「19時」
過去、文芸誌に掲載していた作品です。
七時には食卓につき、みんなで手を合わせ、食事をする。物心ついた時から、ずっとそうだった。
だから自分の中で、「七時には夕飯を食べる」ということがいつの間にか習慣化していた。
母の手料理を食べながら、姉や父、母と話をする。それが「普通の夕食」だと、信じて疑わなかった。
この少年に出会うまでは。
***
「いりません。これがあれば、十分なんで」
少年はけろっとした顔つきで、五百ミリのペットボトルを持ち上げてみせた。
「あと、これもあるんで。」
思い出したように、リュックサックから某栄養食品を取り出してみせた。黄色いパッケージで、二本とか四本とか入って売っているやつだ。
俺は唖然とした。カルチャーショックとは、まさにこの事だろう。新人類に出会ってしまったような気持ちになった。それとも、ジェネレーションギャップっていうのか、これは。
「それが夕飯…?」
俺は信じられなくて思わずきいてしまった。少年は顔色一つ変えず言った。
「僕、普段からあまりお腹空かないんで。一応栄養は摂れますし、これ。」
現代っ子恐るべし。食事にも関心が無いとは、もはや、違う生命体としか思えない。衝撃が強くてしばらく立ち尽くしていたが、何だか心配になり、俺は少年に問いかけた。
「でもそんなものばかり食べてたら、体に良くないんじゃないかな…?やっぱりちゃんとした物、食べた方が良いと俺は思うよ」
少年はペットボトルの水をごくごくと飲むと、机の上に問題集やらペンケースやらを広げはじめた。こっちの発言などまるで無視だ。
俺はもう一度、話しかけた。
「おじさん、久しぶりに料理したもんだからさ、裕章君にも味見してみて欲しいんだよね。美味しくなかったら、残しちゃってもいいからさ…」
裕章、と呼ばれた少年は少しいらついた様子で、俺の方を向いて、「遠慮します」と言った。
「勉強しなくちゃいけないんで。」
わざと聞こえるような声で、そう付け足した。これでは、話を聞いてもらえそうに無い。俺は小さくため息をついて、薄暗くなった廊下を歩き、ダイニングへと戻った。
ぱちん、と電気をつけると、テーブルの上には先程盛り付けたカレーライスが二皿、置いたままになっていた。時間が経ったせいか、カレーの表面が固まってきている。ドアから見て左奥の席に腰を降ろし、カレーライス一皿を引き寄せた。「いただきます」と小さく言って、カレーをスプーンですくって口へと運ぶ。時計をちらりと見ると、ちょうど七時だった。
「七時には夕飯を食べる」習慣は、二十九になった今でも、根強く残っている。外食をするときは例外だが、それ以外の時は必ず七時に夕飯を食べるようにしていた。そうしないとなんとなく落ち着かず、消化不良になるような気さえしていた。ここまで来るとなんだか迷信のようだが、それを止めようとは思わなかった。
冷めてしまったカレーはあまりおいしくなかった。テーブルの片隅に、もう一皿のカレーがぽつんと置かれていた。
ダイニングテーブルの左奥に座るのも、小さい頃からの癖だ。家族皆で食事していた頃、この席が俺の定位置だった。向かい側に母、右隣に姉、そして斜め前に父。
毎日ご飯の時間になると、俺は誰よりも早く席に着いたものだった。そして姉が、あんたも手伝いなさいと口を尖らせながら、母の手伝いをし、父は新聞を片手にゆっくりとやってきて、いつも母と姉を怒らせていた。ご飯が冷めてしまうでしょ、早く来てくださいな、と。
カレーを食べ終え、流し台へ皿を運んだ。ぽつんと置かれたもう一皿のカレーにはラップをして、冷蔵庫へ入れた。そしてまた、左奥の席に座ってみた。
昔はこのダイニングテーブルで、四人そろって食事をした。母が作った料理をつつき、会話をしながら食べた。特に父は、とても嬉しそうな顔をして食べていた。
父は元来食べる事が好きな人だった。特に、母手作りの料理が好きであった。だから母が時々、面倒になってお惣菜で済まそうとすると、父はとても怒った。
「ちゃんと手で作りなさい」
と言った。しかしそう言っておきながら、父は自分では何も作ろうとしなかった。その事で母とよくもめていた事を覚えている。
お酒が入ると父はますます上機嫌になり、よくこう言っていた。
「おいしい食事というのはな、食事だけでは成り立たん。一緒においしい、と食べる人が居るからこそおいしいのだ。よく覚えておくんだぞ。人生で一番大切なことだぞ。」
父が何度も何度も言うものだから、もうすっかり覚えてしまった。東京へ上京している間も、寂しくなると、いつもこの言葉を思い出していた。
なるほど、いい言葉だと思う。二十九になった今も、そう思うのだ。
すっかり暗くなった廊下を歩き、俺はふすまの開いている部屋を覗いてみた。部屋の中では、少年が問題集と向き合っている。
「裕章君」
俺は呼びかけた。少年は嫌そうな顔をして、こっちを見た。
「何ですか」
「カレー、冷蔵庫に入れておいたから。お腹空いたら食べるんだよ」
「いりません」
頑なに断られた。これでも十二歳というのだから信じられない。現代っ子、恐るべし、だ。
「…いつもアレしか食べてないの?」
どうしても気になって聞いてみた。「ちゃんと手で作ったものを食べる」の精神で育った俺からすると、「栄養さえ摂れれば」な少年の考えは、ちょっと許せなかったからだ。
「いけませんか」
「いや、いけないっていうか…お母さん、ご飯とか作るでしょ。それは食べてるんだよね。」
「お母さんはいつも家空けてるんで、ご飯作りません。…いつもお金だけ置いていくんですあの人」
少年はヤケになったのか、問題集を閉じて、机に肘をついて言った。
「…家を空けてる?」
「仕事が忙しくて、いつも家には居ないんです」
少年は、遠い目をして言った。
「だから面倒くさくて。お腹も空かないし、アレだけで十分なんです」
***
裕章君は俺の姉、明美の息子だ。姉は今、「子育てを支援する会」の会長をし、本なども出版し、日本の各地で講演会などもしている。割と有名人だ。東京の短期大学を卒業した後、大手保険会社に就職が決まった上、大学で知り合った男性と結婚した。そしてわずか一、二年くらいで、第一子である裕章君が誕生した。絵に描いたような、順調な人生である。しかし、夫と馬が合わなくなり、すぐに離婚してしまった。一人で息子を養っていかなければならなくなった姉は、仕事を続けながら、自分の子育ての経験を元に、支援プロジェクトを立ち上げた。それが大当たりし、今や全国の母親たちから引っ張りだことなっている。保険会社の仕事は辞めて、現在は子育て支援の方を本業としている。
「子育てを支援する会」を立ち上げたくらいだ。当然、自分の子供の面倒は完璧にみているであろうと思っていた。俺は再び唖然とした。
