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第三章 一~五

第三章

 一週間が経った。

 日和が戦線に復帰して三日。

 そして話はこの物語の冒頭に戻る。


 日和が戦線に復帰してから、土岐宗にそれとなく日和について尋ねると、「なんとなく胸騒ぎがして」日和の向かった先に向かったらしい。

 「やっぱり討伐で緊張してたのかもなァ」、と、いいように解釈していたので、助かった。林太郎は土岐宗にはそれ以上何も言わなかった。


 日和が目覚めてから、林太郎が稽古を付けたものの、矢張り一人とずっと組ませるのはいつことが露見するかわからないから、と天睛によって、日和のパートナーは日替わりで変わっていた。――ただし、林太郎は除いて。

 公彦はあれでいて、神経質なまでに確実にうつしものを撃破する。元兼は言わずもがなだし、無亮だって日和一人に助力するくらいなんなくやってのける。影鴇に関しては聞いてはいないが――


 そう、それよりも問題なのは、連日うつしものが現れていることだった。


「明らかにおかしくないですか」

影鴇は自分の食事を持ってくると、林太郎の前に座り――そしてすぐさまそうやって口を開いた。

「おかしい、とは」

林太郎は気付かない振りをしてスープを口に運ぶ。

 日和によって温められたスープは一時期よりも、かなり美味しく感じた。――日和は、掃除だけではなく、朝ごはんの調理もそつなくこなした。くるくるとこまめに働く姿はこの館に住む人間の賞賛を浴びている。廊下に埃が落ちていることはなくなったし、庭にだって落ち葉ひとつ落ちていない。何より、”女子のように可愛い”日和がくるくると働いている姿は矢張り館の人間にとってそれなりに何か気概のようなものを与えるらしい。花園辺りが「矢張り奥を娶ってこその甲斐性!」と雄たけびを上げたときには林太郎もさすがに吹き出した。うつしものを倒す力こそ不安定ではあるが、館の人間はいまやほとんどがそんなことを気にかけはしない。日和はそういうものだ、とそれぞれ納得したらしい。人間は、好意を持っている人間の行動には驚くほど寛容だ――この目の前の、影鴇を除いて。

「うつしもの、ですよ。今までは毎日出てくることなんてなかったのに」

「しかし、毎日出ないという確証もなかったはずだ」

「……」

影鴇は遠くを睨むようにしてから、林太郎を見た。

「林太郎さんは”うつしもの”って何なんだと思いますか」

「……」

根本の質問に林太郎は思わずスープをごくり、と音を鳴らして飲んでから口を開いた。

「さぁな……考えたこともない。それに、そういうのはお前達の領分じゃないのか」

「……」

今度は影鴇が何かを考えるように目をさまよわせた。

 そして、それから林太郎をきっと睨む。

「隠していることではないのでいいます。実は――僕は、”うつしもの”は自然発生ではない。この帝都を狙う”誰か”が生み出しているものだと思う」

「何……」

「今まで林太郎さんが興味がないようだったので、言いませんでしたが……おそらく、館の者ほとんどがそう考えています」

「……」

何故か林太郎は置いておきぼりを食らったような気持ちになり――誤魔化すように咳払いをした。

「初耳だ」

「そりゃあそうですよ、林太郎さんは今までこんなことには興味を持たずに、ただ自分の鍛錬のことだけしか考えてなかったでしょう」

「……」

今日の影鴇の言葉はやけに耳に痛い。

「――で」

「その相手が今までは日をまたいでしかうつしものを生み出せなかったのに、今では毎日生み出せるとしたら?」

「……それは……」

「敵は確実に力をつけている、ということになりませんか。でも、誰が何のために……」

「……」

林太郎は、今初めて聞いた事実を咀嚼するように黙り込む。

 影鴇はそれに気付いているのかいないのか、言葉を募らせた。

「ねぇ、林太郎さん。うつしものがこんなに頻繁に現れるようになったのは誰かが来たときと同時ですね」

 食後、林太郎は天睛に影鴇の言葉の内容を尋ねるために廊下を歩いていた。

(日和が……?)

