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覚醒

「ミィ…お願いよ、目を開けて…私のかわいい妹…」


女性の悲痛に満ちた囁きに、道子の沈んでいた意識が浮かび上がる。ゆっくりとまぶたを開けると、自分を覗き込む女性の姿がぼんやりと目に入った。

在子姉様かしら?


「あ、り…姉、様…?」


「ミ、ミィ?ああ、良かった!早くお医者様と父様たちを呼んで!ミィが目を覚ましたわ!」


「はいっ!」


歓喜の声を震わせたその女性は、近くにいた少女に指示を出す。喜び勇んで駆け出す少女の姿を目の端に捉えた。

霞んだ視界には白と黒の衣装を着ているように見えるけど、おしゃれな楓にしては色合いが地味なような…。


「あ…私…」


「まだしゃべらないほうがいいわ。あなた、誕生日の日に突然倒れてから、2日間も意識を失っていたのよ。本当に生きた心地がしなかった。どこか苦しいところや痛いところはない?」


優しい労りの言葉に、道子は黙って首を振る。視界は不明瞭だし、頭は重いが、体調は特に悪くない。


特に悪くない?16年間、病のせいで一度として気持ちよく一日を過ごしたことがなかったというのに?


思わず心の中で自問自答したが、そろりそろりと手を動かして更に違和感を覚えた。

手が、小さいのだ。完全に子供の手である。そういえば、先程発した自分の声も、舌ったらずで幼さを感じた。

手のひらで自分の目をこすり、鮮明な視界を取り戻そうと努力したが、姉らしき女性にやんわりと止められてしまう。


「失礼致します。お医者様をお連れしました」


先程の少女の声が聞こえる。手伝ってもらって体を起こすと、扉が音を立てて開き、数人の男女が駆け込んできた。その人物たちと、側にいる女性の顔がはっきり見えた瞬間、道子は《自分が道子ではないこと》を思い出した。


「ミシェル!!…っと!」


「ああ、良かった…本当に…」


「ミシェル、大丈夫かい?せっかくの6歳の誕生日だったのに、残念だったな。もう少し元気になったらまた改めてやろう」


「パット、ミィが驚いているでしょう。乱暴にドアを開けないで。父様、母様、こちらへ。ミィのお顔をご覧になってください」


髪を振り乱した青年は、扉を開けた勢いで転びかけた。

泣き腫らした目の妙齢の女性の肩を抱くのは、安堵した微笑みを浮かべる壮年の男性。

そして側にいる疲労の色が濃いが満面の笑顔のうら若い女性は、お仕着せを着た嬉しそうな少女と顔を見合わせて笑った。


そうだ、私は道子ではない。

私は、アマランス国の貴族であるハウザー子爵の次女、ミシェル・ハウザー。6歳になったばかり。

ハウザー家は領地や領民に恵まれた中流貴族で、両親は恋愛結婚、10歳上の双子の姉と兄からとてもかわいがられて、家族仲は良好である。


じゃあさっきのは、ただの夢?


それにしては、両親から冷遇されてきた悲しみや、病で何もできないやるせなさなど、16年間の道子の体験は、ミシェルの心の奥底から強く揺さぶる、現実感のあるものだった。それに、さっきまで自分を道子だと疑いもしなかったこともある。


「アリエルお姉様、パトリックお兄様、お父様、お母様、キャス…」


たどたどしい言葉で呼ばれた面々は、顔を更に明るくさせた。

やはり名前も顔も一致する。ミシェルの家族と侍女、大切な人々だ。

父のハロルドがミシェルの頭を優しくなでると、母のレベッカは慈愛に満ちた瞳でそれを見つめる。


「ああ、意識もしっかりしたね、私のかわいいミィ。あとは医者に任せるとしようか。私も仕事へ行ってくるよ。ベッキー、君もゆっくり寝るといい。この2日間、まともに寝ていないだろう」


