仲間
なんて気品があり、たおやかで、可憐でありながら美しさを兼ね備えていらっしゃるのでしょう。いっそ神々しいほどですわ。お噂はかねがね聞いておりましたが、まさかこんなお側に近付けるなんて。
王家直系の中でも数人しか受け継がれないという希少な色の瞳に、ミシェルは思わず釘付けになる。しかし慌てて自己紹介をするために立ち上がった。
「ご機嫌麗しゅう、エミリー様。ハウザー子爵次女、ミシェルでございます。姉のアリエルがいつもお世話になっております。王女様に気軽に声を掛けたこと、礼儀知らずに大変申し訳ございませんでした」
「ああ、気にしないで。ただの貴族令嬢に変装していたから、わからないのもしょうがないわ。ほら、座って座って。ふふん、ケント、私の勝ちね。全然ばれなかったじゃない」
ミシェルに対し鷹揚に首を振り、扉のほうへ顔を向けて自慢げに笑った。
ケントはあきれたようにため息をつく。
「あれだけ前髪で顔を隠せば、誰かなんてわかりませんよ。エミリー様が卑怯な手を使ったので、今回の勝負はなしということで」
「はあ?素直に負けを認めなさいよ!これだから頑固者は…」
「ミシェルさんが面食らっていらっしゃいます」
ポンポンと言葉の応酬が続き、エミリーの清楚な佇まいから発されるさばけた口調に、ミシェルは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたようだ。
ケントの指摘に、エミリーは口許に手をあて誤魔化すように微笑む。
「あら、失礼。本題に入りましょうか。あなた、どうして源氏物語を知っているの?アマランス王国どころか、「この世界」には存在しないものなのに。まさかとは思うけど、あなたにも生まれる前の記憶が?」
「ええ、ございます」
「まあ!初めてよ、同じ転生者と会うのは。日本人かしら?私は東京で働いていて、トラックに引かれそうな子供を助けて死んだみたい。この世界に生まれ変わって、物心ついたときに自然に思い出したの。前世の名前は春山えみり。まさか同じ名前になるとは思わなかったけどね」
「お子を助けるなんて、それはとても勇敢なことですわ!とうきょう、とらっくという言葉は存じませんが、名字をお持ちということは、エミリー様は前世で貴族のお家柄だったのですか?」
両手でカップを包みながら、ミシェルは質問する。
王族といえど、前世の記憶持ちという共通点からようやく緊張がほどけ、最高級の茶葉を使った紅茶の香りと味を楽しむ余裕も出てきた。
エミリーはきょとんとした顔で首を傾げる。
「貴族?うちは普通のサラリーマン家庭だけど…ちょっと待って、東京を知らないってことは、もしかして日本ではない別の世界からの転生?でも源氏物語を知ってるのよね。ミシェル、あなたの前世のことを教えて」
エミリーに勢い込んで尋ねられたミシェルは、素直に頷いた。
「はい。私は左大臣藤原在道の娘、道子と申します。平安の世に生を受け、京で育ち、源氏物語など色々な物語を読むことが何よりの楽しみでした」
「左大臣って、えっ、ミシェルって平安時代の本物のお姫様だったの?!女性は顔を見せちゃいけないから御簾の中から女房が代わりに返事したとか、和歌を読み合って愛を確かめ合ったとか、男性が三日間女性の元に通って契りを結んだりとか、そんな時代でしょう?」
「ええ、まあ。ですが、私は前世も今もこの通りの末摘花ですし、病でまともに体も動かせず、お姉様が婿を取って家を継ぐ予定でしたので、屋敷の奥で静かに過ごしていました。家族以外の殿方とは会ったことがないのです。和歌を頂いたこともないですし、友も作れぬまま、数えで17の年に道子としての人生は終わりました」
ミシェルは道子だったときを思い出し、その不遇さや不自由さに思わず苦笑いを浮かべた。エミリーはもちろん、事情をよく知らないであろう控えていたケントや侍女も、痛ましい視線をミシェルに送る。
「数えでってことは、今で言えば16歳ってことか。それは若いわね。よくわかった。私とミシェルの前世は、同じ世界だけど、時代が違うのよ。春山えみりは、藤原道子が生きていたときより1000年以上後の時代に生を受けて、歴史の授業として平安時代を勉強したってわけ。平安時代に書かれたという源氏物語は私の時代でも有名よ。光源氏という身分の高い男が、色んな女性と関係を持つ話なの」
