名を食べる
「まず、あなたの名前が過去現在未来、あらゆる時間軸、世界からなくなる。」
だからそれじゃあ分かんないだって、俺だと。おつむの悪さを察してくれたのか、説明を続けるイディ。
「あなたの名前が記載されたものからあなたの名前はなくなり、これから、名前で呼ばれることはなくなる。」
「具体的にどう呼ばれる?」
「おい。君。そこの。お前、貴君、とかかしらね。」
「えーっと、周囲の人はそのことを認識するんですか?」
「しないわね。ただ名前のことを全く気にせず、考えず君に接する。誰も疑問に思わない話題にしない、それが当たり前ってね。」
なんだそれ。怖っ。
「俺自身はどうなるんです?」
「自分の元々の名前を言えない。思い出せない。変わったことを周囲に知らせることもできない。そのことを周囲は違和感があると捉えるでしょうね。」
「周囲との関係はどうなるんですか。」
「最初は変わらないわね。ただ、関係が近ければ近いほど、さっき言った違和感の波紋が大きく大きく広がる。最終的にその関係が崩れることが多いわね。・・・・・・悲しいことに。」
この説明をしたイディは手で口を押える。辛そうにしているわけではない、口角は上がっている。笑みを隠すための手なのか。それとも笑いだすのを抑えているのか。
ただ言えるのは、この魔女は人間関係が崩れるさまを楽しんでいる。心底楽しんでいる。背筋がゾッっとしている。だから『七つの天災』やら『七喰』と呼ばれているのか。
そして、これから才華か千歳のどちらかの名前を食べる。それは俺達の関係が崩れることになる、2人はそれを承知で俺を助けたのか?
「全く別の名前を与えることもできるって、聞いています。」
千歳の言葉にイディの顔つきはまじめとなる。まだなにか能力があるのか。
「ええ。そのとおり。」
なんじゃそれは?
「王様に別の名前を付けて、王様と認知されないようにする。子供の名を変えて親子関係を崩す。誰もが敬意を表する人物に忌み名をつける。それだけで生活環境は変わるよね。」
「ほかにも婚約した男女が壮絶な殺し合いをした場合もあったわね。あ、その逆で彼氏を殺した相手と結婚までいった関係もあるわ。ま、変わらないときもあるけど。」
理解の追いついてない俺に具体例を説明する才華。そして実例をあげるイディ。なんだそれは。
「姿形は変わらないのに、名前が違うだけで印象が変わってしまう。そして、新しい名前に引き寄せれらるのかその本人も自覚無自覚別に変わっていく。名前が変わったからって意識していてもその変化を止められない。名前がなくなっても本人に変化はないのに、名前が変わると変化していく。本当に名前も人も不思議よね。」
イディの様子から、変化する理由までは把握していないようだ。
「・・・どう変わるんです?」
「さあ?その人次第ね。全然変化ない場合もあるし、性格が凶暴になったり、臆病になる。まあ人間関係が変わるのは本人の変化も影響しているでしょうね。」
極端だな。俺らはどうなる?この関係は終わるのか?・・・・・・それは嫌だ。
「・・・・なんのためにそんなことを?」
「私の平穏を壊そうとした人たちへの、お し お き。」
イディに目線を戻すと彼女はにっこり笑って答えた。過去に討伐対象にでもなったのだろうか?
「その場で命を取らなかっただけありがたいと思ってほしいわね。」
圧倒的な力を持ってるであろう魔女と対峙して命がある。それはそれで幸運かもしれないが、その後悲惨な人生を送るかも知れないと思うとなんとも言えない。
「で、私たちの場合はどっちになるの?」
その笑みに動じない才華は話を本題へと戻す。
「食べて終わりなの?それとも別の名を着けるの?どっちで楽しむつもり?」
不敵な笑みを見せる才華。
「そうねえ。あなたたちなら別の名を与えてもいいわね。いずれその名もおいしくなりそうだし。」
「へえ。」
「それよりもどっちの名前を食べるつもりなんです。」
才華なのか?千歳なのか?