まさか、日和がこの騒動に加担しているとも、助力しているとも思えなかった。だとしたら、日和までもが懸命にうつしものを倒す理由がつかない。もちろん林太郎の中で答えは出ているが、もやもやした気持ちを抱えているくらいなら、白黒をはっきりつけたほうがいい。悩みを抱えていると、肝心な場面で足をすくわれたりする。


 林太郎が天睛に報告すると、天睛は少し悩んだものの――

「確かにその通りです。私もその可能性は考えていたのですが……いまや彼女は立派な戦力です。誰も文句を言わないと思いますよ」

と、概ね林太郎と同じ考えを示した。


「あ、林太郎さん!」

天睛の部屋を辞すると、目ざとく日和が林太郎を見つけて駆けてきた。

「今日はちょっと梅丸さんと町に出かけてこようと思うのですが、行きますか?」

「梅丸と?」

「ええ……ダメですか?」

「いや……構わない」

そして、林太郎はふと考えると口を開いた。

「その散策、俺も同行する」

「あ、来てくれるんですね!」

林太郎は単に花園にことが露見しないか心配で同行を申し出たのだが、日和はそうは受け取らなかったようで、ぱっと顔を輝かせた。

――まったく、誰のためにこんなに腐心しているんだか。

林太郎はそう悩まなくもないが、日和の笑顔を見るとそんなことはどうでもよくなった。


 花園、林太郎、日和が連れ立って門の外へ出て行く。

 天睛はその無邪気にも見える後姿を眺めながら思案した。


 日和が倒れてから、事態は急変している。

 林太郎は元々、自身と、そのごく少ない周辺しか見ることができないので、恐らく気付いていはいない。


 日和は(捨てられるという恐怖心からか)館でよく働いた。その日和を皆が認めている。しかし、元兼・無亮・土岐宗辺りは気付いている。影鴇が考えていることを一度は頭に上らせている。皆それぞれの理由でその疑問を却下しているだけに過ぎない。

 そして、間違いなく天睛も頭に上らせていた。


 日和の示す力、それについてはいまだに解明することはできていないが、天睛自身も日和について確かめたいことがあった。

 そして、彼は一人、決断を下す。



 その任務が告げられたのは、その夜。

 矢張り、うつしものが現れたときだった。


「一人で、ですか?」

日和の言葉に場がざわついた。

「そうです」

「天睛、何を――!」

林太郎が話に割り込む。

 土岐宗、無亮も納得いかないという顔をしている。

 天睛が日和に告げたのは、今日の襲撃に対して、”一人でうつしものを倒してこい”というものだった。

「皆さん、落ち着いてください」

納得いかないという表情の林太郎、土岐宗、無亮。

「いや、しかし落ち着いてなどいられないぞ、天睛。どういうことだ」

無亮が声を上げると――

「確かに。どういうことだ、天睛?」

珍しく、元兼が声をあげた。

「どういうこと、とは?」

「うつしものの応戦には二人で行くことが基本だ――それはお前が言い出したことだ」

「いえ、しかし元兼、貴方は一人で行う。この影鴇であっても、戦況を見るためという目的のためですが一人で現場に行くこともある」

「それとこれとは話が――」

「全く同じことです」

元兼が珍しく言い募るも、天睛は全く動じない。

「同じことではない! 力の不安定な人間がうつしものに対峙するのは危険だ! 力を持つものは限られているのだからもしも欠員となったときは――」

「欠員……」

公彦の呟きに、元兼は我に返ったように一つ息を呑んで、日和を見てから再度天睛に向き直った。

「――この間のこやつの件も、二人一組であるからこそ免れた。違うか」

皆がそれぞれ、納得できないような顔をしている。

 しかし、日和には何となくわかっていた。

(天睛さん、何か考えがあるんだ……)

