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【分岐の鏡】

からん、とベルが鳴った。


「人生の選択のやり直しがしたいんです」

客の冗長な話を要約するとこうだった。時計の長針が3周するほどに長く、無駄な脱線が多い話を最後まで聞き終えた時、彼女は自分を褒めたい気持ちになった。妹は途中で飽きて掃除を言い訳に店の奥に引っ込んでしまった。

冗長な話曰く、人生の選択をやり直したい。もしあの時こっちを選んでいたら。もしあの時そっちを選ばなかったら。そういうことを選択し直したいのだと。

「学生の時、振ってしまった男性を、もしあのまま告白を受け入れていたら、とか、そういう……あ、私って、けっこう学生の時は、モテてたんですよ」

「要するに」

句点がやたら多くて脱線しがちな話がまた始まる前に、要するに、と彼女は割り込んだ。

任意の時間まで巻き戻って、再び選択の場面に戻りたい。選ばなかった道を選んだら何がどう変わったのか確かめたい。そして現在の選択と結果を比較して、より良い方に進みたい。

客の女が望むことはそういうことだ。そしてそれを叶える手段を求めてこの店に来た。

話を要約しつつ、彼女は思考をめぐらせる。どうやってこの客の望みを叶えようか。

どんな望みを叶える"蛇の魔女"でもさすがに時間を巻き戻すことはできない。それは世界の理にかかわる。時間とは不可逆的な濁流のようなもので、逆らうことはできないのだ。

幻覚を見せ、想像の中で"たられば"を再現するということは客の望むことではないだろう。それでは客は満足できない。

できるだけ望みに沿うように、持ちうる手段を駆使する。さてどうするか。客の冗長な話を聞いているふりをしながら思案に深く深く沈み込み――そして、諦めた。

「残念ながら、貴女が考えているようなことはできないわ」

時間を巻き戻すことはできないもの。そう言って首を振る。

どうして、ここはどんな願いも叶える店だとうたっているのに、と抗議が来る前に、でも、と話を続ける。

「選択の分岐を覗き見ることはできるわ」

別の選択をした時と現在の結果と比べて、より良いと思った方に現状を近付ける。そうすれば客の女が望むような"より良い未来"に行けるだろう。

より良い未来になるように現状を近付けることは自力でやってもいいし、別件としてこちらに相談してきても構わない。

これが望みに沿う最大限の手段だろう。悪くはないはずだ。望みの要点はほぼ満たしている。

「そうね、確かに、そうかも。人生の分岐を確かめたいし、でも現状を近付けるのはどうかしら、故人になる前にああすればよかった、とか、そういうのも、分岐だし、そう、死んだお母さんにもうちょっと親孝行したかったのよね、家事とか全然手伝わなかったし、習い事が忙しくて、私、楽器弾けるんですよ、子供の頃から習ってて」

「えぇ、それでいいなら叶えましょう」

子供の頃からの習い事などどうでもいいし、初めてのコンクールで優勝した話などされても困る。脱線した話を元に戻しつつ、彼女はついと立ち上がる。

客と応接するための部屋の壁には入り口である扉と奥に続く通路以外の面に床から天井まである高い棚が据えられている。小さな引き出しであったり大きな両開きの戸であったり、ガラス張りの引き戸であったりと場所によって様々なのだが、何処の棚も中身は呪具や薬の類である。

その棚のうち、ガラス張りの引き戸を引く。布を敷いた台座に安置されている鏡を取り出した。袖で鏡面の埃を軽く拭き、ちらりと明かりに透かす。壊れていないことを確かめて再び応接用のソファへと戻った。

「それは、なんですか?」

「分岐を覗き見るための鏡よ」

蝋燭の明かりに透かすことで、選ばなかった未来の自分の姿が見える。先程彼女がちらりと覗き見た分岐世界では、"運命の男"を殺して種族の頂点に昇華された自分の姿が映っていた。このように効果は保証できる。

