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穴掘りもぐらと弔いの一月  作者:
掘りあてたいもの
6/22

 イシュドが調達してきた食材は、食に疎いルカを持ってしても、一目で質の良さがわかるような代物ばかりだった。今朝がた収穫されたのであろう野菜の数々に、手間をかけて干されたらしい香草漬けの魚、甘い匂いを放つ小麦のパン。そのためユ・タスに産まれてこの方、一度として手をつけたこともなかったそれらを睨みつけることから、ルカの調理は始まった。

 鍋やまな板と格闘すること数十分。食卓に料理の皿を並べ終えて、ようやく椅子の上にへたり込む。机を挟んで向かいに座ったイシュドは、じっとそれぞれを俯瞰してからうなずいた。

「ナイフとフォークはどうした」

「喧嘩売ってるんですか」

 ルカ自身、七枚もの大皿が家にあったことを初めて知ったぐらいだった。一人で暮らし始めてからというもの、不要な家財を売ってやりくりする暮らしを送ってきたのだ。人数分の取り皿もないのだから、テーブルナイフが見つかるはずもない。

 とはいえ、家庭の経済事情を切々と語ることも馬鹿馬鹿しいようなものだった。ルカはイシュドの前にスプーンを叩きつける。

「文句言わずに食べてくださいよ。作れって言ったのはそっちなんですからね」

「豆を買ってきた覚えはないぞ」

「余っていたから使ったんです。もったいないでしょう」

 豆と魚をトマトで煮込んだ一皿に、イシュドは親の敵を見つけたかのような形相を向けている。その手元を見れば、セシルがひょいひょいとスプーンを伸ばしていく場所に、それとなく豆を避けているのだ。ルカは思わず半眼になる。

「豆ぐらい食べたらどうですか。みっともない」

「俺の人生にも夢にも豆は必要ないからな」

「子供ですか」

「そうですよイシュドさま、好き嫌いはいけません」

 黙々と口を動かしていたセシルが、もうと唇を尖らせる。ルカとイシュドが睨みあっている間に、食事は次々と少年の胃袋に収まろうとしていたのだった。ルカは大きくため息をつく。

「……子供の方がずっと立派じゃないですか」

「比べないでもらおうか。……おい、いつまで小言を続けるつもりだ、飯がなくなるぞ」

 ルカひとりでは決して作らない量の料理が、一皿、また一皿と平らげられていく。調理をする際には文句も飛び出したものの、いざ空になっていく皿を見ていれば悪い気はしなかった。

 食いっぱぐれないように、とスプーンを操って、ルカはやっとのことで自分の腹を満たす。その間に「そう言えば」と顔を上げた。

「イシュドさん、どうしてユ・タスなんかに来たんですか。わりといいお家の人なんですよね」

「わりと、じゃない。非常に、だ」

 訂正を挟みつつ、イシュドはスプーンを置く。会話をする際にはものを口に入れないようにしつけられているらしい。名門であることに間違いはないのだろう、とルカは唾を飲む。

「俺は末弟だから、この身にもいくらか自由が効く。なにをしても咎められるようなことはないということだ。上の二人に任せておけば家は安泰だからな」

「上の二人……」

 ルカがくり返すと、セシルがうなずいて言った。

「はい。ロイド・ホルムスさま、ジャムス・ホルムスさまです。ロイドさまは王家支流のご令嬢との縁談を進めておいでですし、ジャムスさまは国防軍でご活躍なさっていらっしゃいます。ロイドさまは十二、ジャムスさまは八、イシュドさまより年上のお方ですね」

 イシュドが肩をすくめた。

「お前には分からないことだろうがな、弟というのはこういうときに不便なものだ。血に貢献しようにも、すべきことが見つからん。そのくせなにも為さずには家にいられない。だから出てきた」

 ルカはぴくりと眉を揺らす。

「待ってください、出てきた? まさか家出?」

「ああ、不名誉な言い方をするのであればな」

 ルカの目の前が真っ白になった。椅子から転げ落ちそうになる体を、やっとのことで引き止める。

 ひねりだした声は、普段のそれよりも低かった。

「家出に不名誉も何もないでしょう。それじゃあお家の方は、イシュドさんが今どこにいるかも知らないんですか」

「親に関してはわからんが、兄二人は俺の行き先を掴んでいるらしいな。だからセシルがここにいる。俺はひとりでいいと言ったんだが」

 それとなく豆をセシルの取り皿に放りこんで、イシュドは渋面をする。セシルは「イシュドさまを野放しにするなと言われたもので」と頬を掻きながら、豆の山を主の皿に移し返していた。

