◆2-8
フェルハントの了承を得られたので早速、本の話について質問する事にした。
実際聞いていて、色々と突っ込みどころがあったのよね。本当に沢山。
話を遮るのも悪いと思ってそのまま黙って大人しく聞いていたのだけど、折角質問の機会を与えてくれたのだからここは大いに有効活用させてもらおう。
さて、まずはどの質問にしようかなって思ったんだけど……。
ここで今更ながらに気付いてしまった。
──三歳児の思考というのがよく分からない。
思わず項垂れてしまう。
だって三歳児が一体何を疑問に思うのかが、分からない。
不自然でない質問をするべきだろうと分かってはいるのだけど、子供、それも三歳児が疑問に思う事なんて正直考え付かない。
だって子供よ?
自分が大人になって客観的に子供を見た時の、あの不思議な行動の数々。
正直、理解不能──不可解。
子供独自の思考パターンって、大人になると理解出来なくなると思うのよね。
そう思っている以上、子供の、ましてや幼児と言える三歳児の思考なんて想像できるはずもなくて。
しかも、質問する相手は六歳なんだよねぇ。
余計下手な質問なんかできやしない。
これが素のままの私で質問が出来るなら、聞きたい事は山ほど出てくるのだけど。
例えば、この話の対象年齢は何歳からなのかとか。
私はてっきり絵本が出てくるのだと思った。
実際フェルハントが持ってきた本は厚みがあったので、話はある程度の長さで挿絵がついていたらこれぐらいの厚さも当たり前だろうと思っていた。
でも、ページが捲られる度出てくるのは文字ばかり。
一体何時絵が出てくるんだろうと思いながらも、話を聞きつつ本を見ていたら終わっていた。
文字が分からない人間には勧めるべき本ではないと思う。
ただ、見せて楽しませるものじゃなく、読み聞かせる専門だとしたら問題はないけど。
ないのだけど、それなら何故今そのチョイス? って思う。
読み聞かせるのって普通、寝る前とかになるんじゃない?
本を直接見るのは、朗読する本人だけでそれ以外の者は聞き役にまわるわけだから、態々今である必要はないと思うのよね。
この世界に絵本なんていうものがなかったら、それは仕方ない事なんだろうけど。
今の私の状況じゃ、この世界の文化や慣習を知る事なんてできないし。
絵本があるかどうかなんて、それ以前に『絵本』という物があるのかどうかも分からない。
とりあえず絵本については、また今度調べる事にして、次に話の内容──。
この世界についてって言ってた気がするんだけど。
神──創造主。
別に、おかしいとは思わない。
私が結歌として生きていた世界にもあった事だもの。
神々については日本神話に始まって、ギリシャ神話に北欧神話、メソポタミア神話にインド神話……。
あげだしたらキリがない。
それに架空小説から派生したクトゥルフ神話っていうものあったし。
とにかく、それほどまでに『神』という存在がここでも本になっていたとしても不思議ではない。
例えその中にリュウや精霊という言葉が入っていたとしても。
天使がリュウに変わったとでも思えば別に違和感は……ない、はず。
要するにこの世界の神の眷属という事だろうし。
そう考えれば、すんなりとはいかないまでも十分納得は出来る。
そこまでは別にいい。理解できると思う。
でもね、何故敢えて今このタイミングでその話を選んだという事に関しては申し訳ないけど、理解が出来ない。
だって、幾らこの世界の事だと言われても三歳児に例えて言うなら古事記が、日本書紀が理解できる?
まあ、百歩譲って単純な内容に変えていたとしてもちょっと考えられない。
本を選んだのが子供だと考えたとしても。
中身が大人な私にはこの話自体、理解出来ない事はないんだけど。
だからこの内容について疑問点があったとしても、質問なんか出来ないと思う。
いや、出来るとすればとても単純な、言葉通りのものだけ。
やっぱりそれが妥当、なのよねぇ……。
ああ、もうっ!
