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【沈黙の箱】

少し彼女の話をしよう。鮮やかな青い髪を持つ男は箱に向かって語りかけた。

この箱は投げかけられた言葉を秘匿する。往古、世界のどこだかで王様の耳がロバの耳だという告白を秘密にするために穴を掘って叫んだように。その穴を模して作られたのがこの箱だ。秘密にしなければならないことを箱に語りかけることで不言の誓いを立てる。秘密を語る言葉は箱にしまって隠したので、箱を開けない限り喋ることができないという呪いをかけるものだ。喋ってしまえば呪いによって死ぬような忌まわしいものではなく、喋るという過程を経て自分自身に誓いを立てるためのけじめの呪い(まじない)だ。

彼は愛しい妻と添い遂げると決めた時、妻からこの箱を渡された。特殊で複雑な掟を持つ妻は人間ではない。世界の片隅に生きる亜人である。だからその存在を隠すために夫の口に鍵をかけねばならないのだと彼女は言っていた。

彼女が店で取り扱うような凄惨で悲惨で残酷な忌まわしい物品ではないと説明を受け、彼は箱のまじないの力を使うことにした。

「彼女は亜人。氷と蛇を象徴する美しい生き物だ」

絶望の闇、悲嘆の流砂の底に君臨する蛇だ。比喩ではなく本当の話だ。彼女の下肢は本来蛇のそれであり、術によって人のものに変化する。人間である彼と結ばれたことで永遠に人のものを得たのだという。

彼女の信仰は独占と不変を象徴する氷の神だ。怜悧な氷の神は自身の信徒である種族を世界から切り離して独占した。神の加護を得たことで蛇たちは永遠にも似た生命を獲得したのだ。その寿命は恐ろしく長く、途方もない年月を生きる。

途方もない年月を過ごす故に身体は食物では維持できなくなり、やがて生気だとか精気だとか魔力だとかそういったものによって維持されるようになる。そうしたエネルギーで維持され構成された身体は多少のことでは負傷しなくなり、同様のエネルギーを得ることですぐさま回復することができる。

陳腐な言葉で平たく言えば不老不死なのだ。個として完結しているが故に子を残す必要もない。増えることも減ることもなく永遠に同数の個体が生息している。

「そしてそれに課せられる運命がひとつある」

飽きるほど長い生の間に、たったひとりだけ"運命の男"が現れる。その男が持つ生気だとか精気だとか魔力だとかそういったものは彼女にとってとても甘美な麻薬なのだ。それを供給してもらう代償として、彼女は"運命の男"に忠誠を尽くす。どんな下衆で過酷な命令でも成し遂げる。遂げねばならないのだと意識を刷り込まれるのだ。

そして、男と出会った瞬間に彼女の運命は男に紐付けられる。男の死は彼女の死だ。ほぼ不老不死な彼女たちではあるが、たったひとりの"運命の男"の死は彼女に死をもたらす。しかし彼女の死は男に死をもたらさない。この死の定義については病死、事故死その他あらゆる死が適用される。仮に男が穏やかに天寿を全うしたとしてもその死は彼女を殺す。つまり"運命の男"と出会った瞬間、すでに彼女の死は約束されるのだ。

必ず命令を遂行せねばならない上に運命共同体。これほど一方的な関係など他にないだろう。だが、彼女たちはその運命を否定することもできるのだという。"運命の男"を自らの手で殺せばこれらの運命は跳ね除けられる。はっきりと運命を拒否することを宣言し、自らの手で直接殺めた場合の男の死は彼女の死にはならない。

しかし男を殺せば、彼女にとっての甘美な麻薬である生気だとか精気だとか魔力だとかそういったものの供給が途絶える。待っているのはひどい枯渇感だ。一度甘美な味を知ったが故に、その味を忘れられずに飢える。だが供給元の男は自ら殺めてしまった。もう二度と味わえない枯渇感に喘ぎながら、再び永遠ともいえる時間を過ごす。

非常に複雑ではあるが、要はこういう話だ。好きな男と添い遂げて不老不死を捨てるか、飢餓感と枯渇感に身悶えながら不老不死のまま生きるか。太く短くか、細く長くか。どう生きるかという人生の選択のようなものらしい。

その運命の相手となったのが自分だった。そして彼女は前者を選んだのである。つまり、自分の死は彼女の死。そして忠実に命令を遂行する。そちらの権利については要求したことはあまりないが。

「不思議なものだね」

真名をリズベールという彼女は、自分に出会うまで数百年を生きたという。長い生に飽きて、ひとが持つ哀れな運命をさらに翻弄するためにこの薬店を作った。種族の掟では、故郷を離れて外界に出る際には共通の名を名乗るという。リグラヴェーダというそれは同族の言葉で破滅を意味するという。

からん、とベルを鳴らす彼女(リグラヴェーダ)たちは決して歴史の表に出ない。氷に閉じ込められた原初の時代の獣のようにじっと歴史の裏に潜む。時折それを暴こうとする人間がいるが、それらは手厳しく排除される。当人だけでなくその者が住む集落、最悪国家に至るまで抹消される。

だからリズベールはこの箱を渡したのだ。不言の誓いを立てさせるそれでもって、俺から情報が漏洩するのを防ぐために。ひいては俺が殺されないために。

「さて…俺が知る話はここでおしまい」

これ以上は踏み込んではいけないし聞き出してはいけない。運命に沿う男としてある程度彼女たちを知ることは許されているが、それをすべて知ろうとすることは深く禁止されている。それをしようとして滅んだ民俗学研究者がいるという。だから俺は少し自分自身の命に気をつけながら、彼女をただの女性と扱う。

さぁ、不言の誓いの儀式はここでおしまい。これ以上は知らないし語るべきもない。今まで語りかけていた箱をちらりと見た。不思議なことにその中には言葉のような模様がびっしりと浮かび上がっていた。語り始めた時にはまっさらだったというのに。これはおそらく、今まで語った言葉が刻み込まれているのだろう。俺はそっと箱に蓋をする。言葉を箱の中に閉じ込めるように。留め具も蝶番もない木の板一枚の蓋だというのに、箱にかぶせた途端にまるで接着されたかのように固く固定された。試しに逆さにしても木の板の蓋は外れない。これは再び開けるのに大変な労力がいるだろう。物理的に破壊しなければ開かないだろうが、どんな手段を持ってしても開きはしないだろう。

こうして不言の誓いは立てられた。店の方から、からん、とベルが鳴る音が聞こえた。

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