 兄弟のようだと呆れ、ルカは頭を抱える。それもどちらが上だかわからないようなものだった。かちゃりかちゃりと響き続ける食器の音を、「やめなさい」とたしなめる。

 腹の中で、ふつふつと何かが煮えたぎっているのを感じていた。ルカは食卓から目を逸らす。

「ユ・タスに来たのは、なら、道楽のついでだっていうことですか。いいとこの三男坊が遊び半分で発掘に手を出したって? ……冗談はよしてください、そんな気まぐれに振り回される方はたまったものじゃないんです」

 言葉を選んでいる余裕はなかった。訪れた沈黙の中、イシュドとセシルが目を見合わせるのを、ルカは視界の外に感じ取る。胸には炭の塊が降り積もるような感覚を覚えていた。あんまりだとルカが目を逸らしたとき、ぽつり、と間の抜けた音が耳を叩く。晴れ空はいつからか鉛色の雲に覆われており、糸のような雨を流し始めていた。

 音の重圧に押さえつけられるようで、ルカはじっと身を固くする。自身の手元をさまよった少女の目に、青年のスプーンが持ち上げられ、ふたたび下ろされるのが見えた。

「道楽じゃないさ」

 イシュドの声が、ルカの棘を撫ぜていく。

「だったらなんだって――」

 弾かれたように顔を上げて、ルカは唇を噛む。イシュドはルカの癇癪を気にしたふうもなく、平然とした顔で豆を一粒口に運んでいた。しばらく舌の上のものと格闘してから、ようやく飲み込んで眉を寄せる。

「どこに行こうと、どんな方法を取ろうと、俺の目指すことは変わらん。イシュド・ホルムスの身は家のためにあるからな」

 イシュドの瞳が、ほの暗い光を受けて爛々と輝く。ルカの家に放られたものに、その瞳ほどまばゆく光る金属はなかった。たまらなくなって瞬きをしたルカに、イシュドは肩をすくめてみせた。

「俺は発掘で得た資金で事業を興す。元手は家に頼ろうと、数倍、数十倍にして返してやるためにだ。了解を得ずじまいだったおかげで、その元手もいささか頼りないが……まあ、お前に賭けることにしたんだ。あとは信じるほかにあるまい」

 ひと呼吸を置いて、必要ならば豆でも食うさ、と軽口を叩く。

 気付けば机上の皿はほとんどが空になっていた。セシルが手早く皿を抱え上げて、流しへと運んでいく。洗い物を始めた少年の背を、ルカは星を見るような目で眺めていた。

「……もぐら、って呼んでいるんですよ、私たち。けなしているんです。あなたみたいに、一獲千金を夢見てここに来る人たちのことを」

「もぐら、もぐらか! それはいい」

 イシュドは大口を開いて笑う。ひとしきり笑声を響かせてから、林檎の乗った皿に手を伸ばした。蜜の通った果実を頬張って、ごくりと飲み込む。

「あれほど勤勉な動物もほかにいないだろう、例えられるのも光栄というものだ。いいか、俺は必ず夢を掘りあてるぞ、ルカ。そのためにお前を雇ったんだ。後悔させてくれるなよ」

 ルカの頭を一撫でし、イシュドは椅子を引いて立ち上がる。手の水を拭っていたセシルを呼んで、ルカをふり返った。

「傘を借りられるか。街に部屋を取っているんだが、そこまで濡れて歩くのではかなわないからな」

 呆気に取られていたルカは、はっと我に返って玄関に足を向ける。暗がりのスコップや杭の数々に足を取られながら、やっとのことで傘立てに手をついた。

 冷えた外気が染み込むせいか、納屋を兼ねた一室にはひんやりとした闇が巣食っている。ルカは知らぬ間に荒くなっていた息を吐き出した。縋るように見すえた先にあるのは、濁りきった夜ばかりだ。

「信じる、だって」

 さあ、と降り注ぐ雨音に耳を澄ます。痛いほどの拍動を押さえつけようと、胸元の布を握っていた。

「……私は、遺物なんかを掘りあてたいわけじゃないのに」

 呟き、耳元の熱を追い払う。

 夜が侵食してくる。足の爪、髪筋から、立ちつくすルカを取り込もうとするかのように。

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