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穴掘りもぐらと弔いの一月  作者:
期限は一月
1/22

 雇われ人に融通を求めてはいけない。彼らの仕事に例外は存在しないのだから、お決まりの返事を聞かされる以上の対応は期待するだけ無駄なのだ。

 定められた仕事を求められるままに、考えうるクレームには同じ対応を――レールの上をひた走る列車のように、あるいは時計の針のようにあくせくと、働き続けることだけが労働者の役割だ。

 しかしその例外を認めさせないことには、ルカの未来に光はないのだった。

「……どうにかお願いできませんか。あと数日でいいんです」

 懇願を乗せて、ルカの掌が机に落ちる。

 昼時の斡旋所。キーボードの響かす打鍵の音は、さながら機関銃のようにルカの耳を撃ち抜いていく。虫の羽音じみた環境音の洪水の中、神経質なペン先が、絶えず机をこすり続けていた。

 ルカの姿をカウンター越しに眺めながら、受付嬢は顔色のひとつも変えはしない。

 気まじめを絵に描いたような女性だ。きりと結ばれた唇に、乱れたところのない制服。あくまでも首を振り続ける彼女の髪は、肩で乱れて渦をつくるほどだった。

 ふと目をやれば、受付の向こう側には今も忙しく歩き回る職員の影がある。そんな中、カップを片手に一服を楽しむ男は、ルカを半笑いの表情で眺めていた。昼過ぎに受付を訪れては懇願を続ける少女の姿は、どうやらすでに斡旋所の名物と化しているらしい。

 ――何度も言うようですけどね、と受付嬢はくり返した。

「割り当て地への納付金が、もう半年も納められていないんです。滞納金額は先ほどお伝えしたばかりでしょう? そちらに規則を破られている以上、こちらがあなたのご要望を呑む理由はありません。お引き取り下さい」

「それにしたって、あと三日で土地を没収だなんて急すぎませんか。お願いします、すぐに成果を出しますから、それまで待っては――」

 あからさまなため息がルカの耳をつく。言葉を呑みこまされたルカに、受付嬢は眉の端を下げて言った。

「ええ、ええ、よく憶えていますよ、同じことを半年前にも仰っていましたね。あのころは私も新人でした。思わずあなたに情けをかけてしまったことを忘れもしません、あとで上司にこっぴどく叱られたものでしたが」

「そ、それは申し訳ないです、けど」

「あのときはあなたも同じ新人でしたもの。私の気持ちはお分かりいただけますよね、アマレットさん。ようやくひとりで受付を任されるようになったんです、涙ぐましいでしょう? 業務に例外が成立しないことも、今ならちゃんと理解しています」

 押し殺された笑声がルカに届いた。カウンターを超えた先で、事務員が口元を押さえている。情けなくなって受付嬢に目を戻しても、変わらない鉄面皮がルカを待ち構えているだけだった。

 取りつくしまもない、とふがいない思いで唇を噛むのも、これで四日目だ。女性は勝ち誇ったように胸を張る。

「もう一度くり返します、ルカ・アマレットさん。三日後の正午までには、三十一区発掘場からの立ち退きをお願いします。未払いの納付金が支払われない限り、この決定に変更はありません。指定時刻に私物が残っていた場合は差し押さえの対象となりますのでそのつもりで」

「ちょっと」

「では、ごきげんよう」

 挨拶を区切りに、受付のベルがちいんと鳴る。机上に示された待機番号札の表示が切り替えられるのを、ルカはうらみがましく見つめていた。すぐに押しかけた中年の女性に、突き飛ばされるようにして立ち位置を譲ることになる。

 先ほどとは打って変わってにこやかな対応を取り戻した女性を、遠くからにらみつけて数秒。無駄だと悟って踵を返した。人でごったがえす二階受付所を、鼠になった心地でかいくぐっていく。

 国設の斡旋所を訪れるのはルカのような遺跡掘りばかりではない。遺跡掘りを雇用する資本家、発掘用具売買の営業許可を求める商人、その他発掘に指一本でも関わりのある者たちであれば、みな一度は斡旋所に赴くように定められているためだ。そのため比較的来客の少ない平日の昼どきとあっても、受付に辿りつくには十人の先客を覚悟しなければならないのだった。