「東京では家政婦さんが面倒見てくれるんで、問題ないんですけど。お盆の期間は、実家に帰っちゃうんです、家政婦さん。だからこの時期は毎年、おばあちゃん家に預けられるんです」
事情を知らない俺の事を察してか、裕章君はそう言った。おばあちゃんとは、俺の母、里美の事である。
「じゃあ普段はちゃんとご飯食べてるんだね」
俺は少し安堵して言った。家政婦が雇えるほどの姉の財力にも驚いたが。
「いえ、夜は塾があるので、ご飯はほとんど食べてません。家政婦さんがいつも作り置きしていくんで、それを翌日の弁当のおかずにしたり、近所の犬にあげたりしてます。アイツの方が良く食べるし。」
いや、それダメだろ、塩分摂取のし過ぎで早死にするだろ、近所の犬!などと心の中でつっこみ、裕章君の発言に益々不安を覚えた。全然子育てできてないじゃないか姉さん…。
俺は裕章君の姿をじっと見た。腕や足はとても細く、白かった。少し大人びた顔つきをしている。その顔もまた色白であった。黒いフレームの眼鏡の奥、切れ長の目がこちらを見ている。
「何ですか」
いい加減、うるさいおじさんだと思われただろうな。目が怒っている。
でもこちらも引き下がるわけにはいかない。彼の食生活事情は、あまりにもひどすぎる。何としてでもちゃんとした食事を摂ってもらわなければ、この子はいつか生活習慣病で死んでしまうだろう。
俺は裕章君の肩をがしりとつかんで、こう言った。
「明日から、ちゃんとしたご飯を食べること!いいね!」
裕章君は、眉間に思いっきりシワを寄せていた気がする。いや、きっと思い違いだろう。
***
その日の真夜中。居間でテレビを見ていたら、引き戸を開ける音がした。母が帰ってきたのだ。
「遅かったね」
俺は母の荷物を受け取りながら言った。
「…お父さん、寂しがりやだからね。話し相手がいないと可哀想でしょう」
母の表情は、疲れきっていた。
「ご飯は食べたの?」
「…病院に知り合いがいてね、その人が作ってくれたのを頂いたから大丈夫」
「…そうか」
廊下を歩いて、ダイニングへ向かった。電気をつけると、俺は台所へ向かい、やかんに水を入れて、お湯を沸かした。
母は右奥の席に座った。俺がいつも座っている席の、向かい側だ。
棚からお茶っ葉を取り出して、急須に入れる。沸かしたばかりのお湯を注ぎ込み、蓋をして、しばらく待った。
「…父さんの具合、どうなの」
俺は静かに切り出した。
「…何とも言えない。まずはきちんと治療をして、リハビリして…でもそれがいつになるかは分からない。もうあの人も、年だしね」
母は少しうつむいた。
「でもまだ、絵を描きたい、描きたい、って言ってるのよ。懲りないんだから」
「あんな思いしたのにね。父さんらしいや」
「危なっかしいったらありゃしないわ。今度父さんが無茶したら、敏明、あんた止めてやってよ」
「はいはい」
そろそろいいだろう。俺は二人文の湯呑みに、お茶をそそいだ。赤いトンボの絵がかいてある方の湯呑みを、母に差し出す。
「はい」
「ありがと。敏明が入れてくれるお茶、美味しいのよね」
熱いお茶を、母は美味しそうに飲んだ。今日みたいにうだるような暑い夏の日でも、母は欠かさず熱いお茶を飲む。俺が子供の時からそうだった。「七時には夕飯を食べる」が習慣になってしまった俺のように、母にとってそれは習慣であった。
少し元気になった母が、
「そういえば、裕くんはどう?いい子でしょう、あの子」
と訊いてきた。
彼の悲惨な食生活その他諸々の事情を知ってしまった俺は、すぐには頷けなかった。
「…裕章君、毎年来てたんだ」
俺はさりげなく訊いてみた。
「お盆になるとね。明美は忙しいとか何とか言って、裕くんいつも一人で電車に乗ってくるのよ。片道三時間。小学生一人で、そんな長旅危ないって言ってるのに、明美ったら、付き添いすらしないのよ。どうなってるのかしら」
どうやら母は、姉の実態を知っているらしかった。悲惨な食生活まで知っているかどうかは分からないが。
「今年はお父さんの方にかかりっきりだから、裕章君のことまで手が回らなくてね…あんたが来てくれて助かったわ」
そうなのだ。なぜ俺が、姉の息子、すなわち甥っ子と生活しているのか。
「あんたどうせ暇でしょう。私今忙しいから、裕章君の面倒見てくれない」
と突然母から電話があり、東京から片道三時間の田舎へ遥々召還されたからである。
その頃俺は、東京の下町の、ぼろアパートで生活をしていた。お金が無いため、風呂なしのアパートである。その分家賃は安い。近くの銭湯に週に二、三日くらい行って、体を清めるというような生活を送っていた。
そして安いとはいえ、東京である。アルバイトを三つ掛け持ちしていたが、その月の給料はほぼ家賃となって消えた。都会は恐ろしい所である。
それでも、友人やら知人やらから食材を分け与えてもらい、「七時に夕飯を食べる」事は怠らなかった。しかも、最低限のガス代を駆使して、自分で作った。もはや根性である。
母から帰ってきなさいと電話があった時、面倒だと思うと同時にこれで安泰だ、とも思った。この極貧生活からサヨナラできるのだ。
その日を境に、三つ掛け持ちしていたアルバイトを全て辞めた。そしてリュックサックに収まるくらいの少ない荷物をまとめ、ぼろアパートも出て、実家へ向かうべく新宿駅から東北本線に乗り込んだのであった。
母には、仕事を辞めた事は話していない。父の事が落ち着いたら、話そうと思っている。
「明日も病院に行ってくるから、裕くんのこと、よろしくね」
「はいよ。」
さあ、まずは裕章君に食事をさせる事から考えなければ。
***
次の日。気合いを入れて朝ごはんを作った。味噌汁、ご飯、玉子焼き、アジの開き、浅漬け、豆腐にネギとしょうがを添えたもの。そしてひじき。
栄養に良いものを、と意識し過ぎたせいか、やけに立派な朝食が出来上がってしまった。まあ味に問題は無かろう。ぼろアパートでの生活も無駄ではなかったという事だ。俺は太陽の光がさんさんとふりそそぐ廊下を歩いて、裕章君の部屋の前に立った。
「朝食ができたんだけど、どう?食欲、ある?」
俺は襖越しに訊いた。襖の向こうからは、鉛筆を走らせる音がする。勉強しているのだろう。
「無いです」
「和食だよ。味噌汁とか、玉子焼きとか…裕章君、好きじゃない?」
「別段おいしいとも思いません」
昨日の今日で丸くなるとは思ってなかったけれど、それにしても頑な過ぎる。俺はもう少し粘ってみることにした。
「君さ、一生水と黄色いパッケージのやつで生きていくつもりなのかな?」
「おじさん人ん家の事情に首つっこまないでください。…昨日から思ってたんですけど。別に僕が何食べようがおじさんには関係ないでしょう」
…ああん?
