プロローグ
よろしくお願いします。
……なぜこうなった。
私は好きでもないのに鏡の前にじっと座り、好きでもないのに髪をいじられ、好きでもないのに化粧をされながら思う。既に三回繰り返したが、好きじゃないのだ。これから行く王城での舞踏会だって、好きな要素は一つもない。
なぜこうなったって、全部私のせいなのだが……。
一週間ほど前の話になる。私は専属魔術師であるネムと共に私用を済ませ、屋敷に戻っていた。その道のりの中で、ひたすら目立っているやつが一人、屋根の上で寝そべっていた。周りに人が群れて、口々に「フェリクス様よ!」だの「なんて素敵なの!」だの「かっこよすぎるわ!」だのと黄色い声で言っていたが、あくまで言われている本人は屋根の上に寝そべっているだけである。その歓声が次々に呼ぶ名前の「フェ」の字を聞くや否や、私は危険を察知し、ネムに回り道をしようと言いかけたのだが、やつの方が一足速かった。フェリクスはむくっと起き上がり、こちらを見てニヤリと笑ったかと思うと、屋根を身軽に飛び移り、シュタッと私の目の前に降り立った。フラグが立った瞬間である。
クルッと背を向けて走り出そうとした私の襟首の部分を後ろから掴み、呆れた様にフェリクスは笑った。
「そんなに急いで逃げる必要はないだろ」
観念して前を向くと、赤髪赤目の美青年が立っていた。見た目はともかく、私はこの人が苦手だ。
初対面のときから街中で手にキスするし、気に入られたんだか何だか知らないけれど付きまとわれるし、デートの予定を勝手に立てられそうになるし、一種のストーカーだろうか。
それでもこの人を訴えられないのは、彼が王族だからだ。この国の今の王子のいとこに当たる。そんな人を訴えるわけにもいかず、とりあえず私は無視を決め込んでいる。
決め込みたいんだが……。
「で、シェリー、予定はいつ空いてる? 一緒に行きたい店を見つけたんだ」
満面の笑顔で言うフェリクス。私は今までと同じように、のらりくらりとかわそうと笑顔を浮かべた。
「えっと、ごめんなさいフェリクス様。私、最近忙しくて、一緒に出かけられないんです。また今度お願いしますわ」
私はそのままネムの手をつないでそーっと逃げようとしたが、もう一方の手をガッシリつかまれた。
「ダメだよー、この前もそう言って逃げたじゃないかー」
そのまま手を引かれて気がつけばフェリクスの腕の中にいた。逃げたい。切実に。というか、この状況で叫び声をあげなかった私を誰か褒めてほしい。
ふとフェリクスの肩の向こうを見ると、先程まで群がっていた人々がこちらを見て唖然としている。どうしよう、この状況は危険だ。私が変な恨みの的になる!
ネムに救助を求める視線を送ってみるが、ネムは周りをひらひらと舞う蝶に目が釘付けになっていた。期待した私がバカだった。
「今週の休日は? 何か予定があるの?」
頭上から降ってきた質問に答えるべく、私は頭をフル回転させた。確か……確かその日は王城の舞踏会があったはず! 行く気なんて全くないけど、口実にはちょうどいい!
「その日は王城の舞踏会が開かれるのでそこに……」
「え、本当? 舞踏会行くんだ! シェリーはそういうの面倒くさがると思ってた」
はい、その通りでございます、とはさすがに言えない。
「ふーん、じゃあ俺も行こうかな」
え……?