「ありがとう、ハリー。ミィ、あとで腕によりをかけて、あなたの好きなリンゴで体に優しいお菓子を作るわね。ああ、私よりもアリエルのほうが寝ずの番をしていたんだから、休んだ方がいいわ。パトリックと交代なさいな」


「うわ、アリエル、顔の隈がすごいぞ。俺は少し寝たからいつでも代わるよ」


「まずはお医者様にミシェルの具合を見せてからにするわ。母様は先にお休みになって。後でお呼びしますから。パット、先生の検査が終わったら交代お願い。先生、お待たせして申し訳ありません。よろしくお願い致します」


アリエルは気丈に、両親と双子の弟であるパトリックを見送り、扉の側にいた白衣の年配の男性に声をかけた。微笑みを絶やさない老医師はミシェルに近付き、脈を測ったり、問診を行う。


「ミシェル様は本当にご家族に愛されていますなぁ。いつも冷静沈着なハウザー子爵があれほど取り乱したのは、久しぶりに拝見しましたぞ。ふむ、見る限り特に悪いところはなさそうです。2日間気を失っていても水分などは取れていたので、体もそこまで衰弱していないし。あとは滋養がつく食べ物をしっかり食べて、ゆっくり休むといいでしょう。では、私はこれで。また何かあればいつでもご連絡ください」


「先生、ありがとうございました。キャス、玄関までご案内を」


「ありがとう、ございました…」


アリエルは深々とお辞儀をする。ミシェルも何とか声を振り絞った。のんびりと往診カバンに道具をしまっていた老医師は、白いふさふさの眉毛を下げてにこやかに部屋を出ていく。


アリエルと二人きりになった室内は、静かだったが心地いい。

天盖付きの大きな白いベッド、お気に入りの絵本が並んだ本棚、キャスが生けてくれる薔薇の花瓶、壁にかかった愛犬ララの肖像画、どれもこれもしっくりくる。


ああ、これは私の部屋。畳も几帳も文机も絵巻物もない。道子がいたところとは、全く別の世界なんだわ。


ミシェルはしばらく考えに没頭していたが、自分を見つめる姉の視線に気付き、慌てて礼を言った。


「お姉様…ずっと、側にいてくださって、ありがとうございました」


「気にしないでいいのよ。ミィが元気になったら、たくさん買い物に付き合ってもらうんだから。あら、少し髪が乱れているから直してあげる。これ持ってて」


おどけた様子でアリエルが笑う。そしてベッドサイドのテーブルから鏡を取り出して、ミシェルに向けた。


「え…!アリエルお姉様っ、私っ、顔っ…!!」


「2日間寝込んでいて少し顔色が悪いけれど、そこまで痩せたわけではないわよ?いつものかわいらしいミシェルじゃない」


ミシェルは鏡から目が離せなかった。

そこにいるのは、先程の夢で見た、左大臣の娘、道子その人だったからだ。


◇ ◆ ◇


アリエルがパトリックを呼びにいく間、部屋で一人になったミシェルは、考えをまとめていた。


日の本の国、京の都で生まれ育った道子の16年間の人生と、アマランス国の首都フォレストリールで生まれ育ったミシェルの6年間の人生、2つとも記憶にしっかり残っている。

つまり、道子は前世の自分?


2日前に倒れる直前、最近生まれる前の記憶を持つ者が現れたという話題を家族でしていた。しかも、前世の記憶はこの世界ではなく、生活様式も言葉も何もかも違う別の世界だという。

それ以降、さっきまでミシェルとしての記憶は途切れていた。


その話がきっかけで、私の持つ前世の記憶が刺激されて、思い出したのかしら。


ミシェルは戸惑いながらも、自分の推測が事実だと薄々気付いていた。むしろ、そう考えたほうが何もかもつながるからだ。

6歳にしては理解力、適応力があると自分でも不思議に思うが、16歳の道子も物わかりの良い子だったので、それに引きずられているのかもしれない。


それでもいい。何でもいい。自分の足で歩けたり、自由に動けるのよ。最高の気分だわ!前世でできなかった分、たくさん家族孝行できるもの!