「家の母が言ってたんですけど、おじさんフリーターなんでしょ。新卒で就職しなかったって。今みたいに氷河期でもないのに。あんなプー太郎にだけはなっちゃだめだって、母が言ってました」
何かが切れた。いや、百パーセント血管だと思うけど。
「人がせっかく心配してやってんのに何だその態度!」
そう言って勢い良く襖を開くと――――
スケッチブックと向かい合っている裕章の姿が目に入った。彼ははっとして俺の顔を見た。
どうやら絵を描いていたらしい。美しい向日葵が、画面いっぱいに描かれていて―――
そこまで目にしたところで、俺は裕章のビンタをくらった。彼はスケッチブックをさっさと片付けて抱え込み、廊下を走り抜け、玄関の引き戸を開けて出て行ってしまった。
なんで俺が叩かれなきゃならないんだ?
スケッチブックを見ただけだっていうのに…
そんな事を思いながら部屋を見渡してみた。壁中に絵が貼ってある。モノクロのもの、色が塗ってあるもの。花や草木の絵ばかりだ。
そうか、ここは父の部屋だ。
棚にはいらなくなったコーヒーのビンが置いてあって、その中に五、六本の筆が入っていた。そしてその側にはパレットが置いてある。下の段には絵の具がある。スケッチブックが十冊くらいまとめて置いてある箱もあった。
父はよくこの部屋に篭って、絵を描いていた。俺は時々この部屋に入れてもらい、父に絵を見せてもらった。父が誇らしげに絵の説明をし始める。
「これはキキョウっていうんだ。綺麗だろう。東京にはこんな綺麗な花、咲いてなかったろう」
父が見せてくれた花の絵はとても美しく、俺は素直に「きれいだ」と思い、それを口にした。そんな俺の様子が嬉しいのか、父はにこにこと笑っていた。家族皆で食事をしていた頃のような、幸せそうな笑顔だった。
父はよく俺を山登りに連れて行ってくれた。大きいリュックサックに画材を詰め込み、美しい花や草木を見つけては、何時間もかけて鉛筆でそれを写し取った。そんな父の姿をいつも見ていたせいか、俺は父の真似をして絵を描くようになった。
でも、「お父さんの真似」と言われるのが嫌で、いつもこっそりと絵を描いていた。父が自分の部屋へ来ると、スケッチブックを隠したりして―――
「…って、あれ?」
もしかして。
***
サンダルをつっかけて裏山を登ると、裕章がスケッチブックを抱えたまま、ぼうっと座っていた。
「絵、上手いじゃん」
「…」
切れ長の目がこちらを睨む。俺は隣に腰掛けた。
この裏山は、父が大切にしているものだ。家を買うときに、一緒に買ったものらしい。いや、正確には、裏山があるからこの家を買ったのだと思う。
「真似じゃないですから」
ああ、やっぱりだ。
「真似なんて言わないさ。俺もそう言われるの、嫌だったし。立派に自分の絵、描いてるじゃないか」
そう言ってスケッチブックを取り上げ、ぱらと開いた。向日葵の絵。父のものとも俺のものとも違う。裕章の絵だ。
「…じいちゃんが」
「うん?」
「じいちゃんが、一番好きな花は向日葵だって言ってたから。この絵、じいちゃんにあげようと思って」
父の幸せそうな笑顔が、頭をよぎった。
「きっと喜ぶよ、じいちゃんは。世界で一番、絵が好きだからさ」
それを聞いて、裕章はちょっと笑った。はじめて見た笑顔だった。
「そっかあ…」
父親を知らず、母親にも愛されず、そんな少年が心を開けた数少ない人物のうちの一人が、俺の父だったのかもしれない。スケッチブックを大事そうに抱え、裏山を降りていく裕章の背中を、俺はじっと見つめていた。
***
この日も結局、裕章は水と某栄養食品しか口にしなかった。でも昨日よりは、攻撃的な目を向けられなくなったのだ。
「一歩前進か…」
やれやれ、まだまだ先は長いぞと思いながら食器を洗っていると、母が帰ってきた。
「どうだった、今日」
母は昨日よりも疲れた顔で答えた。
「それがねぇ、急に、明美はどこにいる、なんて言うのよ。今はお仕事で忙しいのよって言い聞かせても、ちっとは顔を見せんか、馬鹿娘、って怒鳴りだして。まったく困っちゃうわ。今まで明美のことなんて口にしなかったのに」
姉さんか。ふと裕章の事が頭をよぎった。
姉さんとは、あまり連絡をとっていない。正確には、母からしか情報が来ない。
姉さんは、結婚も、式を挙げずに行った。それも母から聞いたことだ。だから、直接姉と話したのは、俺が今の裕章と同じ年の頃―――十二歳の頃まで遡る。
***
この頃、父と姉は壮絶に仲が悪かった。その原因はこの家にある。元々、俺達四人家族は東京に住んでいた。母も父も、東京生まれの東京育ち。父は銀行員で、それなりに豊かな暮らしを送っていた。
ところが、俺が八、九歳くらいの頃。姉は十四、五歳。中学生で、お洒落も恋もしてみたいという年頃だった。
「田舎に引っ越すぞ」
と父が言い出した。
何でも、父の親友が、田舎に一軒家を建て、悠々自適なスローライフを楽しんでいるというのだ。
「都会は空気が悪いし、物価も高い。田舎でのんびり、好きな事をして暮らしていった方が幸せだ」
父は本気だった。しかし、母と姉は猛反対した。
銀行を辞めたら次の仕事はあるのか。近所の付き合いはどうなるのか。田舎は村社会だと聞く。わずらわしい。せっかくできた友達とはどうなる。洋服屋やデパートが無いなんて信じられない。次々と欠点を挙げ、嫌だ嫌だと抗議の声をあげた。
しかし父は、聞く耳を持たなかった。理想の裏山付の家を田舎で購入し、さっさと引越しの準備を始めてしまったのだ。父はその後、引越し先に農業関係の仕事を見つけ、そこで働くことになった。挨拶のため一度土地を訪れた時、幸いにも近所の人々が良い人ばかりだったので、母は不満を言いつつも父に従ったが、姉はそうはいかなかった。田舎なんて嫌だ、嫌だと言い、公園へ家出したこともあった。しかし、まだ中学生である。経済力があるはずもなく、結局、親についていくしかなかった。
午後七時。ダイニングテーブルの、俺の右隣に、姉はいなかった。初めて新しい家で夕食を食べた時だ。姉は部屋に閉じこもって、泣いていた。