「油、薪を燃やした明かり、日光なんかは駄目。蝋燭でないと綺麗に映らないの」

どういうわけか仕組みを知らないが、とにかく蝋燭の明かりでなければ映らない。それ以外の明かりには反応せず、ただの鏡のままだ。ただの鏡として使えなくはない反射率と屈折率だが、それでは分岐した未来は見えない。

別の明かりに透かしたところで何か見えるわけでもないので間違えようがないだろうが、この話の脱線具合からわかる注意力ではやや心配だ。

よく言い含ませ、彼女は鏡を客に渡した。持ち帰りのために桐の箱もつけておく。こちらはただの桐で何か特殊な箱ではない。

「ありがとうございます。お代は……私そんなに手持ちがないんですけど、あっ、収入がないわけじゃないんです、これでも、一人で生活できるくらいは稼いでて」

「お金はいいわ。持っていきなさい」

貨幣など、彼女にとっては何の価値もない。代金を払おうとした心だけでいい。

ただし、それとは別に代償はもらうし、もうすでにもらったも同然だ。何をもらったかはまだ伏せておく。

鏡を持って帰路につく客の背中を見送り、彼女は長めに息を吐いた。いやしかし本当に冗長な話だった。付き合わされた心労が今になってどっときた。

これは対価を割り増しでもらわないといけないかしら。呟き、彼女は何かを待つようにソファに座り込んだ。


選ぼう。より良い未来を。美しい未来を。心地良い未来を。楽しい未来を。

願って女は鏡を蝋燭の明かりに透かして運命の分岐を覗く。もしあの時こっちを選んでいたら。もしあの時そっちを選ばなかったら。

学生の時に振った男の告白を受け入れていたら。習い事ばかりで疎かだった親孝行を尽くしたら。子供の頃のピアノのコンクールで失敗して優勝を逃したら。

何が変わっただろうか。何を変えられただろうか。"たられば"を求めて女は鏡を覗く。


からん、とベルが鳴った。

「どういうこと!? 全然いい未来がないじゃない!」

鏡を覗いて見た分岐の先はどれも良い結末ではなかった。中には致命的なものまであり、大怪我どころか死んでしまう結末まであった。

それでは自分は最良の選択をし続けていたということか。客観的にはそうかもしれないが主観的には否だ。後悔など山ほどある。だから人生の選択をやり直したかったというのに。

「選んでいるのは"より良い"じゃなく"まだマシ"だって……こんな妥協の人生が私にとっての最良だって、そう言うんですか!? なら、なんて……」

それならばなんて自分の人生というものはつまらないのか。妥協で進んできた道が最良だなんて、信じたくても信じられない。

「嫌よ、私はやり直すの。だってこんな、後悔だらけの人生を進んでいくなんて!」

ヒステリックに叫ぶ女を店主は静かに見守っていた。耳を塞がなかっただけ誉めてもらいたいところだ。

人生なんてそんなものだと折り合いをつけられなければどこまでも何を選んでも後悔はつきまとう。それを知らないからこんなにわめき散らせるのだろう。

「敷かれたレールの上しか走れないんですね、結局は……分岐点を作ったって、終着駅に帰結する…それが人生ってことなんだ」

「そうね。列車には列車の走り方しか出来ないわ」

列車は鳥のように翼を持つことも、人間のように地面を蹴って進むこともできない。車輪を転がすことでしか進めないのだ。

どんなに分岐点を作ったところで、列車である以上列車の進み方しかできない。目的の話ではない。方法の話だ。

「ありがとうございました。……蛇の魔女さんはこのことを見抜いていたんですね」

だから謝礼も代償も対価も要求してこなかったのだ。何をしようとも結局は無駄なことだと知っていたから。

「そうよ。列車は列車の走り方しか出来ない。列車に翼を生やして空を飛ばすことは不可能だもの。……だけど」

走るものが列車でなかったら、空は飛べる。

空を飛ぶ(幸せな人生を歩む)なら、列車(自己)を脱却しなければならない。

「言ったでしょう。人生の分岐を見て、それからのことは別件として受けてあげるって」

さぁ、望むことを言ってごらんなさい。

まるで蛇が破滅へと誘惑するように、そっと彼女は囁いた。


からん、とベルが鳴った。



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