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 旅に出る前にキリギリスは荷物を点検しておこうと思った。とは言っても、彼の荷物など愛用のバイオリンと着たきり雀の羽マント、そして緑で統一された、彼の衣服の一揃えぐらいのものだった。着たきり雀なので替えの服というものもない。


 虫なのに雀というのも、おかしいことだが。


 一跳ね一跳ね、キリギリスは町へとのろのろとした歩みを進めていった。決して急がず、自分のペースで彼は跳ねる。時には脇へそれ、何時間もただじっとしていることがあったかと思いきや、時おり思い出したように彼は楽器を弾いた。すると周囲に住んでいた音楽の心得がある虫たちが、それに和合するように各々の楽器を持ち出して、それぞれが自分勝手に曲を弾き合った。


 「もっとヴォリューム上げろ!」誰か一匹がそう叫ぶと、「リズムはこれでいいか?」と、横から別の虫が合わせてくれとばかりに、ギターをかき鳴らす。「OK」そしてそう誰かが言うと、その場の虫たち全員が息を合わせたようにセッションを始めた。それは見事な一体感で、とても心地よいものだった。ただし、それに少しでも不調和(ふちょうわ)が混じると、もう駄目だ。それは騒音以外の何物でもなくなってしまう。


 どうやらこのキリギリスには音の良し悪しが分かるようだった。下手な演奏家には、彼はこれまで近づきになりたがらなかったからだ。


 カラスが鳴いている。不調和の象徴(しょうちょう)のような声が、音をかき乱す。一日が暮れ、夜が始まろうとしていた。水仙(すいせん)の花のすき間から、夕陽がキリギリスには見えた。しばらく彼はその夕日を黙って眺めていたが、陽が沈む段になって、ようやく傍にあったタンポポの葉を一枚夕食用にちぎり取ると、小石を枕に野営しはじめた。


 火など炊けないので、タンポポは生でかじるだけだ。それでもうまかった。外国になど行ったことがなかったし、知りもしなかったが、どことなく異国の味がした。それからキリギリスの頭にはアゲハチョウの死にざまがおぼろげに浮かんできた。いつか俺もあのように死ぬかもしれない。いつか俺も必ず死ぬのだ。それは避けられないことだ。だがその前にやることが二つある。たった二つだ。分かりやすくていいだろ? 音楽と、女の子だ。なあ、なんともシンプルじゃないか。


 それを言葉にすると「世界中の女の子を」「キャーキャー言わせて」「ヤリまくる」というなんとも下世話なものだったけれど、キリギリスはその生き方を一度も恥じたことはなかった。



 がさがさ。ごそごそ。


 何かの物音で、キリギリスは目を覚ました。そして彼の目の前には黒い小さな影があった。暗やみの中でも見える彼の眼がそれを捕らえた。「やあネズミだ!」。しかしネズミの様子は少し変だった。よそよそしかったのだ。何だかキリギリスに気兼ねをしているようでもあり、怖気づいているようでもあった。


 業を煮やしたキリギリスは「食うなら早くしろ!」と、ネズミにどなった。しかしネズミは二の足を踏んでいる。攻撃をためらっている様子を見てとると、キリギリスは強気になり、ネズミに言い放った。「やい、この田舎っぺ」。彼は追い打ちをさらにかける。「お前はぐずで、しかも田舎っぺだ」


 「なんで、そんなひどいこと言うんだよ」弱虫なネズミは、泣きそうになりながら言う。


 「それは俺が、洗練された文化()だからだ」キリギリスはネズミを卑下して言った。「ぐずめ」そして格好をつけるように、バイオリンをジャリーンとこれ見よがしにかき鳴らした。それからキリギリスが弾きだした物悲しげなメロディーに合わせて、ネズミの嗚咽(おえつ)する声があたりに響き渡った。しゃくり上げは段々ひどくなり、キリギリスは最初、それをあまり気にしていなかったが、次第にうるさくなり、いったん楽曲を停止して、怒鳴りつけた。


 「おうどうした?」帰ってきた声は少し野太い、別のネズミの声だ。


 「おいら見てたぜ」悪いことにもう一匹現れた。「リンチだリンチ」


 「引っ立てろ。裁判にかけてやる。虫ごときがネズミを泣かせよって」さらに後ろから、一番おっかないのが登場してきた。キリギリスは肝を冷やし、この連中から逃げようと思ったが、逃げられないように四匹のネズミは彼を囲んだ。


 「イエ、いじめてなんかいないのです」彼は哀れっぽく言った。「本当です。助けてください」


 「いいか。上手くなかったら、殺すぞ」恐怖でふらつく前足で、キリギリスはバイオリンをなんとか握った。この連中が自分との約束を守るわけがない。それは分かっていたが、彼は唄った。ふるえる手で――きもちよく――


  美味しい美味しいキリギリス

  丸々太ったキリギリス

  ゲテモノだけど、悪くはないよ

  ネズミだったら大丈夫



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