お父さんなんて嫌い。自分勝手、大嫌い。
姉は父とあまり話さなくなった。
いつも会話に満ち溢れていた食卓は、しんとする事が多くなった。
あの頃からだろう。父は、あまり笑わなくなった。
それから時が経ち、俺は小学校高学年に、姉は高校生になった。姉はバイトを始めた。自分でお金を稼げるようになった姉は、家で夕食を摂らなくなった。
姉が俺の右隣に座って食事をする回数は減っていった。
四人掛けのダイニングテーブルは、三人掛けになる事が多くなった。何かが欠けたような虚しい気持ちが生まれ、食事を摂っていても、どこか満たされなかった。
父は、無口になった。
そして、俺が十二歳、姉が十八歳。高校の卒業式の日に、久しぶりに四人で夕食を食べた。その頃になると、姉が居るダイニングテーブルに不自然さを感じる自分がいた。慣れというのは恐ろしい事だ。
「あたし、上京するから」
父、母、俺の前で、姉は堂々と言い放った。
「バイト先の先輩に紹介してもらった、いい短大があるの。あたし、そこ行くから。バイト代貯めてあるから、お金の心配はしなくていいよ」
母はヒステリックに、
「何言ってるの、危ないでしょう!」
と大声で言った。
「高校入ってから、よく家を空けるし…心配ばかりかけて!少しは私達の事も、考えたらどうなの!」
俺は騒ぎが早く静まる事を祈りながら、身を縮こまらせて食事をした。
「お父さんからも、何か言ってやって下さいな!」
父はちら、と姉を見た。姉もちら、と父を見て、すぐに視線をそらした。
「いいんじゃないか別に。明美ももう十八だろう、自分で行動できるさ」
ぼそ、と父は言った。
食事を終え、手を洗おうと洗面所へ向かった。姉が立っていた。鏡に映った姉は泣いていた。俺は声を掛けてはいけない気がして、黙ってその場を去った。
姉は次の日の朝、東京へ向かった。朝早くに出立したため、俺が目を覚ました頃には、姉はもう居なくなっていたのだ。だから俺が最後に聞いた姉の声は、あのすすり泣きだった。
父はなぜ、姉に会いたいと言い出したのか。決まっている。父は姉に対してした事を後悔しているからだ。
父はよく向日葵の絵を描いた。多くの花や草木を描いたけれど、その中でも向日葵の絵は一番多かった。夏はもちろん、秋も、冬も、春も。たくさんの向日葵を描いた。
向日葵は、姉が大好きな花であった。
***
さて、裕章は、今日はどう出るかな。
今日こそご飯を食べさせようと、俺は試行錯誤の末、おにぎりを作る事にした。これなら手で掴めるし食べやすい。
…とか何とか思ったのだが、やはりそう上手くはいかなかった。水と某栄養食品だけでいいですと断固拒否された。俺は新たな手段を打って出た。
「そうか…じゃあそれをよこしなさい。おにぎりと交換しようじゃないか」
「嫌です」
「たまには米を食え!」
「嫌です」
某栄養食品を奪うべく取っ組み合いをしていると、
「いっ…」
裕章が腕をおさえ始めた。さっき俺が掴んでいた所だ。
「…どうした?」
「い…いえ…何でも…」
言いながら、顔は半泣き状態だ。
「…見せてみろ」
何だかとても嫌な予感がした。
左の肩口の辺りに、大きな傷ができていた。斜めに一本、線のようなものが入っている。
「…自分でやったんです、ケガしちゃって」
顔が青ざめている。
俺は何も言わなかった。しばらくすると裕章は肩口をおさえ、うつむいたまま言った。
「…クラスの奴に、カッターで切りつけられて…」
鼻をすする音が、しだいに大きくなっていった。
***
母は有名な、子育てプロジェクトの会長。それだけで非難され、苛められる。自分は何もしていない。ただ、平穏に暮らしていたいだけなのだ。
家に帰っても、家政婦さんが置いていったご飯があるだけ。子育てが素晴らしい、あこがれる、カリスマ、ともてはやされる母は、ほとんど居ない。クラスでも居場所が無い。ひたすら塾に通い、もっと良い環境へ、と願いながら、勉強する事しかできなかった。
そんな自分にとって、お盆は特別だった。
ばあちゃんとじいちゃんは、いつも優しく自分を受け入れてくれた。いつも寂しくて、びくびくしていて、水と少しの栄養食品しか、喉を通らない生活。ばあちゃんもじいちゃんも、それでも良いよと言ってくれた。
でも、絶対一人で食事をすることだけはよしなさい。
じいちゃんは声を大にして言った。
「いいか、裕章。おいしい食事というのはな、食事だけでは成り立たん。一緒においしい、と食べる人が居るからこそ、おいしいのだ。よく覚えておくんだぞ。人生で一番大切なことだぞ。」
それは、自分の心に染み渡った。じわじわと、体中に染み渡っていった。
その日から食事をする時は必ず、ダイニングテーブルに座って、じいちゃんとばあちゃんと三人で食事をした。じいちゃんはばあちゃんの作ったご飯を、幸せそうに食べていた。
お腹が空いたらな、裕章。いつでも言いなさい。お前の分の食事は、いつでも用意してあるからね。
いつか絶対、じいちゃんとばあちゃんと同じ食事をするんだ。いつか絶対に。
「まるで敏明が戻ってきたみたいですねえ」
ばあちゃんは言った。
「ああ…そうだな…」
じいちゃんは少し寂しそうな顔をしていた。
僕の右隣の席が、ぽつんと空いていた。ここは昔、母が座った席だという。
***
父が危篤だという。
俺は急いで病院へ向かった。もちろん、裕章も連れて行った。病室のドアを開けると、母が懸命に父に話しかけていた。俺も裕章も、すぐさま駆け寄った。
「父さん!」
「じいちゃん!」
父は包帯で頭を巻いた姿で、こちらを向いた。どこか弱弱しく笑っている。
「敏明…裕章…二人とも、わざわざ済まんな」
「謝ってる場合じゃないだろう。…容態は」
父は呑気に言った。
「ついさっきまで、手紙を書けるくらい元気だったんだがな」
俺は絶句した。何を考えてるんだこのじいさんは。
父は母の手元を指差した。
「さっき里美に預けた。東京に居る明美に送ってくれ」
「姉さんに…?」
父は俺達からわざと顔を背けた。
「済まんの一言もなく、あの世には逝けないだろう」
