過去
ケントの過去です。
何故ケントの髪に白い毛が二束あるのかわかります。
ケントは8歳のとき、エミリー3歳の誕生日会に参加した。
王宮の大広間で行われた立食パーティーは、身内だけとはいえ、かなりの人数が集まった。なかなか子の生まれなかった国王夫妻の初子のお祝いに皆が駆けつけないわけがない。
上座の豪華な椅子にちょこんと腰掛ける第一王女は、まるで天使か妖精のように現実離れして愛らしかった。人々は祝いの言葉と共に、その美貌と薔薇色の将来を盛んに褒め称える。
初対面のケントも、作り物のようなエミリーの美しさに驚いたが、彼女が自分をじっと見つめる理由がよくわからない。
ケントは年の近い兄二人と似た容姿をしている。三つ子と間違われることもあった。しかし物珍しげな瞳でもなく、お気に入りのおもちゃを見つけたような期待した瞳でもなく、一歩引いて冷静に観察している様子が透けて見え、ケントは居心地が悪い。
周りはエミリーの視線の先にいるケントたちグラハム一家に気付き、容姿端麗な兄弟と幼い王女がお似合いだと盛り上がった。すると、今まで黙って座っていたエミリーが椅子から飛び下り、フリルがたくさんついたピンクのドレスをひるがえしてケントの側に駆け寄り、抱きついた。
「おにいちゃま、エミリーと、おどってくださる?」
「は、はい。喜んで」
気をきかせた王宮専属楽団が軽やかなワルツを奏でる。幼い二人のダンスに、一同は目を細めた。
戸惑いながらもエミリーの手を取り、ケントはエスコートする。互いに向き合い、足を踏み出す。
さすがまだ幼いとはいえ第一王女、軽やかなステップも様になっており、ダンスを習い始めて1年ほどのケントと徐々に息があってきた。
すると、彼女は満面の笑顔を保ちながら小声で話しかけてきた。
「あなた、グラハム伯爵の三男のケントよね?今8歳?」
「え?そうですが、まだ自己紹介もしていないのにどうして…」
「ダンスをやめないで。笑っておしゃべりを楽しんでいるように周りには見せて。あのね、私がこれから言うことを守ってほしいの。明日、なるべく一人でいないで。あと、新しく入った使用人にも気を付けて」
先程のあどけなさはどこへ行ったのか、真剣な眼差しでケントを見つめるエミリー。大人びた話しぶりに恐怖すら感じる。ケントは思わず敬語を忘れて話しかけた。
「ちょっと待ってよ、君は何を言っているの?」
「このダンスの間では話しきれないの。戸惑うのもわかる。信じられないのもわかる。でも、あなたに危険が迫っているのよ。でもお願い、何が起きても、どんなことになっても、私はあなたを信じているから。この後私が父に頼むことも、ケントに引き受けてほしい。そうすれば、私の話の裏側をもっと聞かせられるから…ああ、時間切れね」
舌打ちでもしそうな低い声に、いつの間にか曲が終わっていることに気付いた。だいぶ短かったが、まだ3歳の王女の体力を考えてのことだろう。
万雷の拍手の中、国王陛下が王妃を伴ってにこやかに近付いてきた。ケントはさっと膝をつき、手を胸にあて忠誠のポーズを取る。エミリーはまたあどけない笑顔で父に飛び付く。
エミリーは天真爛漫にケントを自分の侍従にと所望した。初対面でと驚く王と王妃に、今度はケントに抱きつきおねだりをする。慌てるケントとはしゃぐエミリーの姿を見て、身元の確かさと彼の聡明さから、王は侍従候補として有りだと考え、ケントへ打診した。
いまや誰もがケントに注目していた。後ろに控える両親や兄たちは、心配そうに成り行きを見守る。
たしかにいい話だとケントは思った。
長兄はグラハム家を継ぐことが決まっているし、次兄は母の実家である公爵家に子がないことから成人したら養子に入ることとなった。重責がない代わりに何も持たない三男のケントは、幼いながらも騎士団よりは王宮の事務官のほうが自分に合いそうだと考えていたので、王女の侍従として仕えることには問題がない。先程のエミリーの言葉も気になるので、詳しく聞けるだろう。
