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終章

ミシェルの話の合間に、ルシルが焼き菓子と紅茶、それにメープルシロップを運んできて、二人の前に並べた。


「メープルシロップを紅茶の中に少しだけ入れるのが、エミリーの前世でのお気に入りの飲み方だそうですよ」


「まあ、砂糖やはちみつと違ったコクがありますわね。美味しいですわ」


「うん、これはコーヒーにも合いそうだ」


「それでは私は用事を済ませて参りますので、何かありましたらこちらのベルでお呼びください」


ルシルはテーブルにそっと銀のベルを置き、店の奥へと消えていった。その背中をにこにこと見送ったミシェルは、早速目の前の小さなトレイに置かれたフィナンシェに手を伸ばした。噛み締めるとバターが染みでるそれは、とても贅沢な味わいである。


頬を緩めてフィナンシェを堪能するミシェルに目を細めながら、ケントは疑問を口にした。


「今さらかもしれないが、この話は俺にしてもいいものなのか? この世界の秘密というか真実というか、国家機密以上の情報だろう?」


「ルプーメは、「傍観者」候補たちやルシルが話しても良いと判断した者なら特に問題ないと言っていました。決して私たちを裏切ることのない、信用に値する人物に違いないからと。ですから、ルシルはご主人のホワイト公爵に、ダイアナは尊敬する騎士団の上司であるスチュアート・マクナーニ様に話そうと思っているようですよ。エミリーとアリエルお姉様は、特定の誰かが決まらないので保留だそうです。私は、ケントに知っていてほしくて」


「それは光栄だな。打ち明けてくれて嬉しいよ。ありがとう。質問ばかりですまないが、次の「傍観者」はどうやって決まるんだい?」


「この世界で一番幸せな人生を送った人、だそうです。幸せな記憶に満ちた人が「傍観者」という存在になり、また次の「傍観者」を探すようですよ」


すると、今まで鷹揚に構えていたケントが突然慌て出した。


「まずいな、ミシェルが次の「傍観者」に違いない。だって俺は君を誰よりも幸せにしたいと思っているし、その自信があるから」


「嬉しいお言葉ですが、どうして「まずい」なのですか?」


はにかみながらも不思議に思ったミシェルは、悩ましげに眉をひそめるケントに尋ねる。


ケントと付き合うようになってから、彼の新しい表情を知っていくのは新鮮だった。

ミシェルには常に輝かんばかりな笑顔を向けるケントであるが、エミリーに言わせると、完璧な愛想笑いと、皮肉めいた薄ら笑いしか見覚えがないそうだ。でも、やっと年相応の恋する男の子の顔を見れて嬉しいと、安堵した表情でエミリーは続けた。


それはそれとして。

潤んだ瞳を向けて色気が増すケントに、ミシェルは思わず食べていた菓子をトレイに置いて背筋を正す。


な、何をおっしゃるのかしら。ケントはどうしてこんなにも麗しい顔で私を見つめるのでしょう?


「だって、俺は来世も君と出会って恋をしたいから。前世があるんだから、きっと来世もあるはずだろう? なのに、ミシェルが「傍観者」になってしまったら会えないじゃないか…うん? 何故俯いているんだ?」


「え、えと、ケントが言ったことって、ホワイト公爵がルシルへのプロポーズの言葉とほとんど同じ内容だったので驚いて…。たしか「前世も来世も、もちろん今も、いつまでも君と愛を語り合いたい」だったかと…」


ケントのあまりにもまっすぐな愛の言葉に、ミシェルは恥ずかしさをごまかすように紅茶をごくごくと飲み干す。そして話を逸らそうと、ルシルとホワイト公爵の愛に満ちた関係を口にすると、ケントはそちらに気を取られた。


「ええっ?! あの寡黙で硬派で堅物で有名なホワイト公爵が?! ルシルさんとの結婚の際は、うちの両親はとても心配したそうだよ。世間話もできない彼が、妻となるルシルさんを愛し、家庭を築けるのかどうかって。結局何故だか馬が合って仲睦まじいようだけど、俺は仕事以外の話をしたことがないんだが」