そうなると、日和に出来ることは、ただ一つだけだった。

「大丈夫、だと思います。危険なことはしませんから」

「日和。これは、危険なことをするしないという話ではない」

「そうですよ、日和さんはうつしものの恐怖がわかってないんだ! あんな傷を負ったのに――!」

普段は余り日和に関わろうとしない元兼、公彦が率先して声をあげてくれる。

「そうだ! また日和が危険な目にあったらどうするのだ!? 天睛に責任が取れるのか!」

花園も加勢して――

「落ち着いてください。皆さん」

凛とした声が響き渡った。

「――!」

一転して静まり返る室内。

 声を発したのは、影鴇だった。

「日和さんを一人で向かわせましょう」

「影鴇さん……」

影鴇はいつものように、感情の読めない瞳で日和をじっと見つめている。

「影鴇、お前……」

林太郎が呆然と呟くと、それよりも先に土岐宗が影鴇に詰め寄っていた。

「影鴇、お前さん、どうしてそんなことを簡単にいえる」

「……」

土岐宗の言葉に影鴇は答えない。

「お前、もしかして姫さんがどうにかなることを望んでるわけじゃあないだろうな? え、何とか言え!」

「……」

影鴇は、土岐宗からふいっと視線を逸らす。

「お前……」

「やめろ、土岐宗」

そんな土岐宗を止めたのは無亮だった。

「影鴇。お前の気持ちはわかる。これまでずっと一緒にやってきたんだからな。日和が信じられないんだろう、その気持ちは……悲しいが、わかる」

「……」

「すまんな、日和。しかし、俺達はずっと不思議に思っていた。お前がどこから来たのかということ。そして、”何故刀を使わないでうつしものと戦えるのか?”ということ」

「――!」

天睛と林太郎が息を呑む。

「わかって、いたんですか……」

声がかすれている。

 しかし、日和は尋ねずにはいられなかった。

 日和の言葉に無亮は神妙に頷く。

「さすがにわかるさ。土岐宗を舐めちゃあいかん」

「……ごめんな、姫」

「……ふぅ、ばればれの工作だった、というわけですね」

天睛が空を仰いだ。

「――当たり前だ。姫――うつしものを倒した後、普通は刀を拭うのだけど――懐紙ではどうしても取れないものがある。それが、ここだ」

土岐宗が腰の刀を取り出すと、前に出して見せた。

 そして、ツバの部分を指す。

「ここに浴びる血は、どうしたって懐紙で拭うことは出来ない。一回であればたとえ俺であっても疑いはしなかったんだが……それが必ずであれば、尚更だ。――普通あんなに暗い場所で、”まるで新品同然”にツバを綺麗にすることなんか不可能だ」

「……」

日和は大きく息を吐いた。

 そして天睛を見る。

 天睛は不承不承という感じで頷いた。

「お見事です。――ツバには気付かなかった。矢張り、実戦に出ている方とは観点が違う。……勉強になりました」

天睛は明るくそう言うと、ふっと考え込むように天井を睨んだ。

 そして、口を開いた――


「ご存知の通り、日和の使う”力”については、わかっていません。ただ、貴方達が使う力は、刀と自身が合わさって生まれる。しかし、日和は違います」

「刀が”力”の発動条件じゃなかった?」

元兼の言葉に天睛は小さく頷いてみせる。

「それは、私の見解が不足していたのです。――申し訳ありません。別に、隠すほどのことでもなかったのですが。無用の混乱を起こすことは避けたかったので。そのおかげで、事態が余計こんがらがってしまいましたか」

天睛は自嘲気味に笑う。

 林太郎は、日和の顔をチラリと伺った。

 日和は感情の読めない顔で天睛をじっと見ている。

 その表情はどこか、吹っ切れているようにも見えた。

「亜種、ということですか」

影鴇の冷静な声が響く。

 天睛は小さく頷いた。

「肝心なことは何もわかっていません。もしかしたら特別変異かもしれないし、それとも私達の認識が間違っていただけで、”力”はそもそも、人間だけで出来るのかもわかりません」

