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【大崩壊の鐘】

からん、とベルが鳴った。


そして世界は終わりを迎える。すべてはひしゃげ、壊れ、歪み、軋む。殺し、壊し、砕き、引き裂き、捌き、叩き、切り、刻み、打ち、射て、滅ぼしていく。

世界が震えた。極東の島で起きた変異は世界を飲み込んですべてを更地にしていく。それは世界の西端にある小さな砂漠の島も例外ではない。むしろ、発端から最も離れていただけに迫り来る大崩壊を待つ時間がわずかなりともできてしまった。

一刻一刻ごとに東から破滅が迫ってくる。表通りはすでに混迷をきわめている。その喧騒を遠くに聞きながら、からん、とベルを鳴らした。

「リズベール」

「なぁに?」

「知っていたのか?」

からん、と鳴るベルの音は死者への晩鐘であり、これから来る死を迎えるための音であるということは知っている。

知っていたのかと問う声は穏やかで、これから数分と経たず来る大崩壊を受け入れている顔であった。怒りも悲しみもしない。我らは来るべくして死に、死ぬべくして逝くのだ。

流転を信条に生きる彼にとっては死はある種の旅立ちであり、旅をすることは彼の好むところである。だから嘆く必要などないのだ。肉体という鎖を断って自由にあるがままに放浪するのだ。

そして生に執着しないのは彼女もまた同じである。個よりも種族全体を重視する彼女の思考としては末端が切り落とされたにすぎない。唯一気がかりなのは、この大崩壊が全体を薙ぎ倒さないかである。

「蝋燭が指し示していたから」

知っていた。いずれ来る死のことなどヒトに堕ちてからとっくに覚悟していた。

遅かれ早かれ、彼が死ねば自分も死ぬ。それがヒトに堕ちたモノの運命だ。その連鎖死が今日か明日か何十年後かの違いだ。そしてその差異は彼女がヒトに堕ちる前、本来持っていた寿命からして瞬きひとつ。誤差なのだ。

それに、彼女がこの薬店を開く時、ひとつだけ決めたことがある。世界に痕跡を残さないことだ。依頼主は必ず破滅を迎えさせ、破滅から生まれたものを次回以降に活用する。発つ鳥のように跡を濁さず、きちんとプラスマイナスになるように。それが薬店の経営において決めたことだ。

そしてその事項は、店の存在そのものにも適用されている。彼女が死んだ時、痕跡が何処にも残らないように、残さないようにする。

大仰な店仕舞といっていい。あらゆる願いを叶える薬店は店主を失えば永遠に失われる。

彼女の種族にとって、からん、と鳴るベルは破滅の予告である。そのベルを店の出入り口に配しているのは、なにも客への葬別の鐘ではない。いつかこの店が終わる時、自らに向けるための鐘である。

その店仕舞の時が来たのだ。だからずっと穏やかな気持ちで大崩壊を迎えられる。今まさに海を渡り迫り来る大崩壊を笑って受け入れよう。

「リグラヴェーダちゃんもそれでいいのかい?」

「はい。短い生でしたが」

それが天命というのなら受け入れるだけだ。生に執着したことなど一切ない。

今日までありがとうございました、姉様、お義兄様。そう頭を下げる。まるでひとつの劇が終わるかのような動作だった。

「さよなら、世界」

からん、とベルが鳴った。


からん、とベルが鳴った。

何も。何も残らなかった。大崩壊はすべてを飲み込んで更地にした。無差別に無茶苦茶に振るわれた死神の鎌から辛うじて逃れられた者は壊れた世界を前に呆然とするしかなかった。

神秘は失われ、文明は遺物となった。それでも世界は回っていくもので、生命は息を吹き返した。ヒトの営みのなんとたくましいことか。

からん、とベルが鳴った。鐘の音で葬る者さえろくに残っていない。大崩壊は我らの無限の生命さえ刈り取った。生きているのはほんの一握り。種の頂点に昇華された者たちと、地中深くにいたためたまたま死を免れた者たちだった。

寿命の蝋燭の洞窟の管理人の役目を負っていた者は死んだ。最期まで人々に破滅を予告していたという。その予告を理解して受け取れたのはほんの僅かな賢い人間だけであったが。


そして、ここもまたそうだ。からん、とベルを鳴らした。

小さな砂漠の島の小さな町の小さな通りの小さな薬店だった場所だ。今は更地となり砂に埋もれている。

まず駆け抜けたのは衝撃波であった。発生地点を中心に衝撃波による物理的な破壊が起きた。どんな韋駄天よりも速く世界を駆け抜けた衝撃波は堅牢な山岳すら削り取り平地にした。

衝撃波が到達するまでに僅かな時間の猶予ができるほど発生地点から離れた場所ではあったが、威力は減衰されることなく、砂漠の砂を吹き飛ばし地中の岩盤を露出させるほど凄まじかった。

「身体すら残っていないのね」

遺体がなければ氷葬にはできず、ただその魂を慰めるために鐘を鳴らすことしかできない。

妹たちは死んでしまった。その遺体を葬れないのならせめて、鐘をたくさん鳴らしてやろう。死後の世界は音すら凍結する静謐な空間だと伝えられている。死んだことがないのでそれが確かなのかは知らないが、鐘の音は静謐な空間に唯一響くことができる音なのだとされている。だから生者は死者への手向けに鐘を鳴らすのだ。


からん、とベルが鳴った。


いつまでそうしていたか。日の出入りを数えることなど悠久の時を持つモノには意味がない。太陽の昇降が一度だろうと十度だろうと百度だろうと誤差である。

からん、からん、と鐘を鳴らす。これだけ鳴らせば死後の慰めになるだろうか。

「結局」

風化した瓦礫を見下ろす。

「貴女は幸せだった?」

"運命の男"をどうするか。その選択を後悔していないだろうか。こんな、吹けば簡単に死んでしまうようなものでよかったのか。ヒトに堕ちた妹の選択など、"運命の男"を拒否して種として昇華された姉にはわからない。

幸せだったか。それは愚問だろう。間違いなく、彼女は幸福である。有無を言わさず幸福になれるものが"運命の男"なのだから。麻薬のような強制力を持ち、抗うことを許さない。"運命の男"と結ばれることはそれほど絶対的なものなのだから。

その選択の結果の満足を問うことは愚問であろう。その絶対的な幸福の前には後悔など挟み込む余地などないのだ。

「じゃあね、リズベール、シアンドール」

次の世代で逢いましょう。

死した蛇は蘇るのだ。魂を漂白されて、新たな身体にうつされる。一種の転生だ。転生した妹は姉のことなど覚えてやいないだろうが、魂は間違いなくリズベールとシアンドールのものなのだ。

そうして世代が移り変わっていくのだ。不変と可変が中立した生態である。


からん、と最後にベルを鳴らした。


これにて、蛇の魔女は死したのだ。


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