ケントに見せた先程の姿と今の姿に差がありすぎて、正直頭があまり回っていないけれど。
「王女様の侍従の件、慎んでお引き受け致します」
恭しく国王陛下に答え、控えめにエミリーを見つめると、彼女はあからさまに安堵した表情を見せた。そこに漠然とした不安を感じたが、その後に周囲から質問攻めに合い、もみくちゃにされ、意識の外に追いやられてしまう。
◇ ◆ ◇
次の日、ケントは誘拐された。
両親が出かけ、兄弟3人で敷地内でかくれんぼをしていたときだった。
兄弟専任の侍女から格好の隠れ場所を教えられ向かったところ、屈強な男たちによって目隠しと手足を拘束された上、鳩尾を殴られた。
一応、先週入った男性庭師には気を付けていたのだが、すっかりなついていた侍女も働いて日が浅かったことを思い出したのは、連れ去られた先でケントが意識を取り戻し、彼女が仲間に得意気に語った言葉を聞いたときだった。
「伯爵の息子は三人とも顔が似てて、しかも今日に限って同じ服を着ているから、まぎらしいのよね。姉とたまにしか侍女の仕事を代わってなかったから、誰が誰だかわからなかったけど、この子は一番目か二番目よ。三番目の上着に印を着けておいたの。伯爵家や公爵家の跡取りならいくらでも身代金が取れるけど、何も継がない三男から搾り取れる金なんてたかがしれてるし。あたしも頭がいいでしょう?身代金を受け取ったら隣国へトンズラして、ついでにこいつも売っちゃえば更に金が手に入るってわけ!」
その日は長兄から、同じ服を着ていれば誰がいたずらしたかわからないから面白いぞと言われたのだが、最初に着た上着が長兄のものだと気付き、かくれんぼの途中で取り替えたのだ。それを知らない侍女は、三兄弟の区別もつかず、ケントだと気付くすべもない。
しかし、もしも身代金の釣り上げが期待できない、一番用のない三男だとばれてしまったら?
気を失っているふりをしていることがばれてしまったら?
自分はここから生きて帰れるのだろうか。逆上した輩に口封じされてしまうのではないか。
恐怖と絶望に陥ったケントの記憶は、ここで途切れてしまう。
◇ ◆ ◇
ケントは自分を呼ぶ男の声で目を覚ました。
全ては夢だったのかと気が抜けそうになったが、自分を心配そうに見つめるのが、警戒していた庭師の男だということに気付き、今までの記憶が全てよみがえった。
しかも事細かに、会話も一言一句再生され、あまりの情報量に気分が悪くなり、吐き気がした。
顔面蒼白なケントに、庭師は丁寧に用件を述べた。庭師の名前はフィリップと言うらしい。
灰色の髪を短く刈り込み、鋭い目付きをしているが、口許は柔らかく微笑んでいる。怯えるケントの背中を優しく擦ったり、威圧的にならないようベッドに腰掛けるケントと同じ目線になるようしゃがんでいた。
フィリップの正体は王家直属の密偵で、王女からの依頼でグラハム伯爵家に潜入していたこと。
王女はケントがこの日に誘拐される事実を知っていたが、詳細は全くわからないため、調査と護衛を頼まれたこと。
怪しい人物を探っていたが、やっと兄弟専任の侍女が双子で、時折交代で勤務していたことがわかり、妹のほうがならず者の情婦だったこと。
伯爵家の執事長から庭師の仕事を頼まれている間にケントがいなくなり、見当をつけていた隠れ家へ突入して乱闘になったが全て取り押さえ、騎士団に通報したこと。
誘拐されたのは昼前で、今は夕方近く、この場所は密偵のアジトということ。
今いる場所が質素だが清潔に保たれていること、フィリップの誠実な対応や王女との話を知っていることから、ケントは彼を信用することにした。
「本当にありがとう、フィリップ…」
「どうかフィルとお呼びください」
「じゃあフィル、教えて。助けてくれた後、どうして伯爵家じゃなくてこのアジトに連れてきたの?伯爵家まで遠いの?」
「いえ、ここから目と鼻の先にお屋敷はございます。…ケント様へ事前に報告することがあり、このような場所へお連れしました。あの、驚かないでくださいね」
