夜会
ミシェルは15歳になりました。
ここはアマランス王国の王宮の小広間。
国の色である赤を随所にちりばめた内装は、贅の極みを尽くしているが決して派手ではなく、落ち着いた品の良さが全面に出ている。
繊細なガラス細工のシャンデリア、高価な調度品、王宮楽団の生演奏、美味しそうな料理の数々、着飾った同年代の男女があちらこちらでおしゃべりやダンスに興じる。
しかし、この楽しげな雰囲気に喜んだり楽しんだりしている余裕は、今のミシェルには一切なかった。
「見て、あちらにいらっしゃるの、ハウザー子爵令嬢のミシェル様じゃない?やっぱり…ね」
「あら本当。あの方って、自分の社交界デビューのとき、男性からの誘いを無視したって聞いたけど、…わよね?」
「私もそう思ったわ!…方ね。知り合いがそのパーティーに参加して、ミシェル様に話しかけに行ったけれど、ご家族の話ばかりで、本当に…って思ったそうよ」
女性陣が集まって囁けば。
「本当に驚いた。ミシェル嬢はなかなかパーティーに参加しないが、まさかあそこまで…とは。ああ、あの赤い髪や瞳はまさに…!」
「やはり近寄りがたいな。あんな…、側にいられない」
男性陣のどよめきも負けてはいない。
どちらにせよ、あちらこちらから聞こえてくるのは、ミシェルの噂話ばかり。
周囲からのちらちらと寄せられる視線の中、ミシェルはグラスを傾けながら壁際に背筋を伸ばして凛と立つ。ざわめきは耳を右から左へ通り抜け、よく聞き取れていないが、確実に注目はされている。
極度の緊張で顔は無表情、固まった肢体から態度は堂々としてみえるが、ミシェルの心は早くも折れていた。
やはりこの容姿はこの世界でも受け入れられないのでしょうか…。折角アリエルお姉様が選んでくれたドレスに、キャスが念入りにセットしてくれた髪型やメイクですが、これではお友達はできそうにありませんわ…。
◇ ◆ ◇
そもそも、何故ミシェルが苦手なパーティーに参加しているかというと、一週間ほど前に王宮から招待状が届いたからである。
現在外交のため我が国に滞在しているセラドン帝国の第二王子が、帰国の途につく前に王子主催でパーティーを開くという旨だった。
王宮で第一王女付きの事務官として働く姉のアリエルが言うには、どうやら第二王子のお妃選びの意味もあるという。
体調不良ということで休んでもいいと父は言ってくれたが、さすがに王家直々の招待であるので、家のため、またパーティーに慣れるためにも、参加の旨を了承した。
王子様に選ばれることはこの容姿だから万が一にもないから、王宮のパーティーには多くの参加者が出席するはずだし、もしかしたら念願のお友達ができるかもしれませんわね。それに、素敵な人との出会いもあるかも…。
年相応の、そんな幾ばくかの期待も、あったのだが。
◇ ◆ ◇
これでは家名に泥を塗ってしまいそうですわ…。また不出来な娘になってしまうのは嫌です…。あの男の方には謝って、早く帰りましょう。
ミシェルは申し訳なさに胸が苦しくなったが表に出さず、ただ一つ小さくため息をついた。そして、大きく息を吸って一歩踏み出す。
実は数十分前に、喉が乾いたミシェルが勇気を出して飲み物を持つ使用人の元へ行くと、ちょうど同じタイミングでリンゴジュースが入ったグラスを取った男性がいたのだ。
黒髪の中に白い毛が二束と珍しい組み合わせで、顔立ちは整っているが穏やかな印象をより感じさせる。
彼はミシェルを見ても顔色ひとつ変えずに、「奇遇ですね」と微笑んだ。
その笑顔に違和感を感じたが、何故かはわからず、同じようにぎこちなくではあるが微笑み返す。
するとその男性は去り際に、「奇遇ついでに、後で私と踊って頂けますか?バルコニーでお待ちしています」とダンスに誘ってきたのである。咄嗟に言葉が出ずにいたミシェルは、素早く人混みの中に消えていく彼の後ろ姿を呆然と見送るだけだった。
その男性を探しながら、人と人との隙間をなるべく気配を殺してうつむきがちに通り抜ける。それでも人々の視線はミシェルを追いかけた。
