ふしぎふしぎのシメサバ町
ミウは山姥に誘われて、シメサバ町へやってきた。山姥はミウと同じくらいの年頃で、黒い肌に銀色の長い髪をしている。
「山姥さんは、どうして山姥になろうと思ったんですか」
「給料がいいからだよ」
そんなはずはないと思ったが、ミウはそれ以上聞かなかった。バスを乗り継いで大きな帆船に乗り、シメサバ町に着いた。港には桜の木が植わっており、つぼみがもう膨らみ始めている。
「もうすぐ咲きそうですね」
山姥はフンと鼻を鳴らし、ありふれたもんだね、と言った。
「町長が植えたんだよ。そこら中にね」
ミウは街並みを眺めながら歩いた。可愛いカフェや雑貨屋、パン屋が並んでいる。道も綺麗に整備されて、車の音も静かだ。
「ここに住むのもいいなあ」
「気が早いね。シメサバを食べに来たんだろ」
「そうでした」
シメサバ町はその名の通り、シメサバがおいしいことで有名だ。図書館で借りたグルメ情報誌にも載っていたし、テレビでも何度か紹介されていた。
しばらく歩いていくと、急に空が暗くなった。シメサバが来たぞ、と誰かが叫ぶ。
「え? え? どこ?」
「あそこだよ。あそことあそことあそこにも」
山姥は上を指差した。雑居ビルの屋上に、黒皮のついたサバの切り身がたくさん並んでいる。酢の香りが漂い、食欲がそそられる。ミウは一番近くのビルに走っていこうとした。
「待って! 危険よ」
後ろから声がして、すっと腕を引かれる。振り返ると、おもちゃの鉄砲を持った少女が立っていた。茶色い髪からは、紅茶のような香りがする。とても良い香りだが、シメサバとは合わなかった。
何ですか、と言い終わる前に、シメサバが飛んできた。ものすごい勢いで、隣に立っていた道路標識に当たって落ちる。標識は折れ曲がってしまった。
見上げると、シメサバが隣のシメサバを持ち上げ、通りへ投げつけていた。当たって倒れる人もいれば、口で受け止めようとして喉に詰まらせる人もいる。
「この町のシメサバは戦闘民族なのよ。戦って倒さなければ手に入らないわ」
少女は鉄砲を構え、六階建てのビルの屋上を狙った。鉄砲から打ち出された枝豆は、シメサバを一切れ撃ち落とした。山姥はすかさず拾い、早い者勝ちだよ、と言う。
「待ちなさい。まだ戦いは終わってないわ」
「目の前の獲物はいただく。それが山姥の性ってもんだよ」
「あなたの山もこの町の管轄下よ。ほら、武器を持って」
山姥は舌打ちをし、少女に渡されたラッパを口に当てた。吹き鳴らすとアヒルが飛び出し、シメサバを三切れ捕まえて帰ってきた。
「あのう、私は何をすればいいんですか」
山姥や少女が持っているような武器を、ミウも使ってみたくなった。いいんだよ、と山姥は言う。
「あんたは客なんだから。なあ、町長」
「あら。戦力は一人でも多いほうがいいじゃない」
少女はにっこり笑い、エプロンのポケットから白いハートのステッキを取り出した。
「よろしくね、ミウさん。町長のさくらよ」
紅茶の香りがふわりと顔にかかる。シメサバと混ざりさえしなければ、とミウは繰り返し思う。
「使い方わかる?」
「わかりません」
「ただ振るだけよ」
なんだ、と思い、ミウは縦横無尽にステッキを振った。ハートの部分が光り、熱い味噌汁が飛び出す。シメサバにもしぶきがかかったが、ほとんどは近くにいた人たちの頭や顔を直撃した。
火傷をしてうずくまった人をめがけて、またシメサバが飛んでくる。
「今年はやけに元気だね。町長、もっといい武器はないのかい」
山姥はラッパから顔を離して言った。さくら町長は悔しそうに唇を噛む。
「開発途中なのよ。白味噌じゃなくて赤味噌を使ったステッキを作ってるんだけど」
「ああ、赤味噌はよく飛ぶからね。うわ、援護射撃が始まったよ」
いつの間にか、シメサバの数が倍以上に増えている。醤油の入ったプラスチック容器やわさびの塊を投げてくるシメサバも現れた。
ミウはステッキを振り続けたが、もう光らなかった。充電が切れたのだろう。
「町民に告ぐ! 一時撤退せよ!」
さくら町長は叫び、鉄砲をあちこちに向けて撃った。紫色の煙が漂い、シメサバたちは標的を見失う。攻撃が止んだ隙に、人々は散り散りになって逃げ出した。
ミウはさくら町長と山姥に手を引かれて走ったが、気づくと右手に大根、左手にセロリを握りしめていて、近くには誰もいなかった。
「いけない。はぐれちゃった」
そこは古びた建物が並ぶ裏通りで、シャッターの下りた店の前にサボテンや多肉植物が集まり、何やら相談をしている。
「次に船が出るのはいつになるのやら」
「この町にいると体が変化してシメサバになってしまうらしい」
嘘に決まっていると思ったが、交通の便が悪いのは本当かもしれない。もし何ヶ月も帰れなかったら、春季限定のぼたもちアイスを食べ損なってしまう。
他の交通手段を探さなければ、と思った時、ちょうどバスがやってきた。ミニバンのような小さいバスだったが、サボテンたちは歓喜の声を上げ、我先にと乗り込んでいる。
バスのドアから、赤いジャージを着た男が出てきた。
「ミウ、早く乗れ。帰ろう」
「えっ。どうして私の名前を」
「いいから乗れ。ずっと探したんだぞ」
ミウは迷った。このチャンスを逃したら、しばらくはシメサバ町から出られないかもしれない。ここで生き残る力が自分にはあるだろうか。
男は懇願するような目でミウを見ている。この人は誰だろう、と思う。くっきりした顔立ちと強い声は、記憶のどこかに繋がっているような気もする。
でも、何もないような気もした。
「あの、どこに帰るんですか」
「どこにって……」
男が一瞬うろたえたのを、ミウは見逃さなかった。ばしん、ばしんと遠くから音が響いてくる。シメサバたちがまた動き出したのだ。
「私、行きません。桜が咲いたところを見たいんです」
そんな、と男は言ったが、バスのドアが閉まってしまった。走り去るのを見送る暇もなく、ばたばたと足音が聞こえてきた。
「ミウ! 良かった、ここにいたんだね」
「はい、あなたのステッキ、充電できたわよ」
山姥とさくら町長だ。戦いながらミウを探していたらしく、二人とも髪や服が乱れている。
ステッキを受け取ると、すんなりと手に馴染んだ。
「町民は仲間を集めて屋上を攻めてるよ。私たちも行こうじゃないか」
「はい」
「ふふふ。もうすぐおいしいシメサバがたくさん食べられるわね」
「はい!」
ミウはステッキを握り、走り出した。自分はシメサバと戦うために生きている。シメサバを食べるために生きている。胸の中で、白いハートが光り出すのを感じた。