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毎年、八月の中旬から九月の上旬にかけて仙台で音楽祭が開かれる。オーケストラのコンサートを始め、オペラにアンサンブルやリサイタルといったプログラムが、約半月に渡って組まれていた。これに関連して、青少年のための音楽講座、楽器のメンテナンスなどの催しも会場を分散して行われ、街は音楽一色となる。
音楽祭の二日目にユアン・グリフィスのピアノ・リサイタルが入っていた。当日の朝、悦嗣と英介は仙台駅に着き、その足でホールに向かった。
「結構、重い鍵盤が好きなんだな?」
あらかじめ渡されている調律オーダーを見ながら、悦嗣が呟いた。
「もともとベートーヴェン弾きなんだ。体も手も大きいし」
「ベートーヴェン弾き? で、ショパン?」
呟きに対する英介の答えに、意外と言う目で悦嗣が返した。ベートーヴェンが得意と言うこととショパンが得意と言うことは、必ずしもイコールではない。特にユアン・グリフィスのオーダーは、とてもショパンを弾く指のものとは思えなかった。
「ま、いろいろと事情がね」
と、英介は苦笑した。
会場に案内され、悦嗣はステージ上に、英介はすることもないので客席に座った。しばらくすると英介を囲むようにして何人か座った。今回の音楽祭に出演する即席オーケストラのメンバーで、どうやら皆、顔見知りらしい。この時期に帰国していることを知って、英介にも参加しないかと話が回ってきたと悦嗣は聞いている。
「エツ、ユアンが来たよ」
小休止とばかりに悦嗣が大きく伸びをした時、英介が声をかけてきた。彼の少し後ろに長身で豪華な金髪の白人が立っている。青い瞳が悦嗣を凝視していた。ユアン・グリフィスである。
悦嗣は会釈する。
「まだ少しかかるけど?」
英介に話している間も、ユアンの目が悦嗣から外れることはなかった。鮮やかな青であるのに炎に似た印象の瞳だ。まるで値踏みされているようで、いい感じがしない。
「なんだ、まだガキじゃないか…」
ユアンが呟いた言葉はもちろん英語だったが、「kid」という単語は聞き取れた。悦嗣が振り返る。彼と目があった。
ユアンは唇を結びなおして踵を返すと、スタスタと下手の方へ歩いて行ってしまった。
「なんか、俺、嫌われてるのか?」
英介に耳打ちすると、意味深に笑われた。
「おまえ、何か知ってるだろう?」
「ユアンはさく也の追っかけなんだ」
「追っかけ? なんだそりゃ?」
「さく也をパートナーにしたくて猛アタックしてる。ところがライバル登場。つまりエツ」
悦嗣は持っていたハンマーレンチを、思わず落とした。
「パ、パートナーって?」
「もちろん仕事上もだけど、生涯の。二人ともゲイだからね」
拾ったばかりのハンマーを、またも取り落とす。いきなり血圧が上昇したような気がした。英介から『ゲイ』の二文字が出るとは、思いもしなかった。
「仕事、先に終わらせろよ」
英介は落ちたハンマーを拾い上げ、悦嗣に手渡した。悦嗣の口は半開きになったままだった。