遭遇
広間のざわめきは、バルコニーまで届かない。
二人は特に声量を落とさず話し始めた。
「仕事とはいえ、久しぶりのアマランス王国は楽しめたか?」
「ええ、お陰さまで。帰国前にアルバートさんとこうしてゆっくり話す機会があって良かったです。母が伯母様と伯父様にくれぐれもよろしくと申しておりました」
「わかった、両親に伝えておこう。それとダニー、昔からの呼び名でいいからな。数年ぶりのご訪問だが、ジョージ王子の人気は相変わらずといったところか。しかし、一人にしても大丈夫なのか?」
「ジョージ様も子供ではありませんから。あ、でもアルが心配しているのは、あの癖、かな?」
そこにいたのは、まさかの人物たちだった。
淡々と質問を重ねるアルバートと、苦笑するダニエルは親しげである。やはり親類だからか、こうして声だけ聞くと似ている。
「まあな。ジョージ王子の癖は年々酷くなっていると、セラドン帝国にいる俺の配下の者から報告が上がっているし」
「それはアルも同じでしょう」
「お前がそれを言うか?一番たちが悪いのは、断然お前だろうが」
ジョージ王子の癖?それにこのお二人にも、何かあるのかしら。
内緒話に耳を澄ませながら、ミシェルは少々好奇心が湧いた。
アルバートが声を潜める。
「それで?結局どの娘にするか、ジョージ王子から聞いたのか?」
「ええと、2人は決定しています。あともう3人ほど迷っているようですが」
「王子主催でパーティーを開いて良かったな。実は妃選びという噂もひっそり流しておいたから、伯爵から男爵まで、令嬢がずらりとお揃いだ。ジョージ王子も満足だろう。まさか、妃は妃でも側室扱いの愛人選びだとは、誰も思っていないはず」
「そうですね。いやでも、ジョージ様は全ての女性に本気ですから。ただ正妃だけは、どうしても我が国の有力貴族のご令嬢を選ばざるを得ないですから、この国のご令嬢は立場的には側室やそれ以下になってしまいますけど」
「アマランス王国の令嬢を正妃にすると、聡明で評判の高い第一王子に対抗する力をつけたと思われてしまう、ということか。まあ、ジョージ王子は国を統べるよりも、女を侍らすことに熱心だから、そう心配することもないように思うが。このまま第一王子が次期セラドン帝王で安泰だろう」
「お察しの通りです」
え? 妃選びではなくて、愛人探し? どうしてこの二人はさも自然に話しているの?
「通常の公務以外に、ジョージ王子の女関係の世話もしなければいけないなんて、専属侍従とはいえダニーも大変だな。国中の女たちの情報を管理しているようなもんだろう?それに、王子は最近ヤバい女に手をつけたらしいじゃないか」
「いえいえ、そこまででもありませんよ。っていうか、ヤバい女って。まあ、どうにかしますよ。それに、ジョージ様は僕のために素晴らしい女性を紹介してくださいますから」
「なるほど。ちゃんとご褒美も用意してあるんだな」
「ええ!それを思えば仕事もはかどります!ああ、でもご主人様と離されて、もう一週間。早く帰りたくなってきた。ご主人様のきつい叱責や愛の鞭が恋しいです」
「本当にダニーの趣味は変わっている。ご主人様って、どこぞの年上の未亡人だろう?叱責のどこがいいんだ。それに愛の鞭って、本物の…」
「いやぁ、自分しか愛せない人に言われたくありませんて。まあ、さすがに公にできませんから、僕も普通の女の子とそれなりに遊んでますけどね。アルもそうでしょう?それにアルだって、今回のパーティーに協力した見返りに、ジョージ様から相当の謝礼をもらったと聞いてますよ?」
「ああ。セラドン帝国の王族しか使えない特別な香油や、衣装を作る布地などをお願いした。全てはこの俺の美しさのためだからな。磨きがかかった髪、美の女神も嫉妬する顔、彫刻のような体、それら全てを愛でるために俺自身が存在しているんだ。これほど美が結集した人間が他にいるだろうか。いやいない…」
「あ、そろそろ戻りましょうか。アルの自分語りを聞いていたら、夜が明けてしまいますよ。それに、ジョージ様には、なるべく子爵以下のご令嬢をお選びくださいとお願いしていますが、失念されているかもしれませんし」
二人が小広間に戻ったのが、静けさを取り戻したバルコニーからわかる。
ミシェルは呆然として、しばらく立ち上がることができなかった。
全ての女性に愛を囁くジョージ。叱責や愛の鞭を好むダニエル、何より自分を愛してやまないアルバート。
自分が家族とばかり過ごしているので、世間知らずであることは自覚している。それでも彼らの話が異質であることは、さすがのミシェルにも理解できた。
それにしても、ジョージ王子ってまるで…。
