◆2-5
私は心底困ったという表情で、微動だにせずじっとフェルハントを見つめた。
そんな私の様子にフェルハントは眉尻を下げる。
「ごめんね。フィアナを困らせたかったわけじゃないんだ。
でも、フィアナが僕の気持ちに気付いてくれていないようだったから、やっぱり困らせたかったのかな?
うーん・・・・・・。ちょっと言い表すのは難しいかな。どちらにせよ、僕が悪いから謝るよ。ごめんね。
こんな僕の事、フィアナは嫌いになっちゃったかな?」
声音の最後辺りが消え入りそうな弱弱しいものへとなっている。
あまりにも悲愴感漂うフェルハントの様子に、私は音が聞こえそうなほどぶんぶんと首を大きく横に振った。
そこまでしないと伝わらないんじゃないだろうかと、本気で思ったから。
それに、別に彼を苛めたいわけではない。
勿論、あんな表情をさせたかったわけでもない。
いやまさか、私のほんのちょっと困ったと思った視線であそこまでダメージを受けるなんて全く予想もつかなかったけど。
でもよくよく考えれば、フェルハントはまだ六歳なわけで。
六歳といえばまだまだ子供なんだよね。
ごめんね、全然気付かなくって。
見た目年齢三歳でも、精神年齢二十三歳の私が気付かなくってどうするよ!!
もう、本当にごめんなさいっ!!
実際謝るわけにはいかないから──だって理由なんか告げられないもの──心の中で土下座させていただきました。
私の必死さが伝わったのか、フェルハントの気持ちが少しは浮上したようだ。
僅かに笑顔が──というか、苦笑?
「こんな僕でも、フィアナは好きだと思ってくれるの?」
浮上したと思ったけど、それはどうやら気のせいだったらしい。
そんなにさっきの私の表情とか、態度って酷いものだったの?
誰かに聞いて確かめたいと思っても、此処には私とフェルハントの二人だけだし。
フェルハントにそんな事でも訊ねようものなら一体どうなるか・・・・・・。
間違いなく今より酷い事になる。
「ふぃあなは、にいさまのことがだいすきです。
きらいになることなんてありません。それともにいさまは、ふぃあなのことがしんじられませんか?」
こんな言い方は卑怯だと分かってる。それでも言わなければきっと、堂々巡りな会話になるのは間違いない。
まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。
フェルハントは数回、驚いたように瞬きを繰り返すとふんわりと笑顔を浮かべた。
その笑顔を見て、漸く私はホッとした。
「参ったなぁ・・・・・・。フィアナには本当、勝てないよ」
そうでしょうとも、なんて同意は出来るはずもなく。
でも、この穏やかな雰囲気をもう少し味わっていたかった。だから──。
「ふぃあなはいつでも、にいさまにまけっぱなしですよ?」
なんて言って可愛らしく小首を傾げてみた。
ついでにきょとんとした表情を作って。
いやー、我ながらにこの歳で作為めいた演技もどうかと思うんだけど、この際仕方ないよね?
