後編
やっぱり長くなったので2話に分けました。
声のする方へ視線だけを向ける。
目に映ったのは、自分が予想した通りアガトだった。
普段見ることの無い、いつになく怒った表情をしている。しかしそのことよりも、アガトから久しぶりにキャスと呼ばれたことに心が弾んだ。
何故アガトがここにいるのかと問いかけようとするも、いつのまにか声すら出すことができなくなっていた。
「ん?ああ、アガト。案外早かったね。このとおり、魔法石作りを手伝ってもらってたんだよ。この前の君と同じようにね。ほら見て、この純度の高い魔法石。素晴らしいよ。」
アガトの表情が、何故か泣き出しそうな顔に変わる。
というか、アガトも魔法石作りに協力してたの?
「キャスは魔力量が少ないから研究の協力には不向きだ…わかっててやったのか?」
「うん、だって彼女が協力してくれるっていうからね。それに魔力量の大小でどれだけ生成される魔法石の大きさが左右されるかも立派な研究要素だよ?寧ろわざわざ魔法鳥メールで教えて上げたことに感謝しなよ。というか、口の利き方気を付けようね、一応、ここでは僕先輩。」
先輩の最後の一言は、魔力が乗った低い声で、さっきまでの緩い雰囲気から一転、空気が震える。五年生の魔法科の生徒は先の戦争で駆り出されたこともあるくらいの実力者揃いだ。二人がどういう関係かわからないが、もし衝突したら、間違いなくアガトが負けるだろう。
「うるさい…早くキャスをこっちに寄越せ。」
「ふーん?まあいいけど。これ以上虐めたら君、泣いちゃいそうだし。ほら、これ回復薬。早くこの子に飲ませてあげて。」
アガトは差し出された回復薬を乱暴に受け取る。それから先輩に抱きとめられていた私を、奪うように横抱きにして抱えた。
「…キャスと話があるから、どっか行って。」
「相変わらず僕の扱いが雑だよね!まあ、魔法石も手に入れたことだし、研究室に戻るよ。それじゃあね。…頑張りなよ。」
立ち去る前に謎の応援をする先輩。
…本当に、この二人の関係性は一体何なんだろうか。
アガトは先輩が完全に見えなくなるのを確認したあと、私を壁際に持たれかかるようにして座らせる。
「薬、口に入れるから、飲み込んで。」
アガトが私の前にしゃがみ込み、先輩から受け取った回復薬の蓋を外し、私の口へと運ぶ。
けれども、私はそれを飲み込む力もなくなってしまったようで、流し込まれた液体が口の端からそのまま溢れていく。
そんな私の様子を見たアガトが息を呑む。思った以上に状態が悪く、動揺しているように見えた。
彼はしばらく考える素振りをして頭を掻いた後、
「…ごめん、嫌かもしれないけど、少し我慢してほしい。」
そう言ってアガトは回復薬を自分の口に少し含み、私の頭を手で支えて上向きにする。それから私の口を指で優しく開き、口移しで薬を喉の奥へと流しこんだ。
…久しぶりに、アガトの唇の感触がする。
流し込まれた液体をゆっくりと嚥下すると、フワフワしていた身体に力が戻ってくる。指先がピクリと動き、今なら声も出せそうだ。
「あ、ありがとう、アガ…デバース君。もう大丈夫。」
ひとまず助けて貰ったお礼を述べると同時に、アガトから距離をとる。
先輩が持っていた回復薬は、かなり効力が高いものだったらしい。倒れる前と同じくらい身体が軽い。
「…」
彼は無表情で押し黙ったまま私を見つめ動かない。
婚約を解消してからというもの、こうして二人きりになることは初めてのことだった。…沈黙が苦しい。
「ねえ、デバースく、「…なあ、アイツにどこまでされた?」
私の言葉を遮り、アガトが私に尋ねる。
「どこまで?」
質問の意味がわからない。どこまで、とは?