「全ての女性を愛しているって、どこの光源氏よ。物語だから成り立つのであって、現実にいたら引くわー」
思っていたことが声に出てしまったのかと、ミシェルは慌てて口を押さえた。しかしよくよく考えると、自分はこんな鈴を転がしたようなかわいらしい声をしていないような。
「ヒカルゲンジがどのようなものかわかりかねますが、ジョージ王子の女癖はまだまともではありませんか?」
続いて聞こえた声は、間違いもなく先程ダンスを申し込んできた男性だった。ということは、先程の声は彼の連れの令嬢のものか。
ミシェルが隠れていた死角の近くに二人もいたようだ。
どことなく投げやりな男の言葉に令嬢は憤慨する。
「どこがよ!自国でやるには構わないけど、うちの国まで巻き込まないでほしいわ。アマランス王国を下にみてるってことでしょう?だから真意は隠して、嘘の噂を流したパーティーなんて開いて、アルバートやダニエル共々舐めた真似して、三人には目にものを見せてやるわ」
「本性が出てますよ。人がいるかもしれませんから気を付けて…」
「はいはいわかってるって。それにしても、言った通りでしょう。極度の女好き、極度のナルシスト、極度のドM。いくら乙女ゲームの設定だからって、忠実過ぎるわよ」
「はあ。まさか昔から聞かされ続けた場面をこの目で見る日が来るとは思いませんでした。俺には到底理解できない高尚な趣味の数々でしたし」
「なかなか言うじゃない」
二人の会話はおよそ恋人らしくなく、内容もミシェルの知識では追い付けないものだったが、「光源氏」という言葉がどうしても気になり、我慢できずに声を掛けてしまった。
「あのっ」
「どなた様でしょう?…おや」
突然現れたミシェルから庇うように、男が令嬢の前に立ち塞がる。口元は微笑んだままだが、その切れ長の瞳と言葉から警戒心がわかりやすくにじむ。
そこでようやくミシェルは気付いた。数刻前にグラスを取ったときに感じた違和感の正体に。男の視線は、単にダンスの相手を選ぶのとは違う、人となりを品定めのような意味が込められていたのだ。更にいえば、その答えはまだ出ていないということも、今の彼の態度が雄弁に語っている。
ミシェルは少し臆したが、それでも言わなくてはと早口で尋ねた。
「不躾に申し訳ありません。そちらのご令嬢は、もしかして、紫式部の源氏物語をご存じなのですか?」
前世の自分、道子が愛読していた物語の主人公を口にしたということは、彼女も同じ時代の前世の記憶があるのかもしれない。この世界に源氏物語が存在しないことは、確認済みである。ミシェルは確かめずにいられなかった。
「ええ?!どうして源氏物語を知っているの?あら、あなたミシェル・ハウザー?」
驚きの声を上げたその令嬢は、男を押し退けてミシェルの正面に立つ。
彼女のハーフアップの髪型、胸元と袖と裾にレースをあしらったパステルイエローのAラインドレス、それらは今日のパーティーに出席する令嬢たちのほとんどが着ている、流行りのものと相違ない。
しかし、こげ茶色の長い前髪の隙間から見えた、長いまつげに縁取られた大きな瞳と目が合った瞬間、ミシェルはこの令嬢が何者か気付いた。
「あ、あなた様は、もしかして…」
「ケント、私この方が気に入ったの。話の邪魔が入らないよう、部屋へ戻るわ」
「承知致しました」
ミシェルの戸惑いを意にせず、令嬢は指示を出す。
ケントと呼ばれた男は、右手を胸に当てて深くお辞儀をした。それは恋人に対するものではなく、主に対しての忠誠の証である。
私はこれからどうなるのでしょう…。家族に迷惑がかからないことを祈るしかありませんわ。
真っ青な顔で口をパクパクさせるミシェルに、ケントは警戒心が少し緩み、面白がる表情を見せた。
「失礼致しました、ミシェル様。それではこちらへ」
◇ ◆ ◇
「改めて、私はエミリー・アマランス。彼はケント・グラハム。私の侍従よ。急に連れてきてごめんなさいね」
王宮の奥、関係者以外立ち入り禁止の区域にある一室。
どことなく親しみを覚える素朴な侍女が淹れてくれた紅茶を前に、ミシェルの緊張は極限に達した。思わずゴクリと喉が鳴る。ケントはその侍女と並んで扉の近くに立っていた。
一方目の前に座るエミリーは、至極寛いでいた。優雅な手つきでカップを持ち上げる。
衣装は元のままだが、先程の茶髪のかつらは取り、おろしたプラチナブロンドの波打つ髪は非常に美しい。
ふっくらした唇は潤い、透き通った白い肌はまるで陶器のようだ。
何より目立つ、薄桃色の大きな瞳は煌めきを放ち、愛くるしい顔立ちに花を添える。
誰をも魅了する容姿を持つ彼女こそ、《王国の星玉姫》とも呼ばれる、アマランス王国第一王女その人だった。