「なんだ、肝心なことは何もわかってないのか」

花園のガッカリしたような声。

「えぇ。だから、日和の出現がうつしものの増加と同時期――無関係、とは私からは到底いえなかったのです」

「――! そ、それは……」

林太郎は思わず声をあげていた。

 皆の視線が集中する。

「最初から、こいつを信用してはいなかった、ということですか」

「……」

天睛は神妙に頷いた。

「信用してはいなかった、というと嘘になります。最初は本当に新しい戦力に喜んだ。しかし、うつしものが連日現れるようになってから、私はわからなくなった。迷いました――しかし、どうしても私には日和さんが無関係とは思えませんでした」

「……」

林太郎は何故か、自分が衝撃を受けていた。

 その衝撃は林太郎にとっても不可解なものだった。

 しばし、考えれば、それは天睛を信じて、信頼していた自分がいることに気付いたからである。

 ただ判断を任せるだけに留まらず、天睛であれば悪いようにはしない、天睛は人を疑ったりしない、――そんな変な信頼を天睛に抱いていたことに気付いたからであった。

「……」

林太郎は大きく息を吸い込んだ。

 日和が来てから、全てが狂った。

 林太郎は人に心を預けないことにしていた。

 ましてや、天睛の采配を信頼はしていても、天睛そのものを信頼することなどありえないと思っていた。

 しかし、日和を通じて、林太郎は様々な人間に関わりあっていたことに気付いた。

 影鴇とは朝食を共にし、そして問題意識を共有した。花園、土岐宗からは日和を守るために奔走した。無亮には心配の言葉をかけられることが増えた。

 そして、日和には剣術を毎朝教え、少なくはない時間を共に過ごした。

 その中心にいたのは、全て日和で、林太郎はその日々を間違いなく心地よく思っていた自分に気がついてしまったのだ。

 人を信じず、仲間を仲間と認めない、そのように決めた林太郎からしたら、この日々は間違いなくその決まりから反するものであった。

「――っ」

林太郎は何故か、頬が熱くなるのを感じた。

「あの!」

その時だった。

 黙っていた日和が声をあげた。

「僕、行きます」

「な、何を……」

「おい、麗しの君! 何を言っているかわかっているのか!」

「そうだ、姫!」

日和に無亮、花園、土岐宗が詰め寄る。 

「皆さんが僕を疑うのは当然です。だから、僕がいけば、皆さん疑いを晴らしてくれるでしょう? 天睛さんが言いたいのはそういうことじゃないんですか」

「……あ、あの、どういうことですか?」

公彦がおずおずと口を開く。

「何だ、公彦! 今までの会話の流れでわからなかったのか!」

花園が呆れたように声をあげると、公彦はおずおずと頷いた。

「つまり、日和が一人で行き、うつしものの出現に都合がいいように動かなければ――もっと言えば、ちゃんとうつしものを倒せば、ほぼ白。しかし、一人になったことで何か不審な動きが見えれば黒!」

「はぁ……成る程」

公彦は何度も何度も頷く。

「しかし、そこまで言ったら、今から一人で行っても仕方がないのでは?」

「いえ、根拠はあります」

天睛の声が割ってはいる。

「うつしものが10割の確率で”一人である”日和さんに襲い掛かれば、ほとんど白です。一体でも躊躇えば、黒かもしれません、そうしたら別の方法を考えます」

「――なるほど、最悪の場合、”死ねば白”、”生き残れば黒”ということか」

元兼の低い声に、一同がそちらを見る。

 元兼は天睛を睨みつけていた。

――元兼のそのような表情は、はじめてみた。

「一人で現場に向かい、万が一黒である証拠を示せば詰め寄るきっかけを作れる。そうすれば黒も同然、解決したも同然だ。しかし、最悪死んだ場合でも厄介払いができる。そういったところか」