「しらばっくれんな。あんな…純度の高い魔法石を生成しといて…」
彼がアイツと呼んでいるチャラ男先輩には、手を握りしめられただけである。しかも、彼に手を握りしめられていたのにも関わらず、考えていたのはアガトのことだ。
「先輩と私は」
「いや、言わなくていい。聞きたくもない。」
久しぶりに二人きりで話しているというのに、さっきから全然話を聞いてくれない。なんでこんなに彼は怒っていて、それでいて泣き出しそうな顔をしてるんだろうか。
「キャスが俺のことを家族としてしか見てなかったことなんて、ずっとわかってた。でも、今日会ったばかりのアイツに気を許すなんて、怒りを通り越して惨めだ…」
気を許す?手を握って魔法石生成しただけなのに、なんでアガトが惨めな思いをするの?
なんというか…アガトの中で私は先輩とそれ以上の行為をした前提になってないか?
「ねえ、ちょっと待って、私の話を聞いて。」
「なあ、キスしていい?」
アガトは私の言葉をほとんど遮るかのように言い放つ。
彼の様子はどこか自棄になっているようにも見える。
婚約を解消したのに、なんで?
そう私が問いかけようとするより前に、アガトは唇を私の元へと引き寄せる。私が逃げないよう頭と腰を乱暴に抱き、角度を変えながら何度も啄んでくる。焦燥に駆られるように、何度も、何度も。
私とアガトは婚約者ではなくなったのに、こんなことをしてもいいのだろうか。
以前したときより濃厚なそれに、せっかく取り戻した意識がまたも飛びそうになる。
けれども、なんで、という気持ちが霞むくらい、彼からの行為は私のことを欲してくれているのが嫌でもわかる。たまらず抱き締められるままだった腕を彼の腰へと回す。
それを合図に、私の衣服の上から彼の手が愛撫を始めた。その手つきは優しく、アガトと触れ合っているという熱に浮かされ、そのまま流されてしまいそうになる。
が、その手が衣服の中へと侵入しようとしたとき、わずかに残っていた理性が、ここは学校、屋外、人が通る、ダメ絶対、と私の頭に警告した。
…これでは先程私が目撃したチャラ男先輩が女生徒とやってたことと同じではないか。
「待って。」
唇を離し、彼の口を手で防ぐ。しかしその手はすぐさまどかされ「待たない。」と言われてしまった。
「いや、まって、ここ、人が通るから。」
「別にいい。」
アガトは続きを再開しようとするが、ここは私が強く出ねばいけないと、
「よくない!」と彼の身体を思い切り強く押した。
私の非力な力では彼の身体はブレること無かったのだが、私の抵抗が本気だと感じとったようだ。アガトはピタリと愛撫の手を止め、勢いよく私から身体を離す。
「…ごめん…そうだよな、もう婚約者でもなんでもないのに…キャスが断らないのに付け込んで、……俺、最低だ。」
額に手をあて、またも泣き出しそうな顔で言葉を続ける。
「でも、おまえがアイツに色々されたかと思うと、」
「アガト!」
ここは家名ではなく、敢えて名前で呼ぶことにする。
「ちゃんと私の話を最後まで聞いて。私、先輩とは手を握っただけ。それ以上のことは何もしてない。私、そんなに貞操観念弛そうに見える?」
え、と彼は驚きで目を剥く。
「手を握っただけ…?え、たったそれだけであんな純度に…嘘だろ、アイツ、どれだけ極めてるんだ…」
ダメだ、まだ何か誤解してる。
「先輩の手を握って、私はアガトと初めて手を繋いだときのことを思い出したの。あのときのことを思い出したら、心臓がドキドキして…あの魔法石が生成された。」
やっと私から事情を説明できた。
私の話を聞いたアガトはというと、「初めて手を繋いだときって…町からの帰りに、俺が提案したやつ?」と訝しげに尋ねてくる。
「うん。あってる。あのとき、アガトの手があたたかくて、心もポカポカしてた。」
あのときはドキドキしてる自分が恥ずかしくて、「あたたかい」とだけ答えた。でも、本当は手のあたたかさだけではなく、胸が激しく鼓動を打ち、心がほわんとあたたかくなっているのを感じていた。
「ねえ、アガト。」
「ん?」
「私ね、婚約解消って言われたとき、めちゃくちゃショックだった。」
「え」
何故か驚いた顔をしているが、気にすることなく話を続ける。
「ああ、アガトは私のこと好きじゃなかったんだなって。今までずっと、無理して私に付き合ってたんだって思い知らされて、「そんなことないっっ!!!」
次は私の方がアガトの大きな声に驚く番だった。
「ごめん、大きな声出したりして。でも、俺に…俺にずっと付き合ってくれてたのはキャスのほうだろ。どれだけ俺がアピールしても、いつも全く気に留めることもなかったじゃないか。」
「ええっ、アピール?いつ?」
「手、繋いだり、キスしたり、…セックスしたり。」
「いや、待って。あれってアガトが私を頑張って頑張ってめっちゃくちゃ頑張って女として見ようとしてくれてただけだよね?それで、色々試してみてやっぱり違うってなって婚約解消したんじゃないの?」
アピールというか、頑張って好きになろうとしてるアピールというか…
「そんなわけないだろ…気持ちが無かったら、普通、触れようとすら思わないから。」
「それ、私のセリフ。気持ちが無かったら、普通、受け入れようとしないから。」
「…」
「…」
お互いにいったん黙り込んで、頭の中を整理する。
え、もしかして…もしかしなくても、アガトも私と同じ気持ちでいるって思っていいの?
