騎馬民族征服説と遼河文明
なんとも胡散臭いタイトルだと思う。もちろんそのままの意味じゃない。騎馬民族征服説の真なる解釈を探ろうと思う。結論から言えば、騎馬民族=天孫族じゃない。おそらくその正体はN系の一部だと見ている。1つの人種が1つのタイプになるわけじゃない。半島を東西で半分に割ってその東が出雲王朝に近くて、その西が天孫族に近い。こんな程度の話しだと思う。
何故その真相に至ったか?の方が重要。近畿に偏るモンゴルの系統は実際は、関東まで広く分布してる。ただ単に近畿が一番高いだけだ。そうなると結論は遼河人そのものじゃないか?となる。江南人と遼河人が最も近畿から瀬戸内で高い。となるとそれはそのまま稲作弥生人そのものになる。
これに対して騎馬民族を持ち出す必要は無い。満州と朝鮮はおそらくその後の時代に西に向かってツングース民族が移動したと見ている。半島で出ないわけじゃない。2つの系統によって薄まってしまっただけで、そのうちツングース系の沿海州は日本海側に濃く分布するので、日本人全体では朝鮮人とほぼ変わらないとなる。
ここにもう1つ半島西海岸の弥生人を薄める血が入る。漢民族の特に西方のチベット系になる。日本にはチベット系はほとんど入ってない。これによって、日本人と朝鮮人は全く別の血が入ることになったとなる。
これは長らく漢民族とはチベット族と同根だと探ってきたのが生きてる。おそらく日本人と近いD系がチベット高原と中国内陸部に広く分布していて、ここにNと混血した黄帝系のO2=M134が東西南北に拡散していく。このうちチベット高原に近い部族がきょう族になり、中原に向かった部族が黄帝の率いた華族になったと見ている。
この系統がおそらく日本には薄い。
じゃ日本の渡来人は何か?まず劉邦の家系は漢民族となってるが、あれは江南の方が近い。漢とは劉邦が項羽によって追いやれた地方の名で劉邦の出身とは何の関係も無い。
後はじょふくや秦氏になるが、普通に秦系は満州に広く広がった系統であるため、元のチベット系のルーツが消えてしまってるんじゃないか?と見ている。混血の場合どうなるか?がさっぱり分からない。
さらに何度も書いてるように秦系であっても王族とは限らないと書いてる。始皇帝と先祖を同じにするというだけで、始皇帝の子孫とは限らない。あくまで可能性として否定はできないと言うだけになる。秦氏が始皇帝の子孫だと言うのは可能性の話であって、土着の満州人の系統であってもおかしくはない。あのあたりにはごろごろ出る系統だから。
漢民族で一番高くて、日本人に極端に低い集団を探ると中国内陸部のチベットよりの位置にたどり着く。ここからおそらくこれが朝鮮人と日本人を決定的に分けてる遺伝的要素だと見ている。
沿海州のN系は東側のC2系、O1B2などと混血したり、そもそも免疫系統が何かしらの理由で別集団になってしまったんだと思う。その理由が分からないが、それを現在の過去の地域で表すと、半島を西と東に分けるとすっきりする。おそらくその後の歴史で満州族と絡んで、沿海州のツングース系が東に移住して西からは漢民族が移住した事で朝鮮人から遼河文明の西海岸よりの倭人系統が薄まってしまったと見ている。
おそらくだが、今より、C2Cは東にも広がっていた可能性がある。これが満州族の西進で、C2Bがやや押し寄せてきたのか?と見ている。日本の沿海州との交流でC2Bがあまり増えなかったのはそういう理由じゃないか?と見ている。C2Cは全国的にそれなりに出る。
シベリア組の移動として、まずNが西に広がって最終的にフィンランドまで広がる。次にトルコ語のC2C集団が西に移住して匈奴フン族として欧州まで広がっていく。次にやっとモンゴルの登場になる。そしてツングースのベタなC2Bである満州族がやっと最後に中国まで広がることになる。