一体何を質問すればいいのか、分からなくなってきた……。
ぐるぐると答えの出ない思考に、思わずガーッって頭を掻き毟りたい衝動に駆られたけど、なんとかそれを押しとどめる。
流石に唐突にそんな行動したら、フェルハントが驚くだろうし。
第一、私の質問をずっと待っていてくれてるんだからそろそろ質問しないと。
とりあえず、素直な質問でもしてみる事にしよう。
「りゅうたちは、かみさまにあうことができたのですか?」
「残念ながら、まだみたいなんだよ」
淀みなくスラスラと答えてくれるフェルハントの瞳には、ほんの少し悲しみの色が宿っているように見えた。
それは『会う』という約束が果たされなかった、リュウ達への同情心からなのだろうと思った。
思ったんだけど、なんかおかしい。
もう一度フェルハントの言葉を思い出してみる。
確か『まだ』って言ってた。──まだ?
それって、約束はまだ生きているって事?
「それは、いつかかならずあうことができるということですか?」
まさかとは思いつつも聞いてみると、フェルハントは勿論と逡巡する事なく頷いた。
「僕達『ヒト』はもうその約束を覚えていないけど、竜や精霊達の中にはまだ覚えている者達がいるからその約束は必ず果たされると思うよ。
ただし、それが何時になるかはわからないけどね」
え? ちょっと待って……。
今サラリと凄い事言われた気がするんだけど……?
「りゅうやせいれい、かみさまはじつざいするってことですか……?」
「うん、勿論」
即答するフェルハントに思わず「わぁお、ファンタジー」なんて言葉を、まるで台本の台詞を棒読みする大根役者のように呟いてしまった。
それほどまでに、衝撃を受けてしまったのだ。
今更ながらに、あまりにも違いすぎる世界に。
幸いな事に私の呟きはフェルハントには届いていなかったらしく、それどころか「ああ、そういえばフィアナはまだ見た事がなかったよね。だったら仕方ないかな」と一人呟くと、
徐に立ち上がり、私に言葉をかける事もなく何処かへと歩いて行った。
私はそんなフェルハントを珍しいと思いながらも視界の端で見送り、今の間に動揺する心を落ち着かせる事にした。
まさかリュウや精霊が普通に存在しているなんてね。
思いっきりファンタジーだし。
いや、既に私が此処に存在している事自体がもうファンタジーだった。
このファンタジーがこの世界での普通なら、私も慣れなきゃいけない。
なんていうか、上手くやっていけるか不安要素が増えた気がする。
ファンタジーの世界に憧れたりはしたけど、それは「想像していて楽しい」「害がない事」が条件だったりするわけであって、日常に溶け込まれると実際は複雑。
なまじ中身が大人だから、柔軟に受け止められる無垢さがねぇ……。
はふー。と疲れきった溜息が自然と零れ落ちた。
「ちょっと疲れちゃったかな?」
いつの間にか戻ってきたフェルハントが、心配そうに私を見た。
あちゃー。
没頭しすぎて全然気付かなかった。
そこまで精神的ダメージ受けてたって事……?
根底たる世界観の違いは思った以上に、私の精神を揺さぶっていたのか。
とりえず自分の内面の事はあとにして、上辺だけでも取り繕わなきゃね。
「そんなことないです。それよりにいさまはどちらへいかれていたのですか?」
これでトイレって答えだったら本当にごめんって感じだけど。
でも話題を逸らす為には必要だから、そこはもう子供だからという事で許してもらうしかない。
「フィアナが竜や精霊を見た事がなかったからね。絵姿を持ってきたんだよ」
そう言ってフェルハントは装丁の綺麗な一冊の本を机の上に静かに置いた。
その本も先程の本と同じぐらいの厚さがあった。
絵姿というぐらいだから、今度こそ絵がついているのよね?
「精霊に関しては姿がそれぞれ違うから余り参考にならないけど、竜は基本的に同じ様な姿だからね」
フェルハントは本をパラパラと捲ると、リュウが載っているページを開いた。
どういうものかとちょっとワクワクしながら見てみると、そこには丁寧に細部まで描かれているリュウの全身図が載っていた。
ちゃんとカラーで。
これ、リュウっていうかドラゴン……。
大きな二枚の羽を背中から生やし、先が細くなっている尻尾に四本の手? それとも足? がありその先には鋭い爪が生えていた。
身体はどっしりとしており些か長い首に、頭には角か瘤か分からないけど小さいものが二つほど左右についている。
例えて言うならプラキオサウルスの首を少し短くして、ちょっと強面の表情にすると近い、かな……。
表現が難しい……。
色は、全身蒼色みたい。爪とかは白で目の色は紺?
