きついの
「ご理解いただけたかしら?」
・・・・・・・あの日からか。あの日からシクも『イトネ』と呼んでいた。それが当たり前のように生活していた。
背筋が凍る。俺は幼馴染の名前を、好意を向けてくれる女性の名前を、好意を向けている女性の本名を・・・・
忘れていた・・・・・・・
・・・違う。異なる名前で認識していた。
そして、俺とは異なり名前が変わったことを認識して普通に生活していた才華と千歳。
「・・・・千歳、才華は名前のこと・・・・」
「うん。わかってる。」
こくりと頷く才華。
「『千歳』が元の名前・・・・って実感はないけどね。」
寂しそうに笑う千歳。もう千歳には『愛音』が自分の名前なのか。
「平気なのか?」
「在人がいてくれるからね。」
千歳のほほえみに俺はなにも答えれない。俺はなにも気づかず暮らしていただけなのに。
「はいはい。イチャつくのは後でいいかしら。」
手を叩くイディに俺達は振り返る。
「・・・・それで、今日の要件は?祝福?だけ、とは思えないんですけど。」
「魔女サイカの力をね、間近で見たかったのと聞きたいことがね。」
イディも微笑んでいるがどこか、妖しい。
「そう。それで、あの日から今日までのご感想は?」
あの日から今日まで?なんのことだ?
「うーん。いろいろ怖いってところね。」
「お褒めの言葉ありがとう。」
2人では意思疎通できてる。千歳も理解しているようだ・・・・が、俺はおいてけぼり。たぶんというか、いつも通り才能のことなんだろう。ん?それとも敵対したときのことが怖いのか?
「・・・・聞いていいかしら?」
「・・・・・・麗しい乙女の機密事項以外なら答えるよ。」
「あの子はどうして生き返ったの?。」
真剣な目つきで才華を見るイディ。誤魔化しは身の危険を感じる。人が生き返ることはない世界で、生き返った少女シク。
・・・・・この魔女はいつからか、俺達のことを監視してたのか?そうじゃなきゃこのタイミングで現れる理由が思いつかない。
いやでも観察していたら才華、千歳が気づきそうだ。あ!それがさっきのあの日から今日までってことか。24時間監視されていたら、女神による蘇生だってわかるはずだろうから、時折見てたって感じなのかな?
「・・・・情報とか知識とかね。あのネクロマンサーの術式を食べて、あの魔法の詳細を把握ついでにあいつからその魔法のこと消し去る。把握した魔法を改修して、シクの体を再生した。」
「へえ。」
「あとは乙女の機密事項。」
立てた人さし指を口にあてるサイカ。まあ、神の力によるものだもんな。
「ちょっとだけ言うなら、シクのためだけに使ったから、もうできない。使うために私は対価を払った。」
「あら、残念ねえ。」
残念がるイディ。『七喰』とか『七つの天災』とか呼ばれているから敵も多いのだろうか。そして、才華のこれは嘘・・・・・と言い切れないか。対価として魔女にはなっている。
「まあ、今日は新しい魔女の誕生で満足して頂戴よ。私たちはシクを連れていかないといけないから。」
そうだな。シクはマントで体を追われているだけ、本当に風邪をひかれても困る。・・・・・ん?
「こっちも聞きたいことは聞けたから、帰るわ。それじゃあ」
「ちょっと待って待って。」
「ほんとうに相変わらずね。で、なに?」
「いや、今、あんたが帰ると俺の記憶はどうなる?」
千歳の名前の件も今の状況についてどうなる?忘れる?
「私の能力のやりとりは覚えてれるけど、イトネの名前の件は忘れるわね。」
「それはどうしようもないのか?」
「君のはどうしようもできないわね。」
はっきり事実を言われるのは辛い。俺はまた愛音と呼ぶことになるのか。
「千歳・・・・・。」
「さっきも言ったけど、もう、その名前の実感がないの。自分の名前じゃない、違う誰かの名前にしか感じない。お母さんたちには悪いけど、私の名前はもう愛音。在人がつけてくれたこの名前で生きていくよ。だから・・・・ね」
子供をなだめすかすような眼。その目で俺を見るなよ。
「それにこの数日間で私たちの関係はなにも変わっていない。いや、むしろ、在人のあの宣言を考えるにむしろ関係は深くなった。うん。」
「そうね。悪いことはなにもないわね。」
「ちと・・・・・愛音。」
無言でうなずく愛音。
「自分の変化は?俺は気づいていないけど。」
「前より体の動きがレキてきてる。、ま、まだ使いこなせていないけどね。」
あ、そうなの。
「それもそれで重要だけど、そのなんだ。辛いことは?」
「えーっと。じつは・・・・・。」
目を逸らし言い淀む愛音。やっぱりなにかあるのか。
「・・・・・・がきついの。」
頭が小声で聞こえなかった。・・・・・・がきついの?なんだ?
「無理してたのか?大丈夫か?」
「うん。なんとかね。」
言葉と顔は一致していない。きついこと?キレはましたけど体が弱くなったとか?大雑把すぎるかこの考え?激しい動きが体に負担なのか?殺し屋や大きい戦士との闘いもいつも通りにしか見えなかった。俺は全然気づかなかった。
「どこが?体力?あ、それとも魔力とか?」
「そういうのじゃないんだよね。」
違うの?じゃあ、なに?
