茶会
昼下がり、アマランス王国の王宮の廊下を二人の人影が歩く。
一人は王宮で働く者が身につける上下黒の制服を着用し、揺るぎない歩調で先導する、薄い赤茶色の髪を一つにまとめた柔和な顔立ちの20代半ばの女性。
一人は物珍しげに、壁にかかる歴代の国王の肖像画を眺めたり、廊下に並ぶ赤い煉瓦の柱を見上げたり、少し緊張気味の、燃えるような赤毛とつり目が特徴の10代半ばの少女。
アリエルが顔見知りの職員と挨拶を交わしながら、後ろからついてくる妹のミシェルを気遣う。
「緊張してる?今日は私が一緒にいるから大丈夫よ」
「アリエルお姉様、折角のお休みに申し訳ありません。でも、とっても心強いです。ありがとうございますっ!」
ミシェルが元気よく礼を言うと、アリエルは目を細めて微笑んだ。「実の母よりも母らしい」と、アリエルがミシェルを世話をする様子を見た姉妹の母が苦笑しているのは余談である。
「でもまさか、ミィと仕事場である王宮に連れ立ってくるとは思わなかったわ」
「私もです」
アリエルがため息をつけば、ミシェルは苦笑いをこぼす。
二人の神妙な面持ちには理由があった。
◇ ◆ ◇
隣国の第二王子主催のパーティーの日、疲労困憊で帰って来たミシェルから、自国の第一王女と親しくなった話を聞いた家族や使用人たちは大騒ぎとなった。とりわけ、王女付きの事務官であるアリエルと王族を護衛する近衛騎士のパトリックの驚きといったらなかった。
そもそも世間でエミリー王女といえば、誰をも魅了する愛くるしい容姿、無邪気に振る舞う天真爛漫な印象が強いが、実はかなりの人見知りなのである。アリエルもパトリックもこの春から職場を変わって数ヶ月、エミリー王女の姿を見たのは数度、話しかけられたことなど皆無。アリエルはケントからの指示で日々の業務をこなしていた。
ミシェルは姉から仕事の話を聞くのが好きで、ケントの存在も知っていた。家柄は聞いていたが容姿の話に及ばなかったので、パーティー当日に声をかけられたときケントだとわからなかったのはそういうわけである。
そして翌日、改めてエミリーから一週間後のお茶会の招待状が正式に届いた。
もちろん断ることなどできないが、少し滅入ってしまったミシェルを見て、普段は慎重派で危ない橋は渡らないアリエルが大胆な行動に出た。自分もお茶会に参加したいと、ケントに直談判したのだ。
意外なことに、エミリーからすんなり了承が出たとケントから連絡があり、こうして二人して王女の私室に向かうこととなる。
◇ ◆ ◇
「ミシェル様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ。アリエル様、少々お話があるのですがよろしいですか?」
王女の私室の前で、侍女が二人を待っていた。パーティーの日にはあまり気付かなかったが、年齢は30歳を越えているくらいか。目立つ方ではないが人好きのする容姿に、濃い灰色の髪をお団子にまとめてえんじ色のリボンをつけている。
やはり彼女を見るとどことなく安心しますわ。お名前をまだ聞いていませんでしたわね。
「あら、何かありました?ルプー…」
ミシェルが表情を和らげ、アリエルが侍女に応じた瞬間、扉が大きな音を立てて開き、飛び出してきた影にミシェルは抱きつかれた。
「ミシェル!来てくれて嬉しいわ!」
「わわっ!エミリー様、ご機嫌麗しゅう」
「エミリー様、アリエル・ハウザーでございます。この度は私のわがままを聞いてくださり、ありがとうございます」
「…よろしくね」
子犬のようにミシェルにまとわりついていたエミリーは、にこやかなアリエルに気付くと、自分より背が高いミシェルの後ろに隠れる。
続いて部屋からケントが現れた。パーティー当日は初対面以外無表情がほとんどだったが、今は微笑みを絶やさない。姉の話でも、ケントは何が起ころうと余裕のある態度で物事に対処するという。
ミシェルとしては、今の嘘っぽい笑顔より、エミリーの部屋で言い争いをしていた人間味溢れるケントのほうがずっと好ましく思えるのだが。