「……」

「ま、まさか……」

無亮が色を失い天睛を見るが、それには答えない。

 ただ、元兼と天睛がにらみ合っていた。

「さすがだよ、お前は」

元兼はそう言うと、背を見せた。

「どこにいくんですか、元兼」

「現場に向かう」

「……」

「俺はただ、うつしものを倒せればいい。お前の組織ごっこにこれ以上付き合うのはごめんだ」


 そう言うと、元兼は闇に消えていった――


「日和……」

林太郎が日和を見ると、さすがに顔を青くして俯いている。

「日和、お前も降りていい。今回ばかりは、俺も反対だ、天睛。仲間を疑うなど……」

無亮が言葉を続けようとするが、それは日和によて遮られた。

「いえ、行きます。僕が行かなくちゃいけないんです」


 結局、日和のあとを影鴇がつけていくことになった。

 計画は日和に露見しているのだから、今更意味はないと思ったのだが、念のため矢張り日和の行動を見るということだった。


――何故あいつはそんな条件を飲んだんだ。

何故か林太郎は苛苛と夜の町を歩いた。

 数間先には、見えないけれど影鴇がいるはずだ。

 そう、林太郎は結局、日和の後をつけてきたのだ。

――断ればいい、怒ればいいんだ。

林太郎は胸に溜まったモヤモヤをこの場にはいない日和にぶつけた。

 思えば、今日一日で様々な感情を経験した。

 中でも、日和のことを考えると、何故か我を失い地面を思いっきり蹴りつけたい衝動に駆られた。

「……はぁ」

息を吐いた。

 林太郎には既に分かっていた。

 日和は、真面目なのだ。

 真面目に館に残る道を考え、そして館で力になれるように家事をしたりしている。そして、真面目に今回の疑いも受け止めた。

――あまりに不器用だ、

 しかしそれは、林太郎に似ていた。

 余りに生真面目で、真摯。――しかしその実、何かに捨てられないようにいつも必死でしがみついている。

 それは余りにも不格好な生き様で、しかし林太郎には容易にその気持ちを理解し、自身の気持ちを沿わせることが出来た。

――大体、一人の人間の性質をここまで理解するなど――

そして、林太郎が再度地面を蹴りつけたくなったときだった。


「林太郎、矢張りお前も来たのか」

「――!」


聞こえるはずのない声に、林太郎は息を呑んだ。

「無亮! 何故ここに?」

「何、少々心配でな……土岐宗やら花園も心配していたが、動けなかったもので」

結局今回は、多少組み合わせを変えて全員が出撃することになったのだった。

 林太郎は配属先が近いことをこれ幸いとして無亮と分かれた瞬間、こちらを追ってきたのだが――

「どうも、嫌な予感がして、な」

「嫌な予感? まさか日和が敵……とでも?」

「いや、そっちじゃない。どうも……腕が疼くというか……」

無亮は月を見上げてしばし考え込み、それから林太郎を振り向いてにやりと笑った。

「お前こそ、何故来た?」

「お、俺はただの義務だ」

「そうか」

無亮はそれでも尚林太郎をにやにやと見た。

 無亮に、自分の気持ちは知られていないはずだが、林太郎は動揺した。

「そ、それにしても嫌な予感とは?」

林太郎は話を変える。

 無亮も真剣な表情に戻ると、前をじっと睨んだ。

「――どうも、そろそろこの騒動に片がつきそうな気がする」

「気がする、とは?」

「……そうだなぁ……。なぁ、林太郎、この騒動、何故起こったかわかるか?」

「この騒動……」

「連日の襲撃だ。今まで少しずつしかうつしものを出現させられなかった敵が、こう連日連夜うつしものを出現させることが出来るようになった」

「……」

「敵さんの内情はわからんから、正確なことはいえない。しかし、”何かが完成した”もしくは、”何かを手に入れた”……その他もろもろ、何か向こうの内情が変わったことは間違いない」

「成る程」

そこまでは影鴇の話から容易に推測出来ることだった。

「その変わった内情が今後恒久的に続くか。それとも、一過性なのか。どちらにしても、長く安定していた周期が変わった。それが長く続く試しはない。――まぁ、これは俺の長年の勘にしか過ぎない」