「まあ、1000年以上も未来なんて」
エミリーはミシェルやケントたちにも説明する。
ミシェルはとても驚いたが、同時に興味も覚えた。しかし相手は国の王女、気安く質問を重ねるわけにはいかない。
するとエミリーは少し考える表情を見せた後、真剣な眼差しでミシェルに尋ねる。
「何点か聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?さっきのパーティーで、ジョージ王子や侍従のダニエル、うちの国の宰相子息のアルバートを見かけたわよね?率直にどう思った?」
「え?ええと、遠目にしか拝見できませんでしたが、見目麗しい方々だと思いました」
「それだけ?こう、胸がドキドキしたり、ときめいたりしなかった?」
「特には…」
「おかしいわねぇ。やっぱりゲームのあらすじと違ってきてるわ。前世の記憶があるから変わってきてるのかしら…」
ブツブツと呟くエミリーの一人言に、ケントが口を開く。
「エミリー様、ミシェルさんにも経緯をお話ししてはいかがですか?何故ここに呼び出されたのかもわからず、戸惑われていますし」
「わかってるわよ。だけど、今日は様子見のつもりで、改めて話の場を設けようと思っていたから、どう伝えていいか悩んでるの」
「それは、私たちに打ち明けたようにお話しすればいいのでは?」
「だからっ、あなたたち二人は無害な登場人物だったけど、ミシェルはそうもいかないでしょう!私たちは互いの命綱でもあるのだからっ!」
「普段余裕があるくせに、たまにこうしてパニックになりますよね」
「あんたのそのやけに落ち着き払った態度が気に食わないのよ!パーティーが開かれた今、事態はエンディングに向かって突っ走るのみよ?!」
目に見えて苛立ったエミリーが噛みつくと、ケントはムッとして眉をひそめる。
どうやら私に何か伝えることがあるようですわね。
当のミシェルはハラハラしながら二人の言い合いを見ていたが、その場の殺伐とした雰囲気にたまらず思ったことを聞いてみた。
「あのぅ、差し出がましいことを申しますが、よろしいですか?」
「「え?」」
「エミリー様とケント様は、恋仲なのでしょうか?」
「「はあ?!この状況で何を…」」
エミリーとケントの声が揃い、互いをジロリと睨む。二人の剣幕に気圧されながらも、あえてのんびりした口調でミシェルは続けた。
「とても親しげですし、ケント様は先の国王陛下の弟君のお孫さんでいらっしゃいますからお二人は親戚筋ですし、言いたいことを率直に伝えられる、素晴らしい関係性だと思いまして」
「…はあ、何だか毒気が抜けたわ。やっぱりあなたはあのミシェルっぽくないわね。あのね、私はこの世界のことを前世のときから知ってるのよ。ミシェルの伯父にスミス伯爵がいるわよね?今年の春から、重臣のポストについたやり手と噂の名門貴族の。その息子はマークという名前で合ってる?」
言葉の通り、エミリーの表情は先程より円くなった。ケントも気まずげに目線を落とす。侍女だけは変わらず微笑を絶やさない。ということは、これは日常茶飯事なのか。
それよりも話がガラリと変わったので、ミシェルは目をしばたたかせながら頷いた。
「はい。母の兄であるスミス伯爵と従兄のマークのことですね。ここ数年は新年の親族の集まりでしかお会いしていませんが、何か…?」
「スミス伯爵が、10年ほど前まで強固な反国王派のトップだったことは知ってる?」
「いいえ!知りませんでした。そんな、伯父様が…」
「まあ、正直お父様の政の采配は日和見なところがあるから、スミス伯爵が王弟殿下の叔父様を推すのもわからなくないけど。でも、ハウザー子爵家は代々親国王派だから、驚くのも無理ないわ。愚かな王の代には自らの命をかけて諌めたほどの忠臣だもの。あなたの両親が結婚するときには、対立する両家はだいぶ揉めたのですってね。そしてミシェルが5歳のときに、年上のマークの拙い悪戯を毅然と指摘したことをスミス伯爵が絶賛して、内々的にマークの婚約者となったのよね?でも、現在マークは別の令嬢と恋に落ちて婚約している」
エミリーは淡々と語る。一方ミシェルは続々と明らかになる事実に驚きすぎて声が出ない。両親は生家の格の違いから反対を受けていたと思っていた。しかしそれよりも、仮ではあるがマークの婚約者だとを知られていたことが、何よりミシェルを困惑させた。