「俺、キャスが好きだよ。言っとくけど、家族愛とかそんなんじゃない。男として、キャスが好きだ。」
「!」
これまでずっと一緒にいたけど、好きという直接的な言葉を言われたのは初めてのことだった。
初めて手を繋いだ時とは比べ物にならない位、心臓がバクバクと鳴っている。鼓動が激しすぎて、病気にでもなったんではないかと思うくらいに。
一度深く息を吸い込み、心を落ち着かせる。
「…ねえ、その言葉、本当か確かめてみてもいい?」
「何?」
「手、出して。」
私の言葉に、アガトは素直に右手を差し出す。
私は少し緊張で震えながら差し出された手を取り、自分の右手の上に乗せる。
「こうして、指を絡める・・・」
そう言って自身の左手をアガトの右手に重ねる。
私は自分の指でアガトの手の甲をするりとなぞり、それから彼の指を絡め取る。
「…今の気持ちはどんな感じ?」
手と手が触れ合ったまま、アガトに尋ねた。
「キャスの方から触れられて、嬉しさしかない。」
アガトが困ったように笑う。
チャラ男先輩の声が頭の中で響く。
『これが好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。それが、恋。きっとね。』
日が陰っているせいか、暗がりで顔色までは判らない。けれどもそこにはどこか気恥ずかしそうにしているアガトの表情があった。
絡めた指先を手全部を使って握り締め、彼の身体を自分の方へと全力で引っ張る。
それから、今ある全力の力でアガトの身体を抱きしめた。
「好き。」
たぶん、言葉にするのは初めて。一度言葉にすると、それだけじゃ足りず、好きを重ねる。
「ずっと好き。これからもずっと大好き。」
ちらりと彼の反応を見ると、夕日のせいだけでなく、耳まで真っ赤にして口元を押さえている。
その姿がとんでもなく可愛く見えて、私は初めて自分から彼にキスをした。
◇
「色々聞きたいことがあるんだけど。」
ベッドの上で、アガトの固い腕に頭を預けながら彼の方へと顔を向ける。ベッド端に脱ぎ散らかされた制服は、またも皺だらけになっているかもしれない。
結局あの後、キスだけで終わるなんて無いわけで。
二人阿吽の呼吸で学校を後にし、アガトの部屋へと移動した。部屋へ着いた途端に始まった二度目の行為は、気持ちが通じ合ったこともあって痛みよりも幸福感でいっぱいだった。
まだ親たちは仕事から帰ってきてない。帰ってきたら、婚約を結び直したいことを二人で伝えるつもりだ。
「聞きたいことって何?」
「先輩とはどういう関係?」
「あー…言ってなかったけど、アレ、俺の従兄弟。」
「へ!?」
あのチャラ男先輩とアガトが従兄弟だと?これまで全く聞いたことがなかったのだが。
「俺らが入学した頃は魔法科の四年生は長期実習でちょうどいなかったっていうのもあるけど。アイツ、あの通り女子に見境ないし、顔だけはいいから…キャスがアイツに惹かれでもしたらどうしようって、頑なに存在を伝えてなかったんだ。」
「ええ!?」
顔は確かにカッコいいとは思うけど、私はそんな惚れっぽい奴ではない。
「今日、キャスがあそこにいるのも、アイツ…チャーリーが魔法鳥メールで俺に教えてくれたんだ。『元婚約者っぽい子と一緒にいるけど、頂いちゃってもいい?』って。帰宅途中だったけど、慌てて引き返したよ。」
「先輩が魔法鳥メールを飛ばしてた相手って、アガトのことだったんだ…」
たぶん、名前を名乗ったときに気付いたのだろう。ちょっかいをかける前にわざわざ教えてあげるとは、思ったよりもちゃんとした人のようだ。
「昔からチャーリーにはよくキャスのことを相談してたんだ。アイツ…昔からモテてたから、恋愛事の相談にはもってこいだって。」
