【血の女王】
からん、とベルが鳴った。
「いらっしゃい、何を望むの……って、尊姉?」
いつものように客を出迎えようとして、彼女は驚きの声をあげた。
客は彼女の"姉"であった。彼女の種族は血筋に関係なく、年上の同胞を姉と呼ぶ。尊姉と形容するのは、"運命の男"を見限り頂点として昇華された存在であるからだ。
さて、その尊姉が何の用だろう。尊姉と違って、この店主は"運命の男"と添い遂げることを選びヒトに堕ちたもの。ヒトに堕ち、種族固有の超常的な能力を放棄したものだ。
ヒト堕ちだからといって特に何か能力が秀でているわけではない。むしろ、超常的な生命力を放棄した分、劣っているともいえるだろう。だから、尊姉がわざわざヒト堕ちを訪ねるようなことはないのだ。
「それほど自分を卑下するものではないわ、リズベール」
真名を晒さない掟に従い、仮名であるリグラヴェーダと呼ぶべきなのだが、あえて尊姉は名で呼んだ。
ヒト堕ちというといかにも劣っている存在のようだが、身分としては対等だ。ただ、少し進路を違えただけ。"運命の男"を受け入れるか否か。ただその差異なのだ。
太く短い人生か、細く長い人生か。そんなような差だ。そこに優劣はなく貴賤もない。
「さて、本題に入りましょうか」
ヒト堕ちの愛妹は生が短い。尊姉にとっては瞬きひとつの50年の間に愛妹は寿命を迎えてしまう。
短い生を生きる生き物は1分1秒だって惜しいだろう。だから長々と意味深な問答で時間を浪費させる余裕はないのだ。さっさと本題に入らせてもらおう。
その本題というのが、血の女王だ。大きな赤いガーネットの首飾りは身に付けた者を殺すという経歴から、血の女王と呼ばれる。
巨大なガーネットはそれだけで価値が高い。その周囲を彩る宝石類もまた、単体で相当の値が張る。具体的には、ガーネットひとつで人がひとり不自由なく一生を終える程度。
その価値に目がくらんだ者たちが血の争いをした結果、不幸な事故という名の殺人が起きる、というのがその経歴の正体である。
争いはめぐりめぐって人の手を渡り、血の女王は姿をくらまし行方不明となっている。
それが、世間一般に知られている血の女王である。だが、真実に通ずる彼女たちはその正体も行方も知っている。
あれはただのガーネットではない。とある女の執念が宿った呪いのものだ。その女は不老不死を望み、あらゆる若返りの手段を試している最中に全身から血を吹き出して死んだ。死してなお不老不死に拘る執念は遺体が身に付けていた首飾りに宿った。
その首飾りは、女がこの世に再び蘇るため、身に付けた者の生命を吸い取る呪物と化したのだ。
身に付けた者は呪いによって死ぬ。だが、それだけでは足りないと悟った首飾りは自己進化をしたのだ。身に付けようとする者をただ待つのではなく、呼び寄せるようにと進化した。首飾りをめぐる争いは、首飾りに宿った執念が呼び寄せたものだ。
首飾りをつけた者だけでなく、首飾りを手にいれようとする者まで首飾りは獲物としたのだ。
最初、不老不死を望んだ女が死んだ時、首飾りのガーネットは人差し指に乗る程度であった。周囲の宝石類もまたささやかなものだ。
それが今や、両手でも溢れるほど巨大なガーネットの周りに指よりも大きな宝石が並ぶ首飾りとなっている。それは犠牲者の生命を吸って成長したということだ。
犠牲者の数を軌跡にして血の女王はヒトの手を離れ、行方をくらませた。
その行き着いた先が、ここだ。血の女王は店の奥で、呪いをそのままに安置されている。もちろん、厳重に封をしてだが。
「血の女王の身柄が欲しいの」
「そう」
尊姉が何故血の女王を欲しているかは聞くまい。そもそも客の事情に興味がない彼女にとって、必要なのは願いの内容とその達成手段だ。何故その願いに至ったかという理由や動機などどうだっていい。だからそのあたりを語らず済ませてくれたことにささやかな感謝さえある。どうでもいい話を聞かされる手間が省けた。
「姉様、私が取ってきます」
「いいえ、あれは下手に触れるとまずいから……」
未熟な妹では運ぶ間に事故が起きるかもしれない。
妹を制した彼女は応接用のソファから立ち上がり、店の奥へと身を翻す。
ややあって、黒い布が敷かれたガラスの箱を持って戻ってくる。ひと抱えほどもある箱には丁寧に広げられ、金色の針で留められ固定された血の女王が鎮座していた。
「針が刺さっている間は安全。だけど……尊姉には説く必要はないわね」
ついいつもの接客のように説明を始めてしまった。
尊姉ならこの程度の知識など知っている。それを説くのは呼吸の仕方を説くに等しい。言われるまでもないことだ。
「ええ。ありがとう。受け取ったわ」
血の女王を固定している針はとても脆い。わずかな震動でも折れてしまうほど。
この針が血の女王を安全なものとして封印し、押し留めている。その封印を解いたらそれまでの反動で血の女王がいったい何をしでかすか。身に付けているどころか、ただ持ち運んでいるだけの者でさえ殺すかもしれない。
「何回か餌をあげて宥めたりはしたのだけど……それでもね」
それでも血の女王は足りぬといったのだ。呪いは日増しに強くなり、ついに封印に踏み切らざるをえないところまで膨れ上がった。一時的に時を止める針で押し留めなければ血の女王は暴走するだろう。否、もうしているかもしれない。封印が解ける時に起きるのは大惨事以外にない。
だから気を付けて。尊姉に言うべくもないことだろうが、よくよく言い含める。
「暴走? 上等だわ」
それくらいしてもらわないと困る。尊姉はにこりと微笑んだ。今からやろうとすることの内容からして、暴走するくらいがちょうどいい。
愛妹は運ぶ途中で血の女王に殺されることを心配しているようだが、頂点として昇華されたこの生命力を奪い取れるものならそうしてみるがいい。不老不死を体現しているに等しい存在に死を与えてみるがいい。
「……尊姉、何をしようというの?」
客の事情に首を突っ込まない性分だが、尊姉がそこまで言い切るようなことが気になる。
いったい、これほど飢えた血の女王を用いて何をするというのだろうか。
「わたくしの趣味は知っているでしょう?」
「シャルアナーマ尊姉が検証と検分が好きなのは知っているわ、それで何を検証ないし検分しようというの?」
「殺す呪い、対、不老不死のなり損ない」
それはまるで矛と盾の逸話のように。無限に死を与え続ける呪いと、無限に生きる生物ではどちらが最後に残るのか。
それを検証してみたいのだ。果たして、血の女王が勝つか漆黒の魔女が勝つか。
「ちょうど、北の大地で面白い拾い物をしたの」
不老不死を求める研究者が生み出したというものだ。超速再生能力をそなえることで欠損や疾病を瞬時に修復して健康状態を保つことで不老不死の定義を体現した。
その不死性の検分が済んだので、実験を次の段階に進めたい。つまり生と死のぶつかり合いだ。
「北の……あぁ…」
成程。そういうことかと合点がいった彼女は話を切り上げた。何の話か目を瞬かせる妹には後で説明しておこう。
合点がいったならそれ以上聞くことはない。気になるのは結果くらいか。
血の女王は好きにして構わない。血の女王で殺される尊姉ではない。
「それじゃあ、あなたのファムファタールによろしく」
「ええ。またね、尊姉」
からん、とベルが鳴った。




