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【忌金属】

からん、とベルが鳴った。


村に原因不明の病が流行っているのです。そう言って男は袖をまくった。露出した腕には包帯が巻かれ、黒い膿のようなものがにじんでいた。

「膿が出て、そこから徐々に広がっていきます。やがて全身を覆うほどに。そして、全身を覆った後は身を腐らせます」

そうやって村人は死んでいく。医者も手がつけようがなく、できることといったら患者を隔離することだけだ。

あらゆる薬草を試した。風下に隔離用の小屋を建てた。食べ物も水も分けた。死体は深く埋めた。だがそれでも患者が出る。そして死んでいく。男も女も大人も子供も。

近所の村からは自分たちの村は呪われた村として噂されている。関わったら呪われると忌避され、街道を封鎖されている。

「それで、ここに来たら願いが叶うと。……お願いします」

お願いします、と男は頭を下げた。このままでは村が全滅する。もう半数が死んだ。健康な村人は一握り。

それを見て、どうにかしなければ、と男は決意した。自らの手首ににじむ膿を見て、そう決意した。

そして男は、願いを叶える薬店の噂を頼りに村を飛び出した。蛇の魔女と呼ばれる彼女ならば願いを叶えてくれるはずだと。願いを叶える代わりに悲惨な運命が訪れると聞いていたが、それでも男は構わなかった。自分の人生ひとつで村が救われるなら安いものだ。

そうして今日、長い旅の末にたどり着いた。日に日に広がっていく膿はすでに左手全体を覆っていた。

早く蛇の魔女の助けを受けなければ。こうしている間にも村は全滅に近付いていく。だから、どうか。

「だから、どうか。悲願を叶えてください」

そう繰り返して男は再び頭を下げる。せっかく村はずれに金鉱を見つけたのだ。貧乏だった村がようやく豊かになると沸き立ったその矢先、原因不明の膿が村を襲った。早くこの病を解決して、そして村を豊かにしなければならない。

村長の息子として自分はそうしなければならないのだと、男は強い責任感に突き動かされてここまで来た。

闇よりも暗い色のドレスをまとった店主は、じっと男を見つめた。

「具体的に願いは何? 原因を知りたいのかしら?」

原因に心当たりがあった。そうやって全身を腐食させていく呪いの薬がある。黒の香と呼ばれるそれは風に乗って拡散し、吸い込んだ者の身を腐らせる。

誰がしたかは知らないが、村にはそれが散布されたのだろう。吸い込んだ者から発症していったのだ。

黒の香程度、呪具だとか毒薬だとかに精通する人間なら誰でも作れる。それこそ田舎の村医者にも。少しばかり材料が面倒だが、調達しようと思えばできる。うら若い乙女の死体を砕いて粉にしたものと、乙女が生前愛用していた香。それらを混ぜればそれだけで完成する。

金鉱を見つけたと言っていた。おそらくそれが原因だ。金鉱の存在が近隣の村の不興を買った。あの村だけ豊かになることなど許さないと。

全滅した後で周囲の村の皆で金を分け合おうと画策し、そしてその手段として黒の香を用いた。そんなところだろう。人の欲望などおおよそそんなものだ。

「いえ、原因はわかります。……そういう呪いの薬があると聞きました」

旅の途中でそんなものの噂を聞いた。それでどこぞの深窓の令嬢が亡くなったのだとか。伝え聞いた話であり、尾ひれが多々ついて真実がぼやけていそうな内容だが、あえてすべて真実とするなら村の状況に合致する。

原因を知りたいのかと魔女は言った。その口ぶりはまるで答えを知っているようだった。呪具の存在など半信半疑だったが、その言い方で確信した。自分たちの村はその呪具に殺されていっているのだと。

「……そう、知っているの」

驚きはしない。黒の香程度、作ろうと思えばできる。製法などその辺の薬学書に禁術として書いてある。ただ少し倫理の壁を越えるだけで簡単にそれは成せるのだ。

それでは何が目的か。黒の香に対抗する薬でも欲しいのか。白の香と呼ばれるそれは同じく簡単に製法が知れて作れるものだ。蛇の魔女でなくとも、その辺の村医者にも作れるもの。

そんなもののために来たわけではないだろう。白の香なら旅の途中で知れただろうし、手に入れることだって容易だ。わざわざ蛇の魔女を訪ねるまでもない。

では何を願うか。いくつか候補を考える彼女に男はこう言った。

「周囲の村にも、同じように。……いえ、それ以上に」

周囲の村が俺たちの金鉱を狙っている。俺たちの村を滅ぼした後で、周囲の村で金鉱を分け合おうとしている。そんなことさせてやるものか。金鉱は俺たちのものだ。豊かになるのは俺たちの村なのだ。

そう男は失望に染まった目で言った。金鉱を見つけた当初は、自分たちの村だけでなく周囲の村にも分け前を与えようと思っていたのだ。自分たちの村が豊かになれば、つられて周囲の村も豊かになれる。だから少しばかり恩恵を恵んでやろうと。