俺は取り返しもつかない事が起こるような気がして、身震いした。
「母さん!姉さんは…」
「仕事が終わって、今こっちへ向かっているらしいの」
今から―――そんなんじゃ間に合わない。こんな時まで仕事かよ。俺は歯噛みした。
姉さんは何も知らないんだ。父さんがどれだけ、後悔しているのかを。どれだけ姉さんのことを想っているのかを。
父さんが入院したのだって――――
「じいちゃん!」
裕章が叫んだ。
「じいちゃんこれ見て!僕が描いた向日葵だよ!じいちゃんの大好きな、向日葵だよ」
父さんは目を細めて、その絵を眺めた。
「…たいしたもんだ、良く描けてるな。じいちゃん、すっかり追い越されてしまったな」
一本の細い線のように目を細めて、父は笑った。
「いいか裕章。良く聞きなさい。じいちゃんが向日葵を大好きなわけは――…」
じいちゃんが向日葵を大好きなわけは、じいちゃんの大好きな明美が、大好きな花だからだよ。
***
父は雷に打たれて、意識を失った。
いつもより遠出をして、向日葵がたくさん咲いた畑へ向かった。夕日に照らされた向日葵が、右にも左にも、見渡す限りに咲いている。
父は夢中になって絵を描いた。
あまりに夢中になっていたからだろう。空に暗雲が立ち込めているのにも、気がつかなかった。
気づいた時には、相当近くまで雷雲が迫っていた。畑の真ん中であるため、隠れる所が無い。それに加えて、今日は遠出してきてしまった。急いで元来た道を戻ろうとするが、もう遅かった。
父は雷に打たれた。
スケッチブックには、描きかけの向日葵が残されていた。
父が亡くなったその次の日の朝、姉がやって来た。姉は
気まずそうな顔ひとつせず、
「で、葬儀はいつ?」
と聞いてきた。俺は怒りが抑えられず姉を平手で叩いた。
「信じらんねえ!それでも家族か!」
頬を押さえ、姉は切れ長の目で俺を睨んだ。
「うっさいっつの。あたしにはやることがあんの。自立してんの。ふらふらしてるアンタとは違うのよ」
「なんで今その話が出て来るんだよ!」
「なんでって、あんた分かってないみたいだから。家族って、変わってくものでしょう。あたしは家を出た。だからこの家族とのかかわりはもう無いの。父親が死ぬのだって、自然の原理。いつかはそうなることでしょう。そこでメソメソしてたって、しょうがないじゃないの」
「変わっていく事を惜しむ心くらいあるだろ。ずっと一緒に暮らしてきたんだから」
「あたしはそんなに長く暮らした覚えはない」
ああ、話が通じない。何だってこんなに屁理屈ばっかなんだよこの女。母は黙って話を聞いていた。裕章はじっと姉を睨みつけていた。
左の肩口を押さえつけながら――――
「…さっき自立してるとか言ってたけど、そんなん嘘だろ」俺は再び怒りに震えた。
「自立してる人間が!自分の子供の世話できないはずないだろ!カリスマだかなんだか知らないけどな、自分の子供商売道具にすんの止めろよ――」
今度は姉にビンタをくらった。
「っさい!あんたに何が分かんの!?あたしだって裕章の側に居たいって思ってるわよ。でもあたし一人でお金作っていかなきゃいけないの、分かる!?」
「分からん!自分の子供が苛めにあったり、水と栄養食品しか食べられなかったりするのを知らないような母親なんて親じゃねえ!子供一人幸せにできないなんて、全然自立できてねえよ!」
姉は思いっきり睨むと、まくしたてるように反撃した。
「人の事言えるの、アンタ。全然自立してないじゃない。就職できる時代だってのにフリーターになって、東京フラフラして。どうせ今ここに居るのだって、親のスネかじろうとでも思ってたからでしょ。何にもやりたいことも無いくせに。そんな調子で一生生きていけると思ったら大間違い―――」
「っせえ!!」
俺は姉を思い切り突き飛ばした。
俺だって考えてる。
俺だって考えてる。
俺だって――――
***
高校を卒業して、俺は東京の専門学校へ進学することにした。父の真似をして絵を描き始めてから、もう何年も経っていた。あの時からずっと絵を描き続け、もっと真剣に、絵の勉強をしたいと思うようになっていた。
父は喜んで進学させてくれた。下宿先も決まり、晴れて俺は専門学校生となった。
***
東京で、はじめて彼女ができた。とても穏やかで優しい子だった。アルバイトで同期だったことをきっかけに、付き合い始めた。彼女は女子大に通う一年生だった。
初めて家族がいない空間で、俺は浮かれていた。
専門学校の友人と飲み歩き、彼女の家にも外泊し、とにかくありとあらゆる事を体験した。
家族の顔を思い出すことも、無くなっていた。
そして、絵を描く事も、次第に遠い存在となっていった。
二年後。まもなく卒業という時期を迎えた。一緒に馬鹿騒ぎした友人達はリクルートスーツに身をつつみ、オフィス街を忙しく歩き回る日々を送っていた。
「あれ?お前ら、絵を描いて食ってくんじゃねえの?」
俺は素っ頓狂な質問をした。
「ばっかか、お前。そんなんじゃ野垂れ死ぬぞ。ちゃんと手堅い仕事に就かないとな。…おっと、今日面接あるんだ、また後でな」
「俺大手金融の内定もらったー。明日から飲むぞー付き合え」
「待て待て、俺明日最終面接!飲みなんてムリ」
自分が、置いていかれているような気がした。
自分だけ、変わる事ができない。
この空間から、抜け出せない―――
皆、変わってゆく。
自分が良く知っているものも、人も、街も、何もかもが、変わってゆく。
でも自分は何一つ変わっていない。変われない。
ぽつんと置き去りにされた気持ちのまま、卒業の日を迎えた。
就職活動もせずに、ただ何となくアルバイトだけは続けていた。それは生活費を稼ぐためだけではない。
彼女と働く事のできるこの場所が、唯一変わらないものだったからだ。彼女は相変わらず優しくて、穏やかで、寄り添うように側にいてくれた。俺は彼女を幸せにできたらと、考えるようになった。
そのためにはまず、住むところだ。俺はアルバイトを三つ掛け持ちする事にした。