「ルシルとホワイト公爵は、毎日一緒に食事を取り、庭の手入れをし、寝る前に今日起きたことを語らい合っているそうですわ。結婚して二十年にもなり、娘さんも嫁いだ今、また新婚生活に戻ったようだって楽しそうです」


「ふむ、さすがに結婚年数では勝ち目がないが、愛の力で負けていられないな」


「愛情は勝負事ではありませんわ」


たしなめるようなミシェルの言葉に、ケントは密かに満足する。聡明な彼女はケントの言うことにただ賛同することはしない。見た目や性格だけでなく、しっかり自分の意見を述べられるところも、非常に気に入っているのだ。


「そうだな、すまない。でも、君を想う気持ちは誰よりも大きいから。愛しているよ、ミシェル。君は闇にいた俺を救ってくれた唯一の光だ」


「…私も、ケントを愛しています。あなたの真心に触れて、愛しさが毎日増えていますわ。…あのっ、ますます緊張してきましたので、そろそろお店を出ませんか?」


「ああ、そうだね」


くすりと笑ったケントは席を立ち、ミシェルに手を差し出す。ふわりと手を重ねたミシェルは、心から満ち足りていることを実感する。


ああ、私、幸せだわ。歴代の「傍観者」も、こんな気持ちで日々を重ねていったのかしら。


この世界はゲームが舞台、しかも「傍観者」選びの場である。

それでも、この胸のあたたかさと彼の手の温もりは現実のものだ。繋いだ手と手をミシェルが見つめると、ケントがにこりと微笑んで、更に握り返してきた。


道子として生きていた16年間は、辛く悲しいことがとても多かった。思い通りに動かない体、両親や家の者からの冷遇、見た目の衰え。正直なところ、姉の在子や女房の楓、小夏、彼女たち数少ない味方がいなければ、「傍観者」ルプーメに美しいと称された魂も、もっと早く粉々に砕け散っていたことだろう。


それが今はどうだ。

健康な体、思いやり溢れる家族、互いに大事に思う友人たち、そして、かけがえのない恋人。道子がどんなに手を伸ばしても手に入れられなかったものが、しっかりとミシェルの手の中にある。


過去は消せない。ケントはこの先も悪夢にうなされるだろう。ミシェルも、前世での死の瞬間が思い出されることがあるかもしれない。

それに、これからも色々なことが起こるだろう。楽しいことばかりではないはずだ。それでも。


隣にいるケントを見上げる。

それでも、彼となら。


笑みを深めたケントの形のよい唇がミシェルの額に触れる。余裕めいた表情の彼にほんの少しいたずら心が働く。

彼の頬を両手で挟み、ミシェルは初めて自分から彼の口元に軽くキスを落とした。驚きのあまり中途半端な姿勢で固まるケントに、上目使いで呟く。


「…私の緊張、伝わりました? あなたばかり余裕で、ずるいですわ」


「ミシェ…!」


リン、リン。


ミシェルが、空いていた左手でルシルを呼ぶために銀のベルを鳴らした。


欲情めいた表情から一転、呆然とするケントをよそに、いたずらが成功して喜ぶ子供のように無邪気に笑う。


「ふふっ、さあルシルに挨拶をして、参りましょう!」


「ふう…全く、稀代の悪女も真っ青な焦らしだね…いつまで俺の身が持つかわからないよ」


「私、本来は悪役令嬢だったようですから」


「真っ赤な顔でそんなかわいいことを言うなんて反則だな…婚約した暁には、覚悟しておいて。焦らされた分は、倍にしてお返ししないとね」


何でもないかのように澄ますミシェルだったが、苦笑するケントに握られた手がしっとり汗をかいてきていることに気付いていた。彼ももちろんわかっているのだろう。後半のケントの言葉は、低い艶のある声でミシェルの耳に囁かれた。


やっぱり私には悪役令嬢は荷が重すぎますわ…。

私は私らしく、ケントと共に穏やかに過ごしていければ、それでいいのですね。


ケントの隣に寄り添いながら、ミシェルはこれからの幸福に思いを馳せるのだった。

ここまでお読みくださったそこのあなた!

本当に本当にほんとーに、ありがとうございました!!

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