「俺のいとこの家族主催だろ? それなら俺この前断ったけどアルノのやつにもう一回言えば大丈夫なんだよねー」
しくじった!! そうだった、フェリクスは腐っても王族。舞踏会ぐらい参加していても不思議は全くない。
「あ、えっと……」
「んじゃ、舞踏会でね」
最初よりもますます満面の笑顔になって、フェリクスは私をあっさりと離し、手をひらひら振りながら去っていった。群集もついていく。
「バカしたね」
ネムの一言に私は頭を抱えた。
そして、今に至る。
仏頂面で鏡を見ると、私の明るい茶色の髪をくしでとかすネムが映っている。ちなみにネムは究極的に身長が短いため、台に乗った状態である。ネムは常に黒いネコフードをかぶり、薄紫色の眼をしている。前髪だけ覗いている白い髪は彼女が有能な魔術師である印らしい。自称だから確かではないが。口数が元々多いほうではないが、聞き上手である。その聞き上手である彼女に私は愚痴を先程から言い続けている。頬を膨らまし、視線をおろした。
「ここで着飾ってもフェリクスに会うだけでしょう? むしろ破壊的な顔をしていた方が逃げ出されるからいいかも」
「破壊的な顔……」
呟いたネムが髪をとかす動きを止めたのが気になって鏡に視線を戻すと、ネムが魔術用の杖を振り上げていた。私が全力で止めたのは言うまでもない。
「ちょ、ちょ、待って何する気よ」
「破壊的な顔にしてあげようと思って」
「え、それ元に戻せるの?」
「……」
「ちょっと!?」
冗談と言ってネムはニヤッと笑った。冗談にしては相当身の危険を感じたんですが……。
「もう準備終わるよ」
ネムが私の髪をポニーテールに結い、杖を一振りすると、私の髪がスルスルと上がってふわふわとしたお団子を作った。それに赤い花が咲き乱れた髪飾りを挿すと、ネムは仕上げと言って、魔法で頭上からキラキラしたものを、赤いドレスも含めて全身にかけた。
「魔法の効き目は12時まで」
「え?」
「いいの、お話にあるの」
そう言ってクスリと笑うネムは可愛かったが、何のことを言っているのかわからなかった。
ネムにセットしてもらって、その後馬車に乗って舞踏会に来たが……。
「何この人の多さ」
あまりの人の多さに唖然とした。自分は全く興味がなかったが、世間ではこの舞踏会は話題になっていたのかもしれない。何しろ王城で開かれる舞踏会だ。
「この舞踏会は比較的低い階級の人でも入れるようになってる」
隣のネムが言った。それもあって多いのか……。そういえば。
「ネムは着替えないの? そのネコフードローブ」
すると真っ黒なネコフードを両手で押さえつけジトッとこちらを睨んできた。どうやら取りたくないらしい。
「レディー、招待状を」
門番がこちらに手を差し出してきた。私は父から預かった招待状を手渡し、ネムの手をとって王城に入った。
予想していた熱気に包まれ、ネムが自分の体から冷気を発したのがわかった。何よりも湿気と熱気の嫌いなネムからしてみれば、当然の行為と言えるだろう。湿気と熱気を人並みに嫌っている私からしてみても、ネムから離れたくないと思うのは当然のことなのだが、残念なことに途中までつないでいた手は王城の中心に入るにつれ混んできた人々によって離された。要するにはぐれた。まぁ、帰るときは私が呼べばネムがわかるようになっているのだから、それはいいのだけど。
とりあえず人ごみを抜けようと部屋の隅に寄っていると、城の入り口から黄色い声が聞こえた。この状況で危険を察知しない方がおかしく、私は慌てて人ごみの中に戻った。
本当は舞踏会にいっそ行かないようにしようかとも思ったが、そんなすぐにばれるような嘘をつくのも気が引けて、姿だけちらと見せればいいかなということになったわけだが……。
それにしてもなんで赤いドレスなんて選んだんだろう。目立ちすぎ!
できるだけ城の奥に奥にと逃げていくと、後ろから「あ、シェリー!」みたいな幻聴が聞こえたような気がして余計に焦った。人と人の間を走る走る。
そんな状況で転ぶのは目に見えている訳で……。
「キャッ!!」
ドレスの裾を踏んで、マヌケにも大きく転んだ。転んだ先に誰もいなかったのが幸いだった。誰も道連れにしていない。
ほっとしたのもつかの間、周りの音が全ての消えたのに気づいた。え、と後ろを見ると、皆息を呑んだ状態で固まっていたり、口に手を押さえたまま止まっていたり、目を見開いていたり……。
ものすごくいやな予感がして前を向いた。見上げると、国王、后、王子の席が目の前に有り……。
王子本人が目の前で手を差し出していた。
「大丈夫ですか?」