コンビニと、ガソリンスタンドと、夜中の交通整備。連勤が多くきつかったが、必ず「七時から八時」の間にはシフトを入れないようにした。それは「七時には夕食を食べる」の習慣が身についていたからである。
バイトを掛け持ちしたお陰で、風呂なしだがアパートを借りることができた。俺は下宿先からアパートへと移った。父と母にも、東京に残るという旨を電話で伝えた。両親は、「健康だけには気をつけて」と言ってくれた。就職していないことは勘付いていたと思う。しかし、それについてとやかく言ったりはしなかった。
とりあえず物事は順調に進んでいった。しかし風呂なしではかっこ悪い。もっと立派なアパートを借りられるくらいに働こうと決めた。
そして一年が経ち、彼女は女子大を卒業する年になった。卒業式の日の夜、二人で会おうという約束をした。バイト代を奮発して、安いがなかなかに可愛らしい指輪を買った。「卒業したら結婚しよう」というつもりだった。
今はボロいアパートだけど、そのうち大きなところに住もう。指輪もたっかいのを買ってやる。頑張って稼ぐからさ。そしてゆくゆくは、ダイニングテーブルに四人で座って、七時に手を合わせて夕飯を食べるんだ。これだけは譲れない。いいだろう。
頭の中で何を言おうかと必死になって考えた。
待ち合わせは午後七時。いつもより高めのレストランを予約した。
時計の針が七時に近づく度に、心臓がどきどきした。
そして時計の針が一、二、三…と少しずつ移動していった。
短針がすっかり一周し、八時になった頃、ようやく胸の中にひんやりとしたものが込み上げてきた。
「…帰ろうかな。」
きっと今日、プロポーズされるのだと薄々勘付いていたのだろう。携帯を開くと、「ごめん」とだけ打たれたメールが届いていた。
「やっぱりフリーターじゃキツいかあ…」
愛する女性一人、幸せにできない自分。
ふらふらしていて、漂っているだけ。
とぼとぼと歩いた先には、ラーメン屋があった。のれんをくぐって、カウンター席に座る。自分以外、客は誰もいなかった。
ラーメンをすすっていると、ふと、父の言葉を思い出した。
「一緒に食べる人が居るからこそ…」
おいしいのだ、食事というのは。
こんな時になって父の言葉を思い出し、救われるなんて思っても見なかった。ずず、とラーメンをすすりながら、実家のダイニングテーブルを思い出した。
「二人きりか…」
父と母。隣り合って座り、夕飯を食べているのだろうか。
帰ろうか、と俺は思った。せっかく四人分の席があるのだから。一人増えた方が、寂しさも減るだろう。
その週末に、俺は故郷へ帰った。
***
その日の夕方、俺は裕章を後ろに乗せて、自転車で向日葵畑へ向かった。
「もうすぐ着く?」
「ああ、もうすぐ着くよ」
道路の真ん中に自転車を置いて、俺と裕章は歩き出した。両側は見渡す限り向日葵でいっぱいだ。夕日に照らされてオレンジ色に輝く向日葵畑は、とても美しかった。
「じいちゃんに見せてやりたいなあ」
「…そうだな」
裕章は向日葵畑の中を駆け回った。
「じいちゃんはどの花を描いたと思う?」
「こんなにあったら分からねえよ」
俺は大きな声で言った。
裕章は笑いながら駆け回った。俺も裕章を追いかけて走った。
「ねえ」
「うん?」
「敏明おじさんも絵を描いてたの?」
向日葵が、ざざざ、と揺れた。
「描いてたよ」
「今も描いてるの?」
「描いてないよ」
そう、描いていない。
彼女に振られた俺は、東京から出ていこうと何度も思った。でもなぜか、出ていくことが出来なかった。
それは、せっかく絵の勉強をするために、父に東京に出してもらったのに、何もせずに終わった学生生活への後悔と、父への申し訳ない気持ちがあったからだ。
とりあえず、東京で頑張って生きていこう。忙しい毎日の中、アルバイトに忙殺され、とにかく生きるために生きていたような毎日だった。絵を描く暇が無かった。
「描いてよ」
裕章が、大きな声で言った。
「おじさん、絵、描いてよ。じいちゃんに教わってたんでしょう、上手いんでしょう」
「教わったっていうか…真似してたっていうか…」
「じいちゃん、いつも言ってたよ。敏明の絵はすごいなって。私の絵は花とか草木が多いけど、敏明は人を上手く描きおるって。人を良く見てる証拠だなって」
父さんが、そんなことを…。
確かに俺は、人の絵ばかり描いていた。笑った顔、怒った顔、泣いた顔…
ころころと変わる表情が面白く、夢中になって描いたものだった。
描いてみようか。久しぶりに。
「分かった。鉛筆、あるか?」
裕章はにっこりと笑って、鉛筆を差し出した。
***
数時間前に遡る。俺は姉を突き飛ばし、部屋の中には張り詰めた空気が漂っていた。
「いい加減にしなさい」
今まで黙っていた母が口を開いた。
「明美も敏明も、全然自立できてない。一丁前の口利くんじゃありません」
俺と姉さんはぽかんと口を開けたまま母を見た。
「明美、これは父さんから預かった手紙だよ。これをちゃんと読みなさい」
そう言うと、母は姉さんに手紙を手渡した。
「それから敏明、あんたは今後どうしたいのか、しっかり考えなさい。それと父さんの肩ばかり持つんじゃなくて、明美の立場も考えて発言しなさい」
「…姉さんの立場って…?」
俺はまだ呆気に取られていた。
母は手紙を読む姉の姿を見ながら言った。
「…あの人も、意地を張りすぎたのよ。もっと早く、明美に会っていれば、こんな事にはならなかったのに…」
俺は姉さんを見た。
姉さんは、洗面台の鏡に映っていた時のように、鼻をすすって泣いていた。
「明美へ。
お前が上京して、もう何年経っただろう。今は大きな仕事に携わっていて、有名人になったのだと母さんに聞いた。大変だとは思うが、どうか体だけは気をつけて、生活しなさい。ご飯はちゃんと食べているのか。いつもお盆に裕章君が来るが、彼は食が細いみたいだから、心配している。明美は一人の子の母親となったのだから、ちゃんと、おいしいものを食べさせてあげなさい。手で作るんだぞ。