「……」

――なんとなく、無亮の言いたいことはわかった。

 前者であれば、林太郎たちの疲労が溜まりいつか、負ける日が来る。後者であれば、すでに一週間を経ている。何か変化が現れ始めてもおかしくない――林太郎たちの体に確実に疲労が溜まり始めているように。

 何かが変わる気配。

 林太郎は思わず震え、心を静めるように刀に手をかけた。


 それからまたしばらく歩いた時だった。

「――?」

「どうした、林太郎」

林太郎は見覚えのある人影を見た気がして、立ち止まった。

 無亮が振り向いて林太郎を見る。しかし、無亮に返答することが出来なかった。

 月明かりの下、確かに軍服を着込んだ男が何かを探すように辺りを見回しながら、向こうから歩いてくるところだった。

 その尋常でない様子に、思わず眉を潜める。

 林太郎の視線を追った無亮は、軍服の男の影を見止めて、林太郎と同じように眉を潜めた。

 こちらは林太郎とは違い、いつものように逃げ惑う人間のように考えたのか、足を速めると軍服の男のほうへ向かっていった。

「無亮――」

制止しようとしたが、それよりも先に無亮が立ち止まり、林太郎の手は空を切った。

「――お前は?」

無亮は、対峙した瞬間に軍服の男を”何か異様なもの”として、認識したらしかった。

「――?」

軍服の男はこちらを向く。

 丁度月の光を背にしたため、一瞬――顔がのっぺらぼうのように見えた、しかしそれもほんの一瞬ですぐに目が慣れ、男の顔を認識することが出来た。

 男は四角い角ばった顔に小さな目をしばたかせ、無亮と林太郎を、何か不可解なものを眺めるように眺めた。

「何故ここにいる?」

男の不審な点は二点あった。

 それは、この騒ぎなのに落ち着いていること、そして何より”武器を携えていないこと”だった。

「ここは今”うつしもの”が――」

皆まで言わない瞬間だった。

「お、お前は……お前たちは……”ユウキと同じ力をもった人間の”」


――!?


語尾がよく聞き取れずに、林太郎は耳をそばだてたが、男はその後もブツブツと何かを呟き続けるばかりだった。

「違う、僕じゃない! 僕のせいじゃない! ユウキが出て行ったのは僕のせいじゃない!」

男は錯乱したように叫び、しゃがみ込む。

 声をあげた男の声は、思っていたよりも幼い響きを伴っていた。

 その据わりの悪さに無亮と林太郎は一瞬目を合わせた。

「……」

林太郎と無亮は今度こそ顔を見合わせた。

 そして、刀を仕舞う。

「おい、お前――」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! お仕置きは嫌だ!」

林太郎と無亮は三度、顔を合わせる。

 そして首を降った。

 男の脅え方は尋常ではなく、まるで子どもが助けをこうているようだった。

「おい、もう武器は仕舞ったから――」

「――ひっ!」

無亮が手を伸ばすと――

「嫌だ! 僕のせいじゃない! 僕じゃない! ユウキが出て行ったのは僕のせいじゃない!」

その瞬間だった。

 濃霧が立ち込める。

――これは!