「失礼致しました、ミシェルさん。ようこそおいでくださいました。エミリー様、はしたのうございますよ。ああアリエル、ルプから聞いたか?宰相が君をお呼びだ。エミリー様も仕事熱心な君と話したがっていたから、早く用事を済ませて戻ってきなさい」
「だって、早くミシェルと会いたかったのですもの!さあこちらよ。今話題の「マダムホワイト」の新作デザートをルプに用意してもらったの」
「は、はい」
口を尖らせる純粋で天真爛漫な王女と、優しく見守る完璧な侍従。
端から見ればいつもの光景だが、エミリーに手を引っ張られながらミシェルは目を白黒させていた。
アリエルが部屋に連れていかれるミシェルに声をかけた。
「ミィ、申し訳ないけれど少し席を外すわ。書類の確認ですって。そこまで時間はかからないと思うから」
「気になさらないでください。お仕事頑張ってくださいね」
「ありがとう。それでは失礼致します」
アリエルが下がり、侍女がお茶の準備で出ていき、部屋には三人だけになった。
ミシェルを座らせると、エミリーはふぅと一息つき、自分の豪華な椅子に深く腰かける。それは実年齢15歳から10歳以上年を重ねているような、大人びた姿であった。
「急に抱きついて驚いたでしょう。私が同年代の令嬢を呼ぶのが初めてだから、周りが色々嗅ぎ回っていてね。王女のただの気まぐれで気に入ったと見せるためにも、あなたを振り回す必要があるのよ。あと、アリエルの呼び出しもこちらから宰相にお願いしたことなの。私の猫かぶりをアリエルは知らないから、先にミシェルに説明しておこうと思って」
「あと、私からもお話が。一週間前のパーティーのときミシェルさんをダンスに誘いましたが、あれはあなたがどんな人物か知るために近付いたんです。エミリー様はこの件を知りません。私の一存で大変失礼なことをしました。申し訳ありません」
エミリーの話とケントからの謝罪に、今まで気になっていたことが氷解した。しかし更に疑惑が芽生える。
姉のアリエルは見た目からおっとりした性格に見られがちだが、現実主義者で嘘や偽りを見抜くことに長けている。それは仕事で大いに生かされているようだ。
エミリーはその姉の目を上回る演技力の持ち主なのだろうか。それとも、姉は気付いていながらあえて指摘しないだけなのか。
考えても仕方のないことなので、まずはケントに対して答える。
「そうでしたか。いえ、私も慣れないパーティーに気疲れしてしまい、お断わりして場を辞退しようとケント様を探していたので、気になさらないでください」
まさか周囲の噂話に耐えきれなくなったなんて言えませんものね。
ミシェルが誤魔化すように微笑むと、ケントは何を勘違いしたのか更にすまなそうに頭を下げる。
本当に大丈夫ですからと慌てるミシェルと、彼女が無理していると思い込んだケントのひと悶着をエミリーはクスクスと面白そうに眺めていた。
侍女が戻ってきて場が落ち着くと、ミシェルは背筋を伸ばして真剣な面持ちで切り出した。
「あの、エミリー様、恐れながらお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「あーそういう前置きいらないから。一定の距離感や礼儀は必要だけど、遠慮はいらないわ。だって「お友達」でしょう?」
エミリーは「お友達」を強調して、艶然と微笑む。
「わかりました。正直に申し上げます。今もエミリー様がおっしゃいましたが、あなた様が考える「お友達」というのは、「監視対象」という意味が含まれているのですか?」
扉の近くに立つケントが微かに身動ぎをした。
唐突に淡々と指摘するミシェルに、エミリーから聞かされ続けた稀代の悪女の冷徹な姿が見てとれたからだ。ケントの謝罪にふんわり微笑んだ彼女はどこにも見えない。
そんな彼を視線の端に捉えながらも、エミリーはゆったりと小首を傾げる。
「何故そう思ったの?」