明美に謝らなければならないことがある。お前の考えも聞かず、引っ越しをしてしまったことだ。家族は家長に従うもの、なんていう古い考えを持っていたこと、そして、田舎に住めばとりあえずは慣れて楽しく暮らせるだろう、と自分勝手に思っていたこと。こんな思い込みのせいで、明美につらい思いをさせてしまった。だから明美が東京へ上京すると聞いた時、ほっとした。これで明美は自由になれるのだと。しかし同時に、これで良いのか、とも思った。このまま関係が修復できないのではないかと。
そして、結局こんなに遅くなってしまった。時が経ちすぎた。たまには戻ってこいと、電話すれば良かった。手紙を書けば良かった。
明美の幸せを邪魔してはいけないと、自分に言い聞かせ、本当はまだ嫌われていたらと思うと、怖かった。
だからお前が好きな向日葵の絵をよく描いていたよ。
これは一番最近に描いたやつだ。良かったら、東京に戻ってから、その辺の壁にでも貼っておいて欲しい。
裕章君のこと、これからもしっかりな。
父、文明」
「それ、じいちゃんが雷に打たれたとき、スケッチブックに描いてあった絵だよ」
姉さんが手に持っている一枚の紙を指差して、裕章はいった。
「じいちゃんはお母さんのことが大好きだったんだよ」
姉さんは泣き崩れた。それを裕章が支えた。
「お父さんっ…」
***
私は、なんて取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。お父さんは、私の事を嫌ってなどいなかったのだ。それなのに私は、ずっと思い違いをしたまま、ここまで生きてきた。
お父さんが勝手に引っ越しの話を進めてしまった時、私は自分の意見を聞き入れてもらえず、父に対してあきらめに似た感情が生まれた。
どうせ私の話なんて、聞いてもらえないんだろうな。
私はお父さんを信用しなくなった。
そして反発精神で、ここから出て行こうと思った。
だから上京することにしたのだ。
「あたし、上京するから」
お父さん怒るだろうな。私は内心そう思っていた。いや、そうであって欲しいと思った。でもお父さんは私を怒らなかった。
「いいんじゃないか別に。明美ももう十八だろう、自分で行動できるさ」
お父さんは私なんてどうでもいいんだ。私が何をしようが、関係ないことなんだ。
悲しくて、涙が出てきた。
今振り返ると、かなり自分勝手だ。でも当時の私は、そのことにとても苦しんでいた。
短大を卒業したら、素敵な人と結婚をして、子供を産んで、仲良く暮らそう。そしたらその子供は、うんと可愛がってあげるんだ。そう思っていた。
だから短大を卒業した後、結婚した。子供も生まれた。大学時代、お付き合いしていたひろしさん。ひろし、とあけみで、ひろあき。裕章と名付けた。
三人で、仲良く暮らそう。ひろしさんはそう言ってくれた。けれど、ひろしさんは、家を空けてばかりだった。大手の出版社に勤めていて、日夜問わず仕事三昧だったからだ。
私は三人で食事をしたり、何処かへ出掛けたりしたかった。だから、よく不満を言ってひろしさんを困らせた。
「そこまで付き合いきれないよ、僕だって仕事あるし。」
意見が合わなくて、離婚した。
幸せな家庭が築けると思っていた。けれど、私は裕章と二人になった。裕章を、私一人で養わなければならなくなったのだ。
私は鬼のように働いた。産休でお休みしていた保険会社の仕事を再開し、会社に裕章を連れて行った。今思えばそうとう嫌がられていたと思う。
私は子育てと仕事を、同時に行わなければならなかった。その辛さは一人では抱えきれず、「理解者が欲しい」、その一心から私はブログを立ち上げた。そして辛い事や頑張った事などを逐一報告した。すると全国の悩めるママから多くのコメントが寄せられた。「私も悩んでいます」「頑張っていらっしゃるんですね」これらの言葉が、私の原動力となった。
母には時々連絡を入れたが、父とは話さなかった。自分を許してもらえてないのではないか、そんな気持ちがあって、なかなか話す事ができなかったのだ。父から嫌われる前に、自分から嫌ってやろう。そうすれば傷つかずに済む、そんな風にも思っていた。
私のブログは、多くのママに読まれるようになった。そして、「子育て支援のプロジェクトを立ち上げよう」という企画が、ブログを通して生まれていった。
私は、その代表を務める事となった。ブログでしかお話していなかった人たちと実際にお会いして、話を進めていった。皆とてもやる気のある人々ばかりで、私も使命感に燃えていった。
「この人達のために、いや、全国の悩めるママたちのために、このプロジェクトを成功させなければ」
仕事の合間を縫って、会議に参加した。裕章はだいぶ大きくなり、託児所等に預けることも多くなっていった。
目的と手段が、少しずつ変わり始めていったのは、この頃だった。
子育て支援のプロジェクトは、着々と進行していった。まず、都内の何箇所かで講演会を開いた。講演をするだけでなく、ママ達の相談に答える時間も設けた。最初は少ない人数だったが、ブログや口コミの効果があってか、だんだん人数が増えていき、ついには室内に入りきらなくなる程人が集まるようになった。
ありがとうございます、来て良かったです、そんな事を言われるととても嬉しくて、自分は人の役に立っているのだと、実感することができた。もっと、悩んでいる女性達の力になりたい。私は寝る間も惜しんで、ブログのコメントに返信をしたり、講演の打ち合わせをしたりするようになった。
裕章にはいつも何を食べさせていただろう。私はあまり料理が得意ではないというのもあって、ご飯だけ炊いて、仕事の帰りにお惣菜を買って、という事が多かった。
裕章はどんな顔をしてご飯を食べていただろう。思い出せない。そもそも私の帰りが遅くて、一緒に食事をすること自体が、少なかったような気がする。
「子育てを支援する会」はブログを発信源として、働く母親達の間で話題となった。そしてメディアもそれに目をつけるようになった。
私は代表者として、とある主婦向け雑誌の取材を受ける事になった。その雑誌を通してプロジェクトは益々知名度が上がり、全国規模で講演会を開く程になった。