「だがどうだ。奴らは俺たちを殺して奪おうとしている。金鉱を見つけたのは俺たちなんだ。それなのに……」

横取りを画策しようなどと。憎らしい。慈悲を垂らして恵んでやろうと思っていたのに。

裏切られた。奴らは呪われた村と呼んで街道を閉鎖して俺たちを殺そうとしている。

失望した。周囲の村などに恵んでやるものか。お前たちがそうするのなら、俺たちで独占する。

「だから思い知らせてやるんです。金鉱は俺たちのものだって」

呪うなら呪い返してやる。お前たちが呪った以上に。奴らを殺す。それが俺たちの村の悲願です。

その手段を求めてあなたを訪ねたのです。暗い覚悟で彼はそう言った。

「……わかったわ」

人間の欲望と絶望。それらが交錯するとてもいい依頼ではないか。彼女は笑みを深めた。

叶えましょう、と。彼女は言った。

少し席を外すと言い残し、ややあって彼女が箱を抱えて戻ってくる。

漆を塗り込めたように黒い重箱には持ち運びがしやすいよう取っ手が付けられており、そこに鐘が結わえつけられている。

その箱を机の上に置き、封として結ばれていた朱と紺の紐を解き、蓋を開けた彼女の指が滑る。ずらりと並ぶ中からひとつの小瓶を取り出した。中には金色の粉末が詰まっていた。

「これを飲めば貴方の願いは叶うわ。代金は結構」

これを飲み、身を焼きなさい。それが儀式になり呪いになり復讐になる。そう彼女は言った。

「ありがとうございます」

生きたまま自らの身体に火をつけるのは相当に苦しいだろう。だが、それで村の悲願は叶うのだ。それならば自分など安いものだ。

まるで聖物にするように恭しく受け取った男は先程より深く頭を下げた。

「えぇ、復讐が成るといいわね」


――ひとを呪うのは簡単だ。少しばかり倫理の壁を越えるだけ。あまりにも簡単だ。

だが、それをする者できる者はやすやすと人を呪わない。優れた術者であるほど、呪いの力を用いない。

なぜって、使い方を誤ると、忌むべき力は逆流して術者にふりかかるからだ。

だから呪いというものの扱いには細心の注意を払うべきなのだ。だからこそ優れた術者はやすやすと使わない。その扱いの難しさを知っているからだ。

それでも使う者がいるというのなら、それは目先の欲に目がくらんだ愚か者か、それとも。


「……それとも、自滅さえ厭わない勇者だ」

本に綴られた文章を読み上げながら男は言った。膿に覆われ腐り落ちかけた手には空の小瓶が握られていた。さっきまで中には金色の粉末が詰まっていた。

男は空を見上げる。黒くどんよりとした雨雲がそこにあった。しばらくすれば雨が降るだろう。

「俺は勇者だ」

廃墟と化した村の真ん中で男は言った。足元には無数の死体があった。

願いを叶える薬を手にして帰郷した男に待っていたのは、無惨な光景だった。村人はすべて膿に侵されていた。それだけではない。

遅かったのだ。男がではない。用意した黒の香の効きが。想定量ではすでに全滅しているはずだったのに、村人はまだ生きていた。侵された村人を小屋に隔離していたが故に拡散が遅れた。それによって、感染者から拡散していくはずの予定が崩れた。

だから力業に出た。生き残りを殺せばいいと。それは、欲に急かされた焦りだった。呪具で殺せば証拠は出ないと黒の香を用いたのに、全滅にはほど遠かった。これ以上待っていては、ここ一帯を領土とする領主が呪いとやらの調査に乗り出すだろう。そうすれば自分たちの悪行が露呈する。そうすれば金鉱どころではない。そう危惧して彼らは事態を早く片付けることにした。

そして村人を皆殺しにした。後で来るだろう領主には野盗の仕業とでも白々しく言っておけばいい。

そうやって、男が帰郷する頃にはすべてが終わっていた。

だが、そこで男は諦めない。絶望に膝を折らなかった。復讐を。復讐を。恩に仇で返す奴らに復讐を。

今頃奴らは金鉱の分け前を相談しているだろう。くれてなどやるものか。金鉱は俺たちのものだ。

「あぁ、行こうよ。みんな」

男は、自らに火をつけた。火はすべてを飲み込んでいく。

そして黒々とのぼった焼煙は、空を覆う雨雲に合流していった。


――呪具の効果をさらに高める方法を知っているだろうか。

それは、その呪いによって命を断った人間の死体を使うことだ。無念があればあるほどいい。呪いそのものと、犠牲者の無念が合わさって呪いはより強くなる。

だが気を付けなければならない。強くなった呪いは術者に返りやすい。堰から溢れた水が川を逆流するように。対象をあっという間に食い尽くし溢れた呪いは真っ先に術者を襲う。

勇者とて、過剰な勇ましさは無謀と呼ばれる。無謀にも愚か者にもなりたくなければ呪いなどに手を出さないことだね。


その晩、山あいの村を中心に雨が降った。

この雨が証拠を流してくれるだろう。その素材上、黒の香を用いたところは独特の甘い匂いがする。その匂いを雨が流してくれるはずだ。

呪いとやらの調査にやって来るだろう領主の使いは、流行病で弱ったところを野盗に襲われたと結論付けるだろう。あとの証拠は何一つ残らない。

まったく、いい商売だ。これで金鉱は自分たちのもの。さて、分け前をどうしようか。

相談の場に、遅れて隣村の村長がやってきた。行く途中、例の村に妙な煙があがっているのを見たため、来るのが遅れたと。聞けば、村を飛び出した村長の息子が帰ってきたようで、未知の病で全滅した村の様子に絶望して焼身自殺をはかったらしい。妙な煙の正体はその煙だったのだ。

「そいつは殺したんだろうな?」

「いや、もう焼け死んでたよ」

そうか、と頷く。隣村の村長は遅れてやってきたせいですっかり雨に打たれてしまった。

拭くものを受け取り、濡れた手を拭いた彼は怪訝そうな声で呟いた。

「なんだ、肌がやけにぬるつきやがる」

まるで腐り落ちる前、膿がにじみ出てくる前兆のような――


空は黒々とした雨雲に覆われている。雨はしばらく止みそうにないだろう。

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