「その通りでございますが、何故ご存知なのですか?限られた者しか知らぬ話ですのに…」
「信じられないと思うけど、この世界はね、私の前世で発売されていた「偏愛の檻」というゲームの舞台なの。私は直接やったことはないけど、友達の影響でゲームの内容を知っていたのね。あらすじは、アマランス王国の王女エミリーが、隣国の王子やその侍従や宰相の子息たちと出会い、恋に落ちていくというもの。ケントたちは相談役よ。そしてミシェル、あなたは私の恋敵役。ゲームをする人はエミリーとして、王子たちの中から恋する相手を選んで攻略することが目的よ。その際ミシェルは伯父のスミス伯爵のコネを使いまくって邪魔をして私を追い詰めていくってわけ。ハッピーエンドだと私は恋をした相手と幸せになり、ミシェルは数々の罪が暴かれて家族共々死罪、バッドエンドだとミシェルとスミス伯爵が裏で王家を乗っ取り、私は幽閉されるの」
「幼い頃エミリー様から打ち明けられたときには、全く信じられませんでしたが、次々と予知したことが当たっていくのを目の当たりにして、真実だと思わざるを得ませんでした」
「そりゃそうよね。あなたはゲームの登場人物です、なんて言われて誰が信じるかって話だわね。それ以上に、ゲームの世界に転生するっていうのも、なかなかないけど」
ケントと侍女が二人して頷くのを横目に見ながら、エミリーはテーブルに肘をついて気だるげに顎を乗せた。
もはや驚きを通り越して呆気にとられていたミシェルだが、エミリーやケントたちの表情を見る限りからかわれたわけではなさそうで、いっそ冗談と言ってほしいくらいだった。
「…私は、誓って、エミリー様を貶めることは考えたこともありませんし、ご迷惑をおかけするつもりも、今後一切ございませんっ…!それでもお疑いならば、私だけにお咎めを!ハウザー家には何一つ関係ないことですので、どうか…!」
青ざめながらもすぐさま立ち上がり、深く頭を下げながらミシェルは声を振り絞る。エミリーも腰をあげてミシェルの震える肩を優しく抱き締めた。
「ええ、今のあなたを見たらそんなことをする人とは思わないわ。だから、私から一つだけお願いがあるの」
「はいっ」
「私とお友達になって」
「は、い…?」
唐突な申し出に、思わず疑問系で返事をする。
顔に似合わぬ艶然とした微笑みを浮かべる王女の意図は、ミシェルには読み取れなかった。
◇ ◆ ◇
夜も遅くなるからと、ふらふらのミシェルが侍女に伴われて部屋を辞した後、エミリーはケントを自分の向かいの席に座らせた。
「どう思った?あの子の話」
「明らかにこの国ではない生活様式でしたし、エミリー様と共通の話もあり、やはり前世の記憶というものがあるようですね。ミシェルさんの性格から察するに、エミリー様を貶める様子は見えません」
「ケント個人の感想は?」
「…人それぞれ、大なり小なり抱えているものがあるんだな、と」
「それは自分も含めて、という意味かしら?」
ケントの瞳がスッと細くなるさまを見て、エミリーは素直に謝った。
「ごめんなさい、からかい過ぎた。それにしても、私とケントが恋仲と思ったなんてね。まあ、空気を読んでその話題を出したのでしょうけど」
「ミシェルさんはなかなか気遣いができるようですね。エミリー様から聞いていた人物像と違いすぎて、パーティーで声をかけるときも戸惑いましたから。ただ、私はエミリー様に恩を感じていますけど、世知に長けた宰相を相手に理路整然とまくしたてる老獪なところを見ていると、恋愛感情なんて持てませんよ。ミシェルさんがスミス伯爵と手を組む前に、自分の派閥に組み込むなんて、宰相も驚いていたではありませんか。もちろん、スミス伯爵の変化を見逃さなかったこともありましたが」
「ああっ!ババアを好きになるかよって遠回しに言った!前世の35歳と今の15歳で50歳になるからってバカにした!」
「…誉めてるんですよ。内面はだいぶ15歳に引きづられていますけどね」
やれやれとため息をつくケントと、ギャアギャアと噛みつくエミリーのやりとりに、ちょうど部屋に戻ってきた侍女は驚く様子も見せずに微笑んだ。
親戚筋とはいえ、まるで本当の兄妹のよう。
いつものことなので、二人を気にせず片付けをしていく。