自分の社交界デビューのパーティーで男性を無視してしまったのは、まさか容姿の悪い自分に話しかける男の人がいるとは思わず、父や兄と踊るだけだと思い込んでいたので、驚きのあまり言葉を失ってしまったから。
同世代の女の子に話しかけられて、家族の話ばかりしてしまったのは、話題に困ってしまったから。自慢するつもりはないが、そこまで親しくもない人の家族の話を聞かされても、相手は困ってしまうだろう。
次からは気を付けようと思って、このパーティーへ来たのに、もう挽回できないのでしょうか…。
ミシェルはようやくバルコニー側の壁際までたどり着き、辺りを見渡した。
あら?先程の男の人…。背を向けた小柄な令嬢とご一緒に仲睦まじく談笑していらっしゃいますわ…。やはり、私はこんな華やかな場に出てはいけないのでした。末摘花は日陰がお似合いですもの。期待してはいけませんよね。
気落ちするミシェルをよそに、楽団が奏でる優美なワルツが余韻を残して静まる。
周囲がそれに気付きざわめきが収まると、上座から登場したのはアマランス王国の宰相子息であるアルバート・マクナーニだった。古くからあるマクナーニ家は公爵で、王家の信頼も厚い。
アルバートの中性的ともいえる際立って美しい容姿に、女性陣から黄色い声が沸き上がる。それらをものともしない無表情さに、「氷の麗人」というあだ名もあるくらいだ。
長く伸びる紫色の髪の毛を肩あたりで一つに結んでおり、縁のないメガネをクイッと上げると、張りのあるテノールを広間内に響かせた。
「皆様、大変お待たせ致しました。セラドン帝国第二王子、ジョージ・セラドン様でございます」
万雷の拍手の中、侍従を連れて登場したジョージ王子は、自分を熱く見つめる女性たちに、はにかんだ微笑みで手を振る。輝く金髪をふわりとなびかせた貴公子然とした高身長の肢体と柔和で整った顔立ちがあいまって、広間中の女性たちのほとんどが彼の虜になった。
「本日はお集まり頂き、とても嬉しく思います。私は数日後に自国へ帰りますが、皆様と少しでも語らい、両国の友好をさらに深めたく、このパーティーを開きました。どうか楽しい一時をお過ごしください」
その隣で忠臣といった面持ちの体格の良い侍従も、端正な顔に笑みを浮かべておじきをしている。
「ジョージ様の侍従のダニエル様って、アルバート様と従兄弟の間柄なんですってね。お母様同士が姉妹だとか」
「ええ、セラドン帝国の海軍司令官であるハイツ伯爵の二番目のご子息で、性格は温和で仕事もできるそうよ。未だに独身なのは、主君であるジョージ様が結婚されてからと決めているからなんですって」
「さすが忠臣ですわね」
ご令嬢方の情報網は半端ではない。
そんな会話を耳に入れながら、ミシェルはそろりと移動する。周りはジョージ王子の近くにと、上座に集まっていて、一番遠くにいるミシェルに気をやる者はいなかった。
薄いレースのカーテンを潜り、誰もいない薄暗いバルコニーへ出た。
「なんてきれいなのでしょう…」
思わずミシェルは声を漏らす。
小広間は王宮の二階にある。バルコニーの手すりから、月明かりに照らされた薔薇の庭園が見下ろせた。仄かに照らされた薔薇の清謐さは、まるで時が止まったように幻想的で、カーテンの向こうとこちらでは、まるで別世界のような風景だった。
しばらく感嘆していたが、同時に頭がくらくらしてきた。自分への視線が外れた安堵と、不慣れな場への緊張感からだろうか。ミシェルは深く息を吐く。
そのとき、別の窓から誰かがバルコニーへ出てくる気配を感じた。バルコニーはこちら側の窓全てと繋がっている。かすかな話し声から察するに、男性二人組のようだ。
二人はミシェルが入ってきた窓の近くまで移動し立ち止まる。
ミシェルは咄嗟のことに小広間へ戻れず、致し方なく二人の死角になる場所へ身を潜めた。
ミシェルの噂が良いものか悪いものか、会話からは想像できませんね。
後々わかります。