 もちろん受付嬢には時間を無駄にしている余裕などない。何度となく現れては彼女らの慈悲を乞うルカに対し、風当たりが強くなるのも当然のことだった。

「はあ」

 深くため息をつく。じっと足元を見つめていたせいで、前方の注意がおろそかになっていたようだった。真正面から人に衝突して、ルカははっと顔を上げる。

「すみません」

「こちらこそ。失礼をした」

 おやと思う。格式ばった言葉選びに、洗練された公用語の発音。公国で生まれ育ったルカでも、そう耳にすることのない喋り方だった。それを吐き出したばかりの青年は、言葉遣いに見劣りしない礼服を着こなしている。

 ルカはおそるおそる視線を上げて、思わず身を固くした。

 跳ねひとつなく整えられた暗い茶髪に同じ色をした瞳、つやのある唇、通った鼻梁。石膏像のようなうつくしさを持ち合わせた顔立ちに、高みから見下ろされている。

 それに引き換え自分はと言えば、上下の繋がれた作業服の上から、せめて見苦しくないようにと上着を羽織っただけの服装だ。手ぐしで撫でつけた茶の髪が、あちらこちらに飛び跳ねてしまっているのも自覚している。

 ルカは立ちくらみを起こしそうな思いで口を開いた。

「服。すみませんでした」

「うん?」

「こちらの服には土がついていたので、汚してしまっていないといいんですけど」

 確認を促すものの、しみや汚れが見つかったところで、それを賠償するだけの懐の余裕はないのだった。怯えながら返答を待ったが、青年は不思議そうにルカと自分とを見比べて、いいやと首を振るだけだった。

「特に問題はないだろう。……ああ、ときに。失礼ついでに伺うが、発掘家雇用願いの受付はあちらで間違いないか」

 青年が指差す先には、ルカを追い払ったばかりの女性が座っている。ルカは苦々しく思いつつ、いいえと首を振った。

「あちらは総合受付なので、専門部署を案内されるだけになると思います。待つのが嫌であれば、雇用の受付へ直接行かれたらどうでしょうか。もうひとつ階段を上ったところにありますから」

「そうか。助かった、礼を言おう」

「いえ」

 背筋をしゃんと伸ばして、彼は颯爽と階段を上っていく。私服や作業服の溢れる斡旋所では、その立ち姿さえ人目を引いた。

 ユ・タスの町民ではない、ということだけは伺えた。遺跡の街を礼服姿で歩こうものなら、裾も袖もすぐに土埃にまみれてしまう。彼の発言を鑑みても、遺跡掘りを雇用する立場の人間であることは間違いない。

 ならば彼もまた“もぐら”の一匹なのだろう。ルカの表情は渋くなる。

 その上、と反芻したのは青年の腰元だ。そこには飾り鞘に包まれた、ひと振りの剣が下げられていたのだ。剣の有無で身分が示せた時代は、もう一世代も昔のことだというのに。

「変な人……」

 ルカは呟くだけ呟いて、彼の存在を頭から追い払う。同じだけの評価を斡旋所から受けていることは百も承知だった。

 雑踏を左から耳へ聞き流し、淡々と階段を下りていく。一階受付を素通りして木の扉に手をかけた。土埃を連れた風が入り込まないよう、人気の多い時間帯であっても、その扉は固く閉ざされている。

 深く息を吸い、腹に止めて、扉を押し開く。

 外へ出た途端に風が吹き付け、ルカの瞳に砂を放りこんだ。ごしごしと目元をぬぐっても、視界はじわりと染みだした涙に滲む。

 ――泣きたいな、と思う。

 同時に、泣いて解決するようなら万々歳だと笑う自分がいた。

 もう一度目蓋をこすり、ルカはユ・タスの街へと踏み出す。年中砂煙の舞う遺跡の街こそ彼女の生まれ育った故郷だ。乾燥しきった大地が、ルカの足元できちりと鳴いた。

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