「正直なところ、この世界がゲームの舞台で、私が心ならずもエミリー様の邪魔をする立場だと、信じることが難しいのです。しかし、他の誰も知らないスミス伯爵との口約束をご存知であることなどから、エミリー様が何かしらの事情を把握しているのがわかりました。ですが、そこから私と「お友達」になる利点がわかりません。何故恋敵となるであろうと認識している私と「お友達」になりたいのか。あの夜は突然の申し出に混乱しましたが、落ち着いて考えれば、話を聞いた私が今後どのように行動するのか気になるのではないかと思い至りました。「お友達」ならばお茶会に呼んで様子を見るのも不思議ではありませんものね」
「なるほどね。それで?そこに思い至ったミシェルはどうしたいの?」
「私が「監視対象」ならば、今まで通り「敬愛する王女殿下」と「臣下の子爵令嬢」という関係でいいのでは、と。もしお疑いならば、未来永劫エミリー様に危害を加えないことを誓約書に一筆したためますわ。本日こちらへ参ったのは、そのことを伝えたかったのです。姉にはまだ事情を話していませんが、証人として立ち会ってもらう予定でした」
疑われたところで、本当に王女を廃する気がないのだから、いくらでも探ればいいと思っていた。ただ、監視目的の「お友達」というのがとても嫌だった。自分にも友達を選ぶ権利がある。ミシェルは腹をくくって、この場に望んだのだった。
「…っふふ、だから私はあなたが好きよ、ミシェル。的確な指摘、頭の回転の早さ、その有能さは前世で仕事を任せたかったくらい」
「え?」
花が咲くように笑みを浮かべるエミリーの言葉に、ミシェルは戸惑う。こちらとしては一斉一代の勇気を持って打ち明けたのに。
エミリーは頭を下げた。
「先に謝るわ。ごめんなさい。パーティーの日、「お友達になって」と言った不自然さに、あなたが気付くかどうか試させてもらったの。何故って顔をしてるわね。この世界が「偏愛の檻」というゲームの舞台だとこの前話したけど、ゲームではミシェルがエミリーの親しい友人として取り入ろうとするのよ。あのパーティーの夜、変装してパーティーに潜り込んだエミリーに気づいてね。だから私はあえてあの場に行ったの。そしたら、確かにミシェルが話しかけてきたけど、私と気付いていない上、まさかの「紫式部の源氏物語」でしょ?思わず話を聞きたくなっちゃって」
「まあ…」
「でも、これでわかったわ。やっぱりミシェルはゲームのミシェルとは似て非なるわね。ゲームのあらすじや結末を知っている身としては、どうしてもあなたが気になるのも事実なの。だって、幽閉よ?!永遠に存在を消されて閉じ込められるのよ?!逆に私のハッピーエンドはミシェルが死罪なんて、後味悪いじゃない。ゲームが舞台だからといっても、私もみんなも、この世界で実際に生きているのだから。私は、みんな幸せになってほしいのよ。甘すぎる、なんて言われてもね」
エミリーは苦笑混じりにチラリとケントを見た。主人に黙って独断でミシェルに近付いた彼は、気まずげに視線をそらす。現在のケントの雰囲気から、ミシェルへの疑いはほとんど晴れたように思える。
ミシェル自身もエミリーの話に納得した。ゲーム云々はさておき、彼女が正直に気持ちを話してくれたのがわかったからだ。
ミシェルは相手の気持ちを察する能力に長けている。前世の道子はほとんど寝たきりだったので、女房たちの噂話や表情で空気を読んでいた名残かもしれない。
「でもね、友達になりたいって思ったのは本当のことでもあるのよ。時代は違うけど前世を持っている仲間意識が芽生えたし、同世代の同性の友達とこうしてお茶したり、話をしたかったの。ケントやルプも信頼してるけど、いわゆる友達ではないしね。こうしていろんなことを暴露しておいて、ずうずうしいと思うけど…」
エミリーは少し照れながら、また不安そうに表情を歪めながらミシェルの瞳を見つめた。
「「改めて、友達になって…」」
「…くれない?」
「…くださいませんか?」
覚悟を決めたエミリーが口を開くと、ミシェルの言葉とかぶった。
「「ふふっ!」」
「失礼致します。アリエルでございま、す?」
仕事が終わったアリエルが戻ってきたのは、同じ事を言ったエミリーとミシェルが、二人して笑いだしたときだった。
ケントを見ても何故か嬉しそうに微笑むだけで、アリエルは首をひねった。