【冗長な辻褄合わせの栞】
からん、ともうベルは鳴らない。
「……潰れたのか」
ざり、と地を踏む音がした。からからと鐘を鳴らしていた仕草を止めて振り返る。世の果ての漆黒を切り取ったかのような女が立っていた。
「それともお前がリグラヴェーダか?」
「……"リグラヴェーダ"ではあるけど、"リグラヴェーダ"ではないわね」
蛇の同胞であるが、薬店の店主ではない。
ゆるりと首を振る。肩にかけていたくすんだ金髪がなびいて視界を覆いかけ、前髪を掬って耳にかける。そうしながら世の果ての漆黒を覗き見た。
あぁ、と嘆息する。これは見覚えがある。尊姉の異名を持つ同胞が北の大地で拾ったものだ。不老不死のなり損ないであると仮定されたモノだ。本当に不老不死なのか検証するために真っ赤な女王の首飾りをかけられたモノ。
ここにいるということは、その検証が終わったのだろう。尊姉が検証も検分も終わっていないのに獲物を解き放つわけがない。
「リグラヴェーダならば答えられると思ったんだがな……」
「何か望みでも?」
薬店店主ではないが、店主と同じ知識と技量を持っている。望む内容によっては薬店の店主の代わりに望みを叶えてやらないでもない。
暗闇に這う蛇のような微笑みで世の果ての漆黒の魔女を見やる。いったいこのイキモノが何を望むというのか。興味本位で聞いてやろう。
「この私の身体が、不死の泡沫も無く生きている理由」
超速再生による擬似的な不死は、それをなす機構が壊されたことで失われた。だが、生きている。これまで何万もの犠牲を出した真っ赤な女王の首飾りをかけられてからしばらく意識がない。おそらく女王の首飾りに首を狩られたはずだが今、生きている。
尊姉と呼ばれている女は不死性の検証だけをしてその原因究明には手をつけていない。ただひとつ、死んだが死んでいないのだと言って満足してしまった。
この身体は何か。知らないままでは気分が悪い。どんな望みも叶える薬店ならばその答えが得られると思ったのだが、世界の破滅は薬店も飲み込んでしまったようだ。
「回避させられた運命が回っているだけよ」
何も見ること無く、すんなりと答えた。何を望むのかと思いきや、そんなこととはと期待外れすら感じる。
尊姉が不死のなり損ないを拾ったと聞いた時にすでに聞いていた。不死の魔女はその不死を打ち消された隙に不死の機構を壊されて死んだはずである。それなのに何故、息を吹き吹き返したのかと。真実を司る神にわざわざ問うたのだ。
答えはとても簡単で、打ち消された最後の1回が返ってきたのだというものだった。
不死を打ち消され、死んだ。だが打ち消された最後の1回が帳尻合わせで付け足され、生き返った。取り上げられたものが返還されただけである。だから不死なくして生きている。
その後、真っ赤な女王の首飾りによって命を狩られた。今度こそ死ぬはずだった。たが不死というものの定義は"死んでもまた生き返る"ことである。つまり返還された命のストックは、不死という定義に従って1つではなく複数あったのである。
女王の首飾りによって狩られた命はストックを使って息を吹き返した。何度も狩られて何度も生き返った。ただそれだけ。
「……意味が」
わからないな。理論を理解しかねて眉を寄せる。
不死の機構は失われた。なのに何故、何度も生き返ったのか。それではまるで不死と同義ではないか。
「結論から言いましょう。……貴女の命はあと1回だけなのよ」
もう蘇ることはない。不死を取り上げられ返還された辻褄合わせで何度か息を吹き返しただけ。女王の首飾りで消費されて帳尻合わせはもう済んで、あとはたったひとつ、生命というものに与えられた本来の1つの命しかない。
「……そうか」
死ねば死ぬ。ならばただのヒトとなったということか。深淵の魔女はぽつりと呟いた。その声は何の感慨もなさそうであり感慨深そうでもあった。
「解決したよ。感謝する」
「えぇ。よかったわね」
ただし、疑問に答えた報酬はいただこう。暗闇を這う蛇の微笑みで笑う。指がひらめき、その瞬間に深淵の魔女はその場にくずおれた。
「……な…に……」
「これから貴女はただのヒトとして色々なことを経験するのでしょうね」
その経験を、体験を、感動を、感慨を、奪う。新鮮で鮮烈な初体験というものを奪う。すべては既知になり、未知は無い。
そのために、あらゆる知識や体験や記憶や感情や感慨や情動を植え込む。世界のすべてを、舞台装置の隅の埃の一粒ですら把握させる。
次に目が覚めた時、深淵の魔女は深淵の魔女でなくなるだろう。
「…どう、いう…」
「不変で可変。それが蛇の生態なれば」
氷葬の儀式で同胞の肉体は葬られる。魂は真実の神の元で浄化を受けて新たな肉体に宿る。それが蛇の種族の生態だ。
身体も魂も漂白してから使い回すといっていい。漂白できたものから順に肉体に魂を入れていく。元々の肉体と魂の組み合わせなど関係なく、器と詰め物を機械的に詰めていく。
だが回収できない肉体や魂もある。蛇の魔女のように肉体が消え去ってしまったら魂の数に余りが出る。
そういう時は新たな肉体を探すのだ。器となれる人間の肉体を連れ去り、漂白し、輪廻の中に組み込む。
深淵の魔女はそれに選ばれたのだ。失った器の補充として使おうではないか。
「魂はそうね、どうしようかしら」
尊姉に倣い実証と実験に使おうか。何を実験するのか決めていないが、適当にいじくり回しているうちに思い付くだろう。
「"フラスコの中のヒト"と呼んであげましょう」
よろしくね、セシル・メタノイア・パンデモニウム・ロベスト。
暗闇を這う蛇のように微笑みかけ、意識を失った体を抱えあげる。
この身体は漂白された後に新たな魂を受け入れる器になる。果たして誰の魂が入るだろうか。ついこの前葬られたマイナクベールか、それとも肉体が消し飛んだリズベールか。幼くして消えたシアンドールか。
そして、この魂はすべての知識を与えられる。知識は経験によって得たものではなく、達成感などの感慨も付随しない。虚ろにただ"知っていたことにされる"のである。
魂という器にどれだけ知識が入るだろうか。実験のテーマはそれにしよう。この魔淫の女王、クァウエル・ロニーロットの5万の年月の知識が短期間でどれだけ入るだろうか。過剰な情報の波に呑まれて擦りきれてしまうだろうか。
あぁ面白い。溺れないように足掻いてほしいものだ。掻いて砂山を登るようにおびただしい努力をみせてほしい。必死にもがくことこそ人間の特権なのだから。
「あぁ、忘れてたわ」
鳴らさないとね。からん、とベルが鳴った。
それきり、すべては沈黙の中。