「え?じゃあどこ?」
まじまじとみるが見た感じでもわかんない?
「その。胸が・・・・。」
胸?目線をむけそうになるがハッとして踏みとどまる。危ない。これで関係が壊れたりしら、洒落にもならん。
「え・・・もしかして心臓とか?肺?だとしたらすぐに戻って病院で見てもらおうよ。」
「その体に悪影響なことはないよ。」
「?ごめん。全然意味がわかんない。胸のどこがきついの?」
「胸が大きくなって、このブラじゃ、きついってこと。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ですか。
目線をさげそうになるが、なんとか堪えて、愛音と目が合う。あ、恥ずかしくなって逸らした。
大きくなった?・・・・僕にはわからない。そんな違い。
「っく。やっぱり、見間違えじゃあないのか。ほんの少し、だけど確実に大きくなっていた。ワンランクアップってことは差が、さらに差が。あああ。ブラが壊れたのは知ってたけど、外からじゃなくて、内側から壊れたのか。」
愛音の胸を凝視し、心底悔しがる才華。本当かよ。
「もう3つ壊れちゃって。その実際新しいの買わないと。でもこっちって。そのそこまでかわいいのがなくて。」
俺はイディのほうを見る。精神的な変化はしてたが、肉体的な変化はあるのか?
「ああ。まあ。体の変化もあるわね。」
回答に困った表情をするイディ。あるんですか。・・・・ですか。
「これは運Sの効果なの?それとも愛音と在人の愛故なの?なら私も変えればいけるか?」
「はい。落ち着こうか。そして、名前を変えるのは俺が嫌だから、それはダメ。」
暴走の兆しが見えた才華の頭を抑えこむ。本音も交えた言葉に才華も黙り込む。よしよし。
「それじゃあ、私は」
「まだまだ。才華の魔女の件についても。まだ。」
魔女才華のことだってまだ聞きたいことがある。
「魔法や魔力がより深く濃く身近に。実質不老、殺される以外で死ぬことはまれ。赤髪というより赤い体毛。これがサイカに起きた事実。君にとっては彼女は魔女。」
「あ、本当だ。」
やや投げやりに答え、術式を展開させるイディ。あと才華。今どこの毛確認したんだ?いやそんなことより。
「ちょっと、待って」
「あとはイナルタにでも聞きなさい。じゃあ、またね。」
俺が止めるも、イディの姿は消えていった。っく。
「じゃあ。帰ろう。」
なにごともなかったように帰る準備を始める才華。
「そうね。クロスティ、エルージュ帰るわよ。」
愛音もだ。シクの顔を覗き込んでたクロスティ、エルージュが静かに吠えた。
「いや。まだ。俺は確認したいことが。」
「はいはい。それはいずれ。今は帰ろう。さっきも言ったけど、シクがいるんだから。それに、私も疲れたよ。だから、ね。」
懇願する才華。・・・・シクの体を蘇生させる。魔女になったとはいえ、ぶっつけ本番でその魔法を使う。精神にかかる負担は想像つかない。
「わかった。でも必ず話しあうからな。」
救われた命がある。今はこのことを噛みしめよう。
「おう。ベッドで一段落したら、じっくり愛し、おっと話し合おうぜ。」
シクをベッドに寝かせたところで、シクが目を開けた。記憶はどうなっているんだろうか?
死んだことを自覚しているのか? 自分の死を予感していたから、生きてることを不思議に思っているのか?俺の不必要な発言で自分の死を認識したあの記憶はあるのか?ん?なんか矛盾してる状況にも思うが、死んだとなればそうなるか?
「・・・・あれ・・・・わた・・・・し?」
目をきょろきょろさせ、周囲を確認している。
「おかあさん?・・・・・・・・あ。」
自分が母親の体に入っていたときの記憶もあるのか?
「大分うなされていたから、怖い夢でも見たのかな?大丈夫?うん。熱は下がったね。」
愛音がシクの頭を優しくなでた後、おでこに手をあてる。風邪をひいていたことにする、俺がゼフォンに依頼したことに合わせた嘘。
「ああ起きなくていいよ。風邪で弱っているんだから。」
起き上がろうとするシクを制する才華。才華いわく、肉体を再生させただけなので、エネルギー不足とのこと。
「この薬だけ飲んで、また休みな。」
クルンさんのところで買ってきた薬を飲ます才華。ガンソドの面々はシクが死んだのではなく風邪であると認識をしていたので、話は早かった。クエストにいったのもシクのことより、槍ちゃんたちが心配だからと認識していた。
ちゃんとゼフォンは仕事をしているようで安心した。ただ、俺が大勘違いのうえ、大暴走したことになっており、そのせいでニヒトさんにぶん殴られたことになっていた、スリッターさんやアルトアさんは笑っていたが、正直、腑に落ちない。もっとうまくできたと思うが。
「クロスティがいるから、なにかあったら伝えて。」
クロスティはシクのベッド脇に座っていた。
「あ・・・はい。すい・・・ま・・・・せん。」
「念のために言っとくけど、無理に元気な振りはしちゃだめだよ。風邪は治りかけが肝心なんだからね。」
「は・・・・・い。」
「ルンカちゃんたちも元気なシクを待ってるけど、焦っちゃだめだよ。」
「うん。」
シクはまた目を閉じてしまった。3日まえとは違って、疲れた表情だが、その体は呼吸をしているのがわかる。