なんか、小悪魔──出来れば『悪女』にはなりたくないので──への道をこのまま突っ走りそうな気がしないまでもないけど。
「じゃあ、そういう事にしておこうかな?」
そうして優しく、私の頬にキスを一つ落とした。
本当、スキンシップ多いよなぁ。
そんな事を考えながら、何とはなしに離れていくフェルハントの顔を見ていた。
私の視線に気付いているはずなのに、フェルハントは何も言わず目の前に置かれたまま放置されていた本をそっと開いた。
「話は戻るけど、僕はフィアナに文字を教える事を今回は諦めたんだ。
だって父上や母上が、フィアナに適任の先生を探してくるだろうと分かっているし。
僕の我侭で、これから開花していくフィアナの能力を妨げる事は絶対嫌だったから。
だからね、文字を教えるのは諦めたんだ」
「にいさま・・・・・・」
本へと視線を向けたまま、まるで懺悔の様に静かに話すフェルハントに、本気で二度目の土下座をしたくなった。
私があの時申し出を拒否しなければ、彼は何も思い悩む事はなかったんじゃないだろうか。
それどころか『文字を教える』という主張が、我侭だなんて思う事すらなかったんじゃないだろうか。
実際それは我侭なんかじゃなく親切心だと私は思ってるけど、フェルハントはまるで戒めのように我侭だと信じている。
どうしてそこまで・・・・・・と、思う。
我侭言ったっていいじゃないか。
まだ六歳だよ、子供だよ? 癇癪起こして親を困らせながらも、自分の我を通してもいいじゃないか。
子供にはその権利が十分あるはずだ。
そうして人は大人に成っていくんだと、私は思ってるから。
私だって別にフェルハントに教わりたくないわけじゃない、ただ邪魔をしたくなかっただけ。
フェルハントもそれを分かっているはずなのに、どうして・・・・・・。
過去に戻れるなら、私は間違いなくあの時の自分を叱っただろう。
でも、そんな事出来ないと分かっている。
なら、今の私が出来る事をするだけだ。
私は決意をもって、フェルハントに話しかけようとした。
だが──。
「フィアナは何も気に病む必要はないよ?
僕はフィアナに文字を教えるのを諦める代わりに、本を読んであげようと思ったんだから」
そうしてまっすぐ、一点の曇りもない瞳で私を見た。
フェルハントの表情や瞳からは不満も嘘も感じられず、掛け値なしの本心だと感じられた。
だとしたら、私が言う言葉は決まっている。
「ありがとうございます、にいさま。
ふぃあなも、にいさまにごほんをよんでいただきたいです」
フェルハントを安心させるように、ふんわりと微笑んだ。
それで漸く、本当に安心したのだろう。珍しく見るからに安心しましたという表情のフェルハントを見たのだ。
それも、子供らしい表情の。
いつもフィアナ──私の前では『お兄さん』であろうという気持ちが強いのか、子供らしさが言動や行動、そして表情にも見受けられなかった。
その事がいつも気になっていた。
だからたまに態と、一緒に子供っぽい遊びもしたけど、それも何時も失敗していた。
もしかしたら私の所為で、子供らしい甘えや行動が出来なくなってしまったのではないだろうかとも思った。
そうして私が思い悩む度にフェルハントが優しく『どうしたの?』と聞いてくるものだから、慌てて何度も『なんでもない』と誤魔化した。
だって、そんな事教えるわけにはいかなかったもの。
あくまで私の心の平穏だけの為に、考えているような事だったから。
純粋にフェルハントを心配しるだけじゃなく、そこには打算も含まれていて。
ああ、なんだか汚らしい大人な自分がフェルハントの純粋な愛情を受けても良いんだろうかなんて事を思いもしたけど。
でも今、子供らしい表情を見る事が出来てホッとしている自分が間違いなく居て。
ああ駄目だ。なんだかぐるぐる。
感情が上手く抑制できないや。
でもこれだけはどうしても言いたい。
「にいさまは、すこしくらいわがままをいってもだいじょうぶだとおもいます。
おさえることなんて、しないで。ふぃあなはありのままのにいさまがいちばん、だいすきですから」
こんな言葉でフェルハントの何かが変わる事はないと分かっている。
それでも、何か無理をしているなら、それを抑えないでほしいと思っている者がいるという事を知っていてほしい。
きっとそれだけでも、心の負担が減るとは思うから。
「変な事を言うね、フィアナは。
僕は何も抑えてないよ? でも、そうだね──。
フィアナが僕を心配しているという事だけは、肝に銘じておくから。
だからそんな悲しそうな表情は、しないでほしいな。 ね? 僕のお姫様──」
困った表情を浮かべつつも、そっと慰めるように私を抱きしめるフェルハント。
その手は優しく私の頭を撫でていた。
一体どっちの方が年上なんだと思いながらも、おずおずとフェルハントの背中に回せる範囲で手を回す。
そして胸に顔を強く押し当てた。
これなら情けない今の私の表情を、フェルハントに見られる事はないから。
だから今は何も言わず抱きしめていて欲しい。
私が私を、制御出来るまで──。