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【壊れた石片】

積み上げる。崩されると知りながら。積み上げる。崩れると知りながら。

それでも石材を持つのを止めないのは、諦めた末路を知っているからだ。


その地には常に嵐が吹き荒れている。雨は地面を穿つほどに激しく降り、吹き付ける風は立つのが困難なほど強い。けぶる雨煙は霧となって視界を惑わせる。そして雷が常に降り注ぐ。天雷は時に苛烈に空を引き裂き、地へ落ちる。

その死地ともいえる環境の中に蠢くようにして生きる人間たちがいた。彼らは地面に転がる石を抱え、そして運んでいく。叩き落ちる雷をものともせず進み、ある場所へ向かう。

それは、巨大な塔であった。まだ建設の途中で、全体の半分程度しかない。石を抱えた人々は、塔に張り付くように組まれた足場を登り、石を積んでいく。そうすれば再び足場を降り、石を探し、持ち、運び、積む。その作業を繰り返す。

ひたすらにその工程を反復する。何故か。答えは簡単だ。それが彼らに課せられた刑だからだ。


「塔刑に処す」

黒い衣の者たちの、ひときわ黒い衣の者から告げられた処分の意味が解らず、捕虜である男は目を瞬かせた。それはあまりにも、という周囲のざわめきから、ひどく重い物事だというのは察した。

どうやら自分は触れてはいけない歴史のタブーだとかそういったものに触れてしまったらしい、というのが男のぼんやりとした理解だった。

やはりあの種族は素晴らしく優秀な能力を持つ亜人なのだ。ならばそれを引きずり出し解析し、人間の役に立たせるべし。亜人は人間の実験動物であるというのが彼の信条であった。

「塔刑や、塔刑の始まりや…」

「終わりなき刑よ、終わりなきや…」

周囲の黒い外套の者たちがさざめきのように唱え始める。しかし塔刑とはいったいどういう刑だろう。


そして男が転移魔法によって連れて来られた場所は、嵐の吹き荒れる地であった。

「お迎えが来るまで、その辺に落ちてる石を拾って、あの塔に積み続けるんだ」

それだけを告げた牢番人は、青年を残して再び転移魔法で消えた。あとには雷雨と、その隙間にかろうじて生きて岩を積み続ける人々。彼らもまた、青年と同じく塔刑とやらに処された人々なのだろう。新人である青年を誰一人顧みることはなく、黙々と自分の労働に従事している。

「は…っ馬鹿かよ」

青年が笑う。非常に滑稽だ。作業を監視する獄卒はいない。この地に残された時に足枷も手枷も外された。これでは脱走してくれと言っているようなものではないか。

真面目にやるなんて馬鹿らしい。さっさと逃げ出して村に帰ろう。青年は雨打つ泥地を駆け出した。その背中を追う者は誰もいなかった。


どれほど走ったか。だいぶ距離を稼いだだろうと判じて青年は逃走の速度を緩めた。何処かで雨をしのいで身体を休めようと辺りを見回す。地平線に何かが見えた。雨で視界が悪くて判然としないが、建物だろう。いいタイミングでいいものを見つけたと青年がそこへ向かう。

ばしゃりと泥を撥ねさせて向かう。やはり建物だ。雷雨で崩れてしまっているようだが、あの姿影は塔だろうか。

「……塔…?」

はたと青年が止まる。警戒しながら忍び寄るように歩みを進める。

建物の姿が明確に視界に写ると同時、信じられない、と思わず声をあげた。それは、連れて来られた時に目の前にあった塔であった。足場を進み岩を積む人々が見える。間違いない。

「は…冗談だろ…」

真っ直ぐ進んでいたはずだ。多少逸れることはあったとしても、それでもいつかは何処かに出るはず。それが、戻ってくるだなんて。

「み…道を間違えたんだ…」

そうだ、きっとどこかで方角を間違えたに違いない。何せ、岩が転がるだけの泥地だ。目印らしいものは何もない。そんな中を走っているうちに少しずつ道が逸れていって、大きく迂回するように元いた場所に戻ったに違いない。

青年は自分に言い聞かせる。道を間違えただけなら再び逃げればいいだけではないか。脱走に気付いていないのか、追手はなかった。現場に戻ってきてしまった今もまた、誰も青年に見向きもしていない。

再び逃げられるだろう。青年は走り出した。やはり誰も追ってこなかった。


それを何度繰り返しただろうか。

いくら走っても、どの方角に向かっても、必ずこの塔の建設現場に戻ってきてしまう。

「くそ……」

魔法で方向感覚を歪められているのだろうか。だから何度もここに戻ってきてしまう。だから逃げられない。だから監視がいない。そういうことか。それなら脱走をはかって走るだけ無駄だ。その魔法を打ち破る術を青年は持たない。

魔法でもってどうにかできたのだろうが、青年は武具も持たないただの村人にしか過ぎない。只人である青年が思考をめぐらし、次に考えた手はこうだ。再び牢番人が現れた時、それを制圧し、牢番人の持つ転移魔法で逃げ出す。敵を利用すればいいのである。武器となるものは何もないが、岩を打ち欠いて鋭くすればいい。ないよりはましだ。青年は早速それを実行に移すことにした。その行動を誰も咎めなかった。

