【吸血の牙】
からん、とベルが鳴った。
「いらっしゃい、願いはなぁに?」
白蛇を肩に載せて、彼女はいつものように客を迎えた。雑巾で机を拭いていた妹も雑巾を片して定位置につく。
「ひとつ、お尋ねしたいの」
毛皮のコートをまとい、流れるような金髪を結い上げた貴婦人は応接用のソファに腰かけるなり口を開いた。
何処かひび割れたような青の瞳が店主を見据える。赤いルージュの唇がゆったりと言葉を紡いだ。
「処女の血を集めるのに一番の方法は何かしら?」
貴婦人のその言葉だけで、店主である彼女は何を目的として最適な手段を訊ねているのか理解した。
まったく、この年齢の女性が考えることはいつの時代も同じだ。そう心の中で嘆息する。何百年経ってもこの願望を口にする女性は現れる。
貴婦人の願いは古今東西、どの女も望むこと。往古、乱世に覇を唱えた女傑も、世に君臨していた女王も、何の変哲もない村娘も。それを望み、そして叶えられないまま歴史に埋もれた。
その名は不老。永遠の若さ。いつまでも年若いままでいたいという愚かな願い。
そしてその手段としてもっとも有名なものが、処女の生き血を飲むことであった。
あの貴婦人はすでにそれを試したのだろう。あの濁り、ひび割れた瞳はすでに堕ちたものの証だ。
それはさておき、依頼の話だ。
「値を度外視するなら吸血の牙でしょうね」
一部の種の蝙蝠に生えている特殊な構造の牙は、ひと噛みで人を失血死に至らしめるほどの吸血を行う。
その種の討伐には危険が伴い、また討てたとしても1匹から2本しか採取できない。その希少さゆえに法外な値段がつけられている。ちなみに外見では通常の牙と判別がつかないため、判別のためには実際に人を噛ませるという行為が必要になる。
「もう少し値段を落とすなら……」
「――あなたの薬がいいと聞いたの」
だから訪ねたのだ。1の知識で10の薬を作り100の悲鳴をあげさせ1000の死を積み重ねるこの薬師を。
「あなたの薬の一つに、全身から血を吹き出して絶命するものがあるそうね」
貴婦人はうっそりと目を細める。
ひとがすっぽり収まってしまうほどの大きなガラス瓶。その中に処女の娘を入れ薬を与える。娘は血を吹き出し死ぬだろう。瓶の底に血が溜まる。それを一滴残らず。そこまで想像して貴婦人は恍惚に身を震わせた。
「えぇ、わかったわ」
叶えましょう、と。彼女は言った。
少し席を外すと言い残し、ややあって彼女が箱を抱えて戻ってくる。
漆を塗り込めたように黒い重箱には持ち運びがしやすいよう取っ手が付けられており、そこに鐘が結わえつけられている。
その箱を机の上に置き、封として結ばれていた朱と紺の紐を解き、蓋を開けた彼女の指が滑る。右から5番目、上から4番目におさめられている小瓶を取り出した。薄桃色の色がつけられた粘液のような薬剤が詰まっていた。
「これであなたの願いは叶うわ」
「まぁ! なんてこと! 一足飛びに願いが叶うだなんて!」
貴婦人を見送り、リグラヴェーダは、ふぅ、と息を吐いた。
「……勘違いしないといいけど」
一足飛びに願いが叶うだなんて、と言っていた。
よもや先走って思い違いをしていないだろうか。あの薬が不老の妙薬だと思っていないだろうか。リグラヴェーダが渡したそれは、文字通り全身から血を吹き出し絶命する劇薬だ。
貴婦人がリグラヴェーダに求めたものは不老ではなく血液の収集手段。だからそれに応えた。間違ってはいない。騙してはいない。だがあえて言葉を控えたのは事実。
「あんな劇薬で死んだ人間の死体からはフェイリスキノコが生えるのよね」
希少な茸の名だ。死体を苗床に血を吸って育つ赤黒い茸は呪具になる。
「困ったわ。勘違いしていたらどうしましょう」
「……姉様」
咎めるような、糾弾するような視線が妹から注がれる。
わざとらしく呟いた飼い主の頬を黒蛇がつつく。青い瞳で主を見る。わざとらしい、と嘆息しそうな雰囲気だ。ひとの言葉が喋られるなら実際にそう言っただろう。
言葉を控えて思い違いを誘発させた。希少な茸を採取したいが故に。そう責めるような2つの視線が彼女を刺す。
「そんなつもりじゃないのよ」
黒鱗の蛇は見た。首を竦める彼女の口端がわずかに吊り上がったのを。
「姉様はなんて恐ろしい人なのでしょう」
定型句を口にして、妹は嘆息した。
「ふふ、でもいいじゃない。……いい? 吸血の牙で死んだ死体と同じものが見られるわ」
それを見て教材となさい。彼女は見習いの妹にそう指南した。
――5の月 7日
今日はとてもいい事があったわ。
あの"蛇の魔女"を訪ねることができたの。会えただけじゃない、それどころか薬をもらったの。
これを飲めば願いが叶うんですって。わたくしの夢! 不老不死!
飲むだけでいいんですって! あぁ、なんてこと! もっと早くあの人を訪ねればよかったわ。
この日記を書いたら早速飲んでみたいと思うの。日記の最後のページだから、ちょうどいいわね。
日記が42冊目になると同時に、わたくしは不老不死になっている!
さようなら小じわ! 白髪! 老いというもののすべてよ!
――この手記は、以降、血でひどく汚れている。