無亮は男に気を取られたのか、一瞬反応が遅れる。

 その一瞬の差、林太郎は刀を抜きはなつと、現れたうつしものを一瞬のうちに葬り去っていた。

「……すまん、油断した!」

無亮も刀を抜き放つと、林太郎に背を向ける。

 その無亮と背中合わせになると、林太郎は路地をきっと睨んだ。

 いつの間に、こんなに現れていたのか。

 二人の周りにはうつしものが取り囲んでいた。

「こりゃあ、久々に大ピンチ、ってやつだ」

「笑い事じゃない」

刀を構えなおすと、林太郎は数を数えた。

――十はくだらない。

 二対十。

 決して負けない数ではないが――

 その時だった。

「……アー」

うつしものが倒れてきた。

「――!」

息を呑み、林太郎は横に飛びのく。

「な、何だ、何が起こった!」

暗がりから、男がゆらりと現れた。

「急いで終わらせて、様子を身に来てみたら――」

「ここは大一番、ってわけかね」

闇からゆらりと姿を現したのは、元兼と土岐宗だった。

「どうして……」

ぽつりと呟くと、土岐宗が刀を肩に担いで不敵に笑った。

「あんな様子で放っておけるわけないだろうよ、ましてや姫さんの問題なのに、さ」

「――あいつのことはどうでもいい。俺は人を騙すようなやり方は好かない――そういうこと、だ!」

口上をあげながら、襲い掛かってきたうつしものを一閃の元に打ち伏せる。

「――っ!」

矢張り、元兼の太刀筋には見蕩れた。

 見蕩れたが……

――今はそれどころじゃない!

林太郎が気を取り直して刀を構えたとき――

「助太刀します!」

「この探偵を出し抜こうなど百年早い! 江戸の昔から画策していたとしても不可能だねっ!」

別の通路から、公彦と花園が現れた。

「――なぁんだ、結局、天睛の館のやつら、そろい踏みってわけか」

「役者に不足はない、ってことさね!」

「――違いない」

無亮、土岐宗、元兼。

「び、微力ながら助太刀いたします!」

「僕もこの、秘密の道具を使うよ!」

公彦、銃を構えた花園。

――!?

林太郎の胸に、形容しがたい気持ちが生まれる。 

 何故か胸が熱くなり、目じりが潤んだ。

「いくぞ!」

誤魔化すように、林太郎は声をあげた――


「目の前でうつしものが消えたんだ」


 館に戻る途中である。

 花園はそう身振り手振りを交えて説明した。

「すわ、これは麗しの君の大ぴんち、かと思ってはせ参じたってわけさ」

「……うつしものが消えた?」

戦いの直後、探したけれど軍服の男はいなかった。

 林太郎たちも軍服の男の話をすると――

「それは、明らかに怪しい」

元兼ですら、頷いていた。

「ということは、少なくとも姫の潔白は証明されたってことか?」

「――そう、なりますよね」

土岐宗と公彦が安堵したように息を吐いた。

「何だ、土岐宗も随分執心してるじゃないか?」

――”も”?

林太郎は気になったが、あえて何も言わなかった。

「そりゃあそうだ。姫の力については疑問を持っていたけれど、それ以外では一生懸命にやってたじゃないか」

「一生懸命――」

「そうだぜ、公彦。戦いの場に出なくても一生懸命くるくると働いてただろう。それに、俺はともに戦った人間については、その性質まで理解するつもりだ。あいつに後ろ暗い部分はない」

「……土岐宗の馬鹿野郎!」

「痛っ! 花園! 何しやがる――」

「それをあの時言えばよかったのだ!」

「……騒がしい」

夜の街にギャアギャアと騒がしい一団。

 林太郎は先ほど感じた気持ちを噛み締めながら――館へと戻っていく。


「だから――目の前でうつしものが消えた。それが僕からいえる全てのことです」

影鴇は天睛に報告すると、日和を見た。

(……影鴇さん、やっぱり疑っていて……まだ晴れないんだ……)

