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閑話2

「叔母様、ご無沙汰しております。今日はお時間を作っていただき、ありがとうございます。これは母から叔母様にと」


「まあ、きれいな薔薇の花!ありがとう。さあ上がって。今日は天気が良いから、縁側で話しましょう。美味しい新茶とカステラもあるのよ。ああ、まずは薔薇を生けなくちゃ。花瓶、花瓶っと。椿姉さんは相変わらず育てるのが上手ね。お年始の挨拶以来だから、半年ぶりからしら?おりゑさんとは季節の折々にお手紙を交わしているから、久しぶりな気がしないわね」


「そうですね。叔母様、カステラはこちらの伊万里の器でよろしかったですか?ところで今日は叔父様もお恵もおりませんのね」


「ええ、そのお皿で大丈夫よ。お客様に手伝わせちゃってごめんなさいね。主人は作家仲間に連れられて、彫刻の個展を見に行っているの。有望な若い方がいらっしゃるようで、熱心に誘われてね。お恵は実家のお母さんが体調を崩したらしく、今日から帰っているわ。他のお手伝いの女中を呼んでくださいと言われたけど、元々お恵と二人で食事の支度をしていたし、うちには子もないし、手間はないから手伝いを呼ばなかったの。でも人がいなくて寂しかったから、おりゑさんが来てくれて嬉しいわ」


「それなら良かったですわ。私も次回はご一緒したいと、叔父様によろしくお伝えくださいね」


「まあ、おりゑさんも彫刻に興味が?主人は私の手前、渋々出掛けていきましたけど、本当はそういった展示会に行くのがお好きなのよ。この前も、突然小さな絵画を持って帰ってきて、「君の名前と同じ木が描かれているんだ、僕が買わなくてどうする」ですって。そんなの、ただ欲しかった言い訳よねぇ」


「そういえば、玄関に飾ってありましたわね。赤子の手のひらのような葉が繊細な筆致で描かれた、鮮やかな紅葉が美しい秋の山の光景を切り取った絵が。叔母様に初対面で一目惚れしてしまったように、いてもたってもいられずに絵を購入されたのでしょう」


「もう!おりゑさんったら!」


「ふふっ!失礼致しました。あと、お恵にこの本を渡していただけますか?この前話したとき、もっと料理のことを勉強をしたい、でも学がないから難しいことはわからないと言っていましたの。これはなるべく易しい言葉で書いてありますから、参考になればと思って。いつも目をかけてくださる叔母様や叔父様に、もっと美味しい料理を食べていただきたいとお恵は話していましたのよ。それに、お恵のお母様にも滋養のつくものを食べさせられますわ」


「お恵ったら、そんなことを考えていてくれたなんて…。お父さんを亡くして、病気がちのお母さんの面倒を見るために幼い頃から苦労してきた子なのに、いつも明るくて本当にいいこなのよ。でもなかなか自分のことを話してくれなかったのだけど、おりゑさんは心を開かせるのが上手なのね。さあ、こちらにかけて。楽にして召し上がってちょうだい」


「それでは頂きます。ん、美味しい!甘さも丁度良く、お茶と合いますわ。そうそう、お恵はお二人のことをとても尊敬していますから、なかなか気軽に話せないようですよ。私はお恵と仲良くなりたかったので、話をたくさんしただけですわ。以前から、いろんな女性の生の声を聞きたかったのです」


「手紙にも書いてあったわね。女性の地位を向上する団体に入っていると。ああそうだわ、悩みがあるとも綴っていたわね。私で良ければ何でも聞かせてちょうだい」


「それではお言葉に甘えて、聞いていただけますか?うちの女中のお絹がそっと教えてくれたのですが、どうやら有馬様のご長男、義英様と私の縁談の話があるようなのです。今すぐに、というわけではなく、女学校を卒業したらというお話のようなのですが…」


「そうなのね。華族の有馬様との縁談の話は初めて聞いたけれど、おりゑさんは卒業後したら花嫁修行に入ると、前々から椿姉さんは言っていたわ。おりゑさんの手紙から大學へ行きたい気持ちが伝わっていたから、私もおかしいなと思っていたの」


「私、まだ結婚なんてしたくありません。一度もお会いしたことのない義英様がどうとかではなく、女性は学などなくていい、若いうちに子供をたくさん産め、自分の気持ちは圧し殺して夫と婚家に尽くせなどという、世間の論調が嫌なのです。それに、まだ勉強を続けたいと再三両親に訴えておりましたのに、まずは女学校を卒業してからと取り合ってくれないと思ったら、縁談を進めていたなんて。あの団体のことも、ただのお遊びだと思ってるんですのよ。私は真剣に考えておりますのに。女中と親しくなって立場をわきまえなくなったらどうする、うちの家名を汚したいのかと、頭ごなしに叱るばかり」


「自分の信念を否定されたら、誰だって嫌な気持ちになるわよね。ただ、私は子がないけれど、おりゑさんのことを姪以上に思っているから、椿姉さんやお義兄さんの親としての思いも少しはわかるつもり。やっぱり苦労してほしくないのよ。良い家柄に嫁げば生活の苦労をしないで済むし、家同士の繋がりも強くなるしね」


「ですが…」


「それ以上に世間体や見栄などが見え隠れしているのが、歯がゆいのでしょう?本当に娘のことを考えているなら、もっと意見を尊重してほしいと」


「その通りでございますわ!やはり叔母様に相談して良かった。ちゃんと話を聞いてくださいますし、理解してくださるもの。叔母様から、大學で勉強することを両親に説得してくださいませんか?お願いします!」