これとは別にバイカル湖に向かった集団がトルコモンゴルとともにC2Bを西に広げることになる。よってC2Bのベタなツングース系はかなり後になってから西に向かったため今のハプロから古代を想定しない方が良いと思う。
謎のモンゴル集団は、シンプルに遼河人で良い。ただし、ここで、半島を東西に2つに割って、N系は2系統に別れたと見ればすっきりする。日本に来た日本海側に高く出るN系は沿海州主生んだとして元の遼河系とは別系統になってると思われる。何故そうなったのか?は分からない。沿海州のツングース集団と混血したせいじゃないか?と見ている。ここに後にO1B2の集団も加わる。
騎馬民族征服説の正体はモンゴル高原人と祖先を同じにするただの渤海人として江南人と混血する前の遼河人だと思われる。
モンゴル高原から金属加工が伝えられるのだが、その集団がすべてのルーツなら、何故沿海州の金属加工の集団にはその遺伝子が出ないのか?となる。答えはそれは小集団で遺伝的には土着の系統が強く出たからとなる。
モンゴル高原に高いからモンゴルの人達だって理屈じゃなくて、間となる満州と朝鮮で別の系統が混血したため薄まっただけ。その証拠に遼河文明に近い北京の漢民族に限れば、日本の半分ぐらいの高い数値で出る。
モンゴル人と日本人が最も遼河人の血統を強く遺伝してる系統になるのと、あくまでモンゴルの中で特殊な一集団が特別高いだけで、低い数値しか出ない集団もあるそうだ。特にブリヤートで出ないのはこれで説明が付く。あそこにもN系は高く混血している。
チベット系、ツングース系、ブリヤート系、これらに深く混血してるはずのN系からはあまり高く出ない。だが元の故地である遼河付近では日本ほどじゃないが十分に高く出る。そうなるとN系全体に広がった免疫型じゃなくて、遼河だけに特別に出るものだと見ている。モンゴル高原にはその系統が高いだけだと見ている。
だから鮮卑か?東湖じゃないか?と見ている。
鮮卑や東湖や扶余(内蒙古の遊牧民ならすべてに可能性がある)が日本に来たわけじゃなくて、それらの集団の祖先となる遼河人が稲作弥生人の祖先と同じだというだけだと見ている。その理由として江南稲作民の分布と日本での高い分布がほぼ一致するから。
普通に弥生人として混血した1つの集団が近畿で稲作で増えたと見ればわかる。そこに金属加工集団がいてもおかしくはない。モンゴル高原、アルタイ地方の西方からやってきた金属加工の集団の免疫タイプが広がったはまず無いと思う。
江上氏の視点は面白いが、当時遼河文明の一部がまだ見つかったばかりだったのが大きい。それで拡大解釈しすぎてしまったのだろう。
安曇氏も調べてみるとやはり、出雲王朝と婚姻してるかのような記述が神話にある。全く別勢力の集団と言うより、日本で半島を半分にわけた流れで系統の違いが出て天孫族が生まれたのかな?と見ている。出雲族と基本的には似てるけど、天孫族は西海岸よりの遊牧民の神話が色濃く出たのかと思う。
この辺り神話と人種系統は分けたほうが良い。おそらく金属加工の集団の神話が、東西のルートで違うんだと思う。
何度も書いてるが、ハプロが縄文系とかあまりとらわれないほうが良いと思う。本人達はそんな事多分思って無いから。近代の中で移住してきたとか?父でも母でもはっきり分かってるほうを重視すると見てる。どういう事情か?さっぱり分からないが、遊牧民系の神話を色濃くもつグループの母系と天皇系の父系が混血して出来たのが天皇系で、大事なのはこの母系こそが天孫族の正体だと思うが、天皇家自身が母系で繋がってるとすら意識してない可能性もある。
アマテラスを女神にしたは多分全くの偶然。母系で繋がった事を自覚してて、男神を女神に摩り替えた可能性もあるけど。