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【人形の魂】

からん、とベルが鳴った。


白蛇を肩に、彼女は客を迎える。今回の客は年若い男だった。等身大の少女人形を車椅子に載せていた。

「わぁ、かわいらしいお人形ですね」

お持ちします、と妹が車椅子のハンドルを持とうとした。その途端、くわりと青年は表情を変えた。

「触るな!」

ひっ、と驚いて硬直した妹から奪うようにしてハンドルを持ち、青年は応接用のソファの真横に車椅子を配置した。そうしてからソファに落ち着き、先程怒鳴ったことを詫びた。

「すみません、つい感情的に……」

「いえ、私こそ…ごめんなさい。気がつかないで」

「遠慮と謙遜のしあいはみっともないわよ、リグラヴェーダ」

おやめなさい、と制止して彼女はゆるりと現れた。

「いらっしゃい。何がお望み?」

にっこりと、彼女が艶やかに笑む。

普通の男ならそれだけで劣情を煽られるだろう淫魔の誘惑。しかし、青年はぴくりとも眉を動かさなかった。

「えぇと、何から話したらいいか…」

もごもごと口ごもり、やがて、言葉に迷いながら話し始めた。

大した地位などないが、それなりの富豪であること。この人形は所謂"裏の世界"から買った人形であること。不思議なことに、この人形は呼吸も拍動もする生体人形であること。そしてこの人形を心底愛していること。それを婚約者が許さないこと。婚約者の激情が高じて何をしでかすかわからないこと。

「婚約を破棄したいんです」

それが願いなら殺してしまうのが手っ取り早いだろうか。

望みを叶える手段を考えながら、彼女はふと気になって訊ねてみることにした。

「この人形を破棄して婚約者を愛することはできないの?」

「彼女を棄てる!? 冗談じゃない!」

くわりと青年が牙を剥く。憤慨した彼の語気が荒ぶる。

「私は彼女を愛しているんです!」

確かに彼女は人形だ。何も与えも求めもしない。ただそこに在るだけの存在。

「私がどんなに望もうとも、何も与えてくれないからこそ、私は彼女を愛しているのです!」

その荒い語調に彼女は本気を察する。

誰か、何かに執着しそれ以外見えなくなるほどの激情を、彼女自身はよく知っている。彼女自身もまた、結び付けられた激情に執着して添い遂げようとしている。

「わかったわ。婚約さえ破棄できれば、あとはどうでもいいのね?」

「はい!」

その返事に頷いて依頼を了承する。どうすれば願いを叶えられるか、すでに手段を決めてある。

その前に、と彼女は青年に向き直る。

「悪いけど、願いを叶えるにちょうどいい薬の作り置きがなくて。今すぐ作るから少し待ってもらえる?」

その調合方法は秘密なので、作成している間は外で待っていてほしい、と説明する。

「それと、"彼女"はここに置いておいてもらえる?」

きちんとこちらで預かるから、と人形を指し示す。当然渋る彼に、最近このあたりの治安の悪さを伝えた。

「こんな綺麗な"彼女"なんだもの、絶対に狙われるわ」

綺麗な、と強調して喋る。

褒められて気を良くしたのか。または"彼女"の安全のため仕方なくか、どちらにしろ男はひとりで外に出た。


「……さて」

すぐに戻ってこないよに妹に見張らせてから、彼女は人形に向き直った。

この人形は見覚えがある。いつだったかの話だ。確かそう、魂だけを殺して肉体を残す。そんな薬が云々。そんな依頼があったはずだ。殺し合った父娘のうち、娘の方は行方が知れないとか。

「…ナタリアにはなり損ねたみたいね」

心は白紙のまま。新たに刷り込まれることはなかった。それを刷り込むはずの父親が盛られた毒で死んでしまったので。空虚な身体はそのまま生体人形として闇の世界を渡ってきたのだろう。

「永遠に人形のまま。そうなれればよかったわね」

青年が与えてきた愛情で、虚ろな身体には新たに魂と呼べるものが芽生え始めている。まだ赤ん坊に近い。しばらくすれば言葉を覚えていくだろう。

「少しお話しをしましょうか」

白紙の魂に何が刷り込まれるわけでもないけれど。だからこれは彼女の独り言だ。ただの人形遊びだ。それがしたいがために、彼女は青年を店から追い出した。もちろん、薬は作り置きがある。

「私はね。婚約者である女ではなく、青年に毒を盛ろうと考えているの」

彼は婚約が破棄できればいいと言った。その言葉を厳密に受け取るなら、彼自身の生存は保障に入らない。人形の安全もまた同様だ。

「悪いけど依頼がぶつかっていてね」

とある女から、人形ばかり見てこちらに見向きもしない婚約者をどうにかしてくれと依頼があった。

具体的な策が思いつかなかったので、その時は適当にあしらったのだが。

「彼女は婚約者を"どうにか"できればいいし、彼は婚約を破棄できればいい」

男に干渉するかたちで、婚約を破棄させる。両方の条件を満たす手段は一つ。ならば彼を殺せば解決する。死者とは結婚できないのだから。

「どうしようかしらね?」

どういう手段で殺そうか。安らかに逝かせるか、苦しませて逝かせるか。激痛に苛まれ、気が狂うまで痛めつけてやろうか。どんな手段も可能なのだと彼女は笑う。

そろそろ青年を呼び戻そう。そして毒を盛り殺すのだ。

「貴方が人間であったなら、彼に警告を発することもできたのでしょうけれどね」

人形だから声は出せないわね。笑う魔淫の薬師。

ぎし、と車椅子が軋んだ。


「おかえりなさい」

何食わぬ顔で青年を呼び戻し、薬を渡す。妹は見習いらしく掃除をしようとバケツに水を用意している。

「それを飲めば貴方の願いは叶うわ」

飲めば何かが変わるのか。不思議に思いながら青年はその場で薬瓶をあおった。

「…っ……!!!」

がた、と派手な音を立てて彼が床に倒れる。椅子から崩れ落ちた彼は愕然と彼女を見つめる。あぁ、そんなに汚れないんですね、モップまではいらなかったみたいです、と声が聞こえたが、それに構う余裕など青年にはなかった。

「どう、し、て」

彼女は答えない。答える必要がない。これで婚約破棄という依頼も、婚約者をどうこうしたい願いも叶うのだ。二つの案件が一気に片付いたという感慨しか起きない。

「ぅ…あぁ……」

彼が"人形"へと手を伸ばす。頬にその手が触れるより前、彼はぱたりと力尽きた。


絶命した彼を見つめ、"人形"は一筋涙を落とした。

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