リュウっていうとどうしても東洋の龍の方を思い浮かべちゃうけど、この世界の竜はドラゴンの事なんだね。
しっかし、これが──これって言い方失礼か──竜が普通に存在しているのか。
大きさの比較が書かれていないからどれぐらいの大きさか想像はできないけど、外にはいるのよね?
私、実物に出会って気絶したりしないかどうか心配になってきた。
それに、人を襲ったりしないのだろうか?
「にいさまは、りゅうやせいれいをじっさいにみたことがあるのですよね?」
「うーん、そうだね。精霊は見た事があるよ。でも竜はどうやら数が少ないらしく、残念ながら実物はまだ出会った事がないんだ」
だったら竜は実在してるかどうか分からないのでは? と、思ったんだけど、毎年目撃報告がちゃんと挙がっているらしく実在は確認されているとの事。
その報告が虚偽の可能性はないのかと聞いたら、精霊の証言が必須だから虚偽は出来ないらしい。
うーん……。精霊は嘘がつけないって事なのだろうか?
思わずうーっと唸って考えていたら、「精霊や竜についてはこれから勉強していけばいい事だから、今は何も考える必要はないよ」と、あやすように頭をポンポンと撫でられた。
そこまで言われるとこれ以上考え込んでしまうのも、憚れてしまう。
今後の楽しみとしておいておくとするかと、意識を切り替える事にした。
「さあ、時間も遅くなってきたからね、今日はもうお終いにしよう」
キリがいいと思ったのだろう、フェルハントは本を閉じた。
まだ聞きたい事はあったけど、確かにもうそろそろ夕食の時間だろうし、ここでごねても仕方がない。
それに困った事に子供の身体は睡眠をかなり必要とするらしく、夜遅くまでは起きていられないのだ。
だからと言って無理して起きておくつもりはないけど。
だって成長阻害になったら嫌だし。
なんでそんな事を気にしているのかって言うと……。
どうせやり直し? させられているんだから折角ならナイスバディな女性になってみたいじゃない?
夢は高く大きくってね。
遺伝っていうものにも大きく左右されるだろうけど、この世界の両親と兄を見ていると努力次第では実現出来そうなのよね。
だから……。
そういう目標でも持っておかなきゃやってられないっていう思いもあったりはするんだけどね。
とにかく、規則正しい生活を習慣付けるところから始めるの。
頭の中も切り替えて、考える事はまた明日にしてリラックスさせなきゃ。
うん! と変に気合を入れながら椅子から降りようとしたら、ヒョイッと抱えあげられた。
それは言うまでもなくフェルハントによってで。
「それじゃあ、行こうね」
「むー。にいさま、ふぃあなはじぶんであるけます」
身体を動かす事も大事なんだから、邪魔はしないで欲しい。
怒っている事を意思表示する為に、目に力を入れてキッとフェルハントを睨む。
私の睨みを真っ向から受けたフェルハントは、悲しそうな表情を浮かべた。
「フィアナは僕と一緒に居るのが嫌なのかな……」
寂しそうに言われてしまうと、些細な事で怒っている自分が凄く小さな人間の様な気がして、それ以上怒る事も出来ない。
それに相手は自分より子供なのだ。
だったら、此処は私が折れるべきだろう。
「ふぃあなはにいさまといっしょにいるの、好きですよ?」
仕方ないなぁと思いながらも言えば、途端にギュッと強く抱きしめられた。
「ありがとうフィアナ。僕もフィアナが大好きだよ」
そう言って優しく額にキスを一つ落とした。
相変わらず感情表現が大げさだなあと思いはしても、全く嫌な気がしないのは掛け値なしの愛情を注がれているからだろう。
未だに戸惑う事は多々あるけど、頑張って生きていこうと思えるのは、温かい愛情を注いでくれる家族がいるから。
間違いなく私はこの家族に、フェルハントに救われていると思う。
フィアナの中に結歌がいるという事は伝えられないけど、その事にほんの少し胸が苦しくなるけど、家族を大事にしようと思う。
「ふぃあなもにいさまがだいすきですっ!」
大切にしたい想いが少しでも伝わればいいと、ありったけの笑顔でフェルハントに微笑んだ。
結果──感極まったフェルハントに危うく抱き潰されそうになったけど。
それも愛情ゆえと分かっているから、何も言えないんだけどね。