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【星の砂】

黒の香というものがある。香と言うが実態はただの粉薬である。

これを振りかけられた者は、その部位が腐食する。まるで、伝承に登場する不死の屍のように。その腐食の呪いはやがて全身に及ぶ。

しかし、案ずることはない。呪いという闇の力には、必ず対抗する術が存在する。

白の香というものがそれだ。

――薬師の手帳より抜粋


今日はベルが鳴ることはなかった。

しかし、何が起きているかは知っている。楽しそうに彼女は唇を持ち上げた。

「姉様、何かありましたか?」

こういう笑いかたをしている時はろくでもないことを考えているのだと、これまでの生活で学んだ。

いったい何を仕組んだのだろうか。それは、2日と間を置かずにやってきては記憶を差し出して薬を受け取る青年と、適当な周期でやってくる醜い男と関係があるのだろうか。

そういえばあの青年は、もう1週間も店を訪れていない。あれだけまめに足を運んでいたというのに。きっとその原因は、彼女の微笑みの理由でもあるのだろう。

「あの2人に渡していた薬が何か、わかる?」

薬学知識はまったくの無知だが、薬の名前くらいは客との会話から知っているはずだ。訊ねると、えぇと、と妹は記憶をあさる。

「確か、黒の香と…白の…あっ」

黒の香は振りかけたものを腐食させる粉末で、白の香はその腐食を治療する。つまり、2人の客にそれぞれ与えた2つの薬は対立している。その対立した薬を、2人は同じ娘に与えているのだ。

道理で娘の奇病とやらは治らないわけだ。青年が記憶を差し出して治療薬を得ても、それと同量以上の病因が付与されているのだから。

「じゃあ、まったくの無駄ってことだったんですか?」

まったく事態は解決されぬまま、青年は記憶を差し出し続けた。無駄に代償を浪費し続けた。

その結果、彼はついに最後の一欠片でさえも忘れてしまったのだろう。店に来て薬を受け取り娘に渡すという最後の一欠片もなくなってしまったから、青年は店に来ないのだ。

客足の途絶えた店内にたたずむ彼女が不意に棚を見る。棚の上の砂時計の砂は、もうほとんど落ちていた。

「そうね。でも、その浪費も終わり。もうすべて終わったわ」

白の香を求める青年はその代償に記憶を差し出した。では、黒の香を求める醜男は一体何を代償にしたか。その答えは棚の上の砂時計にある。


所持者に幸運をもたらすと言われる星の砂。この効果を反転させる手段をご存じだろうか?

修羅の骨を砕き砂に混ぜるのだ。狂戦の闘争心の穢れに触れたことで幸福は凶災に転じる。禍の砂に触れた者はそれ以降、幸運を一切失うという。

――薬師の手帳より抜粋


醜男は黒の香の代償として自らの幸福を奪われた。

今頃、権力者である醜男は没落しているだろう。何せ幸運が訪れないのだ。物事は一切良い方向に動かない。現状維持もままならない。それならあとは転がり落ちるだけ。醜男には何も残らない。金も地位も権力も何一つ残らない。そろそろ野垂れ死ぬ頃だろう。没落などあっという間だ。

砂時計の砂の落ちた量は、男が失った幸運に比例する。もう上部に砂は残っていないということは、そういうことだ。

そして、対立する薬のせめぎ合いになった娘もまた終焉を迎える。黒の香によって肉体は腐り落ちる。それを癒す白の香は青年によって与えられていたが、最後の一欠片をなくした青年はもう娘に薬を届けることはなくなった。ならば黒の香によって肉体は腐りきって命を落とす。

男は没落して何も残らない。青年は何もなくなった。娘はすべてをなくした。これでもう、盤面には何もない。誰にも何も残らない。

否、残るものがある。それこそが彼女の微笑みの理由だ。

呪いによって腐った肉はそれだけで闇の力を宿す媒介に。記憶を失ったまま取り戻すことなく死んだ者の墓には忘れ草という植物が育つ。そして禍星の砂は、効果を発揮したことでよりその力を増す。

「そろそろ出かけましょうか」

彼女が外出の用意を始める。思惑通りなら、狙い通りのものが残されているはずだ。あとは仕上げに鏡面を撫でるように、そっと回収するだけだ。

「姉様はなんて恐ろしい人なのでしょう」

「何とでもお言い。それが私よ」


蛇の魔女の鐘を聞いてはいけない。

彼女の鳴らす音色は葬列の鐘なのだから。

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