翌日。

 影鴇の”報告”に日和と林太郎も付き添っていた。

「しかし! 軍服の男はどう説明する」

「僕は見ていません」

先ほどから、この平行線である。

 ――昨日、日和がうつしものに対峙した瞬間だった。

 日和の目の前からうつしものが消えたのである。

 林太郎の説明によると、その軍服の男が現れ、うつしものの大軍が林太郎を取り囲んだ瞬間、花園たちの目の前からもうつしものが消えたらしいのだが――

「そんなものは口裏を合わせているのでしょう」

影鴇はそう言って取り合わなかった。

 天睛は二人を見て、思案気な顔をした。

「軍服の男、ですか」

「――騙すならもっとマシな嘘を吐けばいいのに」

「嘘じゃない」

「僕は見かけていないが」

「当たり前だ! お前のずっと後ろにいたんだから!」

先ほどから何度も繰り返されたやり取りだった。

 日和は止めたくとも、止められない。

 期待を込めて天睛を見つめるが――

「困りましたねぇ」

天睛は思案顔だ。

「そうですね、こういうときは梅丸君に聞いてみましょう」

「え」

――見事、三人の声が重なった。


「ふうむ、成る程」

全員が居間に集められた。

 花園は、天睛から説明を受けると、どこかから持ち出したバグパイプのようなもの(土岐宗からこっそり教えてもらったことによれば、ぽっぴん、というらしい)を片手でもてあそびながらウロウロと歩き回った。

 時々立ち止まっては、手を顎にあてて、「うーん」と唸る。

「……大丈夫なんでしょうか?」

読書中だったらしい本を抱えたまま、公彦は眼鏡を押し上げる。

「……」

林太郎は何も答えない。少し呆れているようにも見える。

(……)

そして、花園はやおらぴたりと止まると、ソファーに腰掛けている天睛をぽっぴんで指した。

「やっぱり、林太郎が見たという軍人を追ってみるべきだろうね――僕は見ていないけれど、林太郎……はまだしも無亮が嘘を吐く意味がわからない」

「花園、お前……」

「まぁ、待て林太郎。ここは話を聞こう」

無亮がなだめると――影鴇が声を上げた。

「納得がいきません。――嘘を吐いていないという保証はない」

「……そうだなぁ、影鴇は麗しの君の傍で”うつしもの”が消えるのを見たのだから――」

花園はなにやらわからないことをぶつぶつと言っている。

「無亮。その軍服の男――昨日は容姿やら様子やらしか話してくれなかったけれど。その時、そいつは何か言ってなかったのかい」

「何か、って……そうだなぁ……」

「”僕じゃない”……そう言っていた」

「おお、そうだそうだ!」

「……僕じゃない?」

花園は思いっきり眉をひそめた。

 そして考え込むように眉間にぽっぴんを押し当てた。

「――そう! 誰かが出て行ったのは僕のせいじゃない、と言っていたんだ。名前は……そう、ゆ……”ゆうき”と言ったか」

(――!?)

不意に、セーラー服の大人しそうな顔立ちの少女が頭を過ぎった。

 しかし、日和の様子には誰も気付かないようだった。

「……」

(あれ、林太郎さん、どうしたんだろう……)

林太郎が不意に黙り込み、何かを考える素振りを見せた。

「どうした、林太郎!?」

花園もすかさず、声をかける。

「何か、気になることを言っていた気がするんだが――」

「何だ?」

影鴇が胡散臭そうに眺める。

「妙な言葉だったから覚えてる――そうだな」

 林太郎は中空を睨み――それから、思い出すように言葉をつむいだ。

「”ユウキと同じ力を持った”……なんとか」

「……なんじゃそりゃ?」

土岐宗が素っ頓狂な声をあげる。

「あー……そういやそんなようなことブツブツと呟いてたな……」

「”ユウキと同じ力”……? 何だそれは。重要そうな言葉じゃないかっ!」

「同じ力――俺達と同じ、ということか?」

「……ふむ」

その時だった。それまで黙り込んでいた天睛が一人、納得するように頷いた。

「……?」

皆の視線が集中した瞬間だった。

「? あ、あぁ、すみません。何でもないんです……矢張り、結論は出ない、ですか」

「結論なら出ただろう! あの軍人を探せば万事解決だ」

「ふふ、そうでしたね……影鴇、お願いできますか」

「……」

「容姿までは仔細に伝えられている。……お願いできますよね?」

「――はい」


 あまりに多くのことが起きすぎた。

(やっぱり、柴又さんはここに――この時代にいるんだ)

問題は、それを天睛に言うかどうかだが――

(やっぱり、言ったほうがいいよね……)

そう心に決めたものの、またも天睛が不在なのと、日和が家事に追われて、その日は言うことが出来なかった――

 そして、また夜が来る。

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