私は会社を立ち上げた。ブログ仲間にサポートをしてもらいながら、子育ての事業を始めたのだ。保険会社は辞職した。
仕事が波に乗り、私は経済的に余裕をもって暮らせるようになった。これで裕章と二人、幸せに暮らすことができる。以前の私ならば、そう言っていただろう。
しかし、この頃の私は、仕事が人生である、いわゆる「仕事人間」と化していた。もっと人の役に立ちたい。もっと悩みを聞いてあげたい。支えになりたい。
私は、家政婦を雇って裕章の面倒を見させた。自分は仕事に専念しようと決めたのだ。
会社を始めてからは、母に連絡をすることも無くなっていった。自分がなんとかしなくちゃ。自分が周りを引っ張っていかなくちゃ。代表者としての責任感や、周りの人々からの救済の声に、私は、人を頼ってはいけないのだ、と思うようになっていった。
知らなかった。裕章がご飯を食べられなくなっていたなんて。
知らなかった。裕章が苛めにあっていたなんて。
私、最近裕章と話しただろうか。思い出せない。
自分の子供は、うんと可愛がってあげるんだって、思ってたじゃない――――
***
裕章が、背中をとんとん、と押してくれる。私は子供みたいに泣きじゃくった。いつの間に、こんなに手がおっきくなったのだろう。いつの間に。
「明美、あんたはもっと、家族に頼りなさい」
母が言った。
「それから家族を大事にしなさい。確かにあんたのいうとおり、家族は変わっていくものよ。でもね、だからって、それでかかわりが無くなる訳じゃない。いつまでも、いつまでも、続いていくものよ」
母は、微笑んだ。
「お父さんね、あんたが会社を立ち上げたって聞いた時、すごく喜んでいたのよ。あの人も頑固で、あんたにおめでとうの一言も入れなかったけどね。本当、頑固な所はあんたにそっくりだわ」
私は思わず笑った。
「私も立派だと思った。一人で会社立ち上げるなんて、余程の人望と行動力がなければ、できない事だからね。…明美はよく頑張ってる」
私の視界がにじんだ。
「でもね、頑張りすぎて、裕君の事が見えなくっている感じがしたの。自分ひとりではどうにもならない時に、親を頼る事は全然恥ずかしい事じゃないのよ」
母は裕章を見た。
「裕君はしっかりしてるから、明美もつい甘えてしまうのかもしれないけど…」
それを聞いて、裕章は母の前に立った。
「そんなことありません」
そして、私に向き直った。
「おかあさん」
私は、裕章を見た。
「ごめんなさい。僕、お母さんに不満ばかり持ってた。家に帰ってくるのがいつも遅いし、ご飯作ってくれないし、何処にも出かけられないし。…お母さんが一生懸命働いているから、僕は生きていけるのに」
「裕章…」
「勝手にお母さんが悪い、って思ってた。ごめんなさい」
「謝らないで。悪いのはお母さんなの。裕章の事、全然見てなかったお母さんなの…」
母がそこへ割って入った。
「二人とも悪くないでしょう!お互いの立場が理解できたんだから、それでいいじゃないの。これから気をつけていけばいいのよ」
「でも…お父さんのことは…」
「あの人が最後まで意地張ってたのも悪い。だから明美は、その手紙を読んで、お父さんの本当の気持ちを知ったんだから、それでいいのよ。これからはお父さんを嫌わないであげて」
私は手紙を見つめた。
お父さんの匂いがした、気がした。
***
向日葵畑からの帰り道。俺と裕章は、自転車に乗って、暗くなった向日葵畑を後にした。涼しい風がほおをなでていく。
裕章が、俺の腰のあたりをしっかり掴んだ。
「明日、東京に帰ります」
「そっか」
「お世話になりました」
「…よそよそしいな」
せっかく仲良くなれたと思ったら、これだ。何だか寂しい気持ちになった。
「…俺はこっちで一人暮らししようと思う」
「またフリーターですか」
「うっせ。今度はちゃんと仕事、探すよ。今氷河期らしいけど」
自分に、実家に頼ろう、という甘い気持ちがあったのも確かだ。ここは姉の進言を受け入れようと思う。我ながら素直でいい子だと思うのだが、どうだろう。
「…僕も、学校行きます。何かされたら、母の権力を駆使して、教育委員会に訴えてやります。」
うわ、腹黒い発言。まあいいか、母親にも相談するってことは、一歩前進だ。
「頑張ろうな、お互い」
俺は背中に向かって言った。
背中におでこがぶつかる感覚がした。鼻をすする音と同時に、じわじわと液体が染みてきた。
「あー泣いてる」
「うっせ」
「うっせっていったな。うるさいですじゃないんだな」
「うるさいです。泣いている人間をからかうなんて最低です」
「ははは」
ペダルをこぐたび、夏の景色が遠ざかっていく。
この夏は、一つの出会いと、一つの別れがあった。
どちらも大切にしよう。忘れてしまわないように、胸に焼き付けておこう。
***
その日はめずらしく、ダイニングテーブルが四人いっぱいになった。
「こんなににぎやかなのは何年ぶりかしら」
と母は笑った。
メニューは、母が作ったカレーライスだ。
裕章は自ら、お皿にカレーをよそいに行った。
俺と母さん、そして姉さんは顔を見合わせた。母さんと姉さんは、目に涙を浮かべていた。
四人分のカレーライスと水が、テーブルの上に並んだ。そして近くにある父の写真の側にも、カレーと水が置かれた。父は食事が好きな人だから、もちろん参加だ。
こうやって、いつまでも、家族皆で食事をしたいな。
たとえ時が移っても。俺が「息子」から「父親」になったとしても。
たとえ離れて暮らしていたとしても。時々「お腹空いた」なんて言って、ひょっこり帰ってきたりして。
「やっぱりこの味だ」とか、「おかわり」とか、そんな他愛の無い事を言いながら、幸せを噛み締めていたい。
変わっていく世の中で、変わらないものって、あっていいんだと思う。
それを確かめるのが、この「食事」という行為なのかもしれない。
時計を見上げると、午後六時五十九分。あと秒針が一周すれば、「夕食の時間」だ。
「ではではいきますよー」
俺は皆を見渡しながら言った。
「いただきます」
ちょうど、七時になった。
ぱん、と四人の手を合わせる音が、ダイニングに明るく響き渡った。