石を積み上げ続ける人々をよそに、青年は打製の石剣を作り上げる。あとは再び牢番人が現れるのを待つだけ。体力を温存するために、青年は建築に加わらなかった。そんな青年の挙動に誰も構わない。不気味なほどに黙々と自分の役割を果たしていた。


「…塔刑とはまた残酷ね」

刑場に連れて行かれた男の背を見、彼女は呟いた。

あの地は魔法で閉じられている。我々だけが知る転移魔法でないと出入りが出来ない。蓋をされたすり鉢のように完全に閉じられた地では、何処に向かおうとも必ず中心地の塔に戻ってきてしまう。どうあっても逃げられないのだ。だから、あの地に獄卒はいない。

あの地は完全に停止した箱庭なのだ。閉じたが故に時空が歪められて時間の流れも止まり、あそこでは飢えることも乾くこともない。疲労を感じることもなく、体力が尽きることもない。食事も睡眠も必要ない。あらゆる物事が塔の建設のために取り除かれている。

「つまり、延々と労働させられる環境ということですよね?」

「えぇ」

妹の問に彼女は頷く。だが、それだけではない。それだけならどれだけよかっただろう。作業を阻むものが疲労や空腹であったならどれほどましだったか。

すべての物事が塔の建設に帰結する世界の残酷さは底知れない。


嵐の地では日が昇らない。常に曇りで、薄暗いままだ。どれほど経っただろうか。時間感覚はすでに吹き飛んでしまった。待てど暮らせど、牢番人はいっこうに現れない。何度も脱走をはかり、そして武器を隠し持つ青年を誰も告発しない。

青年の足掻きに頓着せず、人々は行為を反復する。岩を拾い積んでいく。延々とそれを繰り返す。いつまでも。何度も。その姿を雷光が照らし、雨が打ち据えていく。

「…あ…」

青年の目の前で落雷が塔を打った。雷の直撃を受けて足場から数人が転落していくのが見えた。作業は中断するかに思われた。しかし、目の前で起きた事故に構う人間はいなかった。滑落し、絶命した者をよそに人々は作業を続けていく。塔を建てるために石を積む。力尽きた骸が雨に打たれ、泥に埋もれていく。それを振り返る者はいない。

石を積み、落雷で崩れた部分を補修する。それが終われば再び空へ向けて積み上げる。塔を作るのだと、ひたすらにそれだけを。


「あそこには何もないのよ」

何もないのだ。あの世界には。塔を建てるためだけに設けられた世界。それ以外のものは取り除かれている。やれることといったら石を積むしかない。それしか残されていない。

そんな中で、それだけをしたらどうなるだろうか。単純な作業の繰り返しに思考は麻痺し、意識は奪われる。時間も何も変化はなく、不変の世界で正気を保ち続ける手段などない。単調な世界に長時間曝され、何もかもが抜け落ちていくのだ。そうして抜け殻のようになった者たちは周囲に構わなくなる。自分以外の、厳密には作業以外のことに執着しなくなる。

例え、脱走をはかる者がいても、武器を作り反逆する意思を示す者がいても。目の前で落雷が起きようとも、それで死者が出ようとも。何が起きてもただ、自分の作業を続ける。すり減った自我はそれしか残っていないのだから。

そうなってしまった廃人の末路はたいてい体力が尽き死ぬことだ。しかし、あの世界には疲労がない。体力が尽きない。落雷によって肉体が焼け落ちるか、塔から落ちて四肢が千切れるか。物理的に肉体がどうにかならない限り、彼らの労働は終わらないし終われない。

記録では数百年以上服役している者もいるそうだ。今現在も石を積む彼の地獄はどれほどだろう。それを思って途方もない気分になった。それを想像する我々に憐れまれても、彼は頓着しないだろう。

「建設が終わればその刑も廃止されるのではないのですか?」

塔刑というものの残酷さがわからない妹は彼女にそう訊ねた。

その時にはどうするのだろう。出来上がった塔の隣に新たにもう一棟建てるのだろうか。鈍感な問いに残酷さを知る彼女は笑う。

「何のために荒天であると思っているの?」

石を積み上げただけの、ろくな繋ぎもない雑な設計。そんなものに風雨や雷雨が耐えられるだろうか。否。簡単に崩落してしまうだろう。だから塔の建設が終わることはない。

そしてさらに言うならば、あの塔を建てる目的などありはしない。目的も終着点もないことが、単純作業に麻痺する精神をさらに蝕んでいく。

あらゆる意味で終わりのない刑。それが塔刑だ。だから最悪の刑と言われているのだ。


積み上げる。積み上げる。積み上げる。ただひたすらに積み上げる。終わらない。終われない。終わることがあるとすればそれはただ一つだ。

そのことさえ、建設にかかわる者たちは考えていないだろう。その思考の余地さえない。塔の建設は終わらない。

今もまた、石を積み上げようとする者がいる。その者の衣服は風化し、身体にまとわりつくだけの布と化している。絡みつき、行動を阻害する布を剥ぎ取る思考もない。懐にあたる場所から打製の石剣が落ちた。彼はそれに構わず、抱えた石を積み上げるべく足場を上る。

その頂上に置いた途端、雲間に光がきらめいた。


――塔に雷が落ちた。

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