「そうねえ。」
「前置きはいらないよ。千歳なんでしょう。」
イディが答える前に、才華が答える。はっきりと確信した表情であり、イディは一瞬だけ驚きを浮かべた。
「よく、分かったわね。いえ、いつから気付いていたのかしら。」
指定された千歳は紅茶を一口飲んだあと無言でイディを見ている。その表情に驚きも動揺もない。
「私を吟味したイディとサンホットの視線でね。」
相変わらず目ざといのか、よく見ていると言うべきか。サンホットって名前も気にはなる。魔女なんだよな?
「へえ。」
このことに千歳は気づいていたのか?
「つまり。自分は無害の可能性が高いと判断したから、私と契約した。彼を助けるために彼女を売った。そして安心した心持ちで今日を迎えた。ってことね。」
悪魔の笑みを浮かべたイディ。・・・・・魔女。目の前にいるのは魔女。それを心底実感する笑顔だった。・・・・・話の流れだけだとイディのいうとおりになる。そのことを否定してほしいと願い才華に視線を向ける。だが
「うん。そうだよ。」
才華は否定も悪びれもせずに即答した。そして、目のあったイディと才華は笑いだした。
「ふふっ。ふふふ。」
「あんまり安く見ないでよね、イディ。」
イディを指さす才華。
「・・・・どう、安くみているのかしら。」
「仮に私と才華の立場が逆でもそうしていた。私は在人のために才華を売っていました。才華も自分の名前がなくなることを受け入れた。ってことです」
無言でいた千歳が口を開く。
「私たちは在人を助けるためなら命を懸けれるし、片方を売ることもできる。他人を底なし沼に蹴落とした後、まず隕石を落とすことくらい平気でやれる。」
才華の悪魔めいた笑顔にイディも口を閉ざす。
「自分が助かることより、在人を助けること。それがあのとき、私たちの胸中にあった考えになるわ。」
「そういうこと。わかった?」
2人の堂々たる姿勢に目を離すことはできなかった。
「うん。決めた。千歳には第3の食べ方にする。」
2人のやりとりを見ていたイディが頷いた。
「「「第3?」」」
俺達の声が重なる。千歳や才華も知らない情報か。
「自らの意志で名前を差し出す。そして、私が新しい名前をつける。私が一方的にとるか、相手からの意志をもって受け取るか、それだけの違いでなぜか結果は変わるの。」
「その場合本人や周囲の関係はどうなるんです?」
「本人の変化はさっきと同じ。周囲は昔からその名前だと認識していから普通に接してくる。まあ、変化したことに周囲が気付かないだけで、本人の態度や様子で関係が悪化することはある。」
変化に気づかないか・・・・・・・・・。
俺は千歳が新しい名前になってもそのことに気付かず接する。他の人もそうなる。千歳は自分の名前が変わったことを自覚しているが、そのことを周囲には知らせることもできない。元の名前も思い出せない。千歳はそのことで悩めば悩むほど、結果的に周囲との関係が歪んでいく。千歳は平気でいられるのか?
「だから名前が変わろうと堂々としているほうが変化は少ない。」
名前を食べられた人の人生を見てきた本人が言うんだから間違いはないんだろう。だけど、それでも・・・・・・・。
「確かに千歳へのデメリットは減るけど、なんでそれに?」
俺もそれは不思議に思っていた理由が思いつかない。
「誰だって、おいしいものは何度でも食べたいと思うでしょ。」
「そうだね。」
才華が頷く。俺も千歳もだ。
「千歳と才華のおいしさは、君を加えた3人が一緒にいたことで出来上がったのよ。たぶん君がいなくても一級品だけど、君が加わることでさらに稀少な品目となった。それを今回限りにするのはもったいないと思ったから。」
機会があればまた食べたい、そのためにできることはしておこうってことか。
「・・・・要するに俺は、畑にまく肥料とか、家畜に食わす良質な餌ですか。」
「まあ。そんなところね。」