「あまり買い被らないでちょうだい。ううん、かわいい姪のためだから、何とかしてあげたいけれど、あまり期待しないでね」


「はいっ!ありがとうございます」


◇ ◆ ◇


「おりゑさん、みどりちゃん、こちらよ!わざわざ見送りに来てくれてありがとう。有馬のお家は大丈夫だった?」


「義英さんもお義母様も出掛けるご用事があるようですし、叔父様のお名前を出したら、逆に行ってこいとせっつかれましたわ。さすが今をときめく作家様ですわね。ほら、みぃ、大叔父ちゃまと大叔母ちゃま。手作りのお洋服をお祝いで頂いたのよ?」


「うー?」


「まあ!みぃちゃん、初めまして。楓大叔母ちゃまよ。まん丸お目めにぷくぷく頬っぺで、なんてかわいらしいかしら!おりゑさんの赤ちゃんの頃に似てるわ」


「よしよし、大叔父ちゃまのところへおいで。おりゑくんと積もる話もあるだろうし、まだ出航まで時間があるから、二人でお茶でも飲みながら話すといい。みぃちゃん、お船を見に行こう」


「あいっ!」


「あらら、抱っこされて行ってしまったわ。人見知りのみぃにしては珍しいこと。有馬のお義父様にも慣れないときだってあるのに。叔父様って周りを和ませる雰囲気をお持ちですよね」


「ふふっ、本当は大の子供好きなの。私の手前、隠しているけどね。だから、おりゑさんたち姪や甥を可愛がりたいのよ」


「あの、私叔母様に謝らなければいけないことがあるんです」


「どうしたの、改まって」


「私が有馬家に嫁いでから、叔母様たちがドイツへ出立する今日まで、一度もお会いできませんでしたね。その間、叔母様が何度か倒れたときに、お側に駆けつけることができずに申し訳ありませんでした」


「何も謝ることはないわ。私が椿姉さんに頼んだのだから。おりゑさんの嫁いで間もない頃や、みどりちゃんを産んだ直後とか、何かと忙しないときに私のことで心を乱してほしくなかったのよ」


「それでも一言教えて欲しかったですわ。後で母から聞いて、肝が縮みましたもの。それに、今回のことだって。ドイツの名医の元へ行くほど、叔母様のご病気がお悪かったなんて…。ご病気のことだって、最近知ったことでもあるのに」


「心配をかけたくなかったのよ。普通の生活をする分には問題なかったから。そもそも、20歳まで生きることができないと言われていたのに、7年間も奇跡的に生きることができて、娘とも妹とも思えるおりゑさんの子供までこの目で見ることができて、本当に幸せだわ。自分の子を持てなかったのは、主人に済まないことしたけれど」


「叔母様、先程謝りたいことがあると申しましたが、別のことなのです」


「え?」


「私がまだ女学生の頃、有馬家との縁談の話があり、それを破談にして大學へ行けるようにと、両親に進言してほしいとお願いしましたよね?」


「…あのときは、力になれなくて本当に申し訳なかったわ。どうしても強く椿姉さんに言えなくて…」


「いいえ。叔母様を困らせることを言ったのは私ですわ。それに、叔母様は母に引け目を感じていると、母自身が言っておりました。姉妹だったので、どちらかが家を継がなければいけないとき、ご病気の叔母様は静養する必要があると、母が率先して家を継ぐため婿となる父と見合いをして家業をもり立てていったと。叔母様は自分には何もできないからと、不満は一切口に出さず、いつもにこやかでいらっしゃったそうですね」


「姉さんには本当に苦労をかけたわ。私は何にもできなかった」


「私が謝りたかったのは、そんなご事情も知らずに、叔母様に羨望と嫉妬を抱いていたことです。あのとき、叔母様は叔父様と恋愛結婚をなさったり、趣味の習い事を楽しんだり、お好きなことばかりでずるいと、浅はかに思ってしまいました。しかも叔父様は華族の出で、作家として華々しく文壇に登場して、海外暮らしが長かったこともあって家事もできて。何故こんなにも自分と違うのかと、恵まれているのかと、大好きな叔母様を妬ましく思ってしまいましたの。本当にごめん、な、さい…」


「まあまあ、おりゑさん。泣かなくてもよろしいのよ。私ね、あなたの気持ちに気付いていたの。あなたは本当に優しい子だから、自分の負の感情をもて余してしまうではないかと思ってね。ねえ、人間なんだもの。いろんな感情を持つことは悪いことではないのよ。ましてや、それを私に謝るくらい、おりゑさんは良い子なんだから」


「みどりを産んでから、様々な気持ちに気付かされたのです。母の気持ち、叔母様の気持ち。正直なところ、有馬の家は古い慣習だらけで息が詰まることもありますの。所属していた団体も辞めさせられましたし。それでも、みどりがおりますし、心までは誰にも縛られたくありません。あの子の成長を楽しみに、心だけでも自由に羽ばたけるよう、未来に期待していますわ!…あ、二人が戻ってきました」


「…あなたの魂の美しさ、強さは、子を思う気持ち、自由を一心に願う純粋な気持ちからきているのですね」


「え?叔母様、何かおっしゃいまして?風でよく、聞こえなくて…」


「いいえ、この先何があっても、あなたらしくね、と言っただけよ」


「はいっ!ありがとうございます。みぃ、いらっしゃい。もう船が出る時間よ」

前半部分が大正時代、後半が昭和時代初期頃を想定しています。

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