ミシェルは自分が健康に生まれ変わり、何不自由ない生活ができている現実を思い返し、やる気がみなぎる。

道子のときは思うように体が動かなくて何もできなかった反動かもしれない。


だけど、また恋だけは諦めなければ駄目ね。道子のときよりは頬もわりとふっくらしているけど。


ミシェルはバフリと枕に顔から飛び込んだ。

先程鏡で見えたのは、鼻筋は通って色白の肌だが、燃えるような赤い髪、キリリとした眉毛、つり目で大きな深紅の瞳、薄い酷薄そうな唇。髪と瞳の色さえ違うだけで、道子そのものなのだ。


ああ、末摘花はどこにいっても変わらないなんて。お母様もお姉様も、あんなに優しげで儚げで美しいのに、私はお父様やお兄様譲りの凛々しい顔立ち。お二人ともとてもかっこいいし優しいから、恨むわけではないけれど、女の子の顔としてはとても冷たそうに見えるわ。


以前父に連れられて、どこかの貴族のパーティーに出席したとき、ミシェルを見た同い年の子供たちから避けられたことを思い出し、胸がツキンと痛んだ。

緊張していて顔がひきつっていたことはわかっていたが、あんなにあからさまに避けなくてもと、悲しい気分になったことを思い出す。それ以来、パーティーと聞くと元気がなくなるミシェルを慮って、両親は特に参加を勧めることはしなかった。


でも、いつまでもこの家にいて、ゆくゆくは家を継ぐパトリックお兄様に迷惑をかけるわけにはいかない。ある程度の年齢になったら両親にお願いして、末摘花でもいいという人との、家のためにもなる縁談を用意してもらわないと。


ミシェルは新たな決意を胸に、ベッドの中で小さな手をぐっと握った。


それから、しばらくしてそっと呟く。


「でも、もしも、こんな私のことを良いと思ってくれる人がいるなら、今度こそ恋がしたい…なんて、ね」


部屋に誰もいないし、枕に顔を押し付けているので、言葉はモゴモゴとしか聞こえないが、ミシェルの精一杯のわがままであり、本心だった。


◇ ◆ ◇


それからミシェルは、縁談もまとまらなかったときのことも考えて、一人でも生きていけるように、たくさん知識をつけることにした。

近年王宮勤めの女性が増えてきたり、ファッションセンスを磨いて自分のブランドを立ち上げたり、自慢のレシピでお店を開いたり、自立する貴族女性の存在を知ったこともある。


急に勉強に燃える妹を見て、アリエルは不思議そうだったが、ミシェルの様々な質問に答えたいと発奮し、比較して成績も上がっていく。元より、王宮勤めをしたいと考えていたので、願ったりかなったりだ。


更にミシェルは健康維持のため、体力をつけようと庭で運動を始めたので、怪我をしないように監視がてらパトリックが付き合うようになる。たまに見せる剣の素振りに、妹が曇りのない眼で褒め称えてくれるので、つい練習にも熱が入った。


その後、アリエルは希望していた王宮の事務官に、パトリックも花形職業である騎士団に、それぞれトップの点数で試験に合格する。

二人ともシスコンにも拍車がかかることになったのたは、余談だ。


当のミシェルは勉強や運動に明け暮れ、暇があれば家族や使用人たちを喜ばせようと、誕生日会やイベントの企画をして、更に周りから愛されていた。


◇ ◆ ◇


そして9年が経ち、15歳になり、淑女として恥ずかしくないマナーや知識をつけたミシェルは、ふと気付いた。


「ちょっと待って。私ったら恋どころか、お友達も出来ていないではないですか!家族や家の者たちとの生活が楽しすぎて、うっかりしていましたわ」

ミシェルは9年間家に引きこもっていたわけではなく(笑)、領民と交流を持ったり、親戚付き合いをしたり、旅行なども行っています。

いわゆる、恋話や流行などを親しく語り合う友達が欲しいのです。

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