に大きな歓喜が小夜子を貫いた。

「これ、欲しかったの!」

 興奮した様子の小夜子を見て、ルイは破顔した。

「だと思った。喜んでもらえたかな?」

「それはもう……っ! え、でも、いいんですか? 結構いいお値段な気が」

「気にしないで。小夜子に喜んでもらえて嬉しい」

「うわぁ、ありがとうございます……っ」

 小夜子はオルゴォルをじっくり眺めて、発条ぜんまいを回した。硝子蓋のなかで青と半透明の水晶がきらきらと光り、清らかな旋律が流れだす。幻想的でノスタルジーな世界に誘われて、自然と目を閉じた。

 そうして美しい音色にしばらく耳を澄ませていたが、ルイのEh Bienビアンという声に我に返って顔をあげた。

「このあとはどうする? 部屋で休みたい? それともテレビでも見る?」

 小夜子は手のなかに大切なオルゴォルがあることを意識しながら、時計を見た。まだ夜の九時だ。テレビを見ると答えると、ルイは甲斐甲斐しく紅茶を淹れてくれた。ソファーに座ってバラエティ番組を見始めたものの、間もなく小夜子は眠気をもよおした。今日は色々あったから、疲れたみたいだ。

「なんだか眠くなってきました……やっぱり休もうかな」

 そういって席を立つと、ルイも一緒にたちあがった。きょとんとする小夜子を見下ろし、どこかうかがうような口調で、

「一緒に眠ってもいいかな?」

「へ?」

 呆気にとられる小夜子を見て、ルイはほほえんだ。

「何もしないって約束するよ。ただ、隣で横になって眠りたいだけなんだ。いいかな?」

 いいわけがなかった。冗談かと思ったが、彼はじっと小夜子の返事を待っている。

「それは、ちょっと……」

 苦笑いを浮かべる小夜子を、ルイはじっと見つめた。

「僕が怖い?」

「えーと、そういうわけじゃ……」

「今夜はすごく怖い思いをしたでしょう? 君を独りで眠らせたくないんだ」

「や、でも」

「僕が傍にいるんだから、布団のなかで丸まって眠る必要はないよ」

 小夜子は驚いてルイを見た。この人はなぜ、知っているのだろう。いつもそうして一人で、怖い夜を凌いできたことを。

 窓を閉めていても、ドアに鍵をしていても、昏いものたちは部屋に入ってくる。枕元が沈みこむ恐怖を、何度も経験してきた。知らないふり、聴こえないふりをして、おまじないのように数字をかぞえるのだ。今夜もそうなるだろうと思っていたのに……

「一緒にいれば怖くないよ」

 逡巡し、小夜子は小さく頷いた。オルゴォルを机の上に置いて、ベッドに並んで横になった時、後悔が頭をもたげたが、ルイは優しく小夜子を腕のなかに引き寄せてしまった。

「しぃ……瞳を閉じてごらん」

 髪を梳きながら、耳元で優しい旋律を口ずさむ。男の人に、そんな風に甘やかされたことがない小夜子は、どうしていいか判らなかった。

「大丈夫、怖くないよ。僕がついている」

 慰めの言葉が、小夜子の胸を打った。どうして、こんなにも安心するのだろう? 胸が熱くなり、なんだか泣きそうになってしまう。

「よく頑張ったね。偉いね。怖い思いをしても、ちゃんと耐えてきたんだ」

 どこまでも優しい労りに満ちた声だった。小夜子の苦節困難に同情し、励ますような響きを帯びていた。

 小夜子は瞬きをして涙をこらえた。言葉にしたら、嗚咽がこぼれてしまいそうだった。

 ルイはゆっくりと身体を起こし、小夜子の目じりに滲んだ涙を指でぬぐった。こちらを向くように掌で頭を支えられ、銀色の瞳と遭う。夜闇のなかでも、彼の瞳は淡い光彩を帯びていた。

 魔性の瞳だ。ルイはゆっくりと顔を寄せてくる……いくらでも逃げられたはずなのに、小夜子は動くことができなかった。そっと唇が触れて、表面がこすれあう。下唇を、尖ったもので甘く食まれた。

(……牙?)

 疑問に思うが、すぐにどうでも良くなった。彼の唇に陶然となる。

 唇を吸われている間に、奇妙な光景が眼裏に閃いた。彼の二本の牙が小夜子の首にくいこみ、恍惚のなかで血を吸われるというものだ。

 唇が離れたあと、しっとり濡れた唇を親指でぬぐわれ、小夜子はルイの胸のなかに倒れこみそうになった。腕に手を添えると、掌に筋肉の収縮が伝わってきた。鋼のような感触にはっとなる。

 顔をあげて、彼の目を見た瞬間に小夜子の顔は強張った。ルイの双眸は瞳孔が縦に伸びて、虹彩のまわりに金の粒子が瞬き、紫水晶のように煌いている。

 魅入られながら、ある幻想――彼の黒髪のあいだから、巻きあがる二つの角が伸びて、背には黒い翼がある――に捕らわれていた。月を背に立つ姿は魔性そのもので、美しさと、正体不明の困惑に慄然りつぜんとなる。

「小夜子?」

 ルイの言葉に、小夜子は我に返った。

「あ……」

「“目を閉じて。眠って”」

 その声には催眠効果でもあるのか、小夜子は急激に眠気をもよおした。目を閉じると、瞼に柔らかなものが触れた。ルイの唇……ときめきにも似た、漠とした感情が胸に拡がった。

(どうして、そんな風に触れるのだろう……?)

 遥か昔から彼を知っているような、お互いを探し求めていたような、奇妙な飢餓感と焦燥。触れられる距離にいる安心感……様々な感情が胸を過るが、眠気の方が勝った。

 眠りに落ちる瞬間、瞼の奥に、黒髪を風になびかせ、背に翼をもつルイの姿がちらついていた。空想のはずなのに、美しい魔物と目が遭った気がした。

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