フィリップは気まずそうにケントへ鏡を差し出す。
そこに写っていたのは、艶やかな黒髪の中に、二束の白い毛がある自分の姿だった。
驚きのあまりケントは言葉を失う。
「なんで…」
「多分、死を覚悟するほどの恐ろしさを味わったからだと思われます。私共密偵の中に、ケント様と同じような現象が起きた者がおりますので。やはり、強い衝撃や絶望を覚えた経験があります。そして、その者たちは共通して記憶力がとても増したのですが、ケント様は心当たりなどございませんか?」
こくりとケントが頷くと、フィリップは王女の言った通りだと呟いた。しかしケントには彼の一人言は耳に入らなかった。
グラハム一族の男子は総じて黒髪を持つ。それは王家と強い繋がりがある証しでもある。ケントも誇りに思っていた。
それが、自分だけは違うとまざまざと見せつけられた。
鏡に写る自分が歪んだ笑顔で宣告する。
お前だけ、俺だけ、一族の恥さらしだ。
お前は、俺は、この先苦労し続ける。
お前なんて、俺なんて、何も持たないつまらない男だ。
お前が、俺が、幸せになんてなれるはずがない。
ケントが自分で自分に呪いをかけた瞬間だった。
◇ ◆ ◇
フィリップの付き添いで、頭に布を巻いたままケントが伯爵家に戻ると、両親や兄たちが泣きながら抱き締めてくれた。ケントも安心のあまり大声をあげて泣きたかったが、すぐに我に返り布を取る。
見守っていた使用人の中には息を飲む者もいたが、それでも家族はケントを離さなかった。そこでやっとケントは大粒の涙をこぼし、大きな声で泣けた。
ケントの誘拐の話は、すぐ貴族中に知れ渡ることとなった。元々王家との関わりが深く、悪い評判はなかった上、ケントが王女の侍従になったことも相まって、妬み嫉みが加熱した。結果、誘拐の件も尾ひれ背びれがつけられ、グラハム伯爵家がいくら訂正してもなかなか火消しができなかった。
しかし、それでも王女はケントを侍従にと望んだ。王家もケントに責任はないと断言したことにより噂は下火になった。それでも、彼が初めて王宮にある王女の自室へ訪ねる途中、否が応でも好奇心に満ちた視線を感じることとなる。
「本当にごめんなさい。とても怖い思いをしたわよね。私がもっと早く記憶を取り戻して、細かい事情を知っていれば防げたかもしれないのに」
エミリーは自分の侍女一人だけ残して人払いをした後、ケントを抱き締めた。3歳の王女はケントのお腹に頭がくるぐらいで、その温もりや心配そうな顔に思わず癒された。
そして驚くべき話を聞かされる。
王女には前世の記憶があり、前世のゲームでこの世界が舞台だったというのだ。
一週間前に、自分の誕生日会の出席者の名前にケントを見つけた瞬間、今まで朧気だったものがはっきりと思い出されたそう。それから、同席しているルプーメという密偵兼侍女を通じてフィリップに連絡を取り、グラハム家に潜入させていた。
あらすじやこれから出会う登場人物の有名な名前を聞き、呆気にとられていたが、ケントは既に腹をくくっていた。
「エミリー様、私はあなた様に生涯の忠誠を誓います。あなた様が私を侍従へ登用してくださらなければ、私は自分の身に起きた出来事や周りの目に堪えられなかった。あなた様がここがゲームの世界とおっしゃるなら、信じます。来るべき日に備えて、準備して、対策を練りましょう」
その日からケントはフィリップから密偵としての極意を習ったり、勉強に精を出したり、人の心理について学んだり、忙しく過ごすことなる。彼の少年期は終わりを告げていた。
エミリーの側で12年付き従ううちに、彼女の本性である35歳キャリアウーマンの片鱗であるしたたかさや老獪さを垣間見て、頼もしいと感心する一方、恋愛対象からどんどん離れていくこととなる。
そして、ついに悪役令嬢ミシェル・ハウザーと初対面を迎えた。
ケントが自分にかけた呪いは、いわゆる魔法とかではなく、自己暗示です。
次回はケントから見たミシェルの話です。




