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【魔淫の女王】

からん、とベルが鳴った。


いつものように肩に蛇を這わせ、いつものように客を迎えようとした彼女は予想外の客に驚きを隠せなかった。

「ヒトの世はどう? リグラヴェーダ?」

悠然とそう尋ねる女は間違いなく。

「…クァウエル…姉様…?」

「"リグラヴェーダ"よ。外行きの名前で呼びなさい、リズベール」

真名を呼んで強くたしなめた女は間違いなく、彼女をヒトの世に送り出した彼女の姉分。魔淫の女王。カーディナルリリス。様々な称号で呼ばれるそれ。

「そう驚かなくてもいいじゃない。狩りのついでよ」

ふふ、と穏やかに笑い、応接用のソファに座った女が足を振る。一瞬のうちに蛇の下肢に戻ったそれを、彼女は何とも言えない顔で見た。もう、店主にはないものだ。

「…懐かしいわね」

「そう? ついこの前じゃなかったかしら?」

「ヒトの世では7年は懐かしいに分類されるのよ、姉様」

こんなやりとりでさえ隔たりになる。2人がそれぞれ違う道を選んでから、7年が経過していた。

「こんにちは、至姉様」

「詩妹も元気そうね」

ふふ、と微笑む。和やかな空気が流れた。

3人の"リグラヴェーダ"がここにいる。店主と、見習いの妹と、種の頂点に至りし魔淫の女王。彼女らを三姉妹と例えたほうがわかりやすいだろう。

彼女らの身分には明らかな区別があった。


リリスという種族を知っているかい?

世界の何処かに集落を持つ淫魔の一族さ。いや、種族としての名はないんだ。ただ俺は便宜的にリリスと呼んでいる。神話にある淫魔さ。

まぁその真偽はともかく……恐ろしい寿命を持つ彼女らの持つ薬の知識はどんなことさえも可能にすると言われている。生かすことも殺すことも、あるいは別に……世界の法則だって変えてみせるだろう。

そんな彼女らの食事は魔力だそうだ。粘膜の接触によってそれを得る。うん、まぁ…"そういうこと"さ。魔力であれば何でもいいそうで…淫魔らしくヒトから得たり、あるいは高密度に圧縮された魔力の結晶をかじったり…。

はたまた、濃霧の如く魔力が立ち込めている空間でも構わないそうだ。呼吸をするだけで腹が満たされるってどんな気分だろうね?

節操無しの大食らいの彼女らだが、不思議なことに、彼女らはその長すぎる生の中で、ひとりだけ"運命の男"に逢うそうだ。その"運命の男"から得られる魔力は甘美で…今までの食事がすべて無味に思えるほど…まるで麻薬なのだそうだ。

…それで、"運命の男"についてだね。それに出会ってしまうと、自身の運命がその者に結び付けられてしまうそうだ。男の死は自身の死になる。そして何故か不思議なことに、彼女自身の死は男を道連れにしないそうだ。

一方的な一蓮托生。それが麻薬の食事の代償さ。まっぴらだと思ったかい? 窓側の席の君、今露骨に嫌な顔をしたね?

もちろんそれを終わらせる方法がある。というより、選択だね。このまま"運命の男"と添い遂げ、ただの人間として生きるか。それとも"運命の男"を殺して淫魔としての自由を取るか。その選択をはっきりと言葉でもって宣言しなければならないそうだ。

…うん? 殺してしまったら一蓮托生で道連れに? 彼女が宣言し、そして彼女自らの手で殺める場合は問題ないそうさ。

まぁ…言ってしまえばそうだね。太く短く生きるか、細く長く生きるか。そんなような話だね。

…さ、今日はこの辺にしておこうか。実は俺も学ぶ側でね。まだまだ"質問"することがたくさんあるんだ…。

―― とある学校の授業にて



「…どうしてあんなものがあるのかしらね」

ふと、魔淫の女王が呟いた。7年前のあの日、女王と店主は別の場所で、別の人間を、別の選択をした。

ひとりは"運命の男"を殺し、もうひとりは"運命の男"と添い遂げると誓って。その結果、それぞれ別の運命が決定づけられた。

「私は、ね」

遠い目をして魔淫の女王は呟く。

「"運命の男"が好きではなかったの」

運命というちゃちな言葉で結び付けられたそれはただ魔力のみで判別され、容姿も性格も関係ない。

魔淫の女王の"運命の男"はひどく下卑た、ありとあらゆる罵詈雑言を並べても形容しきれない下種だった。だから添い遂げるなどしたくなかったし、運命の自由を得るために手をかけるのに躊躇もなかった。

選択に後悔などない。むしろ何故、あのような男が結び付けられてしまったのかと、そちらを呪いたいくらいだ。

「でも、貴方を見ているとね。"運命の男"を愛する道も選んでみたかったと思うわ」

永遠の枯渇を知る女王はそう言って目を伏せた。だから、と続ける。まだその運命の決定に至っていない、生まれたばかりの妹を見た。

「詩妹。あなたにもいずれ訪れる……その時に、心のままに選びなさい」

「はい、至姉様」

背筋を伸ばし、小さな妹はしっかりと頷いた。

それを見届け、女王はゆるりと立ち上がる。ここに寄った用事は終わった。妹は元気そうだし、小さな妹は不自由なく過ごしているようだ。それが確認できたのなら用事はもうない。

「ねぇ、"リグラヴェーダ"」

真名を呼ぶことは基本的に禁忌なので呼んではならない。仮初めの名で店主を呼んだ。

「気を付けて。……そろそろ鐘が鳴るわ」


からん、とベルが鳴った。


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