俺さま、頼朝さま
「好きだ」
言えない。
言えるか。
言っても、さらっと流されるか
または思いっきし引かれる。
俺の手前、30センチ。
至近距離でサラサラと揺れる長い髪の毛にこっそりと指を伸ばす。
くそぅ、触りてぇ。
思いっきり絡めとってこちらを向かせてぇ。
向かせたら、そのまま押し倒して、あの日のように喘がせてやりてぇのに。
なのに……
「なんで俺は女なんだっ!!」
心の中で叫ぶ。
俺さま、頼朝さま。
『イイハコ作ろう鎌倉幕府』
その初代将軍、源頼朝。
……つか、イイハコって何だよ。
俺が作ったのはクニだ。ハコじゃねぇ。
いや、どっちだっていい。
今の俺にとっては、そんなのどっちだっていい。
差し当たっての問題は、
俺に男としての記憶があり、
それも源頼朝としての記憶があり、
目の前に愛する妻、政子がいて
すっげーワフワフな状況なのに、
俺ってば女の姿をしてるから
おいそれと抱きつけねえってことだ。
その時、どしーん、と何かがぶつかってきた。
ワフワフと飛びついてくる。それは犬。
「兄ちゃん! 見て見て! いいもの見つけちゃった!」
いや、犬ではない。男だ。
「ほらほら」
言いながら、そいつは俺の鼻先に紙っぺらを押し付けてくる。
俺はその紙っぺらをぐしゃりと握りつぶすと、そいつの襟首を掴み上げた。
「て・め・ぇ、ガッコでは話しかけるなと言うたを忘れたか。こんの脳筋男!」
犬、こと脳筋男は、しゅんと肩を落とし口を軽く尖らせる。
が、その後「あ」と口を開いて俺に目配せをしてきた。
はっと気付けば、政子が足を止めてこちらを振り返っていた。
「トモちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
「セ、セーコちゃん……」
俺は一瞬うろたえる。
が、とにもかくにも俺は犬を掴んでいた手をぱっと放し、慌てて手を横に振った。
「な、な、な、なんでもないのよっ! これはね、えーとね」
バチンと犬の顔面を張り手でぶっ飛ばす。
「やだもー、ツネったら悪い点取っちゃったテストなんか持って来ないでよー! 恥ずかしいったら!」
「え……」
頬を抑えて廊下にうずくまる犬、いやツネに俺は石化の呪文「ブレイク」をかける。冷たーい眼差しで。
てめぇ、今何か喋ったらコロス。
政子は驚いたような顔をしていたが、少ししてにっこりと微笑んだ。
「トモちゃんとツネくんは本当に仲良しね。……いいなぁ」
心から羨ましそうに、ほぅ、と吐息を漏らす。
待て待て。
政子、おまえ、今誰のことを想像してピンクのため息ついた?
この……浮気者っ!
「セーコちゃん、いやだわっ! ツネはただの幼馴染みよ」
俺は、きゃるんと答えて政子の元に駆け戻った。
それから、何気なーく政子の背中に腕を回して身体をすり寄せる。
「ほら、行こ? 先輩が帰っちゃうよー」
が、政子は足を留めたまま動かない。
「セーコ?」
ちょっと距離を詰め過ぎたか?
ドキドキしながらその顔を覗き込んだら、政子はきゅっと唇を噛みしめていた。
「トモちゃん、やっぱり一人で行くわ。私、頑張るから」
政子は手にしていた紙袋をぎゅっと握りしめた。
その中には言わずもがな、バレンタインのチョコレート。
渡す相手は弓道部の先輩。
いやいや、頼む。頑張らないでくれっ。
「そんなこと言わないで! 私たち親友じゃないのっ!」
一人で行かせてなるものか! と、俺は政子の腕を取ると、自らの手をその中に通した。
……が、その途端、俺の脳は桃色に染まる。
おほ〜、柔らけ〜。
これこれ。これだよ。
政子の二の腕の内側は、もちもちのふわふわ。
弓道のせいで右腕が太くなったと気にしてはいるが、別にそんなことはないと思うし、左腕の内側なんかムッチャ柔らかい。昔も弓はやっていたが、あの頃はそれこそガンガンにやっていたから、それに比べたら今なんか赤ちゃんみたいだ。
それに……。
ニヤリと心の中でほくそ笑む。
俺の右腕に当たっている柔らかな膨らみ。
昔より食べ物が良いせいか、胸の発育も良いようだな。うんうん。
しかし下着は邪魔だ。ワイヤーなんか固いし、がっちりガードされているみたいで好かぬ。
でもまぁ、外すのは簡単だから良いとするか。
が、その後でふと忌まわしい事実を思い出し、チッと舌打ちをする。
だから、何で俺は女なんだよ……
政子はまだ迷うように俺の顔を見つめていたが、有無を言わさぬ俺の迫力に負けたか、小さく頷いて手にしていた紙袋を握る力を少し緩めた。
よしよし、それでよい。それでよいぞ、政子。
「でも、ツネくんはいいの?」
「いいの、いいの」
あはん、と俺は笑う。
「大切な幼馴染みなのに」
いいや、あれはタダの犬だ。
「トモ、あなたツネくんにチョコあげたの? もしかして彼、トモのチョコを貰いに来たんじゃないの?」
政子の言葉に俺はケッと心の中で唾を吐く。
「それないー、ありえなーい」
「でも……」
「いいから行こ! 急がなきゃ!」
「あ、うん」
俺は政子の腕を引っ張り、歩き出した。
政子が歩き出したのを確認した俺は、チラッとツネの方を振り返り左腕を軽く上げる。
その途端、俺の腕から白い影が飛び出した。
影の正体は尻尾の長いキツネ。
キツネはふわりと廊下に降り立つと音もなく走った。走りながらその姿をヒトのものに変えると、ツネ、こと義経の元へと辿り着く。そして、義経の首を白い手で締め上げた。
「政子といる時に声かけるんじゃねぇ!出直せ、この痴れ者が!」
声も姿も俺のもの。でも、他のヤツらには見えないはずだ。
義経は「ギブ、ギブ」とバンバン廊下を叩いた。
俺の姿をしたキツネは口を引き結ぶと、義経の頬をその手で挟み、目と目を至近距離で合わせる。
「それより、分かっておろうな。今すぐ弓道場に向かい、雅仁をなんとかしろ」
言い終わるが早いか、キツネは忽然と姿を消した。
あとは風が吹き抜けるだけ。
義経は何もない空間に向かってコクコク小さく何度も頷くとおもむろに立ち上がった。廊下の窓をガラリと開け、ひらりとその身を翻す。
「あ!」
女生徒の小さな悲鳴が聞こえて、俺は肩越しにちらりと振り返る。
ここの廊下の窓の下は急な坂になっていて、その下にはフェンスがある。義経は崖を斜めに駆け下りながら、武道関連の部室が並ぶ辺りを目指してひた走っていた。
俺は政子に聞こえないように小さく舌打ちをする。
あんの脳筋男。
ここはひよどり越じゃねぇっての! 普通に廊下と階段を使いやがれ。
でも、まぁいい。あのスピードなら俺たちが弓道場に着く前に余裕で雅仁を処分出来るだろう。
あいつは目的の為なら手段を選ばないからな。
それから俺はスカートのポケットの中に突っ込んだ紙切れをかさりと取り出した。
そこに描かれていたのは、一つの地図。
古地図だ。
俺はぺろりと軽く舌なめずりをし、それからまたその古地図をしまった。
今度こそ、ぜってー見つけてやるぜ。十種の神宝……