「そうだったんだ…どんな相談してたか、聞いてもいい?」
「婚約者が俺を家族としてしか見てくれないってのがほとんど。それで提案されたのが、手を繋ぐだとかキスだとか。全部実践してみたけど、全然脈があるように見えなくて・・・身体の関係になっても、これまでと変わらないようならそれまでだよ、って言われて…それで、あの日、キャスを抱くっていう賭けに出た。受け入れはしてくれたけど、それでもキャスは全然態度が変わらないから…だから、婚約を解消して、俺から解放してあげようと思った。」
「私…そんなに態度が変わらなかったように見えた?」
「見えた。」
間髪入れずにアガトが答える。
あのときは、アガトのお試し行動だと思ったから、舞い上がってはいけないと意識的に態度に出ないようにしていたのだ。それが裏目に出ていたとは。
「私、嬉しかったよ。ちゃんと私を求めてくれるんだって。あの日の夜は、実は興奮して眠れなかったくらい。まあ、次の日には地獄の底に叩きつけられた気分になったけどね。」
「・・・ごめん。」
「いいよ、結果的にこうしてお互いの気持ちをきちんと確認できたんだから。」
もし今回のことが無くても、私たちはそのまま結婚していただろう。ただ、お互いの気持ちに不安を抱えたままで。
なので、この一ヶ月間は苦しかったけれど、必要な時間だったのかもしれない。
「また婚約者としてよろしくね。」
「こちらこそ。」
なんだか改めて言うとくすぐったくて、額を突き合わせてフフと笑い合う。
「そうだ、今日研究に協力した魔法石、先輩が後でくれるって言ってたから、アガトにあげるね。」
「え、いいのか?せっかくだから自分のアクセサリーにしたらいいのに。」
「うん、アガトに持ってて欲しいの。それで、今度アガトの魔法石を私にちょうだい。それを私は身に着けたい。」
てっきりいいよという返事が聞けると思ったのに、アガトは何故か言いにくそうにしている。
「え、と……前にキャスにあげたやつ。あれ、実は俺の魔法石なんだ…」
「へ」
あの掌サイズの虹色のアレ?あれがアガトの?婚約を解消しても、後生大事に毎日触って大切にしていた、あの魔法石が?
「アガト、前に自分は私より少し多いくらいの魔力量しかないって言ってたと思うんだけど…」
しかも、虹色ってことは、全属性への適正あり。
今まで魔法を使うところなんてほとんど見たことがなかったのだが、実は凄い才能の持ち主なのでは…
「キャスとそんなに変わらないよ。」
嘘をつけ、嘘を。魔獣から生成される魔法石でもあの大きさは滅多にお目にかかれないのだから。
「今からでも遅くないから、魔法科に転科したら?」
「やだよ、魔法を使うことより仕組みを理解したり構築するほうが楽しいし。何より、キャスがいないクラスとか魅力無さ過ぎ。」
「ええー…」
どうやら、私が思っていた以上に、私は彼に執着されているようだ。
◇
後日、アガトと復縁したことを友人らに伝えると「でしょうね。」と皆に口を揃えて言われた。
曰く、婚約解消後、彼は「キャスが隣にいないと寂しくて死にそう」と未練がましいことを四六時中こぼしていたそうな。遠くからずっと目で私のことを追ってるし、帰り道は私が一人で心配だからとこっそり後を付けて無事に帰るのを見届けてから帰宅していたらしい。私は私で落ち込んでるし、さっさとヨリを戻せよおまえらと、呆れながら見守っていたとのこと。
とりあえず、「お騒がせしました。」とだけ伝えると、周りからは「たぶん相当重い感じに愛されてるから、今後気をつけな。」と何故か忠告されてしまった。
次